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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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94/120

94話 冬が来て、また霜の石畳へ

 十一月になった。

 冬が近づいていた。

 朝の霜が、また降り始めた。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。

 今日の空気を確認した。

 霜が降りていた。

 薄い霜だった。

 でも、毎年少しずつ厚くなっていく。

 それが、冬の始まりの形だった。

 霜を見るたびに、学院の石畳を思い出した。

 今年も、その季節が来た。

 十一月の初め、レインから手紙が来た。


 エリナへ


 今月の終わりか、来月の初めに行く。

 今年も、霜の石畳を一緒に見たい。

 学院の霜が、今年も降り始めた。朝、図書室に向かう廊下を歩きながら、今年もエリナが来ると思った。

 それだけで、少し違う朝になった。

 待っていてくれるか。


                            ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、「それだけで、少し違う朝になった」という一行を少しだけ見た。

 来ると思っただけで、朝が違う。

 自分も、同じだった。

 レインが来る時期が近づくと、朝の空気が少し違う感じがする。


 レインへ


 来月、来てください。待っています。今年も、一緒に霜の石畳を歩きたいです。

「来ると思っただけで、少し違う朝になった」という言葉を受け取りました。私も、同じです。あなたが来る時 期が近づくと、いつもと少し違う感じがします。

 農地の件、ベルトとルナが腐葉土を混ぜる試みを続けています。来月の報告書を、一緒に持っていきます。


                              ――エリナ――


 十一月の半ばに、ダリウスから手紙が来た。


 エリナ・アッシュフォード殿へ


 名誉回復の審議について、大きな進展があった。

 先月、証言者が委員会で正式に証言した。アッシュフォード侯爵の改革案は、当時から正しい方向だったという内容だった。委員会は、その証言を正式な記録として採択した。

 決定には、もう少し時間がかかる。でも、方向は決まったと思っている。

 それと、二つ目の提案についても動きがある。地方の学校への衛生教育の展開について、アルバ殿下と話し合いを続けている。来年から、試験的に三カ所の地方学校で始められそうだ。

 報告が重なったが、どちらも良い方向だと思っている。


                             ――ダリウス・クロヴェル――


 エリナはダリウスの手紙を読んで、しばらく机の前に座っていた。

 証言が採択された。

 方向は決まった。

 父の改革案は、当時から正しい方向だったという証言が、正式な記録になった。

 父が正しかったことが、記録になった。

 記録は、消えない。

 エリナは少しだけ目を閉じた。

 父が一歳の自分を抱いて言った言葉を、また思い出した。


 「この子は、私よりうまくやる」


 うまくやれているかどうかは、まだわからない。

 でも、父が正しかったことは、記録になった。

 それが、今日届いた。

 セレーナに伝えた。


「お母さん、また届きました」

「何が?」

「父の改革案が当時から正しい方向だったという証言が、委員会の正式な記録になりました」


 セレーナが少しだけ手を止めた。

 窓の外を見た。

 しばらく黙っていた。


「そう」


 セレーナが静かに言った。


「方向は決まったと、ダリウスが言っています」

「長かったわね」

「長かったです」

「でも、ちゃんと来た」

「ちゃんと来ました」


 セレーナが少しだけ笑った。


「お父さんも、どこかで聞いているといいわね」

「聞いていると思います。記録になったから、消えない。消えないなら、いつかどこかで届く」

「あなたらしい言い方ね」

「本当のことだから」


 フィオナに伝えると、少しだけ目を細めた。


「証言が採択されたか」

「そうです」

「委員会の正式な記録になった、ということは、これから覆すのは難しい」

「そうですね」

「ダリウスが動いてくれたから、ここまで来た」

「フィオナが橋渡しをしてくれたから、動きが続きました」

「私は、見ていただけ」

「見ていることが、大事なことです。ルナが言っていた言葉ですが、フィオナにも当てはまります」

「そうかもしれない。ルナの言葉は、本当にいろんなところに当てはまる」

「そうですね。一つだけ、フィオナに届けたいことがある」

「何?」

「この七年間、フィオナがいてくれたから、王都の動きが見えていた。見えていたから、対処できた。それが、今日の結果の一部です」

「一部、か」

「大事な一部です」

「まあ、受け取っておく」

「どういたしまして」


 マリオに伝えた。


「お父さんの名誉回復、決まりそうか」

「方向は決まったと、ダリウスが言っています」エリナが言った。

「そうか! 良かったな」

「そうですね」

「当たり前のことが、ようやく形になってきた」マリオが言った。

「時間がかかりました」

「でも、諦めなかったから来た。諦めていたら、来なかった。諦めなかったのは、お前だ」

「私だけではありません」

「お前が中心にいたから、みんなが動けた。それは事実だ。俺が言うんだから、間違いない」

「マリオが言うと、なぜか確かに聞こえます」

「俺はいつも本当のことしか言わないから」


 ゴードンに伝えた。


「証言が委員会の正式な記録になりました。記録してください」

「もちろんです。何がいつ記録されたかを、こちらでも記録します」

「記録が、また増えますね」

「良い記録が増えることが、大事です。最初の頃は、数字ばかりを記録していました。でも、今は、出来事も記録しています」

「出来事を記録するようになったのは、いつからですか」

「エリナさんが、ゴードンさんも変わりましたか、と聞いてくれたことがあった。その時から、数字だけでなく、何が起きたかも記録するようになりました」

「私が聞いたことが、きっかけだったんですか」

「そうです。聞いてもらったから、考えた。考えたから、変わった」


 ルナとベルトに伝えた。


「父の件、良い方向に動いています」

「そう」


 ルナが棚を見ながら言った。


「嬉しいですか?」

「嬉しい。エリナが、ずっとそのために動いてきたのを、見ていたから」

「見ていてくれていたんですね」

「見ていた。見ていると、応援したくなる」


 ベルトが短く言った。


「良かった」

「それだけですか?」


 マリオが横から言った。


「それだけだ。でも、本当のことだから」

「ベルトさんらしいですね」


 エリナが笑った。


「そういうもんだ」


 ベルトが短く言った。


 十一月の終わり、レインが来た。

 今年も、馬で来た。

 昼前に着いた。

 エリナが長屋の前で待っていた。

 レインが馬から降りた。


「来た」

「来てくれた」

「また冬のルシェムだ」

「そうです。霜が降りていました。今朝」

「学院も、今朝降りていた。来る前に、石畳を歩いてきた」

「音がしましたか?」

「した。今年も、同じ音だった」

「毎年、同じ音ですか」

「同じで、少し違う。霜の厚さが、その年によって違う。だから、音も少し違う。でも、同じ種類の音だ」

「毎年、少しずつ違う、同じものですね」

「そうだな」


 夕食は、全員で食べた。


 セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、フィオナ、レイン、ベルト、エリナ。


 八人が、テーブルに集まった。

 マリオが言った。


「今年も、こうして集まれた」

「そうですね」

「毎年、同じ顔触れで集まる。それが、当たり前になってきた」

「当たり前になったことが、続いていることの証拠ですね」

「そうだな」


 ルナが静かに言った。


「今年の薬草は、去年より良かった」

「農地のですか?」

「農地と、野山の両方。腐葉土を混ぜた効果が出てきた。一種類が、少し改善した」

「ベルトさんが試みてくれたからですね」

「そう。ベルトが山の知識を持ってきてくれたから、私が知らなかったことがわかった」

「それが、一緒に動くことの形ですね」


 ベルトが短く言った。


「ルナが教えてくれたことの方が多い」

「お互い様」


 食事の後、フィオナとエリナが台所に残った。


「一つ、話していい?」

「どうぞ」

「来年のことを、少し考えている」

「どういうことですか?」

「地方の学校への衛生教育が、来年から三カ所で始まる。その展開に、私が直接関わりたいと思っている」

「どういう形でですか?」

「各地の学校を、実際に見に行く。現場の状況を確認して、何が必要かを把握する。王都で情報を集めるのとは、違う種類の仕事だ」

「それは、ルシェムを離れる時間が増えるということですか?」

「そうなる可能性がある。でも、ルシェムが帰ってくる場所になっているから、どこに行っても戻れる。それが、今の自分の強さだと思っている」

「帰ってくる場所があるから、遠くに行ける」

「あなたが言っていた言葉だ」

「フィオナが、その言葉を使えるようになっている」

「七年かけて、そうなった。気づいたら、そうなっていた」


 その夜、エリナとレインが事務室に残った。

 フィオナが自分の家に帰った後だった。


「一つ、届けたいことがある」

「どうぞ」

「名誉回復の件、師匠から聞いた。証言が採択されたと」

「そうです」

「それを聞いた時、師匠が言った言葉がある」

「何と言っていましたか?」

「『アッシュフォードの娘は、父上よりうまくやった』と言った」


 エリナは少しだけ止まった。

 師匠が、そう言った。


「父が言っていた言葉があります」

「何だ」

「『この子は、私よりうまくやる』と言っていたそうです。お母さんから聞きました」


 レインが少しだけ間を置いた。


「父上の言葉が、師匠の言葉と同じになった」

「そうですね」

「父上は、知っていたんだな。最初から」

「知っていたというより、信じていたのかもしれません。親というのは、そういうものかもしれない」

「そうかもしれない」


 少し間があった。


「来年の冬も、来ますか?」

「来る」

「毎年、同じことを聞いていますね」

「毎年、同じ答えだ」

「変わらないことが、続いていることですね」

「そうだ。お前が毎朝窓を開けて空気を確認するのと、同じことだ」

「私が窓を開けることを、知っているんですか?」

「手紙に、何度も書いていた。毎朝、窓を開けて今日の空気を確認する、と。それが習慣になったと」

「覚えていてくれていたんですね」

「手紙に書いてあることは、全部覚えている。それが、続けてきたことだから」


 翌朝、エリナは五時半に目が覚めた。

 六時に中庭に来てくれ、と昨夜レインが言っていた。

 今年も、霜の石畳を一緒に見るためだった。

 着替えて、外に出た。

 中庭に向かった。

 レインがすでに来ていた。


「早いですね」

「今年も早く目が覚めた」

「なぜですか?」

「お前が来ると思っていたから」

「去年も同じことを言いましたね」

「去年も本当のことだったから。今年も本当のことだ」


 二人で、霜の石畳を歩いた。

 音がした。

 ざく、という音。

 去年と同じ音だった。

 でも、少し違う厚さだった。


「今年の霜は、去年より少し薄い気がします」

「そうだな。でも、音はする」

「毎年、同じで少し違う」

「そうだな」


 二人で、中庭を一周した。

 霜が、足の下で音を立てた。

 朝の光が、少しずつ差し込み始めた。

 石畳が、光を受けて少し輝いた。


「去年も、こうだったですね」

「そうだ。来年も、こうだ」

「来年も、一緒に歩きますか?」

「歩く。それが、約束だから」

「毎年の約束ですね」

「毎年の約束だ。来年も、再来年も」


 エリナは、霜の石畳の上に立って、少しだけ周囲を見た。

 学院の建物が、冬の朝の光の中に立っていた。

 図書室の窓から、光が差し込み始めていた。

 去年も、同じ景色だった。

 でも、今年は少し違った。

 去年より、少し重みがあった。

 名誉回復の審議が進んでいた。

 農地の薬草が育っていた。

 フィオナが来年、地方の学校に行く。

 全部が、重なっていた。

 その重みが、霜の石畳の上に立っている自分を、少し違うものにしていた。


「レイン」

「何だ」

「来年の冬も、ここに来ます」

「そうだな」

「再来年も」

「そうだ」

「ずっと」


 レインが少しだけ、エリナを見た。


「ずっと、か」

「そうです。それが、続けることだから」

「そうだな。ずっと、続ける」


 二人で、霜の石畳の上に立っていた。


 朝の光が、少しずつ広がっていた。

 学院の建物が、光を受けていた。

 霜が、少しずつ溶け始めていた。

 でも、溶ける前のこの時間が、一番きれいだった。

 その夜、エリナは机に向かった。

 長いメモを書いた。


 今年の冬も、霜の石畳を歩いた。

 去年と同じで、少し違った。

 重みが、去年より少しあった。

 名誉回復の審議が進んでいる。農地の薬草が育っている。フィオナが来年、地方に行く。レインが毎年来る。

 全部が積み重なって、今年の霜の石畳になっていた。

 ずっと、続ける、と言えた。

 それが、今年一番大事なことだったかもしれない。

 父が「この子は、私よりうまくやる」と言っていた。

 師匠が「アッシュフォードの娘は、父上よりうまくやった」と言ったらしい。

 うまくやれているかどうかは、自分ではわからない。

 でも、続けてきた。

 それだけは、確かだ。


 書いて、引き出しに入れた。

 ランプを吹き消した。


 冬の夜が、窓の外にあった。

 霜が、また降りているかもしれなかった。

 明日の朝、窓を開けて確認する。

 それが、変わらない習慣だった。


 エリナ・アッシュフォード、十六歳。


 今年も、霜の石畳を歩いた。

 ずっと、続ける、と言えた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

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