↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/120

86話 十月と、それぞれの秋

 十月になった。

 秋が深まった。

 朝の空気が、指先に刺さるような冷たさを持ち始めた。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けて、今日の空気を確認した。

 今日は、昨日より少し冷たい。

 でも、気持ちよかった。

 冷たい空気が、気持ちよく感じるようになったのは、いつからだろう。

 考えて、わからなかった。

 気づいたら、そうなっていた。

 十月になって、ベルトが作業場に来て一ヶ月が経った。

 エリナはベルトに言った。


「一ヶ月、経ちました。続けてもらえますか?」

「続ける」

「ありがとうございます」

「合っていた。山の仕事と、似ているところが多い。丁寧にやれば結果が出る。それが、俺には合う」

「ルナは、どう思っていますか?」


 エリナがルナに聞いた。


「合っている。薬草の扱いが、最初より丁寧になった。山を知っている人間は、植物の気持ちがわかる」

「植物の気持ち、ですか?」

「そういうものがある。急かすと、うまく育たない。待てば、ちゃんと育つ。そういうことを、山にいるとわかる」


 十月に入ってから、各町からの手紙が届いた。


 マグダから。


 エリナちゃん、元気かい。

 子どもたちへの石鹸の使い方を教える活動、続いている。今月で半年になった。

 一つ、嬉しいことがあった。最初に教えた子どもたちが、今度は自分より小さい子どもに教えるようになった。子どもが子どもに教える連鎖が始まった。

 これが続けば、教えなくても広まる。そういうものになってきた気がする。


                                   ――マグダ――


 エリナはマグダの手紙を読んで、少しだけ止まった。

 子どもが子どもに教える。

 連鎖が始まった。

 誰かが意図したわけではない。

 でも、始まった。


 マグダさんへ


 子どもが子どもに教える連鎖が始まった、という話を読んで、少しだけ止まりました。

 これは、一番強い形だと思います。教える人がいなくなっても、続いていく。そういうものになった時、本当に広まった、と言えると思います。

 マグダさんが始めてくれた活動が、そこまで来た。ありがとうございます。


                                   ――エリナ――


 シェナから手紙が来た。


 エリナ殿へ


 新しい薬草の供給を始めて、三ヶ月が経ちました。

 今月の事例報告です。長引く咳への効果が確認された事例が、累計で四十二件になりました。副作用の報告は、引き続きありません。

 ルナさんと話し合って、来月から供給量をさらに増やすことにしました。

 一つだけ、個人的なことを書きます。

 この薬草を見つけた時、ルナさんに相談しました。「まだ安全かどうか確認できていない」と言ったら、「急がなくていい。確かめてから使う」と言ってくれました。その言葉があったから、慎重に進められた。

 その結果が、今の四十二件だと思っています。


                                   ――シェナ――


 エリナはシェナの手紙を読んで、ルナを呼んだ。


「シェナから手紙が来た。四十二件の事例が確認されました」

「そう」


 ルナが棚を見ながら言った。


「副作用も、引き続きなし」

「良かった。でも、まだ続ける。もっと多くの事例を見てから、安全だと言いたい」

「急がない、ですね」

「そう。四十二件は、まだ少ない。でも、良い始まり」

「シェナが、ルナの言葉が大事だったと書いていました。急がなくていい、確かめてから使う、という言葉が、慎重に進める支えになったと」


 ルナが少しだけ、エリナを見た。


「そう。言葉が、届いていたんだ」

「届いていました」

「なら、よかった」


 ジルカから手紙が来た。


 エリナ殿へ


 消毒液の供給を増やして、半年が経ちました。

 漁師たちの間で、消毒液を使うことが、当たり前になってきています。以前は「使い方がわからない」と言っていた人が、今は自分で使っています。

 一つ、伝えたいことがあります。先月、漁に出た時に怪我をした漁師がいました。以前なら、傷が膿んで仕事ができなくなっていたかもしれない怪我でした。でも、すぐに消毒液を使ったから、三日で仕事に戻れました。

 その漁師が言っていました。「この液がなかったら、一ヶ月は休んでいた」と。

 その言葉を、そのまま届けたいと思って、書きました。


                                  ――ジルカ――


 エリナはジルカの手紙を読んで、少しだけ目が熱くなった。

 この液がなかったら、一ヶ月は休んでいた。

 数字ではなかった。

 一人の漁師の言葉だった。

 でも、その言葉が、数字より重かった。


 ジルカさんへ


 漁師の方の言葉を、そのまま届けてくれてありがとうございます。

 一ヶ月は休んでいた、という言葉の重さを、受け取りました。

 こういう言葉が届くたびに、続けることの意味が確かめられます。ジルカさんが届けてくれるから、確かめられます。

 来年も、続けましょう。


                                  ――エリナ――


 ダリウスからも、この月に手紙が来た。


 エリナ・アッシュフォード殿へ


 宮廷の動きについて、定期報告をする。

 今月は、大きな動きはなかった。魔法省の文書が出たことで、新たな規制案を検討していた動きは、完全に止まっている。

 一つだけ、気になることがある。

 アッシュフォード商会の名前が、宮廷内で以前より良い文脈で語られることが増えてきた。以前は、規制すべき対象として語られることが多かった。今は、成功事例として語られることが増えた。

 これは、良いことだが、気をつけるべきことでもある。注目が増えれば、また別の動きが出てくる可能性がある。

 引き続き、見ていく。


                           ――ダリウス・クロヴェル――


 エリナはダリウスの手紙をゴードンに見せた。


「成功事例として語られるようになった、というのは、確かに良いことですが、ダリウスが言う通り、注目が増えることの危うさもありますね」

「そうですね。目立つことが、必ずしも良いことではない」

「でも、今の状態は、三つの書類が揃っている。それが防御になります」

「準備しておいたことが、意味を持つ、ということですね」

「そうです。準備は、何かが起きてからでは遅い。起きる前にやっておくことが、大事です」

「ゴードンさんが、数字を積み上げてきてくれたことが、準備だったんですね」

「エリナさんが方向を決めてくれたから、積み上げられました。いつものことですが」


 レインからも手紙が来た。


 エリナへ


 先月の魔法師団長への報告が、受け入れられた。前期の成果として、感染率の低下が正式に記録された。後期の準備も、順調に進んでいる。

 師匠が、ルナ殿から送られてきた薬草のサンプルを確認した。学院でも、試験的な使用を始める方向になった。

 それから、個人的なことを一つ。

 秋の図書室は、夏より少し静かだ。光の入り方が変わって、静かな感じになった。

 お前から届いたメモを、また読んだ。

 待つことと、続けることは、似ているかもしれない。

 今も、そうだと思っている。冬が来るのを、待ちながら、続けている。


                                  ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、「冬が来るのを、待ちながら、続けている」という一行を少しだけ見た。

 自分も、同じだった。

 冬が来るのを、待ちながら、続けている。


 レインへ


 師匠のサンプルの確認が進んでいること、ルナに伝えます。ルナが喜ぶと思います。

「冬が来るのを、待ちながら、続けている」という言葉を受け取りました。

 私も、同じです。

 今月、マグダさんから子どもが子どもに教える連鎖が始まったと聞いた。ジルカさんから漁師の言葉を届けてもらった。シェナから四十二件の事例が届いた。ダリウスが宮廷の動きを教えてくれた。

 全員が、それぞれの場所で、続けていた。

 続けることが繋がること、という言葉を、今月また確かめました。

 冬を楽しみにしています。


                                   ――エリナ――


 手紙を書き終えて、エリナは少しだけ机の前で考えた。

 今月届いた手紙を、頭の中で並べた。


 マグダ。シェナ。ジルカ。ダリウス。レイン。


 五人が、五つの場所から、五つの違う話を届けてくれた。

 でも、全部が同じ方向を向いていた。

 続けていること。

 続けてきたことが、形になっていること。

 そして、また続けていくこと。

 その夜、エリナはフィオナの家に行った。

 珍しいことだった。

 いつもは、フィオナが長屋に来た。

 でも、今日はエリナから行きたかった。

 フィオナが驚いた顔をした。


「珍しいな。来たのか」

「来ました」

「どうした?」

「特に用事はありません。でも、来たかった」


 フィオナが少しだけ笑った。


「そう、入って」


 台所に入った。

 フィオナが薬草茶を作った。

 フィオナの庭の薬草で作った茶だった。


「これが、庭の薬草ですか?」

「そうだ。ルナが選んでくれた、眠りを助けるやつを少し混ぜた」

「いい匂いですね」

「そうだろ? 帰ってきた時に、この匂いがすると、落ち着く」


 二人で、薬草茶を飲んだ。

 特に、大事な話はしなかった。

 フィオナが今日の王都からの手紙の話をした。

 エリナが今月届いた各町からの手紙の話をした。

 話しながら、エリナは思った。

 こういう時間が、最近増えていた。

 仕事の話でも、戦略の話でもなく、ただ話す時間。

 以前は、話すことには必ず目的があった。

 情報を共有する。方針を決める。問題を解決する。

 でも最近は、ただ話したいから話す、という時間が増えていた。


「フィオナ」

「何?」

「こういう時間が、最近増えた気がします」

「どういう時間だ」

「特に目的がない時間。ただ話す時間」

「それが、変わったことの一つだな」

「そうですか」

「以前のあなたは、目的のない時間を持てなかった。常に次のことを考えていた。今は、ただここにいる時間がある」

「それが、変わったことですか?」

「大事な変化だと思う。目的なしにここにいられることが、ここが本当に自分の場所になった証拠だと思うから」


 エリナは、フィオナの言葉を受け取った。

 目的なしにここにいられること。

 それが、本当に自分の場所になった証拠。

 フィオナ自身も、今日の自分のような状態になっているのかもしれない。


「フィオナも、そうなっていますか。ルシェムで」

「少しずつ。来るたびに、目的なしでいられる時間が増えている気がする」

「気づいたらそうなっていた、という形で」

「そうだな。あなたのお母さんの言葉が、また当てはまった」


 帰り道、エリナはルシェムの夜道を歩いた。

 五分の道だった。

 でも、今日は少しゆっくり歩いた。

 秋の夜の空気が、冷たくて、きれいだった。

 星が出ていた。

 見上げた。

 たくさんの星が、見えた。

 以前は、夜空を見上げることがあまりなかった。

 今日は、見たかったから、見た。

 それだけのことだった。


 長屋に戻って、短いメモを書いた。


 今日、目的なしにフィオナの家に行った。

 目的なしに行けること。それが、本当の場所になった証拠だとフィオナが言った。

 帰り道、星を見た。見たかったから、見た。

 それが、今日一番大事なことだった気がする。


 書いて、引き出しに入れた。

 ランプを吹き消した。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、目的なしにフィオナの家に行って、星を見た。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

評価や感想を貰えると執筆のモチベーションがアップするので

どんどん評価や感想をください!

ブクマもお願いします!

お待ちしております(*^-^*)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。