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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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84/120

84話 秋になって、思うこと

 九月になった。

 秋が来た。

 朝の空気が、夏とははっきり違う冷たさを持ち始めた。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。

 今日の空気は、秋だ。

 そういう朝が続いた。

 去年の秋と、今年の秋は、同じ秋だった。

 でも、違う秋だった。

 去年の秋には、フィオナの家がなかった。

 今年は、長屋から歩いて五分の場所に、フィオナの家がある。

 その違いが、今年の秋を、去年より少し違うものにしていた。

 

 九月になってから、エリナは少し振り返ることが増えた。

 作業の合間に、ふと考えることがあった。

 二年前の秋と、去年の秋と、今年の秋。

 それぞれが、どれだけ違うか。


 二年前の秋は、謁見の準備をしていた。残り三ヶ月、という緊張があった。

 去年の秋は、倉庫が動き始めた。フィオナが二週間来た。ダリウスが来た。

 今年の秋は、魔法省の文書が届いた。フィオナが家を持った。三つが揃った。


 積み上がっていた。

 目に見えない部分を含めて、確実に積み上がっていた。

 ある朝、マリオが事務室に来た。


「なあ、エリナ」

「何?」

「最近、よく考えてる顔をしているな」

「そうですか?」

「うん。何を考えているんだ」

「振り返っていました」

「何を?」

「二年前から、今までのことを。気づいたら、いろんなことが積み上がっていた」

「そうだな。俺も、たまに思う。最初に豆のペーストを食べた日から、こんなになるとは思っていなかった、と」

「あの日が、始まりでしたね」

「そうだよ。美味しかったから来た。それが、全部の始まりだ」

「一番正直な始まりだ、とダリウスが言っていました」

「ダリウスも、そういうことを言うんだな。なんか、いい人になってきたな、あの人も」

「いい人になってきた、というより、もともとそういう人だったのかもしれません。ただ、動ける場所がなかった」

「そうか。場所があれば動ける人間がいる、ということだな」

「そうだと思います」

「ルシェムも、そういう場所かもしれないな。ここに来たから、動けるようになった人間が、何人かいる」


 その日の午後、フィオナが長屋に来た。


「一つ、報告がある」

「どうぞ」

「ダリウスから連絡が来た。先週の宮廷の動きについて」

「どんな動きですか?」

「魔法省の文書が出たことで、新たな規制案を検討していた人間が、動きを止めた。ダリウスの見立てでは、今すぐ新しい動きが出ることはないだろう、とのことだ」

「当面は、静かになる、ということですか?」

「そう。でも、永続的ではない。また動く可能性はある。ダリウスは、引き続き見ていると言っていた」

「ダリウスが、定期的に情報を届けてくれるようになったんですね」

「そう。一緒に動く、という形が、少しずつ具体的になってきている」

「フィオナが、橋渡しをしてくれているから」

「私は、ただ連絡を取っているだけだ。あなたが提案した言葉が、ダリウスを動かした」

「言葉は、届いた人間が形にする。フィオナとダリウスが形にしてくれた」


 ゴードンが、その週に今年の中間集計を出した。

 机の上に、一枚の紙が置かれた。


「今年の上半期と、下半期の見通しです」


 エリナが受け取って、読んだ。

 

 供給量。去年の同時期比、一・四倍。


 取引のある町の数。五から七に増えた。倉庫を経由する流通が、全体の六割を占めるようになった。

 学院への供給。前期が終了。後期の準備が進んでいる。

 新しい薬草の供給。三ヶ月で、二十七件の使用事例。副作用の報告なし。


「数字が、積み上がっていますね」

「積み上がっています。でも、一点だけ気になることがあります」

「何ですか?」

「倉庫の稼働が増えるにつれて、ルシェムの作業場の負荷が上がっています。製造量が増えているので、人手が足りなくなる可能性があります」

「人手が足りなくなる」

「今は、マリオさんとルナさんと、エリナさんが中心になって製造をしています。でも、来年度の学院の後期供給が始まれば、今の体制では難しくなるかもしれません」

「新しい人を、考える必要があります」

「そうだと思います。誰に声をかけるかを、マリオさんと相談してみてはどうでしょう」

「そうします」


 マリオに相談した。


「人手が必要になるかもしれません。誰か、一緒に働いてくれそうな人を、市場の繋がりで知っていますか?」

「そうだな……一人、思い当たる人間がいる」

「誰ですか?」

「ベルトだ」

「迂回路を手伝ってくれた猟師の?」

「そうだ。あの人、冬になると仕事が少なくなる。冬の間、作業場を手伝ってもらえないか聞いてみる」

「ベルトさんが、作業場の仕事をできますか?」

「やってみないとわからないけど、あの人は手先が器用だ。それと、山の薬草を知っている。ルナと話が合うかもしれない」

「ルナに確認してみます」


 ルナに話した。


「ベルトさんという人を知っていますか?」

「知っている。迂回路で会った人」

「冬の間、作業場を手伝ってもらうことを考えています。どう思いますか?」

「一緒に働けるかどうかは、会ってみないとわからない」

「そうですね」

「でも、山の薬草を知っている人は、少ない。ベルトは、山をよく知っている。薬草の話ができるかもしれない」

「マリオに、声をかけてもらいます」

「会ってみてから、決める。急がなくていい」

「急がなくていい、ですね」

「そう。人を選ぶことは、慎重にした方がいい。植物と同じだ。合う場所と合わない場所がある」


 九月の半ば、レインから手紙が来た。


 エリナへ


 魔法省の文書の写しが届いた。師匠が受け取った。師匠は「ようやく揃った」と言った。

 学院での後期の準備を始めている。前期の成果をまとめた報告書を、今月中に魔法師団長に提出する。前期で感染率がさらに下がったデータが出ている。

 一つだけ、個人的なことを書く。

 秋になった。図書室が、また少し変わった。光の入り方が、夏とは違う。

 エリナから届いたメモを、図書室で読んだ。霜の石畳を歩きながら、思い出す、と言ったが、秋の図書室でも読んだ。

 待つことと、続けることは、似ているかもしれない。

 手紙を読みながら、そうだと思った。今も、続けている。

 冬が来たら、また行く。


                                     ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、「今も、続けている」という一行を少しだけ見た。

 手紙を届けること。受け取ること。続けること。

 それが、今という時間の形だった。


 レインへ


 文書の写しが届いたこと、よかったです。師匠が「ようやく揃った」と言ってくれたことを、受け取りました。

 秋の図書室で、メモを読んでくれた。それを届けてくれてありがとうございます。届けたかったものが、あなたの場所に届いていることが、嬉しいです。

 こちらも、秋になりました。朝の空気が変わった。去年の秋と同じ空気だけど、今年は去年より少し違う秋です。

 マリオが言っていました。ここに来たから動けるようになった人間が、何人かいる、と。その言葉が、今日一番大事な言葉だった気がしています。

 冬を楽しみにしています。


                                    ――エリナ――


 夕方、フィオナが自分の庭から薬草を少し摘んで、長屋に持ってきた。


「ルナが選んでくれた薬草、使ってみた」

「どうでしたか?」

「よく眠れた。久しぶりに、考えすぎずに眠れた」

「ルナが選んでくれた薬草が、ちゃんと効いたんですね」

「そう。ルナは、私のことをよく見ていてくれた。だから、合うものを選んでくれた」

「ルナに伝えます」

「伝えてほしい。それと、庭の薬草が育っていることが、毎日の小さな楽しみになっている」

「どういう意味ですか?」

「王都から戻った時、まず庭を見る。どのくらい育ったか、葉の色はどうか。それを確認してから、家に入る。それが、帰ってきた、という感覚を作っている気がする」

「植物が、帰ってきた証拠になっているんですね」

「そうかもしれない。ルナが植えてくれたものが、そういう役割を果たしている」


 ルナに、フィオナの話を伝えた。


「薬草が効いたそうです。よく眠れたと言っていました」

「そう」

「庭の薬草が、毎日の楽しみになっているとも言っていました。帰ってきた証拠になっている、と」

「植物は、正直だから」

「正直?」

「嘘をつかない。育っていれば、ちゃんと世話をされていた証拠だ。枯れていれば、されていなかった証拠だ。植物は、事実を見せる」

「フィオナの庭の薬草は、育っていた」

「そう。だから帰ってきた証拠になる。ちゃんとここにあった、という証拠」


 その夜、エリナは机に向かった。

 長いメモを書いた。

 誰かに届けるためではなく、自分のために。


 今年の秋に、思うこと。

 魔法省の文書が届いた。三つが揃った。

 ダリウスが一緒に動いてくれるようになった。

 フィオナの庭に薬草が育っている。

 マリオが、ここに来たから動けるようになった人間がいる、と言った。

 レインが、今も続けている、と書いてくれた。

 ルナが、植物は事実を見せる、と言った。

 全部が、積み上がってきたことの、今の姿だと思う。

 始まりは、豆のペーストだった。

 それが、ここまで来た。

 気づいたら、こうなっていた。

 でも、気づかないうちに積み上がってきたものが、今日の形を作っている。

 それが、続けることの意味だと思う。


 書いて、引き出しに入れた。

 いつか、レインに見せるかもしれない。

 ランプを吹き消した。


 秋の夜が、窓の外にあった。

 去年の秋と同じ夜だった。

 でも、少し違う夜だった。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、秋の中で、積み上がってきたものを感じた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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