72話 フィオナの二週間
フィオナが来たのは、十二月の第二週だった。
今回は、馬車ではなく、馬で来た。
荷物は、前回より少なかった。
でも、顔が違った。
前回来た時は、疲れた顔をしていた。今回は、疲れているが、少し軽い顔をしていた。
「来ました」
「来てくれた」
「今回は、少し長くいる」
「知っています。準備しています」
「マリオが部屋を準備してくれたの?」
「してくれました。騒がしくしないようにすると言っていましたが、難しいとも言っていました」
フィオナが少し笑った。
「マリオらしい」
一日目は、フィオナが休んだ。
本当に休んだ。
午前中は部屋にいて、午後になってやっと出てきた。
台所で薬草茶を飲みながら、窓の外を見ていた。
エリナが作業から戻ると、フィオナはまだ同じ場所にいた。
「何時間、そこにいましたか?」
「わからない。数えていなかった」
「何か考えていましたか?」
「最初は、考えていた。でも、途中からは、ただ見ていた」
「何を?」
「ルシェムの外の景色を。木が揺れていた。鳥が来ていた。それだけ」
「それだけ、ですか」
「それだけ。久しぶりに、それだけでよかった時間だった」
二日目から、フィオナが少しずつ動き始めた。
市場に行った。マルタに会った。グレンにも会った。
戻ってきた時の顔が、また少し変わっていた。
「マルタさんが言っていた」
「何を?」
「『また来たね、今度は長いのかい』と」
「答えましたか?」
「長いかもしれないと言ったら、『それはいい、ゆっくりしていきな』と言われた。マルタさんは、いつも一言で大事なことを言う」
「そうですね」
「王都には、そういう人が少ない。みんな、言葉が多い。でも、大事なことが少ない。マルタさんは逆だ」
「言葉が少なくて、大事なことが多い」
「そう。グレンさんも同じだ。あの人、今日、二言しか言わなかった」
「何と言っていましたか?」
「『また来たか』と、『ゆっくりしていけ』」
「マルタさんと同じですね」
「そうね。ルシェムの人は、みんな同じことを言う。でも、それが全部本当のことだから、受け取れる」
三日目、フィオナとルナが一緒に薬草の棚を整理した。
フィオナが薬草の種類を聞いて、ルナが答えた。
エリナが作業場に来ると、二人が並んで棚の前にいた。
「珍しい組み合わせですね」
「ルナが教えてくれている」
「フィオナが聞いてくる。いい質問をする」
「いい質問ですか?」
「知らないことを、知りたい、という質問。知っているふりをして聞く質問ではない」
「王都では、知っているふりをすることが多い。知らないと言うと、弱く見られることがあるから。でも、ここではそういうことを考えなくていい」
「知らないと言えるのは、安心しているからですか?」
「そうだと思う。ルシェムでは、知らないと言っても、弱く見られない。だから、本当のことを聞ける」
四日目、フィオナが一人でルシェムの外れを歩いてきた。
丘の方向に行っていた。
「丘に行きましたか?」
「行ってみた。エリナが秋に行ったと、手紙に書いていたから」
「どうでしたか?」
「高かった。ルシェムの全体が見えた。小さい町だけど、全部が見えた」
「そうですね」
「あそこから見ると、どこに何があるかがわかる。長屋がここで、市場がここで、作業場がここで、とあなたが一年半以上いた場所が、全部見えた」
「どう感じましたか?」
「思っていたより、小さかった。でも、それが良かった。小さいから、全部が見える。全部が見えるから、繋がっているとわかる」
五日目から、フィオナが仕事の話を少しした。
王都の状況を、手紙ではなく口で話した。
「ダリウスが、年明けから、クロヴェル家の方針をもう少し具体的に動かそうとしている。
「具体的に、というのは」
「商人ギルドとの関係を、以前のような形ではなく、対等な関係に変えようとしている。それは、実際には難しいことだ。長年の関係があるから。でも、動こうとしている」
「ダリウスが、家の中でそれを進められているということは」
「父親が退いたことで、少し動きやすくなっている。でも、完全に自由ではない。まだ、家の中でダリウスに反発する人間がいる」
「難しい場所にいるんですね」
「そうよ。でも、動いている。それが大事だと思う」
「フィオナは、ダリウスのことを、今はどう見ていますか?」
フィオナが少し考えた。
「信頼している、とはまだ言えない。でも、信じる理由が増えてきた。信じる理由が増えることが、信頼に近づくことだと思っている」
七日目の夜、フィオナとエリナが台所で話した。
「一週間、いた」
「そうですね」
「もう一週間いる」
「いてください」
少しだけ間があった。
「一つ、聞いていい?」
「どうぞ」
「あなたは、これからどうするつもりですか?」
「これから、とは?」
「商会のことではなく、個人のことです」
「個人のこと」
エリナが繰り返した。
「レインのこと、ダリウスのこと、商会のこと、全部が動いている。その中で、あなた自身はどこに向かっていますか」
エリナは少しだけ考えた。
「今は、ここにいます」
「ルシェムに?」
「そうです。今は、ここにいることが大事だと思っています。帰ってくる場所として、ここを大切にしていたい」
「でも、ずっとここにいるわけではない」
「そうです。レインの学院にも行く。また行く。王都にも行く。いろんな場所に行くことがある。でも、帰ってくる場所がここだと知っているから、どこにでも行ける」
「それが、あなたのやり方なのね」
「そうかもしれません。決めて始めたわけではないけど、気づいたらそういう形になっていました」
「気づいたらそうなっていた、という言葉が、あなたにはよく似合う」
「お母さんの言葉です」
「知ってる。でも、あなたにも合っている」
十日目、フィオナとマリオが市場に行った。
エリナは作業場で仕事をしていた。
夕方に二人が帰ってきた。
マリオが少し楽しそうな顔をしていた。フィオナも、少し笑っていた。
「どうでしたか?」
「マリオが、市場の人たちを一人ずつ紹介してくれた。全員の名前と、どういう人かを説明してくれた」
「マリオは、市場の顔が広いから」
「全員が、マリオのことを知っていた。それが、大事なことだと思った」
「どういう意味ですか?」
「商会が動いているのは、数字だけじゃない。マリオが顔を作ってきたから、人が動く。その積み重ねが、数字になっている」
「そうですね」
「私は、王都で情報を集めてきた。でも、現場でこういうことをしている人がいる。それが、全体を支えている。今日、改めてそれがわかった」
マリオが少し照れた顔をした。
「フィオナさんに褒められると、照れるな」
「褒めているのではなく、事実を言っている」
「それが一番照れる」
十四日目の夜、フィオナが帰る前日だった。
全員で夕食を食べた。
セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、フィオナ、エリナ。
いつもと同じ顔触れだった。
でも、今日の食事は少し違う感じがした。
明日、フィオナが帰る。
それを全員が知っていた。
マリオが言った。
「また来るよな、フィオナさん」
「来る」
フィオナが即答した。
「いつ頃?」
「春になったら」
「春か。じゃあ、また準備する」
「マリオが準備してくれると、安心して来られる」
「それが俺の仕事だから」
ルナが静かに言った。
「フィオナが来た時と、帰る時で、顔が違う」
「どう違う?」
「来た時は、少し固かった。帰る前は、柔らかい」
「ルシェムのおかげかな」
「ルシェムと、ここにいる人たちのおかげだと思う」
「ありがとう、ルナ」
「どういたしまして」
食事の後、フィオナとエリナが台所に残った。
「二週間、いた」
「来てくれてありがとうございます」
「こちらこそ、来るたびに何かが変わる気がする」
「どんなことが変わりますか?」
「今回はここが帰ってくる場所に、少し近づいた気がする」
「前回は、来た、という感覚だったと言っていましたね」
「今回は、少し違った。来た、の中に、帰ってきた、が少し混じってきた」
「それは、嬉しいことです」
「私も、嬉しい。来るたびに、少しずつ増えていく。それが、続けることだと思う」
「続けることが、繋がることかもしれない、と最近思っています」
「その通りだと思う。あなたにしては、詩的な言い方だ」
「詩的ですか」
「詩的よ。それが、変わったことの一つかもしれない」
翌朝、フィオナが帰った。
見送りに、全員が出た。
馬に乗ったフィオナが、振り返った。
「また来ます。春に」
「待っています」
「来た時より、帰ってきた、の割合が増えているといい」
「増えていると思います」
「確かめに来る。それが次に来る理由」
馬が動き出した。
フィオナの姿が、街道に出て、小さくなっていった。
見えなくなった。
マリオが言った。
「また来てくれるな」
「来ます。春に」
「確かめに来ると言っていたな。何を確かめるんだ?」
「帰ってきた、という感覚が増えているかどうか、だそうです」
「なるほど。じゃあ、俺たちは、その感覚が増えるように、ちゃんとここにいればいいんだな」
「そうかもしれません」
「それは、難しくない。俺たちは、ここにいるから」
その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。
レインへ
フィオナが二週間いて、今日帰りました。
帰る前に言っていました。「来た、の中に、帰ってきた、が少し混じってきた」と。
続けることが繋がることかもしれない、と私が言ったら、「詩的だ」と言われました。あなたなら、詩的だと 思いますか。
冬が深まっています。学院の霜は、今ごろどうですか。
来年の冬を、楽しみにしています。その前に、たくさん手紙を書きます。
――エリナ――
書いて、封をした。
ランプを吹き消した。
エリナ・アッシュフォード、八歳。
今日、フィオナを見送った。
また来ると知っている別れは、寂しくない。
それが今夜、一番確かなことだった。
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