36話 骨格が、見えた日
レインから骨格の案が届いたのは、手紙を出してから三週間後だった。
封筒が、今まで届いたどの手紙よりも厚かった。
開けると、五枚の紙が入っていた。
一枚目に、短い手紙があった。
エリナへ
骨格の案を作った。師匠にも確認してもらった。
五枚送る。一枚目がこの手紙。二枚目が全体の構成案。三枚目が学院のデータの整理。四枚目がゴードンさんへの確認事項。五枚目は、別に書いた。
まず二枚目から四枚目を読んでほしい。五枚目は最後に。
――レイン――
エリナは指示通り、二枚目から読んだ。
二枚目は、最終報告の全体構成案だった。
丁寧な字で、箇条書きにまとめられていた。
第一部:課題の提示。魔法に頼りきった社会では、魔法師が届かない場所の問題が解決されない。その具体的な事例。
第二部:実証。魔法を使わない方法で、その問題を解決できることを示す数字。学院の感染率を中心に、各町の薬屋データと供給記録を補助として使う。
第三部:波及。一地方の話ではなく、同じ方法が複数の場所で同じ効果を生んでいることを示す。ベルダンの記録を、民間が自発的に採用した証拠として使う。
第四部:提言。魔法と知識の補完関係。魔法を否定するのではなく、魔法が届かない場所を知識で埋める仕組みを、国として整えることの提案。
最後に一行。
この四部構成は、父上の改革案の論理と同じ骨格です。父上は『魔法に頼りきらない国を』と言った。この報告は、その具体的な実証になります。
エリナは二枚目を読み終えて、少しだけ止まった。
父上の改革案の論理と同じ骨格。
レインがそれを、明示的に書いた。
エリナがそう考えていたことは、レインは知っていた。でも、骨格の案として文章にした時に、わざわざ一行で示してくれた。
これは報告書の構成案だ。でも、その最後の一行は、報告書のためではない。
エリナへの言葉だった。
三枚目を読んだ。
三枚目は、学院のデータの整理だった。
術後感染率の推移が、月ごとに表になっていた。採用前の半年と、採用後の一年分。
数字が、視覚的に並んでいる。
採用前の感染率を一〇〇とすると、採用後の最初の月は八十三、三ヶ月後には六十、半年後には四十五、現在は三十八。
一年かけて、感染率が六割以上下がっていた。
その下に、師匠の注記があった。
この数字は、魔法師団長が毎月確認している。つまり、データの信頼性は王宮が保証している形になっている。
エリナは、この注記の意味を考えた。
王宮が毎月確認している数字。それを、クロヴェルは否定できない。
師匠が、そこまで考えて記録を積み上げていてくれた。
四枚目は、ゴードンへの確認事項だった。
各町の薬屋データについて、提示の順番の提案。ベルダンの記録の使い方の確認。数字の表現を統一するためのフォーマットの提案。
細かく、丁寧だった。
ゴードンに見せると、すぐに動いてくれるはずだ。
五枚目を、最後に開けた。
エリナへ
別に書く、と言ったのは、これが報告書の内容ではないからだ。
おばあさんの孫の話、読んだ。
『狙っていなかったものが、届いていた』という言葉を、何度か読み返した。
俺が学院で消毒液の採用を進めた時、具体的な顔を想像していたわけではなかった。数字で考えていた。感染率が下がる、そのことを考えていた。
でも、お前の手紙を読んで、その数字の中に、具体的な顔がある、ということを改めて思った。感染が防がれた人の顔。孫の病気が減ったおばあさんの顔。
数字は正しい。でも、数字の奥に人がいることを、忘れないようにしたいと思った。お前が教えてくれた。
それから。目が少し熱くなった、という話。
俺は、そういう話を聞くのが初めてではない。師匠が泣くところを、一度だけ見たことがある。弟子の魔法師が、大きな手術の後で助かった時だった。師匠は「うまくいった」と言って、それだけ言って、少し目を伏せた。
その時の師匠の顔を、今日思い出した。
お前が目を熱くした時の顔を、俺は見ていない。でも、想像した。
うまく言葉にできないが、あることは確かだ。
残り三ヶ月。
――レイン――
エリナは五枚目を、読み終えてから、また最初から読んだ。
数字の奥に人がいることを、忘れないようにしたい。お前が教えてくれた。
師匠の顔を思い出した。
お前の顔を想像した。
「うまく言葉にできないが、あることは確かだ」という言葉が、今回はいつもより重かった気がした。
いつもと同じ言葉なのに、今日は少し違う重さで届いた。
なぜか、考えようとした。
整理できなかった。
でも、整理しなくていいと、最近は思えるようになった。
ゴードンを呼んで、四枚目の確認事項を渡した。
「レインが、かなり細かく考えてくれています。データの提示順の提案は、理にかなっている。王宮の場での心理的な流れを意識している」
「心理的な流れ、とは?」
「最初に課題を見せて、次に解決策を見せて、それが広がることを見せて、最後に提言する。聞く側が自然に引き込まれる順番になっている」
「学院での発言を想定して作った構成ですね」
「そうだと思います。レインさんは、場の作り方を考えている」
「報告書を作るだけでなく、その場でどう伝えるかまで考えている」
「そうです。私が考えていなかった部分でした。データを揃えることは考えていたが、場の流れを設計することまでは」
「ゴードンさんは数字を揃える人で、レインは場を作る人で、私は方針を決める人か」
「フィオナさんは情報と感情の人で、マリオさんは現場と人脈の人で、ルナさんは素材の人ですね」
「六人が、違うものを持っている」
「だから、揃うとこれだけのものができる」
昼過ぎ、マリオが事務室に入ってきた。
「何かあったのか? ゴードンさんが嬉しそうな顔をしてた」
「レインから骨格の案が来た」
「骨格?」
「一年後の王宮報告の設計図が届いた」
「おお! それって、もう形が見えてきたってこと?」
「見えてきた。あとは、数字を整理して、提示の仕方を磨いて、場に臨む準備をする」
「三ヶ月で間に合うのか?」
「間に合わせます」
「強いな、お前」
「強くはない。ただ、やるしかない」
「それが強さじゃないのか? 俺には、そう見える」
エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。
「マリオ」
「何?」
「一つ、聞いていいですか?」
「何でも」
「マリオは、なぜここまで一緒にいてくれるんですか」
マリオが少し驚いた顔をした。
「急に何だよ」
「骨格の案を見て、一年後が見えてきた気がした。それで、一緒にいてくれている人たちのことを改めて考えた」
「そうか」
マリオがしばらく考えた。
「理由かぁ」
「うん」
「最初は、豆のペーストがうまかったから」
「それは知っています」
「次は、お前が面白かったから」
「面白い?」
「変な意味じゃないよ。お前と話してると、自分が知らないことを考えてる感じがして、それが面白かった」
「今は?」
マリオが少しだけ間を置いた。
「今は、お前が続けるから、俺も続ける。それだけだ」
「それだけ、ですか」
「それだけで、十分だろ」
エリナはその言葉を、少しだけ反芻した。
前に、マリオが同じようなことを言った。「理由とか計算とかじゃなくて」と言った。
この人は、いつも同じ方向から答える。
計算なしに、そこにいる。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
マリオが笑った。
「珍しいな、お礼を言うの」
「言います」
「最近は言うようになったな。それも変わったことの一つかな」
「そうかもしれません」
夕方、ルナが薬草の仕分けをしながら言った。
「報告書、できそう?」
「骨格が見えた」
「よかった」
「ルナ」
「何?」
「今まで、薬草を届け続けてくれてありがとう。それがなければ、数字は積み上がらなかった」
ルナが手を止めた。エリナを見た。
「当たり前のことをしただけ」
「当たり前にできることが、一番大事なことだから」
以前も同じことを言った気がした。ルナも、同じことを聞いた顔をした。
「エリナが教えてくれたから」
とルナが言った。
「それで十分」
夜、エリナはレインへの返事を書いた。
レインへ
骨格の案、受け取った。ゴードンさんとすぐに確認した。『場の流れを設計している』と言った。数字を揃えることしか考えていなかった、とも言っていた。あなたが、見えていなかった部分を見ていてくれた。
五枚目、読んだ。何度か読んだ。
『数字の奥に人がいることを、忘れないようにしたい』という言葉、受け取った。おばあさんの孫の話を書いてよかった。
師匠の顔の話、読んだ。師匠が弟子の手術が成功した時に目を伏せた話。その話を、今日私に書いてくれた理由を、少し考えた。考えたが、うまく言葉にできなかった。でも、あることは確かだ。
一つだけ言う。あなたが『想像した』と書いてくれたことを、私は知っていてほしかったと思う。
残り三ヶ月。骨格が見えた。あとは積み上げる。
――エリナ――
書いて、少しだけ見た。
「あなたが想像したことを、私は知っていてほしかったと思う」という一行。
これは、相手に知っていてほしいから書く、ということだ。
報告でも情報でもない。
でも、届けたかった。
封をした。
机の上に封筒が一つ。
窓の外、冬のルシェムの夜は、静かに冷たかった。
骨格が、見えた。
あとは、積み上げる。
残り三ヶ月で、積み上げる。
エリナ・アッシュフォード、八歳。
今日、形が見えた。
それが今夜、一番大事なことだった。
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