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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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79話 レインが来た夏と、届けたいメモ

 六月の末に、レインが来た。

 今回も、馬で来た。

 昼過ぎに、長屋の前に着いた。

 エリナが待っていた。

 レインが馬から降りた。

 春に来た時と同じ顔だったが、夏の光の中で見ると、少し違って見えた。


「来た」

「来てくれた」


 いつもと同じやり取りだった。

 でも、今回は少し間があった後、レインが言った。


「夏のルシェムだ」

「そうです」

「春より、明るいな」

「日が長いから、夕方まで外で作業できます」

「そうか」


 レインが少し周囲を見た。


「花が、少なくなった」

「春の花は、もう終わりました。夏の花が、代わりに出ています」

「季節ごとに、違うルシェムがある」

「来るたびに、見てくれていますね」

「来るたびに、違うから」


 まず、宿の手配を確認した。

 マリオが手配してくれていた。


「いつもありがとうございます」


 エリナがマリオに言った。


「俺の仕事だから。でも、一つだけ聞いていいか?」

「何ですか?」


「フィオナさんの家に、部屋があるよな。レインが泊まれるんじゃないか?」

「それは、フィオナに聞かないといけません」

「そうだな。じゃあ、宿は取ったままにしておく。フィオナさんが許可してくれたら、そっちに移ってもいい」


 フィオナは今日、王都にいた。

 来週、ルシェムに戻る予定だと連絡が来ていた。


「フィオナが来たら、確認します」

「わかった」


 今日は、衛生教育の件の確認が一つあった。

 学院の前期が終わって、夏の間の供給調整について、ゴードンとレインが話した。

 一時間ほどで終わった。


「問題ありません」

「こちらも問題ない」

「では、今日の仕事の話は終わりですね」

「そうだな」

「他に、何かありますか?」

「ある。フィオナの家を見たい」

「フィオナは今日、王都にいます」

「家を見たい、という話だ。フィオナがいなくても」

「庭に、ルナが薬草を植えてくれています。それを見てほしいと、手紙に書きました」

「覚えている」


 フィオナの家に、レインとエリナで行った。

 ゴードンは事務室に残った。

 マリオは市場の方に行った。

 二人で、フィオナの家の前に立った。


「小さいな」

「一人で暮らすには、十分だそうです」

「庭がある」

「ルナが選んで植えた薬草が、育っています」


 庭に入った。

 薬草が、緑色だった。

 初夏の日差しを受けて、葉が濃くなっていた。


「これが、ルナが選んだものか」

「フィオナが疲れた時のため、考えすぎて眠れない時のため、と選んでくれました」

「ルナは、フィオナのことをよく見ていたんだな」

「そうです。見ていたから、何が必要かがわかったと言っていました」


 レインが一種類を手に取って、匂いを嗅いだ。


「学院でも見たことがある種類がある。でも、育て方が違うかもしれない」

「ルナに確認しますか?」

「後で聞く。ルナが選んだものだから、ルナが一番よく知っている」


 庭に少し立っていた。

 夏の午後の光が、薬草の葉に当たっていた。


「植物は、帰ってくる人を待っている、とルナが言っていました」

「そうか」

「フィオナが帰ってくるのを、待っているということです」

「ルナらしい言い方だ」

「そうですね。ルナの言葉は、短いけど、正確です」

「お前の言い方に、似ているな」

「そうですか?」

「そうだ。二人とも、言葉が少ないが、正確だ」

「それは、褒めていますか?」

「褒めている」


 フィオナの庭から、少しだけ遠くに、ルシェムの町が見えた。

 屋根が見えた。市場の端が見えた。長屋の位置もわかった。


「ここから、町が見えますね」

「そうだな、少し高い場所にある」

「フィオナが選んだのは、この景色も理由だったかもしれません」

「景色が見えると、帰ってきた、という感覚がわかりやすい」

「そうですね。学院から、どんな景色が見えますか」

「図書室の窓からは、中庭が見える。中庭の向こうに、塀がある。塀の向こうは、王都の屋根が見える」

「それが、あなたの帰ってくる場所の景色ですか?」

「そうかもしれない。毎日見ている景色が、そこに帰ってきた証拠になる」


 フィオナの家から出て、ルシェムを少し歩いた。

 特に目的はなかった。

 ただ、一緒に歩いた。


「市場に行きますか?」

「行こう」


 市場に行った。

 マルタが見つけて声をかけてきた。


「また来たね、レインさん」

「また来た」

「春にも来て、今回は夏か。ルシェムが好きなんだね」

「好きだ」

「どこが好きだい?」


 レインが少し考えた。


「毎回、違うから好きだ。来るたびに、違うものが見える」

「それは、また来たくなるな。また来てくれよ。秋も冬も、また違うから」

「来る」

「約束だよ」


 市場を歩きながら、エリナが言った。


「マルタさんに約束しましたね」

「してしまった」

「してしまった、というのは?」

「意図していなかった。でも、口から出た」

「口から出た言葉が、本当のことだと思います」

「そうかもしれない」

「また来ますよね」

「来る。それは確かだ」

「私も知っています。でも、マルタさんに言ってくれたのが、嬉しかった」

「なぜ?」

「マルタさんは、ルシェムの最初から見ている人だから。その人に、また来ると言ってくれた。それは、ルシェムに来ると言ってくれたことと、同じことだと思う」


 レインが少しだけ、エリナを見た。


「そういう意味になるのか?」

「なると思います」

「ならば、言ってよかった」


 夕方、長屋に戻ってから、エリナは一つのことを思い出した。

 荷物の中に、メモが入っていた。

 春に書いたメモだ。


 待つことと、続けることは、似ているかもしれない。


 レインに見せようと思っていたメモだった。

 今日が、その日かもしれない。


「一つ、見せたいものがある」

「何だ?」


 荷物から、折りたたんだメモを取り出した。

 渡した。

 レインが開いて、読んだ。


 待つことと、続けることは、似ているかもしれない。


 レインが少しだけ、メモを見た。


「これを、俺に見せたかったのか?」

「はい。学院に行った時に書いたメモです。ルナの言葉から来た気づきです」

「どういう流れで気づいたか、話してくれるか?」

「ルナが言いました。植物は、帰ってくる人を待っている、と。その言葉から、待つことと続けることは似ている、と思いました」

「なぜ似ているのか?」

「待つことは、次に来る人のために、ここにあり続けること。続けることも、次の時間のために、やり続けること。どちらも、何かが来るために、ここにある、ということだから」

「なるほど。それを、俺に届けたかった理由は?」


 エリナは少しだけ考えた。


「あなたに知っていてほしかったから」

「それが理由か?」

「それだけのことです。でも、それが一番正直な理由です」


 レインがメモを返そうとした。


「持っていてください」

「いいのか?」

「はい。前に、お母さんの言葉のメモも渡しました。今回は、ルナの言葉から来た言葉です」

「学院に持ち帰る」

「持っていってください。図書室で読んでもいい」

「図書室で読む。霜の石畳を歩く時に、思い出すかもしれない」

「そうなれば、嬉しいです」


 夕食は、マリオとルナとゴードンと一緒に食べた。

 セレーナも来た。

 いつもの顔触れに、レインが加わった。

 食事の途中で、ルナがレインに言った。


「庭の薬草を見た?」

「見た。一種類、学院でも使っているものがあった」

「どれ?」

「これだ」


 レインが種類を説明した。


「そう」


 ルナが頷いた。


「学院ではどういう使い方をしている?」

「解熱のために、主に使っている」

「うちでは、疲れに使っている。同じ植物でも、使い方が違う」

「学院での使い方を、教えてほしい」

「教える。でも、フィオナの庭のものは、フィオナの疲れのためにある。そっちを優先する」

「もちろんだ」

「学院の話は、別に採取して使う。来月、サンプルを送る」

「ありがとう」

「どういたしまして。植物は、ちゃんと使われると、また育つ」


 食事が終わって、マリオがレインに言った。


「また来てくれるよな」

「来る。マルタさんにも約束した」

「マルタさんに約束したのか。それは、絶対に来ないといけないな。マルタさんとの約束は、破れない」

「なぜだ?」

「マルタさんが、覚えているから。次に会った時に、必ず聞いてくるから」

「そうか」


 レインが少しだけ笑った。


「では、必ず来る」

「それが正しい答えだ」


 翌日の朝、レインが帰った。

 見送りに、マリオとルナが来た。


「マルタさんとの約束、覚えておいてくださいよ」

「覚えている」

「秋か、冬か、また来てください」

「来る」


 ルナが静かに言った。


「薬草のサンプル、来月送る」

「待っている」

「庭の薬草は、ちゃんと育てる。フィオナが帰ってくる時のために」

「頼んだ」


 レインが馬に乗った。

 エリナが馬の横まで来た。


「来てくれてありがとうございました。夏のルシェムを、見てもらえてよかったです」

「見た。また違うルシェムだった」

「秋になったら、また違います」

「秋に来られるかはわからない。でも、冬には来る」

「冬の約束がありますね」

「そうだ。来年の冬も、霜の石畳を見る」

「待っています」


 少しだけ間があった。


「一つだけ……」

「何ですか?」

「メモを持ってきた」


 レインが外套の内ポケットを示した。


「図書室で読む」

「読んでください」

「読む。図書室で読んで、霜の石畳を歩く時に思い出す」

「それが嬉しいと言いましたね」

「言った。嬉しいことを、覚えているか?」

「覚えています」

「俺も、覚えている」


 馬が動き出した。

 レインが少しだけ手を上げた。

 前を向いて、進んでいった。

 見えなくなった。

 マリオが言った。


「また来てくれるな」

「来ます。冬に」

「冬か。長いな、冬まで」

「手紙があります」

「そうだな。手紙があれば、遠くても繋がっている」

「そうです」

「それが、お前とレインのやり方だな」

「そうかもしれません」


 その夜、エリナは机に向かった。

 レインへの手紙を書いた。


 レインへ


 今日、帰りました。

 メモを持っていってくれた。図書室で読んでくれると聞いて、嬉しかった。

 夏のルシェムを見てもらえた。フィオナの庭も、マルタさんとの約束も。全部、ここでしか起きなかったことだと思います。

 待つことと、続けることは、似ているかもしれない、と書きました。

 手紙を書くことも、そうかもしれない。届くのを待ちながら、書き続ける。その両方が、一つのことになっている。

 冬を、楽しみにしています。それまで、手紙を書き続けます。


                                      ――エリナ――


 書いて、封をした。

 ランプを吹き消した。


 夏の夜が、窓の外にあった。

 今夜は、虫の声がよく聞こえた。

 レインが帰った夜の、ルシェムの夏だった。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、メモを渡せた。

 届いた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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