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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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70/120

70話 帰り道と、届けたいこと

 翌朝、六時に目が覚めた。

 昨日より、一時間遅かった。

 よく眠れた。

 窓の外を見ると、まだ薄暗かった。

 中庭が見えた。

 白かった。

 今日も霜が降りていた。

 昨日と同じ白さだったが、今日の自分は少し違う気がした。

 昨日、あの石畳の上を歩いた。

 音を聞いた。

 だから、今日は、見るだけで音が聞こえる気がした。

 朝食を食べて、荷物をまとめた。

 ゴードンが部屋に来て、出発の準備を確認した。


「馬車は、八時に来ます」

「わかりました」

「昨日の書類は、全部まとめました。問題ありません」

「ありがとうございます」

「お土産などは、何もないのですか?」

「お土産?」

「マリオさんやルナさんに、何か」


 エリナは少しだけ考えた。


「王都で、何か買いますか」

「帰り道に、少し寄れます。時間があれば」

「では、少しだけ寄りましょう。マリオには、何か食べ物を。ルナには、珍しい薬草を。母には、何か」

「セレーナさんには?」

「布か、糸を。縫製が好きだから、珍しい色の糸があればいい」

「王都なら、揃います」

「では、帰り道に」


 出発前に、レインに会った。

 学院の門の前で。


「帰るか」

「帰ります」

「ルシェムへ」

「ルシェムへ」

「来年の冬、来るか?」

「来ます。約束しました」

「覚えている。霜がまた降りる時に、来てほしい」

「来ます」


 少しだけ間があった。


「一つ、言っていいか?」

「どうぞ」

「来てくれてよかった。本当に」

「私も、来てよかった。霜の音を聞けた。図書室の光を見た。メモを渡せた。全部、手紙より良かった」

「手紙より良かった、か」

「でも、手紙があったから、来たいと思えました」

「そうだな」

「手紙と、直接会うことは、どちらも大事だと思います」

「同感だ」


 ゴードンが少し離れた場所で待っていた。

 エリナはレインを見た。


「また、手紙を書きます」

「俺も書く」

「届けたいことが、また増えました。ここで見たこと、聞いたこと、感じたことを、手紙に書きたいと思っています」

「書いてくれ。俺も、届けたいことがある」

「何を届けたいのですか?」

「お前が来た後の、図書室の感じを届けたい」

「私が来た後の?」

「今日の朝、図書室に行った。光の入り方は、いつもと同じだった。でも、お前が昨日見ていたことを思い出しながら見ていた。そうしたら、少し違って見えた」

「どう違いましたか?」

「いつもより、綺麗だった」


 馬車に乗った。

 レインが見送った。

 エリナが窓から手を振った。

 レインが少しだけ手を上げた。

 馬車が動き出した。

 学院の建物が、遠くなっていった。

 塀が見えた。

 木の枝が見えた。

 それから、見えなくなった。

 ゴードンが静かに言った。


「良い訪問でしたね」

「そうです」

「エリナさんの顔が、昨日より少し違います」

「また顔の話ですか」

「そうですね。でも、顔は正直だから」

「みんながそう言います」

「正しいから、みんな言うんだと思います」


 王都の中心部に少し寄った。

 市場があった。

 エリナとゴードンで、少しだけ歩いた。

 王都の市場は、ルシェムより大きかった。

 人も多かった。

 でも、エリナは市場を歩きながら、ルシェムの市場を少し思い出した。

 マルタの笑い声。グレンの腕。マリオが果物を試食している場面。

 

 王都の市場は大きくて、賑やかだった。

 でも、知っている顔がなかった。

 それが、少し違う感じだった。

 でも、悪くはなかった。

 知らない場所に来た、という実感が、今の自分には新鮮だった。

 マリオへの食べ物を選んだ。

 王都でしか売っていない、香辛料を使った干し肉を見つけた。


「マリオさんが好きそうですか?」

「好きだと思います。新しいものを食べるのが好きだから」

「では、これを」

「これにします」


 ルナへの薬草を探した。

 薬草を扱う店があった。

 棚に、いくつかの珍しい種類が並んでいた。

 エリナには、どれがルナにとって珍しいかがわからなかった。


「ルナさんが知っているかどうか、判断できませんね」ゴ

「そうです。でも、王都の薬草なら、ルシェムでは見ないかもしれない」

「三種類くらい、選んでみますか」

「そうします」


 珍しそうな、見たことのない葉を三種類買った。

 ルナが喜ぶかどうか、わからなかった。

 でも、見たことのないものを持っていけば、何かを感じてくれるかもしれない。

 セレーナへの糸は、すぐに見つかった。

 王都の糸は、色の種類が多かった。

 ルシェムでは見ない、深い緑色の糸があった。


「これにします」

「セレーナさんが喜ぶといいですね」

「好きな色かどうかはわかりません。でも、見たことのない色だと思います」

「見たことのないものを持ち帰る、というのがいいですね」

「そうかもしれません」


 王都を出て、街道を走り始めた。

 ゴードンが目を閉じた。

 眠っているのか、考えているのか、わからなかった。

 エリナは窓の外を見た。

 王都の城壁が、遠ざかっていった。

 以前、初めて王都に来た時、城壁が大きく見えた。

 一年後に謁見のために来た時、慣れていた。

 今日は、また少し違って見えた。


 城壁の中に、学院がある。

 学院の中に、図書室がある。

 図書室に、霜の後の石畳の光が入っている。

 レインが、今日もそこにいる。

 城壁が、そういう場所を囲んでいる。

 そう思うと、城壁が以前より身近に感じた。


 宿場町で一泊した。

 翌日、ルシェムへの道を走った。

 昼過ぎに、ルシェムが見えてきた。

 石造りの家並み。市場の屋根。長屋の位置。

 いつもの景色だった。

 でも、今日は、帰ってきた、という感覚が、いつもより強かった。

 マリオが走ってきた。


「帰ってきた!」

「帰りました」

「どうだった?」

「良かったです」

「霜は見られたか?」

「見られました。音がしました」

「音?」

「霜を踏む音です。朝だけの音だと教えてもらいました」

「へえ」


 マリオが少し目を丸くした。


「音がするのか。それは、知らなかった」

「私も、知りませんでした。行かなければ、知らなかった」


 馬車から降りると、ルナが入り口に立っていた。


「帰った」

「帰りました」

「ちゃんと帰ってきた」

「言ったとおりに」

「よかった」


 エリナは荷物の中から、薬草の袋を出した。


「王都の市場で、見たことのない薬草を三種類買いました。ルナが知っているかどうかわからないけど」


 ルナが袋を開けて、中を見た。

 一種類ずつ、匂いを嗅いだ。


「これは知っている。でも、これは知らない」


 別の一つを指差した。


「これも、見たことがない」

「知らないものがあったんですか?」

「ある。嬉しい」

「嬉しいですか」

「知らないことを知れるのは、嬉しいこと。植物は、まだたくさんある。全部知ることは、できない」

「だから、嬉しいのですか?」

「そう。まだ知らないことがある、ということが、嬉しい」


 台所に入ると、セレーナが待っていた。


「おかえりなさい、エリナ」

「ただいま、お母さん」


 セレーナがエリナを抱いた。

 温かかった。

 ルシェムの台所の温度だった。


「良かったかい?」

「良かったです」

「顔を見ればわかる」

「また顔の話ですか」

「だって、顔に出てるから」

「お土産があります」


 セレーナが受け取って、見た。


「綺麗な色ね」

「王都でしか見ない色だと思って」

「深い緑だわ」


 セレーナが糸をかざして光に透かした。


「見たことがなかったけど、好きな色かもしれない」

「好きかどうかわからなかったけど、見たことのない色を持っていきたいと思って」

「それで十分よ。見たことのないものを持ってきてくれる気持ちが、嬉しい」


 夕食は、全員で食べた。

 セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、エリナ。

 エリナが買ってきた干し肉も、出した。

 マリオが一口食べて、目を丸くした。


「なんだこれ、美味しい」

「王都の干し肉です」

「こんな味があるのか」

「香辛料が、ルシェムとは違うんだと思います」

「ルシェムにも、こういう干し肉があればいいのに」

「マグダさんに伝えてみますか。需要があるかもしれない」

「エリナはすぐ、仕事の話にする」

「癖です」

「知ってる。でも、それがお前だから、いい」


 食事が終わった後、フィオナへの手紙を書いた。


 フィオナへ


 学院から帰りました。

 霜の石畳を見ました。音がしました。朝だけの音でした。

 フィオナが聞いていた。霜の石畳を見た時、どんな気持ちになったか、と。

 答えます。

 思っていたより、綺麗でした。音がするとは思っていなかった。光が当たると、白い色が少し変わる。

 その全部が、手紙で想像していたより、良かった。

 でも、一番よかったのは、手紙で知っていたことが、本当だったと確かめられたことです。

 レインが「嬉しかった」と言ってくれました。私も、嬉しかったです。

 来年の冬も、行く約束をしました。

 帰ってきました。ルシェムに。帰ってくる場所に、帰ってきました。


                                     ――エリナ――


 レインへの手紙も書いた。


 レインへ


 帰りました。ルシェムに。

 帰り道、城壁が遠ざかっていくのを見ながら、城壁の中に学院があって、図書室があって、霜の石畳があっ て、レインがいると思いました。そうしたら、城壁がいつもより身近に感じました。

 マリオが待っていてくれました。ルナも、セレーナも。

 全員に、お土産を渡しました。マリオは干し肉を喜んでいました。ルナは、知らない薬草があって嬉しいと言っていました。セレーナは、深い緑の糸を光に透かして見ていました。

 手紙に書いていないことを、届けたくなりました。

 今日、ルシェムに帰ってきた時、帰ってきた、という感覚がいつもより強かった。学院に行って、帰ってきたから、かもしれません。遠くに行ったから、帰ってくる場所がわかった。

 それを、あなたに知っていてほしかった。

 来年の冬を、楽しみにしています。

                                     ――エリナ――


 書いて、封をした。

 二通の封筒を並べた。


 フィオナへ。レインへ。


 両方に、今日の霜の石畳のことが書いてあった。

 でも、書いた内容は少し違った。

 同じことでも、届ける相手によって、伝え方が変わる。

 それが、手紙というものだ。

 机の引き出しを開けた。

 レインからの手紙が、全部入っていた。

 今日、また増えることはない。

 でも、次に来る手紙の場所が、もう用意されている。

 引き出しを閉めた。

 ランプを吹き消した。


 ルシェムの夜が、窓の外にあった。

 冬の夜だった。

 冷たかった。

 でも、布団の中は温かかった。

 帰ってきた。


 エリナ・アッシュフォード、八歳。


 今日、ルシェムに帰ってきた。

 遠くに行ったから、帰ってくる場所がわかった。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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