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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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93/120

93話 秋の深まりと、届いた知らせ

 九月になった。

 秋が来た。

 朝の空気が、夏とははっきり違う冷たさを持ち始めた。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。

 今日の空気を確認した。

 今日は、秋の空気だった。

 窓を開けるたびに、今日の変化を感じる習慣は、何年も続いていた。

 変わらない習慣の中に、毎日少しずつ違う空気があった。

 それが、続けることの形だと思っていた。

 九月の最初の週、フィオナが長屋に来た。


「一つ、伝えたいことがある」

「どうぞ」

「ダリウスから連絡が来た」

「どんな内容ですか?」

「父の名誉回復の審議について、進展があった。審議委員会が、アッシュフォード侯爵の件を正式に議題として取り上げた。次の会合で、具体的な審議に入るとのこと」


 エリナは少しだけ止まった。

 正式に議題として取り上げられた。


「ダリウスが、教えてくれたんですね」

「そう。定期報告の中に、この話が入っていた。重要だと思って、すぐに来た」

「ありがとうございます」

「礼はいらない。でも、一つだけ聞いていい?」

「どうぞ」

「どんな気持ち?」


 エリナは少し考えた。


「静かな気持ちです」

「静か、というのは?」

「大きな感情が来ると思っていた。でも、来なかった。静かだった。谁かがそうでした。当然のことが形になった、という感じがします」

「当然のことが、形になってきた、か」

「父が正しかったことは、もうわかっている。だから、名誉が回復されることは、当然のことだと思っています。でも、それが形になるまでに、時間がかかった。やっと、時間が追いついてきた」

「時間が追いついてきた。それが、正確な言い方かもしれない」


 セレーナに伝えた。


「お母さん、また一つ、動きました」

「名誉回復の件?」

「はい。正式に議題として取り上げられました」


 セレーナが手を止めた。

 少しだけ、窓の外を見た。


「そうかぁ」


 セレーナが静かに言った。


「どう思いますか?」

「遅かったけど……ちゃんと動いている」

「先日言っていた言葉ですね」

「そうね、同じことを言っている。でも、毎回本当のことだから」

「毎回本当のことだから、また言える」

「そうよ。あなたも、同じことを言うようになったわね」

「お母さんから学びました」


 マリオに伝えた。


「また一つ、動きました」

「名誉回復の審議か」

「そうです」

「どのくらいかかる?」

「わかりません。でも、動き始めた」

「動き始めたなら、いい。止まっていないことが、大事だから」

「そうですね」

「お前のやり方に、似ているな」

「どういう意味ですか?」

「急がない。でも、止まらない。それが、この審議の動き方にも当てはまる」

「そうかもしれません」

「お前が始めた言葉が、いろんなところで当てはまるようになった。それが、広まったということかな」

「広まった、というより、もともとそういうものだったのかもしれません」

「どういう意味だ?」

「急がないことと止まらないことは、私が発明したのではなく、もともとそういうものが正しかった。私は、気づいただけかもしれません」

「お前は、そういうことを言うな。自分の功績を、なかったことにする」

「功績ではなく、本当のことだから」


 その週、レインから手紙が来た。


 エリナへ


 秋になった。図書室が、また変わった。光の入り方が、夏とは全然違う。

 師匠から報告があった。ベルトさんの農地の記録を分析した。来年の薬草栽培の計画が、少し具体的になってきた。三種類のうち、二種類は来年から試験栽培できそうだとのことだ。

 それと、個人的なことを一つ。

 先月、「だから、好きだ」と直接言えた。あれを言えたことが、今も良かったと思っている。

 続けることで、言えるようになる言葉がある。それが、今もそうだと思っている。

 冬になったら、行く。霜の石畳が、また待っている。


                                 ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、「続けることで、言えるようになる言葉がある」という一行を少しだけ見た。

 そうだと思った。

 七年前には言えなかった言葉が、今は言える。

 言えるようになったのは、続けてきたからだった。


 レインへ


「続けることで、言えるようになる言葉がある」という言葉を受け取りました。そうだと思います。七年前には言えなかった言葉が、今は言える。続けてきたから、言えるようになった。

 農地の件、二種類が来年から試験栽培できそうとのこと、ルナとベルトに伝えます。二人が喜ぶと思います。

 名誉回復の審議に、進展がありました。正式に議題として取り上げられました。お母さんに伝えた時、「ちゃんと動いている」と言ってくれました。

 時間が追いついてきている、という感覚があります。

 冬を楽しみにしています。霜の石畳が待っているなら、私も待っています。


                                  ――エリナ――


 九月の半ばに、ベルトが報告に来た。


「農地の二カ月目の記録です」

「ありがとうございます」

「一つ、確認していいか?」

「どうぞ」

「三種類のうち、一種類が、土に合っていない気がする」

「どういう意味ですか?」

「育ちが遅い。他の二種類と比べて、明らかに違う。土の水分量を変えてみたが、改善しない」

「ルナに確認してもらいますか?」

「そうしてほしい。俺の知識では、理由がわからない。ルナなら、わかるかもしれない」

「急がなくていいです。一年かけて試す、と言っていましたね」

「そうだ。でも、わかることは早めに確かめた方がいい。わからないまま続けるより、原因を知ってから続ける方がいい」

「それは、正しいですね」

「山では、そうしてきた。わからないことをわからないまま放置すると、後で大きな問題になる」


 ルナに相談した。


「ベルトが、一種類が土に合っていないと言っています」

「どれ」

「これです」


 エリナが記録書の種類を指差した。

 ルナが少しだけ考えた。


「その種類は、土の酸性度に敏感だ」

「酸性度、ですか」

「そう。野山では、落ち葉が積み重なって、土が少し酸性になっている場所に育つ。農地の土は、それより中性に近い。だから、合わないかもしれない」

「どうすればいいですか?」

「落ち葉や、腐葉土を混ぜてみる。土の酸性度を、野山に近づける。それで改善するかもしれない」

「ベルトに伝えます」

「それと、ベルトは山の知識がある。どういう場所に、その種類が育っているか、ベルトが知っているかもしれない。私が知らないことを、ベルトが知っている可能性がある」

「二人で話してみますか?」

「そうする」


 翌日、ルナとベルトが農地の件で話した。

 エリナは少し離れた場所にいた。

 二人の会話を、聞いていた。


「その種類が育つ山の場所を、知っている?」

「知っている。北の沢の、日当たりが少ない斜面だ。落ち葉が厚く積もっている場所に多い」

「落ち葉が厚く積もっている。それが、答えかもしれない」

「土の問題か」

「そう。腐葉土を混ぜれば、改善する可能性がある」

「試してみる」

「どこで腐葉土を手に入れる?」

「北の沢から取ってくる。あの場所の土は、長年落ち葉が積もっている。その土を、農地に混ぜる」

「量は、どのくらい必要?」

「わからない。少しずつ試す」

「それでいい。急がなくていい。一種類だから、じっくり確かめる」


 エリナはその会話を聞きながら、少し思った。

 山の知識と、植物の知識が、合わさっている。

 ベルトが来てくれたから、できる対話だった。

 九月の終わり、ダリウスから手紙が来た。


 エリナ・アッシュフォード殿へ


 名誉回復の審議について、一つ報告する。

 審議委員会の中に、アッシュフォード侯爵の改革案を当時から知っていた人間が、一人いることがわかった。その人間が、案の内容を証言する意思を示している。

 証言が加われば、審議が進みやすくなる。

 それと、個人的なことを書く。

 父がしたことへの補償を、続けていると言った。でも、今は補償という言葉が変わってきた気がしている。

 補償ではなく、正しいことをしたい、という気持ちに変わってきた。

 違いがわかるか。


                           ――ダリウス・クロヴェル――


 エリナはダリウスの最後の問いを読んで、少しだけ考えた。

 補償ではなく、正しいことをしたい。

 その違いは何か。


 ダリウス様へ


 審議の進展、ありがとうございます。証言が加われば、大きな助けになります。

「補償ではなく、正しいことをしたい」という言葉の変化を受け取りました。

 違いを、言葉にしてみます。

 補償は、過去に向かっている。過去にしてしまったことを、埋めようとする動きです。でも、正しいことをしたいは、これから向かっている。今と未来に向かって、正しいことをするという動きです。

 補償から始まって、正しいことをしたいに変わった。それは、過去を見ることから、これからを見ることに変わった、ということかもしれません。

 ダリウス様が、そういう言葉を言えるようになったことを、嬉しく思っています。


                         ――エリナ・アッシュフォード――


 フィオナに、ダリウスの手紙を見せた。


「補償から、正しいことをしたい、に変わった、か」

「そうです」

「大きな変化だな」

「そう思います」

「最初に会った時のダリウスと、全然違う。あの頃は、できることの範囲内でしか動けなかった。今は、これからどうしたいかを考えている」

「フィオナが、王都でずっと見てきてくれたから、わかりますね」

「見てきたから、変化がわかる。見ていないと、変化は見えない」

「ルナも、同じことを言っていましたね」

「ルナの言葉は、いろんなことに当てはまる」


 夜、エリナは机に向かった。

 今月のことを、少し振り返った。

 名誉回復の審議が正式に動いた。

 ベルトとルナが農地の問題を一緒に解決しようとしている。

 レインが「続けることで言えるようになる言葉がある」と書いてくれた。

 ダリウスが「補償から正しいことをしたい」に変わった。

 全部が、今月のことだった。

 一つ一つは小さかった。

 でも、全部が繋がっていた。

 エリナは短いメモを書いた。


九月。

時間が追いついてきている。

補償ではなく、正しいことをしたい、という言葉が届いた。

過去から、これからへ。それが、変わったことだと思う。

続けることで、言葉が変わる。言葉が変わると、動きが変わる。動きが変わると、形が変わる。

それが、積み重ねることの意味かもしれない。


 書いて、引き出しに入れた。

 

 ランプを吹き消した。

 秋の夜が、窓の外にあった。

 冷たかった。

 でも、布団は温かかった。

 冬が近づいている。

 レインが霜の石畳と一緒に来る。

 それを楽しみにしながら、今夜は眠る。


 エリナ・アッシュフォード、十六歳。


 今月、時間が追いついてきた。

 過去から、これからへ。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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