87話 冬が来る前に、届く言葉
十一月になった。
冬が近づいていた。
朝の空気が、霜が降りそうなほど冷たくなった。
エリナは毎朝、台所の窓を開けた。
今日は、霜が降りていた。
薄い霜だった。
学院の石畳ほどではなかった。
でも、あった。
その霜を見るたびに、少し思い出した。
冬の約束が、近づいていた。
十一月になってから、レインから手紙が来た。
エリナへ
今月の終わりか、来月の初めに行く。
霜が、去年より少し早く降り始めた。今年は早い冬かもしれない。
学院は、後期の授業が佳境に入っている。師匠が、今年の成果をまとめる作業を始めた。俺も手伝っている。
一つだけ。
去年の冬、ルシェムに来た時に、エリナからメモをもらった。「気づいたらそうなっていた場所が、本当の始まりの場所だ」という、セレーナ殿の言葉を書いたものだ。
今も、手元にある。
図書室で、たまに読む。
それが、今も変わらないことの一つだ。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、「今も、手元にある」という一行を少しだけ見た。
去年渡したメモが、今も手元にある。
図書室で、たまに読む。
届けたものが、今も届き続けている。
レインへ
「今も、手元にある」という言葉を受け取りました。
届けたものが、今も届き続けている。それが、嬉しいです。
こちらも、準備しています。冬のルシェムで、待っています。
それから、一つだけ届けたいことがある。
今朝、薄い霜が降りていました。ルシェムの霜は、学院の石畳ほどではありません。でも、見るたびに、去年の朝のことを思い出します。
霜を踏む音。図書室の光。あの朝のことを、今も覚えています。
――エリナ――
フィオナが、長屋に来た。
「一つ、話したいことがある」
「どうぞ」
「ダリウスのことだ」
「何かありましたか?」
「ダリウスから、連絡が来た。直接会いたいと言っている。王都ではなく、ルシェムで」
「ルシェムで?」
「そうだ。理由を聞いたら、『具体的な話を、エリナに直接したい。王都より、ルシェムの方が話しやすい』と言っていた」
「具体的な話、というのは?」
「『一緒に動くことについて、形を考えてきた』と言っていた。あなたが提案してから、ずっと考えていたらしい。言葉になった、と」
エリナは少しだけ止まった。
言葉になった。
ダリウスが、そう言った。
「いつ来ますか?」
「来月の初めを希望している。レインが来る時期と重なるかもしれない」
「重なってもいい。ダリウスに来てもらいましょう」
「わかった。伝える。一つだけ聞いていいか?」
「どうぞ」
「ダリウスが具体的な形を持ってくる。それに、どういう気持ちで向き合うつもり?」
エリナは少し考えた。
「正直に、向き合います。怒りも持っている。でも、可能性も見ている。その両方を持ったまま、話を聞きます」
「それがあなたらしい答えだ」
その夜、エリナは一人で机に向かった。
ダリウスが具体的な形を考えてきた。
一緒に動くことの形。
それが何かを、エリナも少し考えた。
クロヴェル家が持っているもの。
地方の農地。商業施設。宮廷での人脈。魔法省内での残った影響力。倉庫。
アッシュフォード商会が持っているもの。
石鹸と薬草薬の製造技術。各町の流通ネットワーク。学院との連携。魔法省の支援文書。現場の人間。数字の積み重ね。
どちらが持っているものが、補い合える形になるか。
考えていくうちに、一つの方向が見えてきた。
エリナはそれを、紙に書いた。
でも、今夜は誰にも見せなかった。
ダリウスが来た時に、直接話す。
それが、一番いい形だと思った。
翌日、マリオに伝えた。
「来月、ダリウスとレインが、時期が重なって来ることになりそうです」
「両方が来るのか」
「そうなる可能性があります」
「それは、また賑やかになるな」
「宿の手配を、お願いできますか?」
「もちろん。二人分、手配しておく。それと、一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「ダリウスとレインが、同じ時期にルシェムにいる。その場面を、エリナはどう思っているんだ」
「どういう意味ですか?」
「一人は、昔のことに責任がある人間だ。もう一人は、エリナにとって大事な人間だ。その二人が、同じ場所にいる」
エリナは少しだけ考えた。
「複雑だとは思います。でも、両方、ここに来てくれる。それが、今の形だと思っています」
「そうか。お前がそう思えるなら、大丈夫だな」
「大丈夫です」
「でも、何かあったら、俺に言えよ。俺は、ここにいるから」
ルナに伝えた。
「来月、レインと師匠、それとダリウスが来ます。時期が重なるかもしれません」
「そう」
ルナが棚を見ながら言った。
「何か思いますか?」
「ベルトがいる」
「それが、どういう意味ですか?」
「前に大人数が来た時は、作業場の仕事が少し止まった。でも、今はベルトがいる。私とベルトで、作業を続けられる」
「ルナが、そういうことを考えてくれているんですね」
「商会の仕事は、止めない方がいい。誰が来ても、薬草は育つ。作業は続ける」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それが、私の仕事だから」
十一月の半ばに、ゴードンが今年の見通しを出した。
「今年の供給量は、去年比で一・六倍になる見込みです」
「一・六倍、ですか」
「倉庫が稼働して、ベルトさんが加わって、新しい薬草が始まって。三つが重なった結果です」
「ベルトさんが加わったことも、数字に出ているんですね」
「出ています。一人増えるだけで、製造量が変わる。それが、数字として見えます」
「人が、数字になる」
「人がやったことが、数字になります。数字は、人の仕事の記録でもあります」
「ゴードンさんが積み上げてきた数字も、そういうものですね」
「私がやったことの記録です。それが、今日まで積み上がっています」
十一月の後半、フィオナが長屋に来た。
「一つ、伝えたいことがある」
「どうぞ」
「父から手紙が来た」
「ベルナのお父様から?」
「そうだ。ルシェムに来たい、と言ってきた」
エリナは少しだけ、フィオナを見た。
「お父様が、ルシェムに?」
「そうだ。ベルナに帰らないかもしれない、と言った時、『そうか』と言った。その後から、少しずつ変わってきていた。手紙をもらう回数が増えた。私が何をしているかを、もっと聞いてくるようになった」
「変わってきていたんですね」
「そう。娘が変わっていくのを、見ていた。それで、娘がいる場所を見たくなったのかもしれない」
「どうしますか?」
「来てもらおうと思っている。いつかは、来てもらいたかった。今が、その時かもしれない」
「歓迎します」
「ありがとう。父は、口数が少ない人間だ。でも、見ている人間だ。ルシェムを見て、何かを感じてくれると思っている」
「フィオナのお父様が、見ていてくれるんですね」
「そうだ。見てきた人間が、変わっていく場所を見る。それが、今回の意味だと思っている」
その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。
レインへ
来月、ダリウスも来ます。一緒に動くことについて、具体的な形を考えてきたと言っています。
それと、フィオナのお父様も、ルシェムに来たいと言ってくださっているそうです。来月は、賑やかになりそうです。
一つだけ、届けたいことがある。
今月、各町から手紙が届いた。マグダさんから子どもが子どもに教える連鎖が始まったと。ジルカさんから漁師が三日で仕事に戻れたと。シェナから四十二件の事例が確認されたと。ダリウスから宮廷の動きが落ち着いていると。
全員が、それぞれの場所で続けていた。
あなたも、続けていてくれている。
それが、今夜一番確かなことです。
冬に来てください。待っています。
――エリナ――
書いて、封をした。
「あなたも、続けていてくれている」という一行を、書く前に少し考えた。
でも、本当のことだから書いた。
届けたかったから、書いた。
ランプを吹き消した。
十一月の夜が、窓の外にあった。
冷たかった。
でも、布団は温かかった。
冬が近づいている。
来月、いろんな人が来る。
ダリウスが、言葉になったものを持ってくる。
レインが、霜の石畳と一緒に来る。
フィオナのお父様が、娘のいる場所を見に来る。
それぞれが、それぞれの形で、ここに来る。
エリナ・アッシュフォード、九歳。
今夜、冬が来る前に、届く言葉がたくさんあった。
全員が、続けていてくれていた。
それが今夜、一番大事なことだった。
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