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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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67/120

67話 出発の前に

 十一月になった。

 朝の空気が、息が白くなるほど冷たくなった。

 市場に、冬の準備をする人たちが増えた。保存食を買い込む人、厚手の毛布を探す人、薪を積み上げる人。

 エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。

 今日は、昨日より冷たい。

 冬が、もう来ている。

 学院に行く時が、近づいていた。


 十一月の初めに、レインから手紙が来た。


 エリナへ

 

 霜が降り始めた。今朝、図書室に向かう石畳が、白くなっていた。

 今月の下旬か、来月の初めに来てくれれば、見られると思う。

 準備は整っている。師匠も、来ることを知っている。

 一つだけ。来る前に、一通手紙をくれるか。到着の日を教えてほしい。

 待っている。

 

                                     ――レイン――


 エリナは手紙を読んで、少しだけ目を閉じた。

 霜が降り始めた。

 白くなった石畳。

 手紙の中で想像してきた景色が、もうそこにある。

 返事を書いた。

 

 レインへ

 

 十一月の二十五日に出発します。二日かけて王都に着く予定です。二十七日に、学院に着きます。

 ゴードンさんが、同行してくれます。

 霜の石畳を、楽しみにしています。

 

                                    ――エリナ――


 ゴードンに伝えると、すぐに動いた。

「旅の準備を始めます。宿の手配も」

「よろしくお願いします」

「エリナさんが学院にいる間、商会の方はマリオさんとルナさんに任せますが、私からも指示書を残しておきます」

「ありがとうございます」

「どのくらいの期間を予定していますか」

「三日か四日。長くなるかもしれませんが、一週間以上になることはないと思います」

「わかりました。その範囲で準備します」


 マリオに伝えると、少し複雑な顔をした。

 

「いよいよ行くのか」

「十一月の二十七日に着く予定です」

「霜の石畳を見に行くんだな」

「そうです」

「学院って、どんな場所なんだろう? 行ったことがないから、想像しかできない」

「私も、一度しか行っていません。でも、レインの手紙から、少しだけ想像できます」

「どんな場所だ」

「図書室が一番温かい場所で、朝早く生徒が集まる。石畳の廊下がある。冬の朝は霜で白くなる。レインの手紙に書いてあったことです」

「そんな場所か。レインの話を、手紙で知っているんだな」

「そうです」

「会って話したことより、手紙の方が多いのか?」

「そうですね。でも、手紙でも、会っている時間でも、同じ人間だと思っています」

「そうか。俺には、手紙でそこまで感じることはできないけど、お前はそういうことができるんだな」

「マリオは、会って感じる人だから」

「そうだな。俺は、会わないと、よくわからない。でも、お前は手紙でもわかる。違う方法で、同じことをしているのかもしれない」


 ルナに伝えた。

 

「二十七日から、四日ほどいません」

「わかった」

「作業場と薬草の管理を、頼みます」

「やる」

「新しい薬草の供給の初回が、この期間に重なるかもしれません。確認してください」

「確認している。日程は把握している。問題ない」

「ありがとうございます」

「行ってきな」

「何ですか?」

「行ってらっしゃい、という意味。前にも言った気がする、また言う」

「ありがとうございます」

「ちゃんと帰ってくること」

「帰ってきます」

「それだけでいい」


 セレーナに伝えた。

 

「十一月の終わりに、学院に行きます」

「そう、レインさんのところに?」

「はい」

「楽しみにしていたわね、霜の石畳の話」

「覚えていましたか」

「何度か話してくれたから。レインさんが手紙に書いていた、という話を」

「そうでしたね」

「行っておいで。帰ってくることはわかっているから、安心して行きなさい」

「帰ってきます」

「知ってる。でも、言ってくれると、嬉しい」


 出発の一週間前から、エリナは少しずつ準備を始めた。

 着替え。薬草茶の葉。報告書の写し。学院への供給の書類。ゴードンが作った旅の手配書。

 それと、引き出しから一枚のメモを出した。

 

 気づいたらそうなっていた場所が、本当の始まりの場所だ。

 

 セレーナが言ってくれた言葉を書いたメモだ。

 学院に行って、レインに会った時に、見せるかもしれない。

 見せないかもしれない。

 でも、持っていきたかった。

 荷物の中に入れた。


 出発の三日前、フィオナから手紙が来た。


 エリナへ

 

 学院に行くんだね。

 一つだけ言う。

 行ってきなさい。ちゃんと行って、ちゃんと帰ってきなさい。

 それだけだ。他に言うことはない。

 ただ、一つだけ聞いていい?

 霜の石畳を見た時、どんな気持ちになると思う?

 帰ってきたら、教えてほしい。

 

                                    ――フィオナ――


 フィオナへ

 

 行ってきます。ちゃんと帰ってきます。

 霜の石畳を見た時、どんな気持ちになるか。

 今はわかりません。でも、帰ってきたら、正直に教えます。

 それだけ言えます。

 

                                     ――エリナ――


 出発の前日。

 エリナは作業場に一人で入った。

 棚を見た。石鹸の型を見た。薬草の瓶を見た。蒸留器を見た。

 全部、変わらずそこにあった。

 自分がいない間も、ここにある。

 

 ルナが管理してくれる。

 マリオが現場を回してくれる。

 ゴードンが一緒に来てくれる。

 セレーナが待っていてくれる。

 

 それぞれが、それぞれの場所にいる。

 エリナが学院に行っても、ルシェムは動いている。

 それが、今の商会の形だった。

 一人でなければ動けないものは、まだ弱い。

 みんながいても動けるものが、本当に動いている。


 作業場を出ると、マリオが外にいた。

 

「明日、出発か」

「そうです」

「緊張してるか?」

「少し」

「なんで緊張する?」

「学院に行くのが、ではなく、何というか、大事なことが近づいているような感じがして」

「大事なこと?」

「うまく言葉にできません」

「でも、緊張している」

「そうです」

「そういう緊張は、いい緊張だと思う。悪いことが起きそうな緊張ではなくて、大事なことが来る前の緊張だ」

「違いますか?」

「全然違う。悪いことの前の緊張は、体が重くなる。大事なことの前の緊張は、少し軽くなる感じがする」

「今は、どちらですか」

「軽い方?」

「そうかもしれません。体が重い感じはしません」

「じゃあ、大丈夫だ。安心して行っていいよ」


 夕食は、全員で食べた。

 セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、エリナ。

 今日は、セレーナが少し手の込んだ料理を作ってくれた。

 

「明日、出発するから」

「いつもと変えなくてよかったのに」

「変えたかったから、変えたの」

 

 マリオが「美味しい」と言った。ルナが静かに食べた。ゴードンが「明日の手配は問題ありません」と言った。

 エリナは、テーブルを一周見た。

 全員が、ここにいた。

 明日、エリナとゴードンがいなくなる。

 でも、テーブルはここにある。

 食事が終わった後、ルナが台所を片付けながら言った。

 

「エリナ」

「何?」

「行く前に、一つだけ言う」

「どうぞ」

「手紙で知っている人と、実際に会うのは、少し違う」


 ルナが棚を拭きながら言った。


「でも、違うことが、いいことだと思う」

「どういう意味ですか?」

「知っていると思っていたことと、実際に見ることが違う時、もっとよく知れる。だから、行ってきな。もっとよく知れるから」

「ルナは、なぜそれを知っているんですか?」

「シェナが最初に来た時、手紙で知っていたより、もっとよかった。実際に会って、もっとよく知れた。だから、同じだと思って」

 

 エリナは、ルナの言葉を受け取った。

 手紙で知っているより、もっとよかった。

 それが、明日から起きることかもしれない。


 夜、エリナは机に向かった。

 明日の準備の最終確認をした。

 全部、揃っていた。

 それから、短いメモを一枚書いた。

 

 明日、出発する。

 学院に行く。霜の石畳を見る。レインに会う。

 ルナが言った。手紙で知っているより、もっとよくなるかもしれない、と。

 そうだといいと思う。

 そうだと思う。

 

 書いて、荷物の中に入れた。

 引き出しを開けた。

 レインからの手紙が、全部入っていた。

 最初の手紙から、今月届いた手紙まで。

 全部、ある。

 一枚も、捨てていない。

 引き出しを閉めた。

 これらは、ここに残っていく。

 明日からのことは、手紙ではなく、直接になる。

 ランプを吹き消した。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 明日、出発する。

 それが今夜、一番確かなことだった。

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