65話 秋の深まりと、倉庫のこと
九月の後半になった。
秋が深まった。
朝の空気が、さらに冷たくなった。市場の人たちが、厚手の服を出し始めた。ルナが採取してくる薬草が、秋の終わりに近いものに変わってきた。
エリナは毎朝、窓を開けて空気を確認した。
今日は、昨日より少し冷たい。
そういう変化を、体で感じることが、すっかり習慣になっていた。
九月の中頃、倉庫の修理が終わった。
ハンスが、一週間と言っていた通りに終わらせた。
エリナとゴードンで、完成した倉庫を見に行った。
馬車で半日の道のりを走った。
着いてみると、外観はそれほど変わっていなかった。でも、中に入ると違った。
補修された壁が、きれいだった。屋根の穴がふさがれていた。床が清掃されていた。
「広いですね」
「今の作業場の三倍、と言っていましたが、実際に見ると、もっと広く感じます」
「保管棚を、どこに設置するかを決める必要があります」
「そうですね。石鹸、薬草薬、消毒液、それぞれの置き場所を分けた方がいい。温度と湿度の管理が違いますから」
「ルナに相談します。薬草の保管については、ルナが一番詳しい」
「そうしましょう」
エリナは倉庫の中を、ゆっくりと歩いた。
広い空間が、静かだった。
ここがどういう場所になるか、少しだけ想像した。
各町からの注文が集まって、ここで仕分けられて、それぞれの町に届いていく。
ルシェムで作られたものが、ここを経由して、もっと広い範囲に届く。
それが、形になろうとしていた。
「ゴードンさん」
「はい」
「ダリウスに、完成を報告しなければ」
「そうですね。礼状と一緒に、正式な賃貸の契約の話も始めましょう」
「賃料は、象徴的な額でいいと言っていましたね」
「はい。でも、正式な書類は必要です。口約束では、後で問題になる可能性がある」
「そうします」
ルシェムに帰ってから、ルナを倉庫の話に呼んだ。
「ここに設計図を書いた」
エリナが紙を出した。
「倉庫の寸法と、大まかな間取りです。保管棚の配置を、一緒に考えてほしい」
ルナが紙を見た。
「薬草薬は、涼しい側に置く。石鹸は、乾燥した場所に置く。消毒液は、直射日光が当たらない場所に置く」
「それで、具体的にどこがいいですか?」
「ここ、ここ、ここ」
ルナが三カ所を指差した。
「でも、実際に行って確認しないと、正確にはわからない」
「行ってみますか。来週、一緒に」
「行く。植物のことは、現場で見ないとわからない」
「現場で見る、ですね」
「そう。机の上の設計だけでは、足りない」
「ルナが言うと、重みがあります」
「当たり前のことを言っているだけ」
「当たり前のことを言える人が、大事なことを知っている」
ルナが少しだけ、エリナを見た。
「それも、当たり前のこと」
「そうですね」
エリナが笑った。
ダリウスへの礼状を書いた。
ダリウス様へ
倉庫の修理が完了しました。実際に見に行きました。広く、状態も良かったです。
ご提案に感謝します。
正式な賃貸の書類を作成したいと思っています。ゴードン・ハースが担当します。後日、連絡します。
倉庫が使えるようになることで、供給できる範囲が広がります。それが、どういう意味を持つかを、考えています。
――エリナ・アッシュフォード――
ダリウスからの返事は、一週間後に来た。
エリナ・アッシュフォード殿へ
完成の知らせを受け取った。よかった。
賃貸の書類は、こちらも準備する。ゴードン殿から連絡が来たら、対応する。
一つだけ書く。
倉庫を提供したのは、補償の意味もある。父がしたことへの。
補償という言葉が正しいかどうかわからない。でも、できることをする、という意味で、倉庫を提案した。
それだけのことだ。礼は不要だ。
――ダリウス・クロヴェル――
エリナはダリウスの手紙を読んで、少しだけ止まった。
補償の意味もある。父がしたことへの。
それだけのことだ、礼は不要だ。
でも、エリナには礼を言いたかった。
ダリウス様へ
礼は不要とのこと、承知しました。でも、一言だけ届けさせてください。
補償の意味がある、と書いてくれました。その言葉を、父に代わって受け取りました。
父がどう思うかは、わかりません。でも、私は受け取りました。
――エリナ・アッシュフォード――
フィオナに、倉庫の完成と、ダリウスのやり取りを報告した。
フィオナへ
倉庫が完成した。ルナと来週、内部の設計をしに行く。
ダリウスから手紙が来た。「補償の意味もある、父がしたことへの」と書いていた。
私は「父に代わって受け取りました」と返した。
これが正しかったかどうか、わからない。でも、そう書いた。
フィオナはどう思いますか。
――エリナ――
フィオナからの返事は四日後に来た。
エリナへ
倉庫の完成、おめでとう。
ダリウスの件。「父に代わって受け取りました」という返事は、正しかったと思う。
理由を言う。ダリウスは、補償という言葉を使った。補償とは、受け取る人間がいなければ成立しない。あなたが「受け取りました」と言ったことで、補償が成立した。それは、ダリウスにとっても大事なことだったと思う。
一つだけ、私の観察を書く。ダリウスは、今、何かを積み上げようとしている。前の方針を壊して、新しいものを作ろうとしている。それは、時間がかかるし、簡単ではない。でも、動いている。
見にいく。
秋が深まってきた。王都も寒くなってきた。
冬が来たら、ルシェムに行く。エリナは学院にいるかもしれないけど、行く。
――フィオナ――
レインからも、この週に手紙が来た。
エリナへ
倉庫の完成、フィオナから聞いた。
それとは別に、一つ報告がある。
師匠が、先週、魔法省の新しい副長官と会った。新しい副長官は、実務派の人間だ。衛生教育の件を話したら、「積極的に支援する」と言ったとのことだ。
これは、大きな変化だ。クロヴェル侯爵が副長官だった時とは、全く違う反応だ。
師匠は「ようやく話が通じる相手が来た」と言っていた。師匠がそういうことを言うのは、珍しい。
衛生教育の来年度の拡張について、早めに動けそうだ。詳細は、また連絡する。
それから、個人的なことを一つ。
秋になって、図書室が一番好きな場所になった。朝早く行くと、光の入り方が変わっている。春と夏とは違う。
お前に届けたくなったから、書いた。
冬まで、あと少しだ。
――レイン――
エリナはレインの手紙を読んで、最後の部分を少しだけ見た。
秋の図書室の光の話。
届けたくなったから、書いた。
その一行が、嬉しかった。
レインへ
魔法省の新副長官の話、ありがとうございます。ゴードンさんに伝えます。実務派の人間が来たことで、動きやすくなりますね。
倉庫の件は、ルナと来週、内部の設計をしに行きます。ルナが「現場で見ないとわからない」と言いました。その通りだと思います。
秋の図書室の光の話、受け取りました。届けたくなったから書いた、という理由が、好きです。
私も、秋になってから気づいたことがあります。夕方、作業場の前に立つ時間が増えました。日が暮れる方向を見ています。何をしているわけでもないのに、そこにいる。
それが、悪くない時間だと思っています。
冬まで、あと少し。約束を覚えています。
――エリナ――
翌週、エリナとルナで倉庫に行った。
ルナが、実際の空間を見ながら、棚の配置を決めていった。
壁の向きと、窓の位置を確認した。
「この窓から、午後の光が入る。薬草薬は、この側には置かない」
「光が当たると、品質が変わりますか?」
「種類による。でも、安全のために、光が当たらない側に置く」
「では、薬草薬はあちら側ですね」
「そう。石鹸は、この側でいい。石鹸は、光より湿度に弱い。あちら側は少し湿っている気がする」
「気がする、というのは」
「においがする。湿ったにおい。少しだけ。でも、ある」
エリナは、その場所に行って確認した。
確かに、かすかに湿ったにおいがした。
「よくわかりますね」
「においは、正直だから」
「においが正直、というのは?」
「言葉は、人が選ぶ。においは、選べない。だから、正直」
エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。
においは選べないから、正直。
ルナの言葉は、いつもそういう形で来る。
倉庫の設計が終わった後、二人で外に出た。
倉庫の前に、広い空き地があった。
空が見えた。
秋の空だった。
高くて、薄い青だった。
ルナが空を見上げた。
「秋の空は、高い」
「そうですね」
「なぜ高く見えるのか、知っている?」
「空気が澄んでいるから、ですか?」
「そう。夏は湿度が高くて、空気が重い。秋は乾いているから、遠くまで見える」
「ルナは、そういうことをよく知っていますね」
「外にいると、わかる。ずっと外にいたから」
「廃屋の前にいた頃から」
「そう。あの頃は、一人だった。でも、空は見ていた」
「一人で、空を見ていた」
「そう。人がいない時、空だけがあった」
エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。
一人でいた頃のルナ。
空だけがあった。
「今は?」
「今は、空と、人がいる。両方ある」
「両方あるのは、いいですか?」
「いい。人は、疲れることもある。でも、いた方がいい」
「そうですね」
「エリナが来てくれたから、そうなった。前にも言ったかもしれない」
「言ってくれましたね」
「繰り返してもいいか」
「どうぞ」
「エリナが来てくれて、よかった」
ルシェムに帰る道で、馬車の中でルナが眠った。
窓から外を見ると、秋の田んぼが続いていた。
稲が刈られた後の、広い景色。
少し寂しい景色だったが、嫌いではなかった。
刈られた後に、また春が来る。
秋が終わると、冬が来る。
冬に、学院に行く約束がある。
レインが霜の石畳を、楽しみにしていてほしいと言った。
待っている。
冬を待つことが、この秋の色の一つになっていた。
夜、エリナは机に向かった。
今日のことを、短いメモに書いた。
ルナが言った。「人は疲れることもある。でも、いた方がいい」
それは、ルナが一人でいた頃から変わったことだ。
私も、変わった。一人でいた頃から、変わった。
今は、いた方がいい、と思える人が、何人もいる。
それが、この一年半で一番大きく変わったことかもしれない。
書いて、引き出しに入れた。
ランプを吹き消した。
秋の夜が、窓の外にあった。
エリナ・アッシュフォード、八歳。
今日、ルナと倉庫に行った。
ルナが「エリナが来てくれて、よかった」と言った。
それが今夜、一番大事なことだった。
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