第一話 全財産は300円
2221年
…人類が、自らの脳をAIと融合させた時代
それが出来ない者達を
「脳無し」
と呼び、蔑んだ。
――――――
目覚ましの音は、いつも怖い。
また、一日が始まってしまうからだ。
薄い布団の中で、ぎゅっと身体を丸める。
鼻の先が冷たい。
吐いた息が、白くなっている気がした。
「ひまり、時間だよ」
その声はいつもより、少しだけ掠れていた。
瞼を開くと
眠そうな、はるねお姉ちゃんの顔。
頬には、短い黒髪が張り付いている。
寒いはずなのに。
「おはよう、おねえちゃん……」
もっと眠って居たい。
あと少しだけ、この薄い布団の中に隠れていたい。
だけど起きないと、姉は一人で行ってしまう。
疲れ果てた顔で帰って来る姉を、もう見たくなかった。
背中まである髪を手でとかしながら
二段ベッドの下で、苦し気に眠る母に声を掛ける。
「お母さん、行ってくるね」
返事はない。
私は少しだけ待ったけど、姉が手を引いたので外へ出た。
朝ごはんは、昨日の残りのごはんと塩だけ。
ぐぅぐぅ鳴るお腹を押さえながら、ゴミで溢れ、異臭の漂う川沿いを歩く。
魚がいる川を、私は絵本でしか見たことがない。
近付いてくる縫製場の音。
憂鬱な音。
11歳の私と14歳の姉の仕事は、大人達と何も変わらない。
今日の作業は、特に複雑だった。
「遅い!」
大きな声が飛んできて、頭に衝撃が走る。
大人が鞭を握っていた。
涙は零せない。
私だけでなく、姉まで叱られるから。
お昼はほんのちょっとのご飯と、豆の汁を同い年位の子達と取る。
一番気の休まる時間だ。
「ひまり、これ」
姉が、自分のスープを差し出していた。
「いいの?」
「勿論。お姉ちゃん、実はさっきおにぎり貰ったんだ」
「えー、お姉ちゃんだけずるい」
「ごめんね、だから、ひまり、食べな」
「ありがとう、お姉ちゃん」
友達のすずちゃんとまゆちゃんが指を咥えている。
「いいな~ひまりちゃん、優しいお姉ちゃんがいて」
「ねー、羨ましい。でも、すずちゃんのお姉ちゃんも、すっごく優しいし、可愛いよね?」
急に黙ってしまうすずちゃん。
いつもなら
――この髪、りんねぇがしてくれたんだよ♪
と、自慢するところだけど、最近、すずちゃんの髪は乱れている。
そして、すずちゃんのお姉さんを、最近見ていない。
もしかすると、お母さんみたいに……
「はい! すずちゃんと、まゆちゃんにも、おすそ分けだよ♪」
「ほんと? ありがと~♪」
「わ~、ひまちゃん大好き♪」
みんなで、笑い合う。
少しだけ、空腹が和らいだ気がした。
一時間働いて、20円。
一日働いて、300円。
私には、それが多いのか少ないのか、よく解らない。
ただ、その300円が
私達の全てだった。
夜、縫製場を出るころには、足が自分のものではないみたいだった。
歩きながら、何度も眠りそうになる。
そのたびに、姉が手を強く握ってくれた。
気付けば、私は足を止めていた。
肉の焼ける香ばしい匂いに、ジュウジュウと美味しそうな音。
楽し気に屋台を囲む、大人達。
「……お姉ちゃん、あれ欲しいな」
上目遣いで見る。
姉は答えず、財布を握る音がした。
「うん。でも、お母さんが元気になったらね。その時3人で食べよ」
「本当? やった~♪」
はにかむ姉。
家に帰ると私はすぐ、母の隣に倒れ込んだ。
「ひまり、ごはん」
姉の前に立つ湯気。
おかゆだった。
「ほら、お母さんも、起きれる?」
姉に食べさせて貰う母。
「ごめんね」
消え入るような、母の声。
その手を握ると、骨のようで
上から、姉も手を重ねる。
「ううん、はやく、よくなってね」
そう言って笑う姉の手も、骨のようだった。
横になると、すぐに体が沈む。
指が、痛い。
見れば、ささくれた指に、毛布の繊維が絡まっている。
だけどもう、目すら開けられない。
すると、手を握られた。
「痛そうだね」
爪切りで綺麗にしてくた上から、絆創膏を貼ってくれる姉。
その指も、傷だらけだった。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「いつも、ありがとう」
姉は少しだけ黙って、それから笑った。
「ううん。お姉ちゃん、だからね」
姉に抱き付き
瞼を閉じる。
夢で見た川は、とてもきれいだった。
第1話 全財産は300円
次の日の朝
目覚ましが、鳴っていた。
いつもなら、姉が止めてくれる音。
いつもなら、すぐに小さな声で言ってくれる。
――ひまり、時間だよ。
だけど今日は、音だけがずっと跳ねている。
布団の中から手を伸ばす。
何度か空を掴んで、やっと目覚ましに触れた。
朝は、特に冷える。
すぐに、姉の懐に顔を押しつけた。
「……?」
その胸は、微かに震えていた。
シャツはぐっしょりと濡れ、やたらと熱い。
「おねぇ……ちゃん?」
返事はなく
荒い呼吸だけが、強くなっていく。
電球の紐を引くと
苦しそうに目を閉じ
短い黒髪が、額と頬、口にも張り付いていた。
「おねえちゃん!」
いくら呼んでも
揺すっても
瞼すら開かれない。
ベッドを飛び降り、母に縋ろうとして――
ドアを、開け放っていた。
母は、姉以上に
苦しそうだった。
―――
「助けて!」
私は、自分よりもわずかに背の高いカウンター越しから叫んだ。
「どうされました?」
そこには、とても清潔感のある、綺麗なお姉さん。
「お姉ちゃんも、お母さんも起きないの!」
「畏まりました。ではまずIDの照会をお願いします」
「あいでぃ?」
私が首を傾けると、お姉さんは溜息を吐いた。
「申し訳ありませんが、IDの無い方は、こちらでは対応出来ません。
保護者の方と改めて来てください」
「でも、お姉ちゃんも、お母さんも、すごく苦しそうなの」
困ったように眉を下げるお姉さん。
「申し訳ありません。規則ですので」
「お願いします!お金なら、ありますから!」
財布をひっくりかえし、3枚の銀貨が音を立てる。
これだけあれば、きっと助けてくれる。
だって、あんなに毎日頑張って働いたお金、その全てなのだから。
急に、右腕を掴まれた。
「え?」
左腕も掴まれる。
左右には、おまわりさんのような男の人が二人。
その指は硬くて、ぎゅっと骨にまで食い込む。
「なに……痛いっ」
二人は黙って歩き、足がついていかない。
素足が床をこすり、扉が近づいてくる。
外に押し出された瞬間
もつれる足
手をつく間もなく、顔が地面を擦る。
おでこが熱く、鼻の奥がツンとなる。
赤い点が、地に落ちていく。
後ろから、金属の音。
銀貨が転がってきて、目の前で揺れながら止まった。
振り返ると
病院の扉は
閉まっていた。
「なん……で……?」
答えはなく
街に流れる陽気な音楽
明るいテレビの声
『みんなで作る、明るい未来』
明るい、未来?
……大丈夫、テレビが言っているんだし
きっと、きっと誰かが助けてくれるはず。
お金なら、あるのだから。
華やかな街を、素足で彷徨い歩く。
私だけが、浮いているかのようだった。
みんな暖かそうで、お洒落な服を着ている。
どれも、見覚えがある。
私達が、朝から晩まで
毎日毎日作っているものだった。
対して私は、くまさんのプリントされたトレーナーに
大きなコート。
どれも、お姉ちゃんのおさがりだ。
それが、嫌という訳ではないのだけど……。
家に帰ろうかと思った、その時だった。
ふと
足が止まった。
ずらりと立ち並ぶ、豪華な屋台に、賑わう人々。
漂う、イイ匂い。
手を繋いだ親子が、私よりも大きな女の子に笑い掛けた。
「どれがいい?」
「ん~、これ食べたい!」
美味しそうな二本の串焼きを受取る母親。
「おいしい!」
「ホント、ここのお肉柔らかくて最高だわ」
「ほっぺが落ちそう」とはしゃぐ二人。
私は、3枚の銀貨を握りしめた。
「すみません、ひとつ、ください」
「へい、どれにしやす?」
牛串 1000円
牛タン 2000円
スペシャル 3000円
……?
黙って3枚の硬貨を差し出す。
「どれでもいいので、これで売ってください」
途端、店主の目つきが変わる。
「お嬢ちゃん、それじゃ全然足りないよ」
「あの……これしか、なくて……」
「だからだめだって! 脳無しが、計算も出来ねえのか!?」
「のう、なし……?」
「ああもう邪魔だから、どっか行ってくれ!次の方、すいやせんね、どうぞ、どれにしやすか?」
横に並んだ大人達が、冷たい視線を送っている。
気付けば、駆け出していた。
路地裏に潜み、顔だけを出す。
みんな楽し気に、美味しそうな物を頬張っている。
漂う匂いに、胃が締め付けられる。
足りない?
あんなに、働いたのに?
みんな、普通に食べてるのに?
それに、のうなしって……
わからない
わからない
だけど
あれがあれば……
お姉ちゃんと、お母さん
きっと元気になる、よね?
人の居なくなったタイミングを見計らい
店の死角から、そっと近付く。
悪い事だって解っている。
それでも
二人の笑顔が見たかった。
震える手を、串焼きに伸ばし――
「おい、何やってる!?」
全身が、凍り付いた。
「んっとね、世界征服!」
響いたのは
あまりにも場違いな
幼い声だった。




