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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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85/120

85話 ベルトと、新しい手

 九月の終わりに、マリオがベルトを連れてきた。

 午前中のことだった。

 エリナが作業場で石鹸の型を確認していると、マリオが声をかけてきた。


「ベルトさんを連れてきた」


 振り返ると、マリオの後ろに、大柄な男が立っていた。

 五十代くらいだった。

 日に焼けた顔。大きな手。静かな目。

 グレンに少し似た雰囲気があった。


「ベルトです」


 男が短く言った。


「エリナ・アッシュフォードです。以前、迂回路で助けてもらいました」

「覚えている。石鹸を運んだ」

「そうです。あの時は、ありがとうございました」

「仕事だったから」


 ベルトが短く言った。


 作業場に通した。

 ベルトが、ゆっくりと棚を見た。

 石鹸の型を見た。薬草の瓶を見た。蒸留器を見た。

 何も言わなかった。

 でも、目がちゃんと見ていた。


「どう思いますか?」

「きれいに作っている」

「ありがとうございます」

「山の仕事と、似ているところがある」

「どういう意味ですか?」

「手を抜くと、すぐにわかる。石鹸も、薬草も、丁寧にやらないと、質が落ちる。山の獲物と同じだ。丁寧にやれば、ちゃんと結果が出る」


 ルナが棚の整理をしていた。

 ベルトが、ルナの方を見た。


「あなたが、薬草を担当しているのか?」

「そう」

「山の薬草を、採取するのか?」

「する」

「どの辺で採っている?」


 ルナが、いくつかの場所を説明した。

 ベルトが静かに聞いていた。

 話が終わると、ベルトが言った。


「その場所は、知っている。でも、もう一カ所、知らないかもしれない場所がある」

「どこ?」

「北の沢の上の方。日当たりが少ないから、夏でも冷たい。冷たい場所にしか育たない薬草がある」


 ルナが少しだけ、目を動かした。


「見たことがない場所」

「知っているなら、一度連れて行く」

「行く」


 ルナが即答した。


 エリナはその会話を聞いていた。

 ルナが即答した。

 ルナが即答することは、珍しかった。

 マリオが後でエリナに言った。


「ベルトさんと、ルナ、合いそうだな」

「そうですね」

「あの二人、似ているところがある」

「どういうところが?」

「言葉が少ない。でも、大事なことしか言わない。それと、現場を知っている。机の上じゃなくて、実際に見てきた人間だ」

「それが、合う理由ですね」

「そう思う」


 ベルトに、冬の間の作業場の手伝いについて話した。


「冬になると、猟の仕事が少なくなる。その間、作業場を手伝ってもらえないかと思っています」

「何をするんだ」

「石鹸の製造の補助と、薬草の仕分けです。細かい作業が多い」

「手先は器用だ。でも、やったことがない仕事だ」

「最初は、ルナに教えてもらいながらでいいです。ゆっくり覚えてもらえれば」

「ゆっくりでいいのか?」

「急がなくていいです。でも、一緒にやっていけるかどうかを、お互いに確認したい。まず一ヶ月、試してみませんか?」

「一ヶ月、試す。それで、合えば続ける。合わなければ、やめる」

「それでいいです」

「正直でいい」

「ベルトさんも、正直だと思います」

「そういうもんだ。嘘をついても、山では意味がない。山は正直だから、こちらも正直でないといけない」


 翌日から、ベルトが作業場に来た。

 最初の日は、ルナに作業場の説明を受けた。

 ルナが、いつもより少し多く話した。

 ベルトは、黙って聞いた。

 時々、短い質問をした。


「これは、どのくらいの温度で作るのか」

「この薬草は、乾燥させるのに何日かかるのか」

「この石鹸は、何に使うものか」


 ルナが答えた。


 二人の会話は、短かった。

 でも、中身があった。

 エリナはその様子を、少し離れた場所から見ていた。

 ルナが、ベルトに説明している。

 以前、シェナが最初に来た時の様子を思い出した。

 ルナは、自分が知っていることを、知りたい人には惜しみなく話す。

 それが、ルナという人間だった。

 三日目の夕方、ベルトが帰り際に言った。


「一つ、聞いていいか?」

「どうぞ」

「この仕事は、なぜやっているんだ?」

「どういう意味ですか?」

「石鹸を作って、薬草薬を作って、それを各地に届ける。それが、なぜ必要なのか」


 エリナは少しだけ考えた。


「魔法が届かない場所があるから、です。怪我をした時、病気になった時、魔法師がいれば助けてもらえる。でも、魔法師がいない場所では、助けてもらえない。そういう場所に、別の方法を届けたい」

「別の方法」

「石鹸で手を洗えば、病気が減る。傷に消毒液を使えば、膿まない。薬草薬で、咳が和らぐ。魔法でなくても、できることがある。それを、届けたい」


 ベルトが少しだけ黙った。


「山でも、同じことがある」

「どういう意味ですか?」

「山で怪我をした時、医者がいない。魔法師もいない。だから、自分で対処する。傷の手当ての仕方を、山に入る前に覚えておく。それが、山の仕事をする人間の常識だ」

「そうなんですね」

「でも、知らない人間は多い。だから、怪我が膿んで、大事になることがある。俺は、何人かそういう人間を見てきた」

「石鹸と消毒液が、そういう場所にも届くといい」

「そのために、この仕事をしているのか」

「それが、理由の一つです」


 ベルトが少しだけ頷いた。


「わかった、続ける」


 一週間が経った。

 ベルトは、毎日来た。

 遅れたことは、一度もなかった。

 作業は、最初は遅かった。でも、三日目から少しずつ速くなった。

 ルナが言っていた。


「手先が器用。植物の扱いも、丁寧」

「合いそうですか?」

「合う。山を知っている人間は、植物を大事にする。植物を大事にする人間は、薬草の仕事が合う」

「ベルトさんが続けてくれると、助かります」

「続けると思う。あの人は、やると決めたら、やる人間だ。見ていてわかった」

「どうしてわかりましたか?」

「作業の途中に、手を抜かない。誰も見ていなくても、手を抜かない人間は、続ける人間だ」


 マリオに報告した。


「ベルトさん、うまくやっているみたいだな」

「そうです。ルナが合う、と言っていました」

「ルナがそう言うなら、間違いない。ルナの目は、正確だから」

「マリオが連れてきてくれたから、この出会いがありました」

「俺は、市場で顔を作っておいただけだよ。迂回路の時に、ベルトさんを知っていたのも、偶然だ」

「偶然から、必要な出会いが生まれた」

「そういうことが、よくある。美味しかったから来た、みたいな話だよ。最初は小さいことだけど、続けていると、大事なことに繋がる」

「マリオが、また大事なことを言いましたね」

「たまに言う。たまにだから、重いんだろ」


 フィオナに、ベルトのことを話した。


「新しい人が入ったの?」

「一ヶ月、試している段階です」

「どんな人?」

「言葉が少ない。でも、大事なことしか言わない。手先が器用で、山を知っている」

「ルナと相性が良さそうだ」

「そうなっています」

「そういう出会いは、大事にした方がいい。商会が大きくなっていく時に、新しい人間が入ってくる。その人間がどういう人かで、これからが変わる」

「ベルトさんは、正直な人だと思っています」

「正直な人間を選べるのは、あなたが正直だからだと思う。正直な人間は、正直なところに集まる」

「それは、フィオナも同じですね」

「どういう意味?」

「フィオナが、ルシェムに来たのも、同じことかもしれない」


 フィオナが少しだけ止まった。


「そうかもしれない。あなたが正直だから、来た。それが理由の一つかもしれない」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。


 レインへ


 新しい仲間が増えました。ベルトという人です。以前、流通が止まった時に迂回路を手伝ってくれた猟師の方です。

 言葉が少ない。でも、大事なことしか言わない。ルナと相性が良いです。

『山は正直だから、こちらも正直でないといけない』と言っていました。その言葉が、今日一番大事な言葉でした。

 フィオナが言いました。正直な人間は、正直なところに集まる、と。

 そうだとしたら、ルシェムは、正直な場所になってきているのかもしれません。

 秋が深まっています。冬が、近づいています。


                                     ――エリナ――


 書いて、封をした。

 「正直な場所になってきているのかもしれません」という一行を、書いてから少しだけ見た。

 最初に豆のペーストを作った時から、ずっと正直にやってきた。

 それが、正直な人間を集めてきた。

 そういうことかもしれない。

 ランプを吹き消した。


 秋の夜が、窓の外にあった。

 新しい人間が、作業場に来ている。

 少しずつ、ここが大きくなっている。

 でも、大事なことは変わっていない。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、ベルトが一週間続けた。

 山は正直だから、こちらも正直でないといけない。

 その言葉が、今夜も頭に残っていた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

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