↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/120

61話 夏が来た

 六月になった。

 ルシェムに、本格的な夏が来た。

 朝の空気が、五月とはまた違った。湿度が上がって、日差しが強くなった。市場の人たちが、夏の薄い服を着るようになった。

 エリナは台所の窓を開けて、今日の空気を確認した。

 暑い。でも、今日は少し風がある。

 それが、少しだけ嬉しかった。

 このくらいの気温なら、石鹸の製造に支障はない。でも、薬草の保存に注意が必要になる。熱で品質が変わるものがある。

 作業場に行って、ルナに確認した。

 

「夏の保存、大丈夫ですか」

「対応済み」


 ルナが棚を見ながら言った。


「先週から涼しい側の棚に移している」

「先週から、ですか」

「夏になる前に動くのが大事」

「ありがとうございます。気づきませんでした」

「エリナは、他のことを考えているから。私が作業場を見る」

「そういう役割分担が、できているんですね」

「できている。それでいい」


 六月になってから、学院の衛生教育の準備が本格化してきた。

 レインから手紙が頻繁に来た。


 エリナへ

 

 前期の授業が来月から始まる。石鹸の最初の供給は、七月の第一週に届ければいい。

 一点確認がある。授業で実際に石鹸を使って手洗いをするデモンストレーションを行う。その時、製法の簡単な説明も入れたいのだが、製法の内容をどこまで公開していいか。

 企業秘密の部分があれば、伏せることもできる。

 

                                       ――レイン――


 エリナはゴードンと相談した。

 

「製法の公開、どうしましょうか?」

「私の意見を言っていいですか?」

「どうぞ」

「全部公開した方がいいと思います」

「なぜですか?」

「知識は、広まれば広まるほど強くなります。製法が広まれば、より多くの人が石鹸を作れるようになる。それは、アッシュフォード商会の利益とは相反するかもしれません。でも、目的を考えると、正しい選択だと思います」

「商会の利益より、広まることを選ぶ、ということですか?」

「エリナさんがこれまでやってきたことを見ていると、そういう判断をされてきた気がします」

 

 エリナは少しだけ考えた。

 ゴードンの言う通りだった。

 最初から、石鹸の効果を広めることが目的だった。商会の利益は、そのための手段だった。

 

「全部公開します。レインに伝えてください」

「書きますか、それともエリナさんが直接」

「私が書きます」

 

 レインへ

 

 製法は、全部公開して構いません。

 理由を一つだけ書きます。知識は、広まれば広まるほど強くなるから。

 これは、ゴードンさんが言った言葉です。でも、私もそう思います。

 製法を教えることで、学院の生徒たちが卒業後に自分で作れるようになる。それが、王国全体に広まる一番の方法です。

 

                                       ――エリナ――


 レインから返事が来た。


 了解した。製法は全部開示する。

 一つ、師匠が言っていた。「この商会は、知識を囲い込まない」と。それが、長く続く理由だと言っていた。

 七月第一週の供給、準備しておいてくれ。

 それとは別に。

 今週、少し忙しかった。授業の準備が重なって、夜遅くまで作業していた。

 疲れた時に、お前の手紙を読んだ。少し楽になった。

 なぜそうなるのかは、わからない。でも、そうなる。

 

                                       ――レイン――


 エリナはレインの手紙を読んで、最後の三行を少しだけ見た。

 疲れた時に、手紙を読んで楽になった。

 なぜそうなるかはわからない。でも、そうなる。

 それが、嬉しかった。

 

 レインへ

 

 七月第一週の供給、準備します。

 師匠の言葉、受け取りました。囲い込まない、という言葉が、正確だと思います。

 疲れた時に読んで楽になった、という言葉を受け取りました。私の手紙が、そういう役割を果たせていたとしたら、嬉しいです。

 私も、あなたの手紙を読むと、何かが補充される感じがします。フィオナが「充電される」と言っていた言葉が、正確かもしれません。

 夏になりました。ルシェムが暑い。でも、ルナが作業場の保存を完璧に管理してくれているので、品質は問題ありません。

 

                                       ――エリナ――


 七月の第一週が来た。

 学院への最初の供給が出発した。

 マリオが荷物を馬車に積むのを手伝った。

 

「これが、学院に行くのか」


 マリオが箱を抱えながら言った。

 

「そうです」

「なんか、感慨深いな」

「どういう意味ですか」

「最初に、台所で石鹸を型に流し込んでいた頃、学院に届くなんて思っていなかった」マリオが言った。「今、それが現実になっている」

「そうですね」

「お前は、感慨深くないのか」

「感慨深い、という言葉が正確かどうかわかりませんが、同じようなことを感じています」

「どんなことを?」

「最初の一手が、ここまで繋がったな、と思っています。豆のペーストから始まって、石鹸になって、薬草薬になって、学院の授業になった」

「一本の線が繋がったんだな」マリオが言った。

「そうです」

「お前が言う、一手ずつ積み上げる、というやつだ」

「マリオが覚えていたんですか?」

「忘れるわけがない。ずっと聞いてきたから」


 荷物が出発した後、エリナはグレンに会いに行った。

 特に用事があったわけではない。

 でも、会いたかった。

 

「グレンさん」

「何だ?」

「学院への供給が、今日出発しました」

「そうか」

「報告したかったんです」

 

 グレンが少しだけ、エリナを見た。

 

「なぜ俺に?」

「最初から見てくれていたから。石鹸が出回り始めた頃から、グレンさんがいた。だから、報告したかった」

 

 グレンがしばらく黙った。

 

「……傷が膿まなくなった」

「はい」

「それだけで、十分だ」

「ありがとうございます」

「礼はいらない。でも、よくやった」

 

 グレンが言う「よくやった」は、短かった。

 でも、短いから重かった。


 その夜、エリナはフィオナへの手紙を書いた。

 

 フィオナへ

 

 今日、学院への最初の供給が出発しました。

 グレンさんに報告しました。「よくやった」と言ってくれました。

 豆のペーストから始まって、ここまで来た。それが今日、実感として届きました。

 フィオナ、一つ聞かせてください。王都は、夏はどうですか。

 

                                      ――エリナ――


 フィオナからの返事は三日後に来た。


 エリナへ

 

 学院への供給、おめでとう。

 グレンさんが「よくやった」と言った話、少し笑った。あの人らしいと思って。

 王都の夏を教える。

 暑い。石畳が熱を持って、昼間は歩くのがつらい。でも、夕方になると少し涼しくなって、人が外に出てくる。その時間が好きだ。

 ダリウスの動きを少し書く。先月から、クロヴェル家として、いくつかの商人ギルドとの関係を見直しているようだ。前の父親のやり方とは、少し違う方向に動いている気がする。まだ確信はないけど、見ている。

 アルバ殿下は先週、地方への視察に出た。視察先に、あなたの商会が供給している地域が含まれている。殿下が直接確認しに行った形になる。

 ルシェムの夏はどう?

 

                                      ――フィオナ――


 エリナはフィオナの手紙を読んで、アルバ殿下の視察の話を、ゴードンに共有した。

 

「殿下が、直接確認しに行かれたということですね」

「そうです。どの地域かはわかりませんが、ベルナかヴァロウかもしれません」

「報告書の準備をしておきましょう。殿下が確認された後、何か連絡が来るかもしれません」

「そうします」


 七月の中頃、アルバ殿下から直接手紙が来た。


 エリナ殿へ

 

 先日、ベルナとヴァロウを視察した。両方の町で、商会の石鹸と薬草薬が使われているのを直接確認した。

 ベルナのベルダン会頭にも会ってきた。会頭は「一年後の結果を報告してくれた」と嬉しそうに話してくれた。商会への信頼が、本物だとわかった。

 ヴァロウでは、マグダ殿に案内してもらった。町の人たちが、石鹸の使い方を当たり前のように知っていた。誰かに教えてもらった様子ではなく、習慣になっていた。それが、一番印象に残った。

 これを父上に報告した。父上は、「続けてほしい」と言った。

 エリナ殿、夏も元気でいてほしい。

 

                                ――アルバ・ヴァルデリア――


 エリナはアルバ殿下の手紙を読んで、少しだけ目を閉じた。

 習慣になっていた。誰かに教えてもらった様子ではなく。

 それが、一番印象に残った、と殿下が書いた。

 マグダが言っていた言葉を思い出した。

 

『変わらないから、いい』

 

 変わらない習慣になった。

 それが、一番強い形だ。


 ルナに、殿下の手紙の話をした。

 

「殿下が、ヴァロウで習慣になっていたと書いてくれました」

「そう」


 ルナが棚を見ながら言った。

 

「嬉しくないですか」

「嬉しい。でも、当たり前だと思っていた」

「当たり前?」

「続けていれば、習慣になる。それが当たり前だから、驚くことではない。でも、嬉しいことではある」

「その両方が、ルナらしいです」

「そう」


 ルナが少し間を置いた。


「猫も、習慣がある」

「どんな習慣ですか?」

「毎日、同じ時間に、同じ場所に来る。それが変わらない」

「猫も、続けているんですね」

「続けている。だから、信頼できる」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。

 

 レインへ

 

 今日、アルバ殿下から手紙が来た。ベルナとヴァロウを視察してくれた。ヴァロウでは、石鹸の使い方が習慣になっていたと書いてくれた。誰かに教えてもらった様子ではなく、と。

 それを読んで、少しだけ目を閉じた。

 最初に石鹸を作った時、習慣になるとは考えていなかった。でも、なった。

 ルナが言っていた。続けていれば、習慣になる。それが当たり前だと。

 あなたが言っていた言葉も、思い出した。見えていないものが積み重なっている、と。

 見えていないところで、積み重なっていた。それが習慣になった。

 夏が来ています。ルシェムは暑いです。でも、悪くない夏です。

 冬の約束、覚えています。

 

                                      ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 「悪くない夏です」という一行を、書いてから少しだけ見た。

 悪くない。

 以前は使わなかった言葉だ。

 でも、今はよく使う。

 感覚の言葉だ、とマリオが言っていた。

 夏が来た。

 悪くない夏だ。


 ランプを吹き消した。

 夏の夜が、窓の外にあった。

 虫の声が、遠くで聞こえた。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、学院への供給の話と、殿下の視察の話と、ルナの猫の習慣の話を聞いた。

 全部が、繋がっている気がした。

 続けることが、習慣になる。

 習慣になったものは、なくならない。

 それが今夜、一番確かなことだった。

読んでいただきありがとうございます。

評価や感想を貰えると執筆のモチベーションがアップするので

どんどん評価や感想をください!

ブクマもお願いします!

お待ちしております(*^-^*)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。