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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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65/120

65話 秋の深まりと、倉庫のこと

 九月の後半になった。

 秋が深まった。

 朝の空気が、さらに冷たくなった。市場の人たちが、厚手の服を出し始めた。ルナが採取してくる薬草が、秋の終わりに近いものに変わってきた。

 エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。

 今日は、昨日より少し冷たい。

 そういう変化を、体で感じることが、すっかり習慣になっていた。


 九月の中頃、倉庫の修理が終わった。

 ハンスが、一週間と言っていた通りに終わらせた。

 エリナとゴードンで、完成した倉庫を見に行った。

 馬車で半日の道のりを走った。

 着いてみると、外観はそれほど変わっていなかった。でも、中に入ると違った。

 補修された壁が、きれいだった。屋根の穴がふさがれていた。床が清掃されていた。

 

「広いですね」

「今の作業場の三倍、と言っていましたが、実際に見ると、もっと広く感じます」

「保管棚を、どこに設置するかを決める必要があります」

「そうですね。石鹸、薬草薬、消毒液、それぞれの置き場所を分けた方がいい。温度と湿度の管理が違いますから」

「ルナに相談します。薬草の保管については、ルナが一番詳しい」

「そうしましょう」

 

 エリナは倉庫の中を、ゆっくりと歩いた。

 広い空間が、静かだった。

 ここがどういう場所になるか、少しだけ想像した。

 各町からの注文が集まって、ここで仕分けられて、それぞれの町に届いていく。

 ルシェムで作られたものが、ここを経由して、もっと広い範囲に届く。

 それが、形になろうとしていた。

 

「ゴードンさん」

「はい」

「ダリウスに、完成を報告しなければ」

「そうですね。礼状と一緒に、正式な賃貸の契約の話も始めましょう」

「賃料は、象徴的な額でいいと言っていましたね」

「はい。でも、正式な書類は必要です。口約束では、後で問題になる可能性がある」

「そうします」


 ルシェムに帰ってから、ルナを倉庫の話に呼んだ。

 

「ここに設計図を書いた」


 エリナが紙を出した。


「倉庫の寸法と、大まかな間取りです。保管棚の配置を、一緒に考えてほしい」

 

 ルナが紙を見た。

 

「薬草薬は、涼しい側に置く。石鹸は、乾燥した場所に置く。消毒液は、直射日光が当たらない場所に置く」

「それで、具体的にどこがいいですか?」

「ここ、ここ、ここ」


 ルナが三カ所を指差した。


「でも、実際に行って確認しないと、正確にはわからない」

「行ってみますか。来週、一緒に」

「行く。植物のことは、現場で見ないとわからない」

「現場で見る、ですね」

「そう。机の上の設計だけでは、足りない」

「ルナが言うと、重みがあります」

「当たり前のことを言っているだけ」

「当たり前のことを言える人が、大事なことを知っている」

 

 ルナが少しだけ、エリナを見た。

 

「それも、当たり前のこと」

「そうですね」


 エリナが笑った。


 ダリウスへの礼状を書いた。

 

 ダリウス様へ

 

 倉庫の修理が完了しました。実際に見に行きました。広く、状態も良かったです。

 ご提案に感謝します。

 正式な賃貸の書類を作成したいと思っています。ゴードン・ハースが担当します。後日、連絡します。

 倉庫が使えるようになることで、供給できる範囲が広がります。それが、どういう意味を持つかを、考えています。

 

                           ――エリナ・アッシュフォード――


 ダリウスからの返事は、一週間後に来た。


 エリナ・アッシュフォード殿へ

 

 完成の知らせを受け取った。よかった。

 賃貸の書類は、こちらも準備する。ゴードン殿から連絡が来たら、対応する。

 一つだけ書く。

 倉庫を提供したのは、補償の意味もある。父がしたことへの。

 補償という言葉が正しいかどうかわからない。でも、できることをする、という意味で、倉庫を提案した。

 それだけのことだ。礼は不要だ。

 

                              ――ダリウス・クロヴェル――


 エリナはダリウスの手紙を読んで、少しだけ止まった。

 補償の意味もある。父がしたことへの。

 それだけのことだ、礼は不要だ。

 でも、エリナには礼を言いたかった。

 

 ダリウス様へ

 

 礼は不要とのこと、承知しました。でも、一言だけ届けさせてください。

 補償の意味がある、と書いてくれました。その言葉を、父に代わって受け取りました。

 父がどう思うかは、わかりません。でも、私は受け取りました。

 

                             ――エリナ・アッシュフォード――


 フィオナに、倉庫の完成と、ダリウスのやり取りを報告した。

 

 フィオナへ

 

 倉庫が完成した。ルナと来週、内部の設計をしに行く。

 ダリウスから手紙が来た。「補償の意味もある、父がしたことへの」と書いていた。

 私は「父に代わって受け取りました」と返した。

 これが正しかったかどうか、わからない。でも、そう書いた。

 フィオナはどう思いますか。

 

                                    ――エリナ――


 フィオナからの返事は四日後に来た。


 エリナへ

 

 倉庫の完成、おめでとう。

 ダリウスの件。「父に代わって受け取りました」という返事は、正しかったと思う。

 理由を言う。ダリウスは、補償という言葉を使った。補償とは、受け取る人間がいなければ成立しない。あなたが「受け取りました」と言ったことで、補償が成立した。それは、ダリウスにとっても大事なことだったと思う。

 一つだけ、私の観察を書く。ダリウスは、今、何かを積み上げようとしている。前の方針を壊して、新しいものを作ろうとしている。それは、時間がかかるし、簡単ではない。でも、動いている。

 見にいく。

 秋が深まってきた。王都も寒くなってきた。

 冬が来たら、ルシェムに行く。エリナは学院にいるかもしれないけど、行く。

 

                                    ――フィオナ――


 レインからも、この週に手紙が来た。


 エリナへ

 

 倉庫の完成、フィオナから聞いた。

 それとは別に、一つ報告がある。

 師匠が、先週、魔法省の新しい副長官と会った。新しい副長官は、実務派の人間だ。衛生教育の件を話したら、「積極的に支援する」と言ったとのことだ。

 これは、大きな変化だ。クロヴェル侯爵が副長官だった時とは、全く違う反応だ。

 師匠は「ようやく話が通じる相手が来た」と言っていた。師匠がそういうことを言うのは、珍しい。

 衛生教育の来年度の拡張について、早めに動けそうだ。詳細は、また連絡する。

 それから、個人的なことを一つ。

 秋になって、図書室が一番好きな場所になった。朝早く行くと、光の入り方が変わっている。春と夏とは違う。

 お前に届けたくなったから、書いた。

 冬まで、あと少しだ。

 

                                     ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、最後の部分を少しだけ見た。

 秋の図書室の光の話。

 届けたくなったから、書いた。

 その一行が、嬉しかった。

 

 レインへ

 

 魔法省の新副長官の話、ありがとうございます。ゴードンさんに伝えます。実務派の人間が来たことで、動きやすくなりますね。

 倉庫の件は、ルナと来週、内部の設計をしに行きます。ルナが「現場で見ないとわからない」と言いました。その通りだと思います。

 秋の図書室の光の話、受け取りました。届けたくなったから書いた、という理由が、好きです。

 私も、秋になってから気づいたことがあります。夕方、作業場の前に立つ時間が増えました。日が暮れる方向を見ています。何をしているわけでもないのに、そこにいる。

 それが、悪くない時間だと思っています。

 冬まで、あと少し。約束を覚えています。

 

                                     ――エリナ――


 翌週、エリナとルナで倉庫に行った。

 ルナが、実際の空間を見ながら、棚の配置を決めていった。

 壁の向きと、窓の位置を確認した。

 

「この窓から、午後の光が入る。薬草薬は、この側には置かない」

「光が当たると、品質が変わりますか?」

「種類による。でも、安全のために、光が当たらない側に置く」

「では、薬草薬はあちら側ですね」

「そう。石鹸は、この側でいい。石鹸は、光より湿度に弱い。あちら側は少し湿っている気がする」

「気がする、というのは」

「においがする。湿ったにおい。少しだけ。でも、ある」

 

 エリナは、その場所に行って確認した。

 確かに、かすかに湿ったにおいがした。

 

「よくわかりますね」

「においは、正直だから」

「においが正直、というのは?」

「言葉は、人が選ぶ。においは、選べない。だから、正直」

 

 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。

 においは選べないから、正直。

 ルナの言葉は、いつもそういう形で来る。


 倉庫の設計が終わった後、二人で外に出た。

 倉庫の前に、広い空き地があった。

 空が見えた。

 秋の空だった。

 高くて、薄い青だった。

 ルナが空を見上げた。

 

「秋の空は、高い」

「そうですね」

「なぜ高く見えるのか、知っている?」

「空気が澄んでいるから、ですか?」

「そう。夏は湿度が高くて、空気が重い。秋は乾いているから、遠くまで見える」

「ルナは、そういうことをよく知っていますね」

「外にいると、わかる。ずっと外にいたから」

「廃屋の前にいた頃から」

「そう。あの頃は、一人だった。でも、空は見ていた」

「一人で、空を見ていた」

「そう。人がいない時、空だけがあった」

 

 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。

 一人でいた頃のルナ。

 空だけがあった。

 

「今は?」

「今は、空と、人がいる。両方ある」

「両方あるのは、いいですか?」

「いい。人は、疲れることもある。でも、いた方がいい」

「そうですね」

「エリナが来てくれたから、そうなった。前にも言ったかもしれない」

「言ってくれましたね」

「繰り返してもいいか」

「どうぞ」

「エリナが来てくれて、よかった」


 ルシェムに帰る道で、馬車の中でルナが眠った。

 窓から外を見ると、秋の田んぼが続いていた。

 稲が刈られた後の、広い景色。

 少し寂しい景色だったが、嫌いではなかった。

 刈られた後に、また春が来る。

 秋が終わると、冬が来る。

 冬に、学院に行く約束がある。

 レインが霜の石畳を、楽しみにしていてほしいと言った。

 待っている。

 冬を待つことが、この秋の色の一つになっていた。


 夜、エリナは机に向かった。

 今日のことを、短いメモに書いた。

 

 ルナが言った。「人は疲れることもある。でも、いた方がいい」

 それは、ルナが一人でいた頃から変わったことだ。

 私も、変わった。一人でいた頃から、変わった。

 今は、いた方がいい、と思える人が、何人もいる。

 それが、この一年半で一番大きく変わったことかもしれない。

 

 書いて、引き出しに入れた。

 ランプを吹き消した。

 秋の夜が、窓の外にあった。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、ルナと倉庫に行った。

 ルナが「エリナが来てくれて、よかった」と言った。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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