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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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76話 また春が来た

 三月になった。

 ルシェムに、春が来た。

 去年の春と同じように、朝の空気が柔らかくなった。市場に花が並び始めた。ルナが採取してくる薬草が、冬のものから春のものに変わり始めた。

 エリナは毎朝、台所の窓を開けて、今日の空気を確認した。


 今日も、春の空気だ。


 それが、嬉しかった。

 去年の春にも、窓を開けることが楽しみになった、という変化があった。

 今年は、その楽しみが当たり前になっていた。

 当たり前になったことが、続いている証拠だと思った。

 三月の最初の週に、レインから手紙が届いた。


 エリナへ


「春のルシェムを見てほしい」という言葉を受け取った。

 来月、行く。衛生教育の前期が終わる時期で、少し時間が取れる。

 春のルシェムを、見たい。

 それと、一つ確認がある。師匠も一緒に行っていいか。師匠が「現場を見たい」と言っている。新しい薬草の件で、ルナ殿と直接話したいとのことだ。


                                     ――レイン――


 エリナはすぐに返事を書いた。


 レインへ


 来月、来てください。師匠も、ぜひ一緒に来てください。

 ルナに伝えます。師匠と直接話す機会ができることを、ルナも喜ぶと思います。

 春のルシェムを、見てください。去年の春とは、少し違うルシェムかもしれません。


                                      ――エリナ――


 ルナに伝えた。


「師匠がルナと話したいと言っています。来月、一緒に来ます」

「そう」


 ルナが棚を見ながら言った。


「新しい薬草のこと?」

「そうだと思います」

「準備する」

「何を準備しますか?」

「今までの記録を、全部まとめる。どのくらいの量を誰に使ったか、どういう効果があったか、副作用はなかったか。全部、まとめておく」

「それは、ゴードンさんに手伝ってもらいますか?」

「頼む。それと、師匠に見てもらいたい薬草が、もう一種類ある」

「新しいものですか?」

「先月、採取できた。まだ安全かどうか、確認できていない。師匠に見てもらいたい」

「それも、伝えておきます」


 マリオに伝えた。


「レインが来るのか」

「師匠と一緒に」

「また師匠も。今度は、春のルシェムだな」

「そうです」

「冬と春では、だいぶ違うだろうな。どっちが好きだと思う、師匠は」

「わかりません。でも、どちらも見てもらえるのは良いことだと思います」

「そうだな。で、レインは?」

「レインも、来ます」

「そうじゃなくて、レインは春のルシェムをどう思うと思う」

「それは、来てみないとわかりません」

「お前、そういう答えをするな。でも、まあ、来てから聞けばいい」


 フィオナへの手紙も書いた。


 フィオナへ


 来月、レインと師匠がルシェムに来ます。春のルシェムを見てもらいます。

 フィオナも、春に来ると言っていましたね。時期が重なるかもしれません。

 もし重なったら、どうしますか。


                                    ――エリナ――


 フィオナからの返事が三日後に来た。


 エリナへ


 時期が重なったら、面白いかもしれない。

 レインと師匠と私が同時にルシェムにいる、というのは、なかなかない機会だ。

 私は、四月の初めに行く予定だ。レインたちはいつ頃来る?


                                   ――フィオナ――


 レインに確認した。


 レインへ


  一つ確認があります。フィオナが四月の初めにルシェムに来る予定です。時期が重なりますか。

 もし重なるなら、それはそれで面白いかもしれません。


                                   ――エリナ――


 レインからの返事が来た。


 エリナへ


 四月の第二週に行く予定だった。フィオナと少し重なるかもしれない。

 重なってもいいと思う。フィオナとは、王都で何度か会っているが、ルシェムで会うのは違うかもしれない。

 どうするかは、お前が決めていい。


                                     ――レイン――


 エリナは少し考えた。


 フィオナとレインが、ルシェムで重なる。

 フィオナは、レインのことをよく知っている。レインも、フィオナのことを知っている。

 でも、ルシェムで会うのは、初めてだ。

 それが、どういう場になるかは、わからない。

 でも、試してみてもいいかもしれない。


 フィオナへ


 レインが四月の第二週に来ます。少し重なる可能性があります。

 もし重なったら、そのままにしておきましょうか。


                                      ――エリナ――


『フィオナより:そうしましょう。面白い。』


 四月になった。

 春が本格的になった。

 市場に、花と野菜が並んだ。

 ルシェムの空が、冬より明るく見えた。

 エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。

 春だ。

 その実感が、去年より少し自然だった。

 四月の初め、フィオナが来た。


「春のルシェムだ」


 フィオナが馬から降りて、周囲を見た。


「去年の春は来なかったから、初めての春だ」

「どうですか」

「明るい。冬とは全然違う」

「そうですね」

「花が出ている」


 フィオナが市場の方向を見た。


「あそこに、花が見える」

「マルタさんの店の近くで、花を売り始めた人がいます」

「誰が始めたの?」

「わかりません。気づいたら、売っていた」

「そういうものが自然に出てくるのが、ルシェムらしい」


 フィオナが来て三日後、レインと師匠が来た。

 四人が、ルシェムに揃った。


 エリナ、フィオナ、レイン、師匠。


 長屋の前で、四人が顔を合わせた。

 師匠がフィオナを見た。


「フィオナ・クロスベル殿か」

「そうです。師匠のことは、レインから聞いています」

「俺も、フィオナ殿のことは聞いている。王都で情報を集めていた、と」

「集めていました」

「今は、ここに来ている」

「たまに来ます。ルシェムが、帰ってくる場所に近づいているので」

「近づいている、というのが、正直でいい。なっている、ではなく、近づいている」

「まだ、完全ではないので」

「正直だ」


 師匠が頷いた。


 その日の夕食は、六人で食べた。


 セレーナ、マリオ、ルナ、フィオナ、レイン、師匠。


 エリナを入れると、七人だった。

 テーブルが、賑やかだった。

 これだけの人数で食べるのは、初めてだった。

 師匠がルナの隣に座った。


「薬草の話を、食事の後にしたい」

「わかりました」

「見てほしいものがある、と聞いた」

「あります。まだ安全かどうか確認できていないものが、一種類」

「見せてほしい」

「食事の後で」


 マリオがレインに、今日の市場の話をした。


「春になって、市場が変わりましたよ。花が出てきて、野菜の種類も増えて」

「そうか。冬とは、違うな」

「前回来た時は冬だったから、全然違う。こういうルシェムもあるんだって、見てほしかった」

「見ている」


 レインが窓の外を見た。


「明るい」

「春だから」

「冬の霜の石畳とは、全然違う」

「どっちが好きですか」

「どちらも好きだ。でも、違う理由で好きだ」

「どういう違いですか?」

「冬の石畳は、静かだから好きだ。春のルシェムは、明るいから好きだ。どちらも、ここにしかないものだ」

「ここにしかない、というのが大事ですね」


 エリナが言った。


「そうだ」


 レインが少しだけ、エリナを見た。


 食事が終わった後、師匠とルナが作業場に行った。

 残った五人が、台所で話した。


「師匠と、うまく話せると思えるか?」


 マリオがエリナに言った。


「ルナは、知らないことを知りたいと言える人だから。師匠も、そういう人だから、大丈夫だと思います」

「二人とも、少ない言葉で話す人だな。少ない言葉同士が話すと、どうなる?」

「静かだけど、中身がある会話になると思います」


 フィオナが言った。


「フィオナは、王都でのことを、今も続けていますか?」


 レインが聞いた。


「続けています。でも、前より少ない。ルシェムにいる時間を増やしているから」

「ルシェムにいる時間が増えることで、王都での仕事に影響はありますか?」

「ある。でも、今は、それでいいと思っています。ルシェムにいる時間が、私自身を整える時間になっているから」

「整える、というのは?」

「頭の中を、一回空にする時間。王都では、常に何かを考えている。ここでは、考えることを少し止められる。それが、整えることだと思っています」


 一時間ほどして、師匠とルナが戻ってきた。

 二人とも、少し違う顔をしていた。


「どうでしたか」


 エリナが聞いた。


「良かった」


 師匠が短く言った。


「どういう意味の良かったですか?」

「ルナ殿は、よく見ている。俺が知らないことを、知っていた。学院には、机の上の知識はある。でも、ルナ殿の知識は、現場から来ている。その二つが合わさると、強くなる」

「新しい薬草の件は?」

「確認する価値がある。来月、学院に持ち帰って、確認を始める」


 ルナが静かに言った。


「師匠は、知らないことを認める人だった」

「そうですか」


 エリナが言った。


「それが、いい人の条件。前に言ったことがある」

「フィオナに言っていましたね」

「師匠にも当てはまった」


 翌日、全員で市場を歩いた。


 師匠、レイン、フィオナ、エリナ、マリオ。


 マルタが声をかけてきた。


「また大勢で来たね、誰が誰だい?」


「学院の師匠のヴォルフ先生と、レインと、フィオナと」


 エリナが紹介した。


「みんな、エリナちゃんの関係者かい」

「そうです」

「エリナちゃん、いい人に囲まれているね。最初に来た時は、一人だったのに」

「一人でしたね」

「今は、こんなに大勢で市場を歩いている。それが、いいことだよ」


 師匠がマルタを見た。


「エリナ殿が最初に来た時のことを、知っているのか?」

「知ってるよ。最初に豆のペーストを持ってきた時から、知っている」

「豆のペーストが、最初だったのか?」

「そうだよ。あれが美味しくてね。それからずっと、エリナちゃんの商品を売っている」

「美味しかったから。それが、始まりだったか」

「そうです」


 エリナが言った。


「正直な始まりだ」


 師匠が言った。


「美味しかったから、という理由が正直だ。だから、続いた」


 師匠とレインが帰ったのは、三日後だった。

 フィオナはもう少しいると言った。

 見送りに、全員が出た。

 師匠がエリナに言った。


「また来る」

「お待ちしています」

「ルナ殿にも、また会いに来る。話が終わっていない」

「ルナも、待っています」


 レインがエリナを見た。


「春のルシェムを、見た」

「どうでしたか?」

「明るかった。冬のルシェムも好きだったが、春のルシェムも好きだ」

「また来てください」

「来る。次は、夏かもしれない」

「夏も、待っています」


 師匠とレインが帰った後、フィオナがエリナの隣に立った。


「どうでしたか?」


 フィオナが言った。


「何が?」

「全員が揃った三日間」

「面白かったです。予定していなかったことが、起きた気がします」

「例えば?」

「師匠とルナが話した。レインとマリオが市場の話をした。師匠がマルタさんと話した。それぞれが、それぞれの場所で、違う話をしていた。全部が、ここでしか起きなかったことだと思います」

「ルシェムで起きたから、ルシェムの話になった」

「そうです」

「ここが、起きる場所になっている。それが、帰ってくる場所だと思う」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。


 レインへ


 帰り道は、どうでしたか。春のルシェムを見てくれて、ありがとうございました。師匠もルナと話せて、良かったです。

 フィオナが言いました。「ここが起きる場所になっている。それが帰ってくる場所だ」と。

 春のルシェムで、いろんなことが起きました。それが、ここでしか起きなかったことだと思っています。

 夏に来てください。夏のルシェムも、違う景色があります。

 待っています。


                                     ――エリナ――


 書いて、封をした。


 『待っています』という言葉が、今夜はいつもより少し重かった気がした。

 単なる定型ではなく、本当に待っているという気持ちが、その言葉に入っていた。

 ランプを吹き消した。


 春の夜が、窓の外にあった。

 去年の春とは、少し違う春だった。

 知っている人が増えた春だった。

 起きることが増えた春だった。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、春のルシェムで、いろんなことが起きた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

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