第三話 ひまりの想い
…摩天楼
その最上階の硝子張りの広間は、笑い声で溢れていた。
所狭しと並ぶ豪華な料理に酒
華やかなドレスを纏う、女性達
高級なスーツを纏った男達は女の肩を抱き、杯を鳴らす。
壁一面の巨大な画面には
今年の売上、来期の成長率、海外展開の文字が踊っていた。
「人件費をもう少し圧縮できれば、利益率はさらに上がります」
「素晴らしい」
「もっと、『脳無し』を増やす必要がありますね」
…笑い声が、爆ぜた。
第3話 ひまりの想い
家の扉を開くと、姉がベッドにしがみ付いていた。
「お姉ちゃん、大丈夫なの?」
「ひまり……おか、えり」
はにかむように笑う姉
だけど、その身体は震えていた。
「ダメだよ、まだ寝てないと!」
慌てて腕を肩に回す。
「……それ、どうしたの?」
母も、ぼんやりした目を少しだけ覗かせる。
「おにく……?」
「あのね……」
嘘を付こうかとも、思った。
だけど、そんな事はしたくなくて
全部、話した。
病院で門前払いされたこと。
串焼きが買えず、盗ろうとしたこと。
ヨルという、変な男の子のこと。
姉も母も、ただ頷いていた。
「そっか……世界征服したいって子が、くれたんだね」
「おかあさんはいいから、ふたりで、たべなさい」
「信じてくれるの?」
力なく頷く二人。
私は箸で串から肉を一つ外し、母の口元へ持っていく。
母は少しだけ噛んで、飲み込もうとして、苦しそうに眉を寄せた。
「……おいしい」
姉も、一口だけ食べた。
「おいしい」と微笑み、けれどすぐに咳き込んで、壁にもたれた。
「お姉ちゃん? お母さん?」
返事はなかった。
眠っているだけ。
そう、思いたかった。
次の日の朝
私は一人、縫製場へ来ていた。
「昨日の無断欠勤」
「これ、ミスの分」
「あと、納品先からクレームが来た。これも引く」
おじさんが紙に数字を書いていく。
私には、数字の意味がよく解らない。
でも、最後におじさんが手を出した意味は解かった。
お金を出せと言っているのだ。
ポケットの中の3枚の硬貨を握る。
これは、お姉ちゃんのお金。
私のお金は、昨日水を3本買って、無くなった。
これを渡したら、もう、それすらも……
「早くしろ」
「あ、あの……」
言葉が、出ない。
「無いならいい。さっさと作業にいけ」
背中を押される。
それでも、私は振り返り
おじさんの顔をじっと見る。
「なんだ?」
勇気を、振り絞った。
「あ、あの……お願いします。少しだけ、お金を貸してください。お母さんとお姉ちゃんが、起きなくて、それで、病院に……」
そこで、言葉が詰まった。
ちらりと見ると、おじさんは困ったように眉を寄せていた。
「待ってろ」
机の引き出しを開け、古びた帳簿をめくる。
金庫を開ける。中にはよく解らない書類の束。
「……すまん」
おじさんが、頭を下げた。
「貸してやりたいところだが、丁度、金がない」
じゃあ
お母さんと、お姉ちゃんは……?
ショックで何も言えない私の肩に、おじさんが手を乗せた。
「昼過ぎまでに、なんとかする」
その言葉に、少しだけ心が軽くなった。
お昼を終え、作業をしている時だった。
「キミ、いくつ?」
そこには、スーツの男。
後ろには、おじさんもいる。
「11、ですけど……」
男は私を見て、にこりと笑う。
「なら、もっと効率のいい仕事があります。どうぞ、奥の部屋まで。契約書に拇印を押せば、薬代くらいはすぐに出せますよ♪」
すぐに、お金が貰える?
これで、お姉ちゃんも、お母さんも!
「待ってください。話が違う!」
おじさんが、男の肩を掴んでいた。
「黙っていなさい。この子にはお金が必要、違いますか?」
おじさんの、歯を噛み締める音がした。
男は奥の部屋へ行き、長々と話し込んでいる。
私はその間、ただ立っていた。
不安はあったけど、待っていればお金をもらえる。
そう、思っていた。
「ひまりちゃん」
横から、小さな声がした。
すずちゃんだった。
いつもより、顔色が悪い。
「すずちゃん、大丈夫?」
唇を噛んで、泣きそうな顔をしている。
「あのね……うちのね、おねえちゃんね……」
「りんさん?」
すずちゃんは、何度も言葉を詰まらせながら
話してくれた。
聞き終わった時。
ううん。途中から
頭の中が、真っ白になっていた。
工場の音が遠くなる。
ミシンの音も、怒鳴り声も、布を運ぶ音も、全部、ぼやけていた。
「お待たせしました」
振り返ると、男が立っていた。
笑っている。
絵本で見た、悪魔みたいだった。
逃げなきゃと思うのに
足が、震えて、動かない。
でも
もし、すずちゃんの話が本当だとしても
私が、我慢すれば。
お金が、貰える。
今度こそ、お医者さんを呼んで
美味しいご飯も買えて
みんな
また
笑顔に――
「ひまりちゃん!」
すずちゃんが、私の服を掴んでいた。
今にも、泣き出しそうな目で、私を見る。
りんさんは
ずっと
お布団の中で
泣いているらしい。
どんなに、話し掛けても
どんなに、笑い掛けても
何日も
何日も
もし
私がそうなったら
きっと、お母さんも
お姉ちゃんも……
だったら――
「す、すみません……私、やっぱり……」
腕を掴まれた。
「お金が、必要なんでしょう?」
「嫌……離して」
次の瞬間
頭に衝撃が走り
目の前は、床だった。
「もう話は付いてんだよ」
男は屈むと、私を見る。
その顔は、悪魔そのものだった。
「さっさと立て。俺の顔を汚す気か?」
怖い。
痛い。
逃げたい。
なのに
立つことも、出来なくて――
やっぱり、私が、我慢さえ、すれば……
瞼をきつく瞑る。
がしゃん、と大きな音が鳴った。
鉄のカートが突っ込んでいた。
男は積まれていた布の山の下敷きになっている。
「あ、すみません〜」
まゆちゃんだった。
わざとらしく謝りながら
こっちに片目を閉じてくれた。
「いこ」
すずちゃんが私の手を取る。
私はまゆちゃんに深く頭を下げ
駆け出した。
後ろから怒鳴り声
誰かが何かを蹴るような音。
すずちゃんの後ろ姿だけを
じっと見た。
外に出ると、川の臭いが鼻に刺さる。
すずちゃんは息を切らしながら、ポケットから紙切れを取り出した。
「ひまりちゃん、これ!」
それは、昨日のあのチラシだった。
「すずちゃん……ありがとう!」
どちらからともなく抱き合い
私は一人、その場所を目指した。
―――
息を切らし
昨日の路地裏までやってきた。
「……ヨル、くん?」
だけど
その姿は、どこにもない。
無理もない。
あれだけの事をしたのだから、きっともう
ここには戻らない。
そう思っても、動けなかった。
暗がりの奥から、じっと探す。
またひょっこり出てくる
そんな気がして。
相変わらず響く、陽気な音楽
楽しそうな、雑踏
食べ物の匂い。
『やっぱり平和が一番ですね』
そんなテレビの音声が、聞こえてくる。
平和……?
お姉ちゃんも
お母さんも
あんなに、苦しそうなのに?
すずちゃんと、まゆちゃんも
今頃どうなっているか、解らないのに?
あんなに優しかったりんさんだって、毎日泣いて……
「こんな世界……征服、しちゃってよ。 私も、協力するからさ」
気が付けば
そんな言葉が
零れていた。
だけど
街の喧騒は、何も変わらない。
ただ
後ろから
ねこの鳴き声がした。




