74話 新しい年と、九歳になる前に
年が明けた。
ルシェムの元旦は、静かだった。
市場が休んだ。道を歩く人が少なかった。
エリナは朝、台所の窓を開けて空気を確認した。
冷たかった。
でも、新しい年の空気は、昨日と同じ空気だった。
当たり前のことだったが、少し嬉しかった。
空気が変わらなくても、年は変わる。
でも、続いている。
元旦の朝、全員で朝食を食べた。
セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、エリナ。
セレーナが、新年の料理を作ってくれた。
ルシェムでは、年明けに豆を食べる習慣があった。
豆のスープだった。
「また豆のスープですね」
「始まりには、豆のスープがいい」
「始まりと終わりは、同じものがいいとお母さんが言っていましたね」
「そうよ」
「では、今年の始まりも豆のスープで」
「来年の始まりも、豆のスープにする」
「来年も」
マリオが言った。
「じゃあ、それが習慣になるな」
「そうかもしれないわね。気づいたら習慣になっていた、という形で」
エリナは、その言葉を少しだけ受け取った。
気づいたら習慣になっていた。
それは、今年覚えた言葉の変形だった。
元旦の午後、エリナは一人で丘に行った。
ルシェムの外れの丘だ。
フィオナが来た時に、一緒に行ったことがあった。
今日は、一人で行きたかった。
合理的な理由はなかった。
でも、行きたかった。
丘の上から、ルシェムの町が見えた。
元旦のルシェムは、いつもより静かに見えた。
市場が休んでいるからだろう。
でも、煙突から煙が上がっていた。
どの家でも、誰かが火を焚いていた。
それが、温かかった。
人がいる場所には、火がある。
そういう当たり前のことが、今日はよく見えた。
エリナはしばらく、丘の上に立っていた。
風が少しあった。
冷たかったが、気持ち良かった。
こういう時間が、一年前にはなかった。
仕事と関係ない場所に、ただ来る、という時間が。
丘から帰ると、マリオが長屋の前にいた。
「どこに行っていたんだ?」
「丘です」
「元旦に丘に行くのか」
「行きたかったから」
「そうか。お前も、そういうことをするようになったな」
「そういうこと、とは?」
「合理的じゃない理由で動くこと。行きたいから行く、見たいから見る。そういうこと」
「そうかもしれません。以前は、理由がないと動けなかった」
「今は?」
「今は、行きたいという気持ちが、理由になる」
「それが、変わったことの一つだな。俺には、最初からそういうことができたけど、お前には難しかったから」
「マリオは、感覚で動く人だから」
「そうだよ。感覚で動いていたら、いつの間にかお前の隣にいた」
「豆のペーストを食べに来たのが、始まりでしたね」
「美味しかったから来た。それが全部の始まりだ」
元旦の夜、レインから手紙が届いた。
年末に出したものへの返事だった。
エリナへ
今年最後の手紙を受け取った。
『言えなかった言葉が言えるようになった』という言葉を、何度か読んだ。
俺も、同じことを今年感じた。『お前のことが大事だ』は、以前は言えなかった。言葉にならなかった。でも、今年は言えた。
言葉にできるようになった理由を考えた。たぶん、練習したからだ。手紙で、何度も書いた。何度も書いているうちに、言葉になった。
『続けることが繋がることかもしれない』という言葉は、言葉についても同じだと思う。続けて書いていたから、言葉が出てきた。
新年になった。
今年も、手紙を書く。今年の冬に、また来てほしい。その前に、ルシェムにも行く。
来年も、よろしく。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、『言葉について続けることが、言葉を出す』という部分を少しだけ見た。
手紙を書き続けたから、言えるようになった。
書くことが、練習だった。
それを、レインも気づいていた。
レインへ
新年の手紙を受け取りました。
『続けて書いていたから、言葉が出てきた』という言葉が、正確だと思います。私も、同じことを感じています。
手紙を書くことが、感覚を言葉にする練習だった。マリオが以前そう言っていました。今日、改めてそれが正しかったと思いました。
新年のルシェムは、静かです。元旦に丘に行きました。合理的な理由はありませんでした。でも、行きたかったから行きました。そういうことができるようになったことを、届けたかった。
今年も、手紙を書きます。来てくれることを、楽しみにしています。
――エリナ――
フィオナからも、新年の手紙が届いた。
エリナへ
新年おめでとう。
王都の年明けを少し書く。宮廷では、新年の挨拶が続く。みんなが礼儀正しく、でも何かを計算しながら挨 拶している。疲れる。
来月、ルシェムに行く。春まで待てなかった。
理由は、単純だ。ルシェムに行きたいから。それだけだ。
――フィオナ――
エリナは少しだけ笑った。
フィオナも、行きたいから行く、という理由で動くようになっていた。
フィオナへ
新年おめでとうございます。
来月来てくれること、嬉しいです。待っています。
今日、元旦に丘に行きました。合理的な理由はありませんでした。でも、行きたかったから行きました。
フィオナが「行きたいから行く」という理由で来てくれることと、同じ種類のことだと思います。
マリオに伝えます。部屋を準備するように。
――エリナ――
一月が進んだ。
ある日、マリオが事務室に来た。
「なあ、エリナ」
「何?」
「もうすぐ誕生日だろ」
「そうですね」
「今年は、何歳になる?」
「九歳です」
「九歳か」
マリオが少し考えた。
「お前が七歳の時にここに来たから、もう二年以上いるんだな」
「そうです」
「二年以上、一緒にいたんだな」
マリオが少し感慨深そうな顔をした。
「最初に豆のペーストを食べた時、こんなに長く一緒にいることになるとは思っていなかった」
「私も、思っていなかった」
「今は、どう思う?」
「長く一緒にいて、よかったと思っています」
「そうか、俺もよかったと思う」
「マリオが最初に来てくれなかったら、違う形になっていたかもしれません」
「そうかな?」
「そうです。マリオが豆のペーストを食べに来て、石鹸を手伝ってくれた。それが、全部の始まりだった」
「美味しかったから来ただけなんだけどな。でも、それが全部の始まりだったなら、美味しいものを作ったお前が始めたんだよ」
誕生日の一週間前に、レインから手紙が届いた。
エリナへ
今月、誕生日だな。
去年の誕生日に、「今日は何日か」と手紙に書いた。今年は、知っているから聞かない。
九歳になる。
一つだけ言う。去年の八歳は、多くのことが変わった一年だったと思う。九歳も、そうなればいい。でも、九歳は、変わることより続けることの一年になるのかもしれない、とも思っている。
何が正確かはわからない。でも、どちらでも、一緒に手紙を書いている。
誕生日、おめでとう。少し早いが。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、『一緒に手紙を書いている』という一行を少しだけ見た。
変わろうと続けようと、一緒に手紙を書いている。
その言葉が、少し嬉しかった。
誕生日の朝が来た。
九歳になった。
今年も、特別なことは何もなかった。
朝に目が覚めて、顔を洗って、台所に行くと、蜂蜜のパンが置いてあった。
去年と同じだった。
「去年と同じです」
「同じの方がいいでしょう」
「去年、同じにしてくれるとは言っていなかったのに」
「また言わなかった。でも、また同じにした」
「それが、習慣になりましたね」
「そうね」
セレーナが穏やかに言った。
「気づいたら習慣になっていた」
マリオが来て、「おめでとう、九歳になったな」と言った。
「去年と同じことを言いましたね」
「毎年同じことを言う。来年も言う」
「来年も言ってください」
「約束する」
ルナが、去年と同じように、猫を一匹エリナの膝に乗せた。
「また猫ですか」
「誕生日だから。去年もそうした」
「それも、習慣になりましたね」
「なった。来年もそうする」
ゴードンが、帳簿の端に「祝 九歳」と書いた。
「去年も同じことをしてくれましたね」
「去年もしました。来年もします」
誕生日の夜、エリナはレインへの返事を書いた。
レインへ
誕生日の言葉を、ありがとうございました。少し早かったですが、ちゃんと届いていました。
九歳になりました。
『変わることより、続けることの一年になるのかもしれない』という言葉を受け取りました。
そうかもしれない、と思います。でも、続けることが、変わることかもしれない、とも思います。どちらが先かではなく、両方が同時に起きているのかもしれない。
今日、気づいたことがあります。去年の誕生日と、今年の誕生日で、同じことが起きました。蜂蜜のパン、猫、帳簿の端の文字、マリオの「おめでとう」。全部、去年と同じでした。
去年と同じことが、今年も起きた。それが、続くということだと思いました。
「一緒に手紙を書いている」という言葉を受け取りました。来年の誕生日も、手紙を書き続けていると思います。そうなれば、嬉しいです。
九歳になりました。今年も、よろしくお願いします。
――エリナ――
書いて、封をした。
引き出しを開けた。
今年届いた手紙が、すでにいくつか入っていた。
去年より早いペースで増えている。
引き出しを閉めた。
ランプを吹き消した。
九歳の最初の夜が、窓の外にあった。
冬の夜だった。
でも、去年の誕生日の夜と同じ夜だった。
同じだが、違う。
違うが、続いている。
エリナ・アッシュフォード、今日から九歳。
今日、九歳になった。
去年と同じことが、また起きた。
それが今夜、一番大事なことだった。
読んでいただきありがとうございます。
評価や感想を貰えると執筆のモチベーションがアップするので
どんどん評価や感想をください!
ブクマもお願いします!
お待ちしております(*^-^*)




