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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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88/120

88話 十二月、みんなが来た

 十二月になった。

 冬が本格的に来た。

 朝の霜が、厚くなった。

 市場に、厚手のコートを着た人たちが集まった。

 ルナが、薬草の冬の保管を完璧に整えてくれていた。

 ベルトが、毎朝一番に作業場に来るようになっていた。

 グレンが、石鹸の在庫確認を週に一度してくれるようになっていた。

 ルシェムの冬は、去年より少し違っていた。

 人が増えた分だけ、動いているものが増えた。

 十二月の第一週に、来客が重なった。


 まず、レインと師匠が来た。

 次の日に、ダリウスが来た。

 その三日後に、フィオナの父親が来た。


 長屋の周辺が、いつもより賑やかだった。

 レインが来た日、エリナが長屋の前で待っていた。

 馬で来た。

 師匠と並んで。

 レインが馬から降りた。


「来た」

「来てくれた」


 いつもと同じやり取りだった。

 でも、今回は少し間があった後、レインが周囲を見た。


「霜が降りているな」

「今朝、降りました。学院ほどではないですが」

「厚さが違う」


 レインが足元の霜を見た。


「でも、音がするかもしれない」

「試してみますか?」


 レインが一歩踏んだ。

 かすかな音がした。


「する」

「ルシェムの霜にも、音があった」

「来るたびに、違うものが見つかる」

「そうですね」


 師匠がエリナを見た。


「また来た」

「ようこそ、先生」

「前回は春だった。今回は冬だ」師匠が言った。「ルシェムは、季節によって全然違うな」

「そうですね」

「春は明るかった。今は、静かだ。でも、静かな方が、見えるものがある」

「何が見えますか?」

「人が何を大事にしているかが、見える。賑やかな時は、全部が動いている。静かな時は、大事なものだけが残る」


 翌日、ダリウスが来た。

 前回と同じく、随行が一人だった。

 でも、今回は表情が違っていた。

 前回は、迷いが少し残っていた。

 今回は、何かを持ってきた顔だった。


「来てくれましたね」

「言葉になったから、来た」

「具体的な話を、聞かせてください」

「今日中に、話せる場を作れるか?」

「作ります」


 その日の午後、事務室に集まった。


 エリナ、ゴードン、フィオナ、ダリウス。


 レインと師匠は、作業場でルナと話していた。

 ダリウスが、紙を一枚取り出した。


「俺が考えてきた形を、話す」

「どうぞ」

「クロヴェル家が持っている地方の農地と商業施設、それと宮廷での人脈。これを、アッシュフォード商会の活動に役立てる形を考えた。具体的には、三つある」


「聞かせてください」

「一つ目。クロヴェルが持っている地方の農地を、薬草の栽培に使えないか検討する。今は使われていない農地がある。そこで薬草を計画的に育てれば、供給が安定する」


 エリナはゴードンを見た。ゴードンが静かに頷いた。


「二つ目。宮廷での人脈を使って、衛生教育を地方の学校にも広げることを後押しする。魔法省の支援文書はある。それを、地方に届けるルートを作る」


「それは、殿下がやろうとしていたことと、方向が同じだ」

「そうだ。殿下と話した。連携できると思っている」

「三つ目は」


 エリナが言った。


「三つ目は、個人的なことだ。クロヴェル家として、アッシュフォード侯爵の名誉回復を、正式に申請する」


 事務室が、しばらく静かになった。

 フィオナが先に口を開いた。


「名誉回復、というのは?」

「父が陥れた人間の名誉を、正式に回復する手続きを申請する。これは、クロヴェル家が公式に、過去の行為を認めることになる。容易ではない。家の中での反発は大きくなる。でも、やるべきことだと判断した」


 エリナは少しだけ、目を閉じた。

 父の名誉回復。

 それが、正式な形で申請される。

 目を開けた。


「ダリウス様」

「何だ」

「一つだけ、確認させてください」

「どうぞ」

「これは、補償のためですか。それとも、別の理由がありますか?」


 ダリウスが少しだけ間を置いた。


「両方だ。補償の意味はある。でも、それだけではない」

「どういう意味ですか?」

「父上の改革案は、正しかった。今、その改革案が現実になってきている。エリナがやっていることが、それを証明している。正しかったことが証明されているなら、その人間の名誉が回復されるべきだ。それが、筋だと思っている」


 エリナは、ダリウスの言葉を受け取った。

 正しかったことが証明されているなら、その人間の名誉が回復されるべきだ。

 その言葉が、少しだけ重かった。


「受け取りました」

「受け取ってもらえるか?」

「受け取ります。父に代わって」

「ありがとう。礼を言われるとは思っていなかった」

「礼を言う必要があると思ったから、言いました。ダリウス様がここまで来てくれた。それに、礼を言いたかった」


 ゴードンが静かに言った。


「三つの提案について、私から一点だけ申し上げてもいいですか?」

「どうぞ」

「どれも、大事な提案です。でも、一気に全部動かすのではなく、一つずつ進めた方がいいと思います。急がないことが、確かめることに繋がる。それは、この商会が一貫してやってきたことです」

「一つずつ、か。わかった」

「一つ目の農地の話から始めるのが、一番進めやすいと思います。名誉回復の申請は、時間がかかる。でも、農地の検討は、比較的早く動ける」

「そうしよう」

「来月、農地の詳細を教えてもらえますか。ゴードンが確認します」

「わかった」


 その夜、全員で夕食を食べた。


 セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、フィオナ、レイン、師匠、ダリウス、エリナ。


 ベルトも呼んだ。

 十人が、一つのテーブルに集まった。

 長屋の台所が、少し狭かった。

 でも、誰も気にしなかった。

 マリオが言った。


「こんなに大勢で食べるのは、初めてじゃないか」

「そうですね」


 エリナが言った。


「狭いけど、悪くない」

「悪くない」


 フィオナが言った。


「悪くない」


 ルナが静かに言った。

 ダリウスが、少しだけ周囲を見た。


「いつも、こういう食事をしているのか?」

「毎日ではありません」


 エリナが言った。


「でも、大事なことがあった日は、みんなで食べます」

「今日は、大事な日だったか」

「そうです。ダリウス様が、言葉を持ってきてくれた日だから」


 ダリウスが少しだけ、口の端を動かした。


「俺が、こういう食事に呼ばれるとは、思っていなかった」

「来てくれたから、呼べました」


 食事の途中、師匠がダリウスに言った。


「クロヴェル家の方針転換の話は、学院にも届いている」

「そうか」

「学院内での衛生教育を、やりやすくなった。あなたが動いてくれたことが、学院にも影響している」

「俺が動いたことが、学院に届いているとは、思っていなかった」

「思っていない場所に、届くことがある。それが、動くことの意味だ」


 レインが静かに頷いた。

 ベルトが、黙って食事を続けていた。

 マリオがベルトに言った。


「ベルトさんは、大人数の食事、大丈夫ですか?」

「山では、一人で食べることが多い。でも、たまには悪くない」

「たまには悪くない、か。それが、ベルトさんらしい答えだ」


 食事が終わった後、フィオナとエリナが台所に残った。


「今日の食事、どうだった」


 フィオナが言った。


「良かったです」


 エリナが言った。


「十人が揃って、それぞれが違う場所から来た人間が、一つのテーブルにいた」

「それが、ここが起きる場所になっている、ということだな」

「フィオナが以前言っていた言葉ですね」

「自分で言った言葉が、また当てはまった。ルシェムは、そういう場所になっている」

「始まりは、豆のペーストだったのに」

「美味しかったから来た、という話から、ここまで来た。誰も、こんなになるとは思っていなかった」

「でも、なった」

「なった。気づいたら、そうなっていた」


 三日後に、フィオナの父親が来た。

 ベルナから、一人で馬で来た。

 名前は、エドワルト・クロスベルと言った。

 六十代くらいの男性だった。

 白髪交じりの髪。穏やかな目。でも、その目には、長い年月を生きてきた重さがあった。

 フィオナが迎えに出た。

 エリナも隣にいた。

 エドワルトが降りて、フィオナを見た。


「来た」


 エドワルトが短く言った。


「来てくれた」


 フィオナが言った。


「ここが、娘のいる場所か」


 エドワルトが静かにルシェムを見た。


「そうです」


 フィオナが言った。


「思っていたより、小さい町だ」

「小さいですが、大事なことがたくさんある場所です」

「そうだな。娘が変わっていく場所が、どういうところか、見たかった」


 エドワルトを、フィオナの家に案内した。

 庭の薬草を見せた。

 エドワルトが、薬草を見た。


「娘が育てているのか?」

「ルナという人が選んで植えてくれました。私が水をやっています」

「毎日、水をやっているのか?」

「毎日」

「そうか。娘が、毎日同じことをしている。それは、知らなかった」

「知らないことが、まだたくさんあると思います」

「そうだな。だから、来た」


 夕方、エドワルトとフィオナと、エリナが三人で話した。


「エリナさん、と言ったか」


 エドワルトが言った。


「そうです」

「娘が、よくあなたの名前を出す」

「フィオナには、ずっとお世話になっています」

「娘の話を聞いていると。あなたが、娘に居場所を作ってくれた、ということがわかった」

「フィオナが自分で作った居場所です」

「そうだろうな。でも、作れる場所があった。それは、あなたたちがここにいたから、だと思っている」

「そうかもしれません」

「ありがとう」


 エドワルトが静かに言った。

 エリナは少しだけ止まった。

 フィオナの父親が、礼を言ってくれた。


「こちらこそ。フィオナが来てくれたから、この場所が今のようになりました」


 その夜、長屋でもう一度、全員が集まった。

 今度は、エドワルトも加わった。

 十一人が、台所に集まった。

 さらに狭くなった。

 マリオが笑った。


「もう、入りきらないな」

「入りきっている」


 ルナが平坦な声で言った。


「確かに、全員いる」マリオが言った。


 エドワルトが、静かに台所を見た。


「こういう場所が、娘の居場所か」

「はい」


 フィオナが言った。


「良い場所だ。あたたかい」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。

 いや、レインは今日、同じ食卓にいた。

 だから、手紙ではなく、直接言った。


「今日のことを、届けたい」


 エリナがレインに言った。


「何を?」

「十一人が、一つの台所に集まった。それぞれが、違う場所から来た。でも、全員がここにいた」

「そうだな」

「それが、今日一番大事なことだと思っています」

「俺も、そう思っている」

「届きましたか?」

「届いた」


 ランプを吹き消した。


 冬の夜が、窓の外にあった。

 十一人が、今日ここにいた。

 それぞれが、違う場所から来た。

 でも、全員がここにいた。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、十一人が一つの台所に集まった。

 それが今夜、一番大事なことだった。

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