↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/120

53話 フィオナとルシェムの日々

 フィオナがルシェムに来て、三日が経った。

 一日目は休んだ。

 本当に休んだ。午前中は部屋で眠っていて、午後にようやく起きてきて、台所でルナの薬草茶を飲んで、また少し眠った。

 エリナが様子を見に行くと、フィオナが布団の中から言った。

 

「王都では、こんなに眠れなかった」

「眠れていなかったんですか?」

「三、四時間寝ればいい方だった。考えることが多くて、目が覚めてしまう」

「それは、体に良くない」

「わかってる。でも、止められなかった。ここに来てから、初めてちゃんと眠れた」

「ルシェムの空気のおかげですか?」

「あなたたちがいるからだと思う」


 フィオナが目を閉じたまま言った。


 「知っている人たちがいる場所では、緊張が解ける」


 二日目から、フィオナは少しずつ動き始めた。

 まず、マルタの店に行った。

 石鹸の販売状況を直接確認したい、と言っていた。

 マルタはフィオナを見て、すぐに椅子を出してきた。

 

「あんた、少し痩せたんじゃないか?」

「王都では、忙しかったから」

「ちゃんと食べなきゃだめだよ。うちで豆のペーストを食べていきな。エリナちゃんのやつ、今日も入ってるから」

「食べる」

 

 マルタがペーストを乗せたパンを出してきた。

 フィオナが一口食べて、少しだけ目を細めた。

 

「美味しい」

「でしょう? 変わらないから、いいんだよ」

 

 変わらないから、いい。

 フィオナは、その言葉を少しだけ受け取った。

 後でエリナに話してくれた。

 

「マルタさんが、変わらないからいい、と言った。その言葉が、妙に残った」

「そうですか」

「王都では、変わらないことが弱さに見える時がある。常に次の手を考えていないといけないから。でも、マルタさんの言葉を聞いて、変わらないことが強さになる場所もあるんだと思った」

「どちらが正しいということではないですか」

「そう。場所によって、どちらが必要かが違う」


 三日目、フィオナはゴードンと一緒に作業した。

 模造品対策として、品質基準の周知を進める作業だ。

 各町の薬屋に配る説明書を、ゴードンが整理していた。フィオナが王都での経験から、言葉の選び方についていくつか提案した。

 

「この表現だと、専門的すぎて薬屋の人には伝わりにくい。もう少し日常の言葉で書いた方がいい」

「例えばどう変えますか?」

「『品質の均一性を確保するための工程管理』ではなく、『毎回同じ品質になるよう、作る手順を決めている』という言い方の方がわかりやすい」

「確かに。私は数字と記録が専門なので、こういう言葉の選び方は苦手です」

「私は、言葉で人を動かすのが仕事だったから。宮廷では、言葉の選び方が全てだから」

「フィオナさんのその経験が、ここでも役立つ」

「そう思ってくれると、嬉しい」

 

 午後、説明書が一枚仕上がった。

 エリナが読むと、わかりやすかった。

 

「これなら、薬屋の人にも伝わります」

「マリオにも読んでもらった。わかるって言ってたから、大丈夫だと思う」

「マリオが基準ですか」

「マリオが読めれば、市場の人も読める。あなたが言っていた言葉よ」

「そうでしたね」

「あなたの言葉を、ちゃんと覚えてる」

 

 四日目、マリオがフィオナを作業場に案内した。

 フィオナは石鹸の製造工程を、初めて直接見た。

 手紙では何度も読んでいたが、実際に見るのは初めてだった。

 灰と獣脂を合わせて、煮詰めて、型に流して、固める。

 フィオナがその工程を見ながら、静かに言った。

 

「想像より、地味だ」

「地味です」

「でも、確実」

「そうです」

「地味で確実なことが、広がっていく。それが、あなたのやり方だ」フィオナが言った。「派手な一手ではなく、地道な積み重ね」

「フィオナは、そういうやり方が得意ではないですか?」

「得意ではない。私は、場の空気を読んで、瞬時に動くのが得意だ。長期の地道な作業は、苦手な方」

「だから、二人で補い合える」

「そうね。あなたが地道に積み上げて、私が場の空気を動かす。両方がないと、うまくいかない」

 

 ルナが蒸留器の前で作業をしていた。

 フィオナがルナを見た。

 

「ルナ、一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「毎日、同じ作業を続けることが、苦痛ではない?」

 

 ルナが少し考えた。

 

「苦痛ではない」

「なぜ?」

「同じことをしていると、少しずつ変わることに気づく。昨日と今日では、少しだけ違う。それが面白い」

「同じことの中に、違いを見つける」

「そう」

「それは、私にはなかなかできない。私はすぐに、新しいものを探してしまう」

「どちらも必要だと思う。同じことを続ける人と、新しいものを探す人が、両方いると強い」

「ルナ、またいいことを言う」

「事実を言っているだけ」


 五日目の夜、フィオナとエリナが二人で台所に残った。

 ルナが作ってくれた薬草茶を飲みながら、少しだけ話した。

 

「エリナ」

「何?」

「一つ、聞いていい?」

「どうぞ」

「ルシェムにいて、後悔したことはある?」

 

 エリナは少しだけ考えた。

 

「後悔、というのは?」

「没落して、ここに来て、魔法もなくて、貴族の社会から切り離されて。そういう境遇を、後悔したことはある?」

「最初は、少し。でも、すぐになくなった」

「なぜ?」

「考えることが多すぎて、後悔している時間がなかった」

 

 フィオナが少しだけ笑った。

 

「それもあなたらしい」

「フィオナは、後悔することがありますか?」

「ある。ベルナにいた頃、もっと早く動けばよかった、という後悔がある。父が事業に失敗した時、もっと何かできたかもしれない、という後悔も」

「でも、動けなかった」

「そう。動き方がわからなかった。あの頃の私には、あなたみたいに考える材料がなかった」

「材料というのは?」

「知識と、それを使う意志。あなたは、最初から両方持っていた。私には、意志はあったかもしれないが、知識がなかった」

「フィオナは、知識を自分で集めてきた。王都で一年かけて」

「そう。でも、あなたと出会ってから、かな。本当に動き始めたのは」

「それは、私も同じです。マリオが来てから、動き始めた」

「一人では動けないもんだね、結局」

「そうかもしれません」

「あなたでも?」

「私でも」


 六日目、フィオナがグレンと話していた。

 市場の外れで、グレンが荷物を運んでいるところに声をかけたらしい。

 

「グレンさん、面白い人」

「どういう意味ですか?」

「無口だけど、目が正直。嘘をつける目をしていない」

「グレンさんは、そういう人です」

「王都には、あまりいないタイプ。王都の人は、目で計算する。グレンさんは、目で見ているだけ」

「見ている、だけ、ですか?」

「そう。計算なしに、ただ見ている。それが、信頼できる目」

 

 エリナは、グレンの腕を思い出した。

 最初に、大きな手でぽんと頭を叩いてくれた日。

 

「グレンさんは、石鹸が広まってから、傷の手当てをする時に使うようになってくれた。それで、仕事の傷が膿まなくなったと言っていました」

「そういう話が、直接聞ける場所にいるんだね、あなたは。王都では、そういう話はなかなか聞けない。全部、報告書を通じてくる」

「直接聞けることが、大事だと思っています」

「そうだと思う。私が王都から動いていたのは、あなたが現場にいてくれるからだった。現場がなければ、報告する数字がない」

「フィオナが動いてくれなければ、数字を届ける場所がなかった」

「お互い様。また、その言葉」

「本当のことだから」


 七日目の朝、フィオナが出発の準備をしていた。

 一週間、いると言っていた。予告通りだった。

 

「もう少しいませんか」


 マリオが言った。

 

「王都に戻らないといけない。クロヴェルが動く前に、先手を打っておきたい」

「仕事熱心だな」

「あなたも同じでしょう? ルシェムを離れたくないくせに、毎日市場に出る」

「それは仕事だからだ」

「私も同じよ」

 

 マリオが少しだけ笑った。

 

「また来るか?」

「来る。次は、もっと早く来る」

「待ってる」

「マリオが言うと、素直に嬉しい。エリナと違って、感情が顔に出るから」

「エリナは、最近少し出るようになったぞ」

「知ってる。それが、一番の変化だと思っている」


 出発前に、フィオナとエリナが少しだけ話した。

 

「一週間、ありがとうございました」

「こちらこそ。来てよかった。充電できた」

「充電?」

「エネルギーが、戻ってきた感じ。王都に戻っても、しばらくは動ける」

「ルシェムで充電できるなら、また来てください」

「来る。今度は、春になったら来る。花が咲く頃に」

「待っています」

 

 フィオナが少しだけエリナを見た。

 

「一つだけ言っておく」

「何ですか?」

「この一週間、あなたを見ていて思ったことがある」

「何を?」

「幸せそう。以前のあなたには、なかった顔をしている」

「幸せそうですか?」

「そう。忙しいし、大変なことも多いのに、顔が穏やかだ。前は、どこかいつも戦っている顔をしていた。今は、それがない」

 

 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。

 

「幸せ、かどうかはまだわかりません」

「わからなくていい。でも、そういう顔をしてる。それで十分よ」


 馬車がルシェムを出発した。

 エリナ、マリオ、ルナ、ゴードンが見送った。

 フィオナが窓から手を振った。

 マリオが大きく手を振り返した。ルナが小さく手を上げた。ゴードンが静かに頭を下げた。

 エリナは手を振りながら、フィオナの顔が見えなくなるまで見ていた。

 馬車を眺めながらマリオが言った。

 

「また来てくれるかな」

「来ます」

「どうしてそんなに確信があるんだ?」

「フィオナは、来ると言ったら来る人だから」

「そうか。じゃあ、待っていよう」


 その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。

 

 レインへ

 

 フィオナが一週間いて、今日帰りました。

 この一週間で、フィオナはマルタさんに会い、グレンさんに会い、ルナと話し、ゴードンさんと作業し、作業場を見て、市場を歩きました。

 出発前に言われた言葉があります。「幸せそうだ、以前にはなかった顔をしている」と。

 私には、まだ幸せかどうかわかりません。でも、そういう顔をしているなら、そうなのかもしれません。

 一つだけ、あなたに届けたいことがある。

 フィオナが「充電できた」と言いました。ルシェムで、知っている人たちと一緒にいることで、エネルギーが戻ったと。

 私も、同じことを感じることがあります。あなたの手紙を読む時に、少し充電される感じがします。

 うまく言葉にできないが、あることは確かだ。

 また来ると言ってくれた。待っています。

 

                                         ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 「あなたの手紙を読む時に、少し充電される感じがします」という一行。

 書く前に、少し迷った。

 でも、本当のことだから書いた。

 届けたかったから、書いた。


 ランプを吹き消した。

 隣の部屋が、また静かになった。

 フィオナがいた一週間は、少し賑やかだった。

 でも、静かになった今も、悪くなかった。

 

 フィオナが来た。

 フィオナが帰った。

 また来ると言った。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、フィオナを見送った。

 また来ると知っている別れは、寂しくない。

 それが今夜、一番確かなことだった。

読んでいただきありがとうございます。

評価や感想を貰えると執筆のモチベーションがアップするので

どんどん評価や感想をください!

ブクマもお願いします!

お待ちしております(*^-^*)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。