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第六話 前門のライオン 後門の虎

さっぱりした身体で、少し寒い廊下をひまりと進む。

髪はまだ少し湿っているけど


身体は、暖かかった。


とても


「お姉ちゃん、気持ちよかった?」


隣のひまりが、少しだけ楽しそうに聞いてくる。


「……うん」


悔しいけど。

ものすごく、気持ちよかった。


「でも、急ぐよ」

「うん」


あたしはひまりの手を握り直した。


赤い絨毯は、素足に柔らかい。

足音が、ほとんど響かない。

これなら、見つからずに出られる。


廊下の先に、白い光が見えてきた。


「あれが出口?」

「うん!」


もう少し。

もう少しで、ここから出られる。

お母さんを探しに行ける。


そう思った、矢先だった。


「――っ!?」


出口を塞ぐように、現れる大きな人影。

咄嗟に背にひまりを隠し、火かき棒を構えた。


「お姉ちゃん?」


人を殴った事なんてない。

それどころか、ひまりと喧嘩したことすらもない。


けど

ひまりを守る為なら……

誰が、相手だって――


決意を固めた、その瞬間


「ひっ!?」


棒を、落としかけた。


ランプの光に映し出されたのは、ライオンのような大男だったのだ。


いや、ような、じゃない。

顔は本当にライオンそのもの


野獣のような鋭い目

黄金色のたてがみ

岩みたいな腕

大きな黒革のエプロンには、拷問でもする気なのか、ペンチやレンチやらがびっしりと差さっている。

そして何より異質なのが

背中の、身の丈よりも巨大なハンマー。


とてもじゃないが、こんな棒でどうにか出来る相手ではない。


ライオンが、口を開いた。


「目ぇ覚めたんか。こっちやのうて――」


ランプに照らされる、恐ろしい牙。


「ひまり!」


踵を返し

ひまりの手を引くも、その足は震えて動かない。


「大丈夫、お姉ちゃんに付いて来て!」


「う、うん!」


ひまりの背に手を回し、前へ押し出すように走り出す。


「おんどりゃ、待たんかい!!」


後ろからの猛獣のような声に、全身が跳ねた。


怖い!

怖い怖い怖い!!


握る手、いや、全身から嫌な汗が噴き出す。

足が、すくむ。

それでも、ひまりの背を押し、廊下を走った。


途中で、道が分かれる。


「どっち!?」

「わかんない!」


直感に従い、そのまま真っ直ぐ走り抜けた。


息が苦しい。

足が重い。

胸も横腹も痛い。

大丈夫だと思ったのに、全然大丈夫じゃない。

でも、止まれば捕まる。

捕まれば、ひまりも終わる。


また光が見えた。


「ひまり、あれ、出口! もうすぐだから頑張って!」

「うん!」


今度こそ

今度こそ外へ――


だけど


その眩い光は、またも遮られた。

しかも、その影はさっきと同等!


でも、後ろを向き、伸びをしている。

今なら!


「っ!?」


映し出されたその姿に、またも棒を落とし掛けた。


縞模様の顔

鋭い牙

太い首

青い法被を羽織り

背中には、身の丈よりも巨大なノコギリ。


そこにいたのは、虎の男だった。

虎は振り返ると、首を傾げた。


「おまんら、どうしたがか。 そげん慌てて」


そりゃ慌てるでしょ!


声にならない叫びが、頭の中で弾ける。


「ひまり! 戻るよ!!」


さっきの分かれ道、それに賭けるしか!


ひまりの手を引いていく

だけど、前にはライオンの影!


「おどれら、ワシが怖いんか?」


当たり前でしょ!!


でも、あたし達の方が近い!

解っていても、速まる足。


次の瞬間


「きゃっ」


小さな手が、滑り落ちた。


「ひまり!?」


絨毯の上に転がるひまり。

あたしはすぐにしゃがみ込んだ。


「ひまり、乗って!」


「え……?」


「早く!」


ひまりの前で背中を向ける。


細い腕が、あたしの首に回り

背中に、小さな重みが加わった。


「しっかり捕まってて」


「うん……!」


身体が悲鳴を上げる。


でも、これくらい。

これくらい、なんだ。

お姉ちゃんなんだから!


言い聞かせ、横の角を目指す。


そこに、立ち塞がるライオン。


「待て言うとるじゃろが!」


「うあああああああっ!!」


火かき棒を力任せに振り下ろし――


太い手が、あっさりとそれを受け止めていた。


「威勢がええのお」


まだだ!


あたしは棒を放し、壁のランプを引っ掴み


そのまま、ライオンへ投げつけた!


「なっ――」


割れるガラス。


「あち! あち! あちいいい!!」


燃える、たてがみ。

ライオンは暴れるように、両手で顔を叩き始めた。


ゴトリと絨毯に落ちる火かき棒。

咄嗟に拾い上げ、角を曲がる。


「だっはっは! 何をやりゆうがな。兄がおらんとなんちゃあ出来んがか」

「おどりゃ、誰が兄じゃ!? 兄はワシじゃ!」

「そんなかっこ悪い兄がおるがか」


何を言っているのか、解からない。


でも、今しかない。


廊下を突き進んでいくと、突きあたりに怪しい金属の扉。

横にボタンがある。


もしかして、エレベーター?


背後から響く、豪快な声。


「みちょれよ、兄であるワシの姿を」

「おどりゃ、待たんかい!!」


ボタンに拳を叩き付ける。


「お願い、開いて!」


ゆっくりと、開いていく扉。

ひまりを背負ったまま、こじ開けるように中へ飛び込む。


「ひまり、降りて!」

「う、うん!」


軽くなる背中

中のボタンを適当に叩く。


「はやく、はやく閉まって!!」


どこでもいい。

ここじゃなければ、どこでもいい。


ゆっくりと閉まり始める扉。


二足歩行で、迫り来る虎!


あと少し

あと少し!


一瞬のはずのその時間が

永遠に感じられる。


そして


扉の閉まる音。


「お姉ちゃん!」

「ひまり!」


広げた腕の中に

ひまりが飛び込んで来た。


その、瞬間


金属の、引き裂かれる音。


扉の隙間からはみ出る、鋭い爪。


少しづつ、開いていく扉


恐ろしい虎が、ぬっと現れた。


「怖がらんでええきに」


「「きゃああああああっ!!」」


ひまりとあたしは、同時に叫び


気が付けば、二人で掴んだ火かき棒を振り下ろしていた。


響く、鈍い音。

硬いものに当たった感触が、手のひらまで跳ね返る。


「ぐおっ……!」


額を押さえて、よろめく虎。


「割れる、割れるきにぃぃぃ!!」


エビ反りで、咆哮した。


「ガッハッハ! 頼りにならん兄じゃのう!」


閉まり始める扉


今度こそ

今度こそ閉まって!


ひまりと抱き合い


「なんちゅうたがじゃあ!?」


取っ組み合いを始めるライオンと虎の姿が


扉の向こうに、閉ざされていく。


ゆっくりと


動き出す、エレベーター。


力が抜け、どちらからともなく、膝が床に付いた。


「お姉ちゃん……」


鼻と鼻が触れ合う距離には、可愛い妹の顔。

荒い息を吐きながら、口元が綻んでいく。


「ひまり!」

「お姉ちゃん!」


互いの身体に、腕を絡め合う。


「よく、頑張ったね、ひまり」

「うん……怖かった……」


「どこも、怪我してない?」

「うん……おねえちゃんは?」


「大丈夫……みたい」


奇跡だった。

ライオンと虎に挟まれ


怪我一つ負うことなく

切り抜けられるなんて……。


でも、安心している暇はない。

ひまりの両肩に手を添える。


「……ここ、絶対おかしい」


ひまりは、小さく頷いた。


「お母さんを見つけて、はやく出よう」


「……うん」


ここを出て


また、あの場所に――


戻る……?


エレベーターの中は、静かだった。


運よく

このまま、お母さんを見つけたとして


また

あの、生活に……?



小さな音が鳴り

エレベーターは止まった。


切り換えないと


ひまりを背に隠し、身構える。

兎に角、今はお母さんのところに


「ひまり、お姉ちゃんから、離れないでね」

「うん」


いざとなれば、ひまりだけでも。


しかし

扉は開かない。


爪に裂かれ、故障した?


脳裏を過ぎったその時


後で、ドアが開くような音


振り返ると


壁が真っ二つに割れ


開いていた。


「またねこ騙し!?」

「……ねこだまし?」


壁だと思い込んでいたら、ドアだったのだ。


咄嗟にひまりの前に出る。


そこは、さっきまでと同じような

丸太の壁の通路。


その一番奥に、金属の扉。


直後


後ろのドアが、開く音


結局そっちも開くんかい!

いい加減にしなさいよ!


心の中で激しくツッコミを入れ


振り返ると――



「……え?」

「……え?」



あたしとひまりの、少し間抜けな声が、重なった。



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