第九話 月夜の里3~里に響く声~
「きゃ、きゃあああああ!!」
悲鳴が、後ろから突き刺さった。
「ひまり!?」
振り返ると
ひまりの小さな身体が、熊の背中からずり落ちかけていた。
片手だけで必死に、毛を掴んでいる。
足は完全に宙に浮いていた。
「ひまり、手ぇ伸ばして!」
あたしは叫んだ。
「お、おねえちゃん!」
ひまりは、しがみつくので背一杯だ。
周りの動物達は止まらない。
土煙の向こうから、黒い影が次々に追い抜いていく。
もし、このまま落ちたら――
背筋が、凍った。
「ひまりっ!!」
熊の毛を片手で掴んだまま、もう片方の手を千切れる程伸ばす。
「捕まって!」
ひまりがぎゅっとあたしの手を掴んだ。
細い指を、しっかりと握る。
――火事場のクソ力
歯を食いしばって、ひまりの身体を引っ張り上げた。
コアラのようにしがみつくひまり。
細い腕が、あたしの背中に巻き付いていた。
「ありがとう、おねえちゃん」
「まだだよ!しっかりお姉ちゃんに捕まっててね!」
あたしはひまりに覆い被さり、熊の毛を強く掴んだ。
……のに。
熊だけは
ゆっくりと、歩いていた。
「……」
「……」
ひまりを見ると
ひまりも、あたしを見上げていた。
噴き出すのも、同時だった。
―――
動物達の後を追うように、熊が向かって行ったその先には見慣れない物があった。
「おねえちゃん、あれ何?」
「わかんないけど、城門?」
目の前にあったのは、古びた門。
大きな木の扉。
黒鉄の丸い金属。
黒ずんだ柱。
だけど最も特徴的なのは
門の上に、反り返るような黒い瓦屋根の家が建てられている事だ。
その左右には、石垣が積まれている。
まるで山の頂上には、時代劇で出てくる山城でもあるかのようだった。
城門をくぐるとその先は上へと続く石段で、ひまりがまた指をさした。
「見てお姉ちゃん、あれ、真っ赤だよ」
それは、紛れもない鳥居だった。
「……城門に、鳥居?」
思わず首を捻る。
「とりい?じょうもん? それなに?」
ひまりも、首を捻った。
「んっとね……」
簡単な説明が終わったのと
最後の一段を越えたのは同時だった。
鳥居の先
そこに広がっていたのは――
凛と佇む、立派な木々
一本一本が太く、深いシワのような幹。
葉の隙間から差し込む光が、地面にまだら模様を落としていた。
風が吹くたび、まだらが動き、葉の擦れる音が心地いい。
「すごく落ち着くね。何だか、神様が居るみたい」
光の斑の中、ひまりがそんな事を言った。
「うん。さっきまでの喧騒が嘘みたいだね。ここ、本当に神社なのかも」
……いや、じゃ、さっきの城門は?
熊は相変わらず、のっし、のっしと歩いている。
まるでこの場所を、案内してくれているかのように、ゆっくりと。
あたしが、無い頭を絞っていた時だった。
「お姉ちゃん。何か聞こえない?」
「え?」
耳を澄ます。
かすかに聞こえてきたのは――
はしゃぐ、幼い声。
林の奥からだろうか?
それに混じって、ぱちぱちと何かが弾ける音もする。
多分、火の音。
同時に、醤油の焼ける香ばしい匂いが漂い始める。
ぐう、と。
お腹の鳴る音。
「お姉ちゃん」
「言わないで」
「でも」
「……」
「……」
あたし達は、黙った。
熊だけが、何も聞こえていないみたいに、のそのそ進んでいく。
林の向こうが、少しずつ明るくなる。
もうすぐ、林を抜ける。
ふいに
熊の身体が、沈んだ。
「え?」
次の瞬間
「「きゃああああああ!!」」
全く同時に、あたしとひまりの悲鳴を上げていた。
突然、上下に激しく揺れる熊の背中。
スピードも凄い!
「と、とまってえええ!!」
「ひまり、喋ると舌噛むよ!!」
叫びながら、あたしはひまりに覆い被さり
必死に熊の毛を掴み
両足で、思いきり熊の身体を挟み込んでいた。
「おねえちゃあああん!」
「大丈夫! たぶん! 大丈夫だから!」
前なんて見えない。
ただ、熊の背中から振り落とされないようにするので精一杯だった。
そして
熊は、やっと止まった。
止まって、くれた。
「うぐっ」
「ひまり、大丈夫……?」
「うん……お姉ちゃんは?」
「だ、大丈夫……」
に、しても、あれだけ大人しかったのに、急にどうして?
シャクシャクと
何かを噛む音。
そこには
頭を下げ、夢中で何かを食べるくまさんの姿。
口から、赤い果肉が零れ落ちる。
それは、スイカだった。
それはそれは
美味しそうに、幸せそうに、夢中で貪っていた。
「……お姉ちゃん」
「うん」
「くまさん、スイカ好きなんだね」
「いや、好きってレベルでは無さそうだね」
「愛?」
「多分」
二人でくすくすと笑いながら、くまの背から降りた。
足は震え、心臓がまだ、ばくばくしている。
だけど、ひまりが無事でよかった。
「お、お姉ちゃん、あれ……」
その声は
小さいけど、悲鳴に近かった。
今度は、恐竜でもいたのだろうか?
「どうし――」
視線を上げて。
あたしは、固まった。
そこにいたのは
数十人の、子供達
しかも、全員、女の子?
それから、数名のお年寄り達に
とり囲まれていたのだ。
みな目を丸くし
口を開けたまま、私達を見ていた。
それはそうだろう!
「あ、あの!」
あたしは慌てて、くまの背を撫でた。
「だ、大丈夫です! このくま、すごく、良いくまなんですよ!?」
言ってから、後悔した。
ワンワン叫びながらくまに乗って現れ、無事を喜び合っている人間に、このくまは良いくまです、なんて言ったところで、説得力がない。
「よ……よかったぁ」
可愛らしい声を出したのは
あたしより少し小さな、ひまりより少し大きな女の子だった。
「私達と同じ、『非搭載者』だね」
「……え?」
非搭載者
それは、いわゆる「脳無し」の事。
見分け方は、簡単
話すと、目が光るのだ。
無論、あたし達は光らない。
だから、って。
怯えてた理由、そっち!?
「あ、は、はい……どうも、宜しく、です」
それ以上、言葉が出てこなかった。
ひまりも、あたしの背に隠れて動かない。
くまだけが、ばりばりとスイカの皮までかじっていた。
「ね」
小さな女の子が、ひまりに手を伸ばしていた。
「一緒に、たべよ?」
「いいの?」
「うん♪」
女の子の示した先には、焼きもろこし。
よく見ると、バーベQの最中だったのだろう。
赤い炭の網の上では、色々な物が焼かれて
じゅう、と汁が落ちて、炭の上で煙になっている。
醤油の焦げた香りが、胃を刺激する。
ひまりが、あたしを見た。
「え、えっと……」
すぐには、答えられなかった。
ここが何なのか、わからない。
この人達が誰なのかも、わからない。
疑わないわけにはいかない。
考えなきゃいけない。
お母さんも、探さないといけない。
なのに、あまりの急展開に、何も追いつかない。
「ほら、遠慮せんと、どれでも好きなのお食べ」
老婆が、にっこりと微笑んでいた。
でも……
「あの、あたし達、お金なくて……」
お年寄り達は、カラカラと笑い出した。
「お金なんて、ここじゃ誰ももっとらん。み~んな、ねこにあげてしもうたからのぉ」
しわだらけの顔が、もっとしわくちゃになっていた。
「本当に、食べていいの?」
ひまりが、上目遣いで尋ねた。
「勿論じゃ」
老婆達だけでなく、子供達も頷くと
ひまりは、ぱあっと明るい顔を、あたしに向けた。
「ありがとう! お姉ちゃん、食べよ?」
やはり、ひまりは疑うことを知らない。
知らない人から食べ物をもらうなんて。
知らない場所で、席につくなんて。
本当なら、止めなきゃいけない。
食べちゃダメ。
そう言わなきゃいけない。
でも。
言えない。
言えるはずも、ない。
目の前にあるご馳走を前に
目を輝かせ
お腹を鳴らせている妹に
あたしは
火のそばに腰を下ろし
手を、合わせ
覚悟を、決めた。
「いただき、ます」
声は、小さかった。
だけど
『いただきます♪』
元気いっぱいの声と手を合わせる音が、広場に響いた。




