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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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75/120

75話 春になる前の、静かな時間

 一月が終わって、二月になった。

 ルシェムの冬は、まだ続いていた。

 でも、日が少しずつ長くなってきた。

 夕方、作業場の前に立つと、去年の今頃より、少しだけ長く外が明るかった。

 エリナは、その変化に気づいていた。

 以前は、日照時間の変化は仕事の段取りに影響する情報だった。

 今は、春が近づいていると感じる理由として受け取っていた。

 二月になってから、ルシェムは少し静かだった。

 年明けの賑やかさが落ち着いて、春が来る前の、少し落ち着いた時間だった。


 フィオナが来た。

 一月の終わりに来て、二月の半ばまでいる予定だと言っていた。


「来てくれましたね」


 エリナが長屋の前で迎えた。


「来た」


 フィオナが馬から降りた。


「今年最初のルシェム」

「新年おめでとうございます」

「おめでとう。それと、九歳のお誕生日おめでとう」

「少し遅いですが」

「知っていたけど、直接言いたかった。手紙ではなく。だから、来た」


 今回のフィオナは、前回より落ち着いていた。

 前回の十二月は、疲れが溜まっていた。今回は、少し回復していた。

 でも、来た理由は疲れではなかった。

 

「今回は、何が理由ですか?」

「行きたかったから」

「それだけですか?」

「それだけ。理由が、それだけになった」

「以前は、違いましたか?」

「以前は、仕事の理由も必要だった。でも、今は行きたいから行く、でいい。それが、変わったことかもしれない」


 フィオナが来てから三日目、二人で台所で話した。

 ルナが作ってくれた薬草茶を飲みながら。


「王都の話を、少ししてもいい?」

「どうぞ」

「ダリウスのこと」

「何かありましたか?」

「年明けから、ダリウスが少し目立つようになってきた。クロヴェル家として、いくつかの場で発言するようになった。父親の時とは、内容が違う」

「どう違いますか?」

「父親は、魔法省の影響力を拡大する方向で発言していた。ダリウスは、魔法省と他の省庁のバランスを取ることを話している。前の方針とは、明らかに違う」

「家の中での反発は?」

「ある。でも、父親が退いたことで、ダリウスに反発できる立場の人間が減っている。だから、少し動きやすくなっている」

「ダリウスは、今どういう状態だと思いますか?」

「複雑なまま、動いている。以前と同じだ。でも、動く方向が、少しずつ変わってきている」

「信頼できると思いますか?」

「信頼する理由が、増えてきた。まだ、完全ではない。でも、増えている」


 五日目、フィオナとマリオが市場に行った。

 戻ってきた二人が、何か話していた。


「何の話をしていたんですか」

「マリオが、今年の市場の変化を教えてくれた」

「変化?」

 

「石鹸を扱う店が、一軒増えた」


 マリオが言った。


「マルタさんの店だけじゃなくて、別の店も置くようになった」

「知りませんでした」

「先週から、らしい。俺も最近気づいた。需要が増えたから、扱う店が増えたんだと思う」


「それは……」


 エリナが少しだけ止まった。


「大事なことですね」

「大事か?」

「一軒だけでなく、複数の店で扱われるようになった。それは、特定の店に依存しなくなった、ということです。商品が、市場の中に定着してきた」

「なるほど。俺には、そういう見方ができなかった」

「マリオが気づいて教えてくれたから、私が考えられました」

「お互い様だな」


 七日目の夜、フィオナとエリナが事務室で話した。


「一つ、聞いていい?」

「どうぞ」

「レインと、今どういう状態?」

「どういう、とは?」

「手紙を書き続けている。来年の冬も学院に行く約束をした。お互いに好きだと言えた。その先は?」


 エリナは少し考えた。


「その先を、考えていないわけではありません。でも、今は、続けることが大事だと思っています」

「続けること」

「手紙を書くこと。会うこと。話すこと。それを続けることが、今の形だと思っています」

「そのうち、形が変わることを考えている?」

「考えています。でも、今すぐそうしなければならない理由はない。今の形で、続けることが今は大事だと思っています」

「それは、逃げていることではなく?」

「逃げていないと思っています。急ぐことが正しいとは思わない。ルナが言っていました。急がないから確かめられる、と。人のことも、同じかもしれない」

「ルナは薬草の話をしていたんだけどね」

「でも、同じだと思います」

「そうかもしれない。あなたが急がないと決めているなら、それが正しいと思う」

「急がないけど、止まってもいない。手紙を書き続けている。会い続けている。それが、今の形の続け方だと思っています」


 八日目、フィオナがルナと一緒に倉庫に行った。

 ゴードンも一緒だった。

 帰ってきたフィオナが言った。


「倉庫、見てきた」

「どうでしたか?」

「思っていたより、機能していた。ゴードンさんが、細かく管理していた。各棚に何が入っているか、いつ入れたか、全部記録されていた」

「ゴードンさんの仕事です」

「でも、設計はルナさんがしたんでしょう? どこに何を置くかを、においで決めた、と聞いた」

「そうです」

「においで倉庫を設計する人は、初めて見た」

「ルナは、現場で見ないとわからないと言っていました」

「それが正しかった、とわかる倉庫だった。机の上だけで設計したら、あうならなかったと思う」


 十日目の朝、フィオナが丘に行った。

 エリナに「一緒に行くか」と聞いた。

 二人で行った。

 丘の上から、冬のルシェムが見えた。

 前回フィオナが来た秋の時と、景色が少し違った。


「秋と冬では、違いますね」

「そうね。秋は、色があった。今は、少し薄い」

「でも、煙突の煙は増えた気がします」

「確かに。どこの家でも、煙が上がっている。冬だから、みんな火を焚いている」

「人がいる場所には、火がある。元旦に来た時も、そう思いました」

「詩的ね。また詩的な言い方をする」

「そうですか?」

「以前はしなかった。それが、変わったこと」


 丘から帰る途中、フィオナが言った。


「一つだけ言いたいことがある」

「何ですか?」

「来るたびに、ルシェムが、帰ってきた、という感覚に近づいている」

「前回も、そう言っていましたね」

「今回は、もう少し近づいた気がする。丘から見ていて、わかった」

「どうしてわかりましたか?」

「知っている場所が、見えたから。長屋の位置。作業場の位置。市場の屋根。全部、知っている場所だ。知っている場所が見える景色は、帰ってきた景色に近い」

「そうですね。私も、最初は知らない場所だったのが、全部知っている場所になった」

「それが、帰ってくる場所になることだ」


 帰り道、二人は少し黙って歩いた。

 不快ではなかった。

 冬の道を、二人で歩いた。

 足元の土が、少し固かった。

 エリナは、その感触を確かめながら歩いた。

 以前は、道の感触など気にしなかった。

 でも今は、感じる。


「フィオナ」

「何?」

「来てくれるたびに、私も何かが変わる気がします」

「どういう意味?」

「あなたが来て、一緒に話して、一緒に見る。そうすると、自分が見ていなかったものが見えることがある」

「例えば?」

「今日の丘も、一人では気づかなかったことがあったと思います。知っている場所が見えるから帰ってきた景色に近い、というのは、フィオナが言ったから気づいた」

「私も、あなたと話すから気づくことがある。一人では見えないものが、二人でいると見える」

「それが、続けることの意味の一つかもしれません」

「そうかもしれない」

 

 フィオナが帰る前日の夜、全員で夕食を食べた。

 いつもの顔触れに、フィオナが加わった。

 テーブルが、少し賑やかだった。

 食事の後、マリオが言った。


「フィオナさん、今回は何日いたんだっけ」

「十三日」

「長かったな」

「でも、短かった。不思議なことに、長くいると時間が早く感じる」

「知っている場所にいると、そうなる」


 ルナが言った。


「ルナが言うと、なぜかそれが正しい気がする」

「正しいかどうかわからないけど、そう思う」

「それが、正直さよ。わからないと言える人の言葉は、わかると言う人の言葉より信頼できる」


 翌朝、フィオナが帰った。

 見送りに全員が出た。


「また来ます、春になったら」

「待っています」

「春のルシェムを、また見たい」

「春は、花が出ます。市場が変わります」

「それを見に来る。来るたびに、違う季節のルシェムが見える。それが、来る理由の一つになっている」

「全部の季節を、見てくれましたね」

「秋、冬、冬、と来た。春が来たら、また違うルシェムが見える。そのうち、全部の季節のルシェムを知ることになる」

「全部の季節を知れば、ここが帰ってくる場所になっているかもしれません」

「なっているといい」


 馬が動き出した。

 フィオナが手を振った。

 全員が手を振り返した。

 見えなくなった。

 マリオが言った。


「また来てくれるな」

「来ます。春に」

「春か、じゃあ、また準備しておく」

「よろしくお願いします」

「俺の仕事だから」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。


 レインへ


 フィオナが十三日いて、今日帰りました。

 丘に一緒に行きました。フィオナが言いました。「知っている場所が見える景色は、帰ってきた景色に近い」と。

 一人では見えなかったことが、二人でいると見える。それが、続けることの意味の一つかもしれない、と思いました。

 春になったら、レインも来ますか。ルシェムの春を、見てほしいと思っています。

 まだ冬ですが、春を楽しみにしています。


                                    ――エリナ――


 書いて、封をした。


 「春を楽しみにしています」という一行を、書いてから少しだけ見た。

 以前は、春は石鹸の製造に適した季節、という情報だった。

 今は、楽しみにしている季節だ。

 ランプを吹き消した。


 二月の夜が、窓の外にあった。

 冷たかったが、少し春の予感があった。

 気のせいかもしれない。

 でも、感じた。


 エリナ・アッシュフォード、九歳。


 今日、フィオナを見送った。

 春を楽しみにしている。

 それが今夜、一番確かなことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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