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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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78/120

78話 フィオナの引越しと、夏が来る前に

 五月になった。

 ルシェムに、初夏の気配が来ていた。

 朝の空気が、春より少し濃くなった。

 日差しが、少し強くなった。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けて今日の空気を確認した。

 今日は、昨日より少し暑い。

 でも、悪くない暑さだった。


 五月の第二週に、フィオナが戻ってきた。

 今回は、荷物が多かった。

 馬車で来た。荷台に、箱がいくつか積んであった。


「引越しですね」

「引越し」フィオナが馬車から降りた。


「大した荷物ではないけど、生活に必要なものを持ってきた」

「マリオが手伝います」

「頼む」


 マリオが荷台から箱を降ろし始めた。


「どんなものが入っているんですか? フィオナさん」

「本と、衣類と、仕事の書類と、あと少しの食器」

「本が多そうだな」


 マリオが箱の重さを感じながら言った。


「重い箱が本。気をつけて」

「わかった」

 

 新しい家は、長屋から歩いて五分の場所にあった。

 石造りの小さな家だった。

 一部屋と台所と、小さな庭があった。

 庭には、雑草が少し生えていたが、手入れをすれば良くなりそうだった。

 エリナが家の中を見た。


「思っていたより、広いですね」

「一人には十分。でも、誰かが来た時にも、狭くない」

「誰かが来ることを、想定しているんですか?」

「当然、あなたが来る。マリオが来る。ルナが来る。そういう場所にしたい」

「フィオナの場所が、また起きる場所になるんですね」

「そうなるといい」


 荷物を全部運び込んで、整理した。

 全員で、本棚を組み立てた。

 マリオが一番力を使った。


「重いな、この本棚」

「王都で買ってきたものだから」

「丈夫そうだ。長く使えるな」

「長く使うつもりで買ってきた」

「長く使うつもりで、ということは、ここに長くいるつもり?」

「そう」

「いいね。それが一番いい」


 ルナが、庭を見ていた。


「雑草がある」

「そうね。手入れをしようと思っている」

「薬草を植えてもいい場所がある」

「薬草を?」

「庭があると、採れる場所が増える。フィオナが使えるものを、植えるといい」

「私が使える薬草とは」

「フィオナは、疲れる時がある。それに効く薬草を植えるといい」

「私が疲れるのを、知っていたんですか?」

「来るたびに、顔を見ていたから。どういう時に疲れるかが、少しわかった」

「ルナは、よく見ている」

「見ているのが好きだから」

「何を植えてくれるの?」

「来週、持ってくる。今は、何が合うかを考える」


 荷物の整理が終わった頃、セレーナが料理を持ってきた。


「引越し祝いに」


 セレーナが言った。


「ありがとうございます。セレーナさんに持ってきてもらえるとは思っていなかった」

「引越しの日には、ご飯が必要でしょう? 自分で自分で作る余裕がないから」

「確かに。全然余裕がなかった」

「いつでも、長屋に食べに来ていいからね」

「お邪魔しますね」

「邪魔じゃないから、そういう言葉はいらない。来たい時に来なさい」


 夕方、全員が新しい家に集まって、食事をした。

 セレーナが持ってきた料理を、みんなで食べた。

 フィオナの新しい家で、初めての食事だった。


「この家が、フィオナの場所になった」


 マリオが言った。


「そう」

「感慨深い?」

「少しある。でも、不思議と、それほどでもない」

「なぜですか」

「長い間、少しずつここに近づいてきたから。一気に決まったわけではない。だから、ここが自分の場所になることが、自然な続きに感じる」

「気づいたらそうなっていた、ということですね」


 エリナが言った。


「そうかもしれない。あなたのお母さんの言葉が、また当てはまった」


 食事が終わって、みんなが帰った後、フィオナとエリナが二人で話した。

 新しい家の台所で、薬草茶を飲んだ。


「一つ、聞いていい?」

「どうぞ」

「ベルナの父親に、この話を伝えた」

「どう言いましたか?」

「ルシェムに拠点を作る、と言った。王都にも行くが、ルシェムにも場所を作ると」

「お父様は、何と言いましたか?」

「少し黙ってから、『そうか』と言った。前に、ベルナには戻らないかもしれないと言った時と、同じ返事だった」

「同じ返事だけど、意味は違いますか?」

「違うと思う。前の『そうか』は、驚きが入っていた。今回の『そうか』は、受け入れていた、という感じがした」

「慣れてきたのかもしれませんね」

「そうかもしれない。それとも、私が変わったから、父も変わったのかもしれない」

「両方かもしれません」

「両方かもしれない」


 五月の後半になった。

 フィオナの庭に、ルナが薬草を植えた。

 エリナもその作業を手伝った。

 ルナが、丁寧に土を掘って、薬草を植えた。


「これは何ですか」


 エリナが一種類を指差した。


「疲れを取る薬草。フィオナが疲れた時に使える」

「これは?」

「眠りを助けるやつ。王都で考えすぎて眠れない時がある、とフィオナが言っていたから」

「フィオナがそう言っていたんですか?」

「言っていた。だから、これを植えた」

「フィオナのことをよく考えて、選んでくれたんですね」

「見ていたから、わかった。見ていると、何が必要かがわかる」

「ルナは、みんなのことを見ているんですね」

「見ている。それが私の仕事だと思っている」

「仕事、というのは大げさかもしれない」

「大げさじゃない。薬草を見るのも、人を見るのも、同じことだ。変化に気づくために、見る」


 フィオナが薬草を見に来た。


「これが、ルナが選んでくれた薬草か」

「そうです」

「それぞれ、何のためのものか、教えてくれる?」


 フィオナがルナに聞いた。


「これが疲れ。これが眠り。これが頭が重い時」


 ルナが一つずつ指差した。


「これは、王都で考えすぎた時に効く」

「王都で考えすぎた時に、ということは、私のことをちゃんと考えて選んでくれたんだ」

「見ていたから、わかった」

「ありがとう、ルナ」

「どういたしまして。大事にしてくれれば、長く使える」

「大事にする。庭があると、帰ってきた時に植物を見るのが楽しみになる」

「そうなる。植物は、帰ってくる人を待っている」

「植物が待っている」


 フィオナが少し目を細めた。


「それは、いい言葉だ」


 六月になった。

 夏が来た。

 去年と同じように、朝の空気が濃くなった。日差しが強くなった。

 エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。


 夏だ。


 でも、去年とは少し違う夏だった。

 去年の夏は、フィオナの家がなかった。

 今年は、長屋から歩いて五分の場所に、フィオナの家がある。

 フィオナは今、王都にいる。

 でも、帰ってくる場所がここにある。

 それが、去年の夏との違いだった。

 レインから手紙が来た。


 エリナへ


 フィオナの引越しの話、聞いた。フィオナから連絡が来た。

 ルシェムに拠点ができた、ということだ。

 一つ、聞いていいか。

 ルシェムに、拠点を作る人が増えていく。それは、どういうことだと思っているか。

 俺は、少し考えた。

 たぶん、ルシェムという場所が、それだけの何かを持っている、ということだと思う。場所が持っている何かは、言葉にしにくい。でも、そこにいると、戻りたいと思う。

 それが、場所の力だと思う。

 夏に、行く。


                                    ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、「場所の力」という言葉を少しだけ見た。

 場所が持っている何か。

 そこにいると、戻りたいと思う。

 それを、場所の力と呼ぶのか。


 レインへ


『場所の力』という言葉を受け取りました。

 ルシェムが、そういう場所になっていることを、私は少し驚いています。最初は、没落してたどり着いた場所でした。でも、気づいたら、人が戻りたいと思う場所になっていた。

 それは、私一人では作れなかったと思っています。マリオがいた。ルナがいた。ゴードンさんがいた。グレンさんがいた。ハンスさんがいた。

 みんなが、ここをそういう場所にしてくれたと思っています。

 夏に来てください。フィオナの庭に、薬草が育っています。ルナが選んで植えた薬草です。見てほしいと思っています。

 待っています。


                                     ――エリナ――


 書いて、封をした。


 「待っています」という言葉が、また少し重かった。

 でも、今夜はその重さが好きだった。

 それだけのものが、積み上がってきたということだから。

 その夜、エリナは短いメモを書いた。


 フィオナの家に、薬草が育っている。

 ルナが選んで植えた。

 植物は、帰ってくる人を待っている。

 ルシェムも、帰ってくる人を待っている。

 待つことと、続けることは、似ているかもしれない。


 書いて、引き出しに入れた。

 次にレインが来た時に、見せるかもしれない。

 ランプを吹き消した。


 夏の夜が、窓の外にあった。

 去年より、少し違う夏の夜だった。

 長屋から五分の場所に、フィオナの家がある。

 その庭に、薬草が育っている。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、夏が来た。

 去年より、横にいる人が増えた夏だった。

 それが今夜、一番大事なことだった。

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