↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/120

54話 春の気配と、レインの訪問

 フィオナが帰ってから、一週間が経った。

 ルシェムに、少しずつ春の気配が来ていた。

 朝の空気が、冬の頃より少しだけ柔らかくなった。市場に並ぶ野菜の種類が変わり始めた。井戸の水を汲む人たちが、厚手のコートを脱ぎ始めた。

 ルナが、採取できる薬草の種類が増えてきた、と言った。

 

「春の薬草は、冬のものより柔らかい」


 ルナが棚を整理しながら言った。


「効き方も少し違う」

「どう違いますか?」

「冬の薬草は、重い効き方をする。春のは、軽い効き方をする」

「どちらが良いですか?」

「症状による。重い症状には重い薬草。軽い症状には軽い薬草。合わせることが大事」

「ルナは、どうしてそれを知っているのですか?」

「見ていたから。植物が、季節によって変わるのを、ずっと見ていた。廃屋の前で、一人でいた頃から」

「そう」

 

 エリナは少しだけ、ルナの横顔を見た。

 あの日から、一緒にいる。

 あの頃のルナは、もっと無口だった気がした。

 今も無口だが、以前よりは少し言葉が出てくる。


 その週、レインから手紙が届いた。


 エリナへ

 

『あなたの手紙を読む時に、少し充電される感じがします』という言葉を受け取った。

 俺も、同じだと思う。

 お前の手紙が来るのを、楽しみにしている。それが、最近の学院での一番の楽しみかもしれない。

 うまく言葉にできないが、あることは確かだ。

 それから、一つ。

 来週、ルシェムに行けるかもしれない。学院の衛生教育の件で、現場を見たいと師匠が言っている。師匠と 一緒に来ることになりそうだ。

 都合が悪ければ、言ってくれ。

 

                                      ――レイン――


 エリナは手紙を読んで、少しだけ止まった。

 来週、来るかもしれない。

 師匠と一緒に。

 都合が悪ければ言ってくれ、と書いてある。

 都合が悪いはずがなかった。

 でも、少しだけ、落ち着いて考えた。

 師匠が現場を見に来る。衛生教育の件で。

 それは、商会として準備が必要だ。

 作業場を見てもらう。石鹸と薬草薬の製造工程を説明する。ルナに薬草の知識を話してもらう。ゴードンに数字を整理してもらう。

 考えながら、返事を書いた。

 

 レインへ

 

 来週、来てください。都合は問題ありません。

 師匠が現場を見たいということ、ゴードンさんと準備します。作業場の見学、製造工程の説明、薬草の説明はルナに担当してもらいます。

 楽しみにしています。

 一つだけ。『最近の学院での一番の楽しみかもしれない』という言葉を受け取った。

 私も、同じです。

 

                                      ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 「私も、同じです」という言葉を、最近よく書いている気がした。

 でも、毎回本当のことだから書いている。


 ゴードンに伝えると、すぐに動いた。

 

「師匠が来られるなら、学院への供給の話も直接できるかもしれません」

「そうですね。資料を準備しておきましょう」

「量と価格と、供給の仕組みを一枚にまとめます。明日中に」

「お願いします」

 

 マリオにも伝えた。

 

「レインが来るのか」


 マリオが少し嬉しそうな顔をした。

 

「師匠と一緒に」

「師匠って、どんな人だ?」

「手紙から想像すると、無口で、でも大事なことだけを言う人だと思います」

「レインと似てるのか」

「師弟だから、似ているかもしれません」

「そうか。じゃあ、歓迎の準備をしておく。何か食べてもらいたいものを作ってもらえるか、セレーナさんに聞いておく」

「マリオが動くと、そういう方向になりますね」

「食事は大事だろ。腹が減っていたら、どんなに大事な話も頭に入らない」

「それは正しいです」


 ルナに伝えると、少しだけ目が動いた。

 

「師匠が来る」

「そうです。薬草の話を、直接してもらえますか?」

「わかった。何を話せばいい」

「採取の方法、季節による違い、効能の見分け方。師匠が衛生教育に取り入れることを検討しているので、どういう知識が必要かを話してほしい」

「学院の人に話すの?」

「そうです。緊張しますか?」

 

 ルナが少し考えた。

 

「緊張はしない。薬草の話なら、できる」

「ルナが一番詳しいから、大丈夫です」

「うん。でも、一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「レインも来る?」

「来ます」

「そう」


 ルナが少しだけ間を置いた。


「エリナが、少し違う顔をすると思って」

「違う顔というのは?」

「楽しみにしている顔。悪い顔じゃない」

「……そうですか」

「そう」


 ルナが棚に向き直った。


「楽しみにしていい。それだけ」


 一週間が、あっという間に過ぎた。

 準備が、少しずつ整っていた。

 作業場の整理をした。薬草の棚を、見やすいように並べ直した。ゴードンが供給の資料を一枚にまとめた。マリオがセレーナと相談して、食事の準備をした。

 準備をしながら、エリナは少しだけ考えた。

 師匠が来る。

 師匠は、エリナのことを手紙とデータを通じて知っている。でも、直接会うのは初めてだ。

 謁見の間では会った。でも、話したのは廊下での短い場面だけだった。

 今回は、ルシェムで。

 師匠がどういう人なのか、直接見ることができる。


 レインと師匠が来たのは、木曜日の昼前だった。

 馬車ではなく、馬で来た。

 師匠の馬は落ち着いた色の茶色で、レインの馬は少し小さかった。

 長屋の前に着くと、マリオが飛び出してきた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 師匠が馬から降りて、マリオを見た。

 

「あなたが、マリオ殿か」

「はい。マリオ・ヴェントです。よろしくお願いします」

「レインから聞いている。大工の息子で、現場責任者で、エリナ殿の最初の仲間だと」

「最初の仲間かどうかはわかりませんが、一番最初に来たのは俺です」


 マリオが少し照れた顔をした。

 

「それが最初の仲間だ」

 

 マリオが少しだけ、嬉しそうな顔をした。


 エリナが長屋の前に出た。

 師匠が、エリナを見た。

 鋭い目だった。でも、謁見の間で見た時と同じく、鋭さの中に穏やかな何かがあった。

 

「エリナ殿」

「先生、ようこそルシェムへ」

「初めて来た」


 師匠が少し周囲を見た。


「王都より、ずっと小さい」

「そうです」

「でも、ここから広がったんだな」

「ここから始まりました」

 

 師匠が頷いた。

 レインがエリナの横に来た。

 エリナはレインを見た。

 レインがエリナを見た。

 一秒、目が合った。

 

「来た」

「来てくれた」

 

 マリオが横で、何かを言いたそうな顔をして、言わなかった。


 まず、作業場を見てもらった。

 師匠が、棚に並ぶ石鹸と薬草薬を順番に見た。

 手に取って、確認した。匂いを嗅いだ。ラベルを読んだ。

 レインが隣で、時々師匠に説明を加えた。

 

「これが、標準品の石鹸です。こちらが、香草入り。こちらが、肌の弱い方向け」

「三種類作っているのか」

「需要に応じて増やしました。最初は一種類でした」

「一種類から、三種類に。そういうことの積み重ねか」

「そうです」

 

 師匠がルナを見た。ルナは棚の前に立って、師匠が来たことを知っていても、特に緊張した様子がなかった。

 

「薬草の担当が、あなたか?」

「そうです。ルナ・ファーンです」

「薬草の説明を聞かせてほしい」

「わかりました」

 

 ルナが、棚の前で話し始めた。

 いつもと変わらない、平坦な声だった。

 季節による採取の違い。効能の見分け方。加工の手順。保存の方法。

 師匠は黙って聞いていた。

 話が終わると、一言だけ言った。

 

「よく知っている」

「見てきたから」

「どのくらい見てきた?」

「覚えていないくらい、昔から」

 

 師匠が少しだけ目を細めた。

 

「学院には、こういう知識を持っている者がいない。薬草学の授業はあるが、現場の知識ではない。机の上の知識だ」

「机の上の知識と、現場の知識は、どちらも大事だと思います」


 エリナが言った。

 

「そうだな……両方がないと、不完全だ。お前たちが持っているのは、現場の知識だ。学院が持っているのは、体系化された知識だ。合わせれば、より強くなる」

「それが、衛生教育に取り入れる意味ですか?」

「そうだ」


 昼食は、セレーナとマリオが用意してくれた。

 豆のスープ、パン、ラム肉の煮込み。

 師匠が一口飲んで、少し間を置いてから言った。

 

「美味しい」

「ありがとうございます」

「誰が作ったのですか?」

「私と、マリオが」

「エリナ殿の母上か。レインから聞いている。お嬢さんを、一人で支えてこられた」

「支えられていたのは、私の方です。エリナが引っ張ってくれたから、ここまで来られた」

「そういうものかもしれない。支えているつもりが、支えられている。子どもというのは、そういうものだ」

 

 レインが少しだけ、師匠を見た。

 師匠は食事を続けていた。


 食後、ゴードンが供給の話をした。

 学院への石鹸と薬草薬の供給について、量と価格と仕組みを一枚の紙で説明した。

 師匠が読んで、一か所だけ指摘した。

 

「この価格は、少し安すぎないか?」

「学院への供給だから、少し抑えました」

「それは必要ない。正当な価格でいい。学院は、正当な対価を払える。安くする必要はない」

「わかりました。では、通常価格で」

「その方が、長く続く。安くすることで続けられるより、正当な価格で続けることの方が、双方にとっていい」

「先生の言う通りです。私も、同じことを思っていましたが、言いにくかった」

「言いにくいことを、言う必要がある時がある。それができないと、後で困る」


 午後、師匠がエリナと二人で少し話した。

 事務室で、向かい合って座った。

 

「一つ、聞いていいか?」

「どうぞ」

「あなたは、これからどうするつもりだ?」

 

 エリナは少し考えた。

 

「今は、規制案への対応を続けながら、各町への供給を広げていきます。学院の衛生教育の件は、先生たちにお任せする部分が多くなると思います」

「商会としての話は聞いた。個人としての話を聞きたい」

 

 エリナは、もう少し考えた。

 

「個人として、ですか」

「あなたは今、八歳だ。十年後、二十年後に何をしているかを、考えているか?」

「考えたことが、あまりありませんでした」

「なぜ?」

「次のことを考えるので、精一杯だったから。十年後より、明日の方が急だから」

「そうだな」


 師匠が少しだけ口の端を動かした。


「でも、一つだけ言っておく」

「はい」

「お前は、父上の続きをやっている。それは、父上のためではなく、お前自身がそうしたいからだ。その違いを、忘れないでほしい」

 

 エリナは少しだけ止まった。

 

「違いを、忘れない」

「父上の夢を引き継いでいる、という重さに、押しつぶされそうになることがあるかもしれない。でも、お前がやっていることは、お前自身がやりたいからやっていることだ。それが、力の源になる」

「以前、母に似たことを言われました」

「母上は、賢い方だ」

「そうです」

「賢い人間の周りには、賢い人間が集まる。レインがお前に引き込まれたのも、そういうことだと思っている」

 

 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。

 謁見の間での師匠の言葉を思い出した。

 

 『お前のことが、大事だ』とレインが言った夜。

 師匠は、それを知っている。

 

「先生」

「何だ?」

「レインは、どういう人ですか。先生から見て」

 

 師匠が少しだけ間を置いた。

 

「才能がある。それは、お前も知っている」

「それだけではない部分を聞きたいです」

「そうだな」


 師匠が静かに言った。


「誠実だ。誠実すぎるくらい、誠実だ。だから、嘘をつくことができない。言葉が少ないのは、嘘をつきたくないからだと、俺は思っている」

「言葉が少ないのは、嘘をつきたくないから」

「お前も、似たところがあると思うが」

「そうかもしれません」

「似た人間が引き合うのは、自然なことだ。これ以上は言わない。余計なことになる」

「余計なことを、一つだけ言ってくれましたね」

「一つだけなら、余計ではない」


 師匠が少し笑った。


 夕方、レインとエリナが作業場の前に立った。

 師匠は事務室でゴードンと話していた。

 マリオは市場の方に行っていた。

 二人だけだった。

 

「師匠と、話したのか?」

「話しました」

「何を話した?」

「いくつか。一つだけ教えます」

「どれだ?」

「先生が言いました。『言葉が少ないのは、嘘をつきたくないからだ』と」

 

 レインが少しだけ止まった。

 

「師匠がそう言ったのか?」

「そう言いました。レインのことを」

「……そうかもしれない。自分では、考えたことがなかった」

「私は、そうだと思いました。聞いた瞬間に」

「なぜ?」

「あなたの言葉は、少ないが、嘘がない。毎回、本当のことしか書いていない。だから、少ない言葉が重くなる」

 

 レインが少しだけ、エリナを見た。

 

「お前も、同じだ」

「そうですか?」

「お前の言葉も、少ないが嘘がない」

「それは、褒めていますか?」

「褒めている」

 

 作業場の前に、春の夕方の光が差し込んでいた。

 少し暖かかった。

 二人で、しばらく黙っていた。

 それが、不快ではなかった。


 夜、レインと師匠は宿をとっていた。

 宿の手配は、マリオがしてくれていた。

 出発前に、師匠がエリナに言った。

 

「また来る」

「お待ちしています」

「次は、もう少し長くいられるかもしれない」

「長くいてください」

「レインも、来るだろう。一人では来ないかもしれないが」

「先生」

「余計なことだった。失礼」


 その夜、エリナは机に向かった。

 レインへの手紙を書こうとして、止まった。

 今日、直接会った。

 今日、話した。

 それで十分かもしれない。

 でも、届けたいことがあった。

 

 レインへ

 

 今日、来てくれてありがとうございました。

 先生が「また来る」と言ってくれました。あなたも、また来てくれると思っています。

 今日、作業場の前で話した時間が、良かったと思っています。うまく言葉にできないが、あることは確かだ。

 春が来ています。ルシェムが、少し明るくなっています。

 

                                       ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 「今日、作業場の前で話した時間が、良かった」という一行を、書く前に少し考えた。

 でも、届けたかった。

 今日のことを、知っていてほしかった。

 ランプを吹き消した。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、レインが来た。

 春が、来ている。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

評価や感想を貰えると執筆のモチベーションがアップするので

どんどん評価や感想をください!

ブクマもお願いします!

お待ちしております(*^-^*)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。