73話 年の瀬と、振り返ること
十二月の終わりになった。
年の瀬が来ていた。
ルシェムでは、年末に向けて市場が少し賑やかになった。保存食を買い込む人、来年の準備をする人、家族に会いに遠くから帰ってくる人。
エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。
冷たかった。
でも、もう冷たいことに慣れていた。
冬の空気が、当たり前になっていた。
年末の一週間、エリナはゴードンと一緒に、今年一年の記録を整理した。
商会の帳簿。各町への供給量。倉庫の稼働状況。学院への供給開始。新しい薬草の供給状況。
全部を一冊にまとめた。
「今年は、動きが多かった」
ゴードンが帳簿を見ながら言った。
「そうですね」
「昨年と比べると、供給量が約二倍になっています」
「倉庫が動き始めたから、ですね」
「それだけでなく、各町の需要が増えています。石鹸の使い方が広まったことで、追加で注文してくれる人が増えた」
「子どもが親に教えた、という話がありましたね」
「そういう流れが、数字に出ている。教えてもらった人が、また買いに来る。その繰り返しが、数字を増やしている」
「ゴードンさんは、数字の中に、そういうものが見えますか?」
「見えます。数字は、事実だけでなく、その背後にある動きも見せてくれます。読み方を知っていれば」
一年の帳簿を見ながら、エリナは今年一年を少し振り返った。
年明けに、残り三ヶ月だと思っていた。
最終報告の準備をしていた。
品質基準を作った。フィオナが王都で動いた。レインが学院で動いた。ダリウスが一票を入れた。
謁見があった。届いた。
その後、商会の代表が正式に自分の名前になった。倉庫を使えるようになった。学院の衛生教育が始まった。新しい薬草の供給が始まった。マグダが子どもたちに教える活動を始めた。ジルカのところで漁師の傷が膿まなくなった。
レインが何度もルシェムに来た。フィオナが何度もルシェムに来た。
学院に行って、霜の石畳の音を聞いた。
それが、今年だった。
「ゴードンさん」
「はい」
「一年間、ありがとうございました」
「こちらこそ、今年もよくやれたと思います」
「ゴードンさんが数字を積み上げてくれたから、動けました」
「エリナさんが方向を決めてくれたから、積み上げる数字がありました。どちらも必要でした」
「そうですね」
「来年は、どんな年になりそうですか?」
「予測はできません。でも、続けることが大事だとわかっています」
「続けること」
「今年気づいたことです。続けることが、繋がることかもしれない」
「それは、今年一番大事な気づきかもしれませんね」
年末に、マリオが事務室に来た。
「なあ、エリナ」
「何?」
「一年を振り返って、どうだったと思う?」
「良かったと思います」
「良かった、か。俺は、すごかったと思う」
「すごかった?」
「いや、一年前にはわからなかったことがたくさんあった。謁見があって、倉庫ができて、学院に石鹸が届いて、お前が学院に行って。一年前には、想像できなかったことが全部起きた」
「そうですね」
「お前は、一年前にこうなると思っていたか?」
「全部は思っていなかった。でも、動いていたらこうなった」
「動いていたら、こうなった、か。それが、お前のやり方だな」
「そうかもしれません」
「俺は、それに付き合ってきた。来年も付き合う」
「ありがとうございます」
「礼はいらないけど、言ってくれると嬉しい」
ルナに、一年の振り返りを聞いた。
「ルナにとって、今年はどんな年でしたか」
「忙しかった」
ルナが棚を見ながら言った。
「良い意味で?」
「良い意味で。やることがたくさんあった。それが良かった」
「一番大事だと思うことは何でしたか?」
ルナが少し考えた。
「新しい薬草。知らなかったものを、知れた」
「シェナと一緒に確認したやつですね」
「そう。急がなかったから、確かめられた。それが、今年一番大事なことだった」
「急がないことが、大事だと」
「そう。植物は、急いでいる人を待ってくれない。でも、ゆっくり見ている人には、いろんなことを教えてくれる」
「植物が、教えてくれる」
「そう。だから、私はゆっくり見る」
年末の最後の日、セレーナがいつもより手の込んだ夕食を作った。
全員で食べた。
セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、エリナ。
テーブルに、今年最後の夕食が並んだ。
「今年も、一年が終わります」
セレーナが言った。
「そうですね」
エリナが答えた。
「去年の今頃と、比べてどう?」
「去年の今頃、残り三ヶ月、と思っていた頃ですね」
「そうよ」
「今年は、残り三ヶ月という感覚がない。続いている、という感覚があります」
「続いている、というのが、良かったことよね」
セレーナが穏やかに言った。
「そう思います」
「来年も続く?」
「続きます。続けることが大事だとわかったから」
「それが、今年エリナが変わったことかしら」
「どういう意味ですか?」
「以前のエリナは、次の目標に向かっていた。でも、最近は、続けることそのものが大事だとわかっているように見える」
エリナは少しだけ、その言葉を考えた。
「そうかもしれません。次の目標もあります。でも、続けることの方が、大事だとわかってきた」
「それが、大人になることかもしれない」
マリオが言った。
「大人、ですか」
「ゴールを目指すのではなく、道を歩くこと自体が大事だとわかること。誰かに言われた言葉だけど」
「誰に言われたんですか?」
「父ちゃんに。昔、言われた。覚えていたから、使ってみた」
「ハンスさんが、そういうことを言うんですか?」
「たまに、いいことを言う」
「ルナが言っていましたね。たまにいいことを言う人の言葉は重い、と」
「俺のことを言っていた時の話か。父ちゃんもそうかもしれない」
食事が終わった後、エリナは一人で机に向かった。
今夜は、手紙ではなく、長いメモを書こうと思った。
一年間の振り返りを、自分のために書く。
『今年、起きたこと』
謁見があって、届いた。商会の代表が正式に自分の名前になった。倉庫が使えるようになった。学院の衛生 教育が始まった。新しい薬草の供給が始まった。マグダさんが子どもたちに教える活動を始めた。ジルカのところで漁師の傷が膿まなくなった。フィオナが何度もルシェムに来た。レインが何度も来た。学院に行って、霜の石畳の音を聞いた。来年の冬も行く約束をした。
『今年、気づいたこと』
続けることが、繋がることかもしれない。
目に見えない積み重ねが、力になる。
正直なやり方が、同じ方向に動く人を集める。
始まりの場所があると、遠くに行ける。
届けたいと思うことが、増えた。
『今年、変わったこと』
「悪くない」という言葉を使うようになった。感覚を言葉にするようになった。整理できないことを、整理しなくていいと思えるようになった。「よかった」と言えるようになった。
言えなかった言葉が、言えるようになった。
「あなたといる時間が、好きです」と言えた。
最後の一行を書いて、少しだけ見た。
今年、一番大きく変わったことかもしれない。
言えなかった言葉が、言えるようになった。
書いて、引き出しに入れた。
机の引き出しを開けた。
今年届いたレインからの手紙が、全部入っていた。
一枚ずつ、順番に見た。
最初の手紙は、消毒液の件だった。
次の手紙は、学院のデータの話だった。
その次は、「一年後の約束」が最初に出てきた手紙だった。
それから、重い時は重いと言っていいと書いた手紙。楽しみにしていると書いた手紙。覚えているという一枚の手紙。お前のことが大事だと書いた手紙。来年も来てほしいと書いた手紙。
全部、ある。
引き出しを閉めた。
今年、これだけの手紙をもらった。
来年も、届くだろう。
レインへの手紙を書いた。
レインへ
今年最後の手紙を書きます。
一年間、手紙を書いてくれてありがとうございました。全部、引き出しの中にあります。一枚も、捨てていません。
今年を振り返って、一番大事だと思ったことを届けます。
今年、言えなかった言葉が言えるようになりました。それが、今年一番変わったことだと思っています。
続けることが繋がることかもしれない、という言葉は、あなたと手紙を書き続けた一年だったから、気づけたと思っています。
来年も、手紙を書き続けます。来年の冬に、また行きます。霜の石畳の音を、また聞きます。
来年も、よろしくお願いします。
――エリナ――
フィオナへの手紙も書いた。
フィオナへ
今年最後の手紙を書きます。
今年一年、ありがとうございました。王都で動いてくれて、何度もルシェムに来てくれて、正直な言葉を届けてくれた。全部、大事でした。
今年、一番大事だと思ったことを一つ。続けることが、繋がることかもしれない。
フィオナが、来た、の中に帰ってきた、が少し混じってきたと言っていた。それが、続けたことで起きたことだと思います。
春に来てください。待っています。
――エリナ――
二通の封筒を並べた。
レインへ。フィオナへ。
来年も、この二人に手紙を書く。
それは、確かだ。
ランプを吹き消した。
年の瀬の夜が、窓の外にあった。
冷たくて、静かだった。
今年が、終わろうとしていた。
来年が、来ようとしていた。
どちらも、同じ夜の中にあった。
エリナ・アッシュフォード、八歳。
今年、言えなかった言葉が言えるようになった。
それが今夜、一番大事なことだった。
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