93話 秋の深まりと、届いた知らせ
九月になった。
秋が来た。
朝の空気が、夏とははっきり違う冷たさを持ち始めた。
エリナは毎朝、台所の窓を開けた。
今日の空気を確認した。
今日は、秋の空気だった。
窓を開けるたびに、今日の変化を感じる習慣は、何年も続いていた。
変わらない習慣の中に、毎日少しずつ違う空気があった。
それが、続けることの形だと思っていた。
九月の最初の週、フィオナが長屋に来た。
「一つ、伝えたいことがある」
「どうぞ」
「ダリウスから連絡が来た」
「どんな内容ですか?」
「父の名誉回復の審議について、進展があった。審議委員会が、アッシュフォード侯爵の件を正式に議題として取り上げた。次の会合で、具体的な審議に入るとのこと」
エリナは少しだけ止まった。
正式に議題として取り上げられた。
「ダリウスが、教えてくれたんですね」
「そう。定期報告の中に、この話が入っていた。重要だと思って、すぐに来た」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。でも、一つだけ聞いていい?」
「どうぞ」
「どんな気持ち?」
エリナは少し考えた。
「静かな気持ちです」
「静か、というのは?」
「大きな感情が来ると思っていた。でも、来なかった。静かだった。谁かがそうでした。当然のことが形になった、という感じがします」
「当然のことが、形になってきた、か」
「父が正しかったことは、もうわかっている。だから、名誉が回復されることは、当然のことだと思っています。でも、それが形になるまでに、時間がかかった。やっと、時間が追いついてきた」
「時間が追いついてきた。それが、正確な言い方かもしれない」
セレーナに伝えた。
「お母さん、また一つ、動きました」
「名誉回復の件?」
「はい。正式に議題として取り上げられました」
セレーナが手を止めた。
少しだけ、窓の外を見た。
「そうかぁ」
セレーナが静かに言った。
「どう思いますか?」
「遅かったけど……ちゃんと動いている」
「先日言っていた言葉ですね」
「そうね、同じことを言っている。でも、毎回本当のことだから」
「毎回本当のことだから、また言える」
「そうよ。あなたも、同じことを言うようになったわね」
「お母さんから学びました」
マリオに伝えた。
「また一つ、動きました」
「名誉回復の審議か」
「そうです」
「どのくらいかかる?」
「わかりません。でも、動き始めた」
「動き始めたなら、いい。止まっていないことが、大事だから」
「そうですね」
「お前のやり方に、似ているな」
「どういう意味ですか?」
「急がない。でも、止まらない。それが、この審議の動き方にも当てはまる」
「そうかもしれません」
「お前が始めた言葉が、いろんなところで当てはまるようになった。それが、広まったということかな」
「広まった、というより、もともとそういうものだったのかもしれません」
「どういう意味だ?」
「急がないことと止まらないことは、私が発明したのではなく、もともとそういうものが正しかった。私は、気づいただけかもしれません」
「お前は、そういうことを言うな。自分の功績を、なかったことにする」
「功績ではなく、本当のことだから」
その週、レインから手紙が来た。
エリナへ
秋になった。図書室が、また変わった。光の入り方が、夏とは全然違う。
師匠から報告があった。ベルトさんの農地の記録を分析した。来年の薬草栽培の計画が、少し具体的になってきた。三種類のうち、二種類は来年から試験栽培できそうだとのことだ。
それと、個人的なことを一つ。
先月、「だから、好きだ」と直接言えた。あれを言えたことが、今も良かったと思っている。
続けることで、言えるようになる言葉がある。それが、今もそうだと思っている。
冬になったら、行く。霜の石畳が、また待っている。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、「続けることで、言えるようになる言葉がある」という一行を少しだけ見た。
そうだと思った。
七年前には言えなかった言葉が、今は言える。
言えるようになったのは、続けてきたからだった。
レインへ
「続けることで、言えるようになる言葉がある」という言葉を受け取りました。そうだと思います。七年前には言えなかった言葉が、今は言える。続けてきたから、言えるようになった。
農地の件、二種類が来年から試験栽培できそうとのこと、ルナとベルトに伝えます。二人が喜ぶと思います。
名誉回復の審議に、進展がありました。正式に議題として取り上げられました。お母さんに伝えた時、「ちゃんと動いている」と言ってくれました。
時間が追いついてきている、という感覚があります。
冬を楽しみにしています。霜の石畳が待っているなら、私も待っています。
――エリナ――
九月の半ばに、ベルトが報告に来た。
「農地の二カ月目の記録です」
「ありがとうございます」
「一つ、確認していいか?」
「どうぞ」
「三種類のうち、一種類が、土に合っていない気がする」
「どういう意味ですか?」
「育ちが遅い。他の二種類と比べて、明らかに違う。土の水分量を変えてみたが、改善しない」
「ルナに確認してもらいますか?」
「そうしてほしい。俺の知識では、理由がわからない。ルナなら、わかるかもしれない」
「急がなくていいです。一年かけて試す、と言っていましたね」
「そうだ。でも、わかることは早めに確かめた方がいい。わからないまま続けるより、原因を知ってから続ける方がいい」
「それは、正しいですね」
「山では、そうしてきた。わからないことをわからないまま放置すると、後で大きな問題になる」
ルナに相談した。
「ベルトが、一種類が土に合っていないと言っています」
「どれ」
「これです」
エリナが記録書の種類を指差した。
ルナが少しだけ考えた。
「その種類は、土の酸性度に敏感だ」
「酸性度、ですか」
「そう。野山では、落ち葉が積み重なって、土が少し酸性になっている場所に育つ。農地の土は、それより中性に近い。だから、合わないかもしれない」
「どうすればいいですか?」
「落ち葉や、腐葉土を混ぜてみる。土の酸性度を、野山に近づける。それで改善するかもしれない」
「ベルトに伝えます」
「それと、ベルトは山の知識がある。どういう場所に、その種類が育っているか、ベルトが知っているかもしれない。私が知らないことを、ベルトが知っている可能性がある」
「二人で話してみますか?」
「そうする」
翌日、ルナとベルトが農地の件で話した。
エリナは少し離れた場所にいた。
二人の会話を、聞いていた。
「その種類が育つ山の場所を、知っている?」
「知っている。北の沢の、日当たりが少ない斜面だ。落ち葉が厚く積もっている場所に多い」
「落ち葉が厚く積もっている。それが、答えかもしれない」
「土の問題か」
「そう。腐葉土を混ぜれば、改善する可能性がある」
「試してみる」
「どこで腐葉土を手に入れる?」
「北の沢から取ってくる。あの場所の土は、長年落ち葉が積もっている。その土を、農地に混ぜる」
「量は、どのくらい必要?」
「わからない。少しずつ試す」
「それでいい。急がなくていい。一種類だから、じっくり確かめる」
エリナはその会話を聞きながら、少し思った。
山の知識と、植物の知識が、合わさっている。
ベルトが来てくれたから、できる対話だった。
九月の終わり、ダリウスから手紙が来た。
エリナ・アッシュフォード殿へ
名誉回復の審議について、一つ報告する。
審議委員会の中に、アッシュフォード侯爵の改革案を当時から知っていた人間が、一人いることがわかった。その人間が、案の内容を証言する意思を示している。
証言が加われば、審議が進みやすくなる。
それと、個人的なことを書く。
父がしたことへの補償を、続けていると言った。でも、今は補償という言葉が変わってきた気がしている。
補償ではなく、正しいことをしたい、という気持ちに変わってきた。
違いがわかるか。
――ダリウス・クロヴェル――
エリナはダリウスの最後の問いを読んで、少しだけ考えた。
補償ではなく、正しいことをしたい。
その違いは何か。
ダリウス様へ
審議の進展、ありがとうございます。証言が加われば、大きな助けになります。
「補償ではなく、正しいことをしたい」という言葉の変化を受け取りました。
違いを、言葉にしてみます。
補償は、過去に向かっている。過去にしてしまったことを、埋めようとする動きです。でも、正しいことをしたいは、これから向かっている。今と未来に向かって、正しいことをするという動きです。
補償から始まって、正しいことをしたいに変わった。それは、過去を見ることから、これからを見ることに変わった、ということかもしれません。
ダリウス様が、そういう言葉を言えるようになったことを、嬉しく思っています。
――エリナ・アッシュフォード――
フィオナに、ダリウスの手紙を見せた。
「補償から、正しいことをしたい、に変わった、か」
「そうです」
「大きな変化だな」
「そう思います」
「最初に会った時のダリウスと、全然違う。あの頃は、できることの範囲内でしか動けなかった。今は、これからどうしたいかを考えている」
「フィオナが、王都でずっと見てきてくれたから、わかりますね」
「見てきたから、変化がわかる。見ていないと、変化は見えない」
「ルナも、同じことを言っていましたね」
「ルナの言葉は、いろんなことに当てはまる」
夜、エリナは机に向かった。
今月のことを、少し振り返った。
名誉回復の審議が正式に動いた。
ベルトとルナが農地の問題を一緒に解決しようとしている。
レインが「続けることで言えるようになる言葉がある」と書いてくれた。
ダリウスが「補償から正しいことをしたい」に変わった。
全部が、今月のことだった。
一つ一つは小さかった。
でも、全部が繋がっていた。
エリナは短いメモを書いた。
九月。
時間が追いついてきている。
補償ではなく、正しいことをしたい、という言葉が届いた。
過去から、これからへ。それが、変わったことだと思う。
続けることで、言葉が変わる。言葉が変わると、動きが変わる。動きが変わると、形が変わる。
それが、積み重ねることの意味かもしれない。
書いて、引き出しに入れた。
ランプを吹き消した。
秋の夜が、窓の外にあった。
冷たかった。
でも、布団は温かかった。
冬が近づいている。
レインが霜の石畳と一緒に来る。
それを楽しみにしながら、今夜は眠る。
エリナ・アッシュフォード、十六歳。
今月、時間が追いついてきた。
過去から、これからへ。
それが今夜、一番大事なことだった。
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