66話 十月と、それぞれの場所
十月になった。
秋が本格的になった。
朝の空気が、指先に刺さるような冷たさを持ち始めた。市場の人たちが、厚手のコートを出してきた。ルナが採取できる薬草の種類が、急に減ってきた。
エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。
今日は、また昨日より冷たい。
冬が近づいている。
その実感が、少しずつ大きくなっていた。
倉庫が正式に稼働し始めた。
最初の荷物を送り出した日、マリオが作業場の前で言った。
「ここから出発する荷物が、倉庫を経由して各町に行くんだな」
「そうなります」
「複雑だな、流れが」
「でも、効率が上がります」
「そうなのか?」
「以前は、ルシェムから直接、各町に届けていた。今は、倉庫で一度まとめてから、各町に届ける。その方が、量が多い時に有利です」
「なるほど。俺には、数字の話はよくわからないけど、流れが変わったことはわかる」
「わかれば、十分です」
「流れが変わった、という感覚が、大事だと思って」
「マリオが感覚で理解することを、ゴードンさんが数字にする。それが、商会の形だと思います」
「そうか」
マリオが少し笑った。
「俺にも、役割があるんだな」
「ずっとあります」
十月になってから、各町からの手紙が少し変わってきた。
マグダから。
エリナちゃん、元気かい。
倉庫が動き始めてから、荷物が来るのが早くなった気がする。量も、前より多い。助かってる。
一つ、聞いていいかい。ヴァロウで、石鹸の使い方を子どもたちに教える活動を始めたい。学校の先生と話してみたら、興味を持ってくれた。
どういう内容にすればいいか、アドバイスがほしい。
――マグダ――
エリナはマグダの手紙を読んで、少しだけ目を細めた。
子どもたちに石鹸の使い方を教える活動。
学院が衛生教育を始めることとは、別の流れで、同じことが起きようとしていた。
マグダさんへ
子どもたちへの活動、ぜひ進めてください。
内容としては、三つが重要だと思います。一つ目、手を洗うタイミング。食事の前、トイレの後、外から帰った後。二つ目、正しい洗い方。指の間、爪の周り、手首まで洗う。三つ目、なぜ洗うか。目に見えない小さなものが体に入ることを防ぐ。
三つ目は、子どもには難しい説明かもしれません。でも、「見えない汚れを洗い流す」という言い方は、子どもにも伝わると思います。
シェナがトレネで薬草の知識を持っているように、マグダさんが石鹸の使い方をヴァロウに広める役割を持っている。それが、この商会の形だと思っています。
――エリナ――
シェナからも手紙が来た。
エリナ殿へ
先月から確認していた新しい薬草について、報告します。
ルナさんと一緒に確認を進めてきました。この二週間で、安全性に問題がないことが確認できました。効能についても、長引く咳への効果が見込めることが、試験的な使用から確認できています。
ルナさんが言っていました。「急がなかったから、確かめられた」と。
正式に供給を始めてもいいか、判断してください。
――シェナ――
エリナはすぐにルナを呼んだ。
「シェナから連絡が来た。新しい薬草の確認が終わったとのことです」
「そう。確認した。問題ない」
「供給を始めてもいいですか?」
「始めていい。でも、最初は少量にする。効果と副作用を、もう少し記録してから量を増やす」
「慎重ですね」
「慎重でないと、怖い。植物は、正直だけど、複雑だ。全部わかったとは、思わない方がいい」
「わかりました。最初は少量で」
「レインの師匠にも、知らせた方がいい。学院で並行して確認してもらえれば、より確かになる」
「そうします」
レインへの手紙に、新しい薬草の件を追加した。
レインへ
新しい薬草について、報告します。ルナとシェナが確認を終えました。安全性に問題がなく、長引く咳への 効果も確認されました。
師匠にも知らせていただけますか。学院で並行して確認してもらえれば、より確実になります。
供給は最初は少量から始めます。ルナが言いました。「急がなかったから、確かめられた」と。その通りだと思います。
それとは別に、個人的なことを一つ。
十月になって、冬が近づいている実感が出てきました。朝の空気が、指先に刺さるような冷たさになってきました。
冬の約束が、近づいています。
――エリナ――
レインからの返事は三日後に来た。
エリナへ
新しい薬草の件、師匠に伝えた。師匠は「すぐに確認を始める」と言った。師匠は、こういう話を待っていた、という顔をしていた。
それから、一つ報告がある。
魔法省の新副長官が、衛生教育の来年度の拡張について、正式に支持すると言ってきた。具体的には、学院内での規模を広げることと、地方の学校への展開を検討することだ。
地方の学校、というのは、マグダ殿がヴァロウでやろうとしていることと、同じ方向だ。
二つの流れが、同じ方向に向かっている。
冬の準備を、学院でも始めている。霜が降りるのは、例年十一月の終わりから十二月の初めだ。
その頃に来てほしい。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、「その頃に来てほしい」という一行を少しだけ見た。
十一月の終わりから、十二月の初め。
あと、一ヶ月と少し。
冬の約束が、具体的になってきた。
その夜、エリナはフィオナへの手紙を書いた。
フィオナへ
いくつかの動きを報告します。
マグダさんが、ヴァロウで子どもたちへの石鹸の使い方を教える活動を始めたいと言っています。学院の衛生教育と同じ方向が、現場からも生まれてきています。
新しい薬草の供給が始まります。ルナとシェナが確認を終えました。長引く咳への効果が見込めます。
魔法省の新副長官が、衛生教育の拡張を正式に支持しました。地方の学校への展開も検討されています。
一つ一つは小さいことですが、同じ方向に向かっています。
それから、個人的なことを一つ。
冬の約束が、具体的になってきました。十一月の終わりから十二月の初めに、学院に行きます。
フィオナはルシェムに来ると言っていましたね。その頃、私はいないかもしれません。でも、マリオとルナとゴードンさんがいます。
――エリナ――
フィオナからの返事は五日後に来た。
エリナへ
報告、全部受け取った。同じ方向に向かっている、というのが、正確だと思う。
マグダさんが現場から動いて、学院が制度として動いて、魔法省が支援する。三層になっている。一番強い形だ。
あなたが計画したわけではないのに、自然にそうなった。それが、本当に広まっている証拠だと思う。
個人的なことを書く。
王都での仕事が、さらに落ち着いてきた。ダリウスが動いていることで、宮廷の空気が少し変わっている。緊張が、少し緩んでいる。
その中で、私は少し考えている。これからのことを。
まだ言葉にできない部分が多いけど、一つだけ言える。
来年、ルシェムにいる時間を、もっと増やしたいと思っている。
冬に行く。エリナがいなくても行く。帰ってきた、という感覚を、少しずつ作っていきたい。
――フィオナ――
エリナはフィオナの手紙を読んで、「帰ってきた、という感覚を少しずつ作っていきたい」という一行を受け取った。
前回来た時に言っていた言葉の続きだった。
少しずつ作っていく。
それは、エリナがルシェムに帰ってくる場所を作ってきたのと、同じ方法だった。
その夜、エリナは机に向かった。
今日のことを振り返った。
倉庫が動き始めた。マグダが子どもたちに教える活動を始めようとしている。新しい薬草の供給が始まる。学院が拡張する。魔法省が支援する。
それぞれが、別々の場所で動いている。
でも、同じ方向に向かっている。
計画したわけではない部分が多い。
でも、そうなっている。
エリナは短いメモを書いた。
計画していなかったものが、同じ方向に向かっている。
それは、なぜか。
考えた。
たぶん、やり方が正直だったから。
嘘をつかなかった。数字を正確に出した。困った時は困ったと言った。感謝する時は感謝した。
正直なやり方が、同じ方向に動く人を集めたのかもしれない。
それが、今夜の気づきだ。
書いて、引き出しに入れた。
この気づきを、誰かに届けたかった。
でも、今夜は自分のためだけにした。
次にレインに会った時に、話せるかもしれない。
ランプを吹き消した。
十月の夜が、窓の外にあった。
冷たかった。
でも、布団の中は温かかった。
冬が来る。
学院に行く。
その前に、もう少し、ルシェムにいる。
エリナ・アッシュフォード、八歳。
今日、たくさんのことが動いた。
それぞれが、それぞれの場所で。
でも、同じ方向に。
それが今夜、一番大事なことだった。
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