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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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27話 ダリウスが動いた夜

 フィオナからの緊急の手紙が届いたのは、夜の八時を過ぎた頃だった。

 エリナはまだ起きていた。薬草の分類図を更新する作業をしていた。ルナが新しく持ってきた種類を、既存の図に書き加える地味な作業だ。

 戸口をマリオが叩いた。

 

「早馬だ。フィオナさんから」

 

 封蝋の葉っぱの印が、いつもより深く押されていた。急いで押したのだろう。

 開けると、一枚の紙だった。短い。


 エリナへ

 

 今夜、動く。

 クロヴェル侯爵が、明日の朝、魔法省の内部会議でアッシュフォード商会の「危険性」について議題を提出する予定だ。内容は「魔法師の職域を侵す商業活動の規制について」。これが通れば、石鹸と薬草薬の販売に、魔法省の許可証が必要になる。許可証の発行はクロヴェルが握る魔法省が管轄する。つまり、永遠に許可が下りない仕組みを作られる。

 情報源は確かだ。今夜中に手を打つ必要がある。

 アルバ殿下には既に連絡した。殿下は「動ける」と言った。

 一つだけ聞く。ダリウスに、連絡を入れていいか。

 

                                         ――フィオナ――


 エリナは手紙を読み終えて、すぐに立ち上がった。

 

「マリオ、ゴードンさんを呼んできて。今すぐ」

「何かあったか?」

「明日の朝までに動く必要がある」

 

 マリオが走り出した。

 エリナは机に向かって、フィオナへの返事を書いた。

 

『ダリウスへの連絡、任せる。ただし、こちらから何かを「頼む」形にはしないこと。彼が自分で判断できる情報だけを渡す形で』

 

 書いて、すぐに封をした。

 早馬の使いはまだ外にいた。返事を渡して、すぐに戻るよう頼んだ。


 ゴードンが来た。

 エリナは状況を三分で説明した。

 ゴードンが黙って聞いて、口を開いた。

 

「魔法師の職域を侵す、という論理は、感情的な支持を集めやすい。特に中小の魔法師たちは、自分の仕事が脅かされると感じれば反射的に賛成する」

「だから、明日の会議が開かれる前に、その論理を崩す必要がある」

「崩す方法は?」

「二つ」


 エリナが答えた。


「一つ目は、石鹸と薬草薬が魔法師の仕事を奪っていないという事実を、数字で示すこと。二つ目は、この規制案が通ることで、誰が損をするかを明確にすること」

「一つ目は、学院のデータがある」


 ゴードンが頷いた。


「術後感染の減少で、治癒魔法師の負担が軽くなっている。それは魔法師の仕事を奪っているのではなく、重要な仕事に集中できるようにしているということだ」

「二つ目は、規制が入れば、石鹸と薬草薬が町に届かなくなる。届かなくなれば、病人が増える。病人が増えれば、治癒魔法師の需要は増える。でも、全員を治癒できるほど魔法師はいない。つまり、助けられるはずだった人間が助けられなくなる」

「誰が損をするかは、平民だ」

「そう。これを、魔法師たちが自分で気づける形で提示する必要がある」

 

 ゴードンが少し考えた。

 

「今夜中にできることは限られています。レインさんと師匠に連絡を入れることと、アルバ殿下の動きを待つことが、今夜の主な手段になるかと」

「レインへの手紙を書く。今夜の速達で学院に届けてもらえますか」

「手配します」

 

 エリナはすぐに紙を取った。


 レインへ

 

 緊急。

 明日の朝、魔法省の内部会議で、アッシュフォード商会の販売活動に魔法省の許可証を必要とする規制案が提出される。提出者はクロヴェル侯爵。

 論理は「魔法師の職域を侵す商業活動の規制」。

 これに対して、学院の師匠から魔法師団長へ、今夜中に一言でもいいので連絡を入れてほしい。内容は「規制案の審議を急がないよう」という要請だけでいい。審議を一日でも遅らせれば、こちらが準備できる。

 無理ならば無理と返事をくれ。できるならば、できると返事をくれ。

 

                                        ――エリナ――


 書いて、ゴードンに渡した。

 

「速達で」

「わかりました」

 

 ゴードンが外に出た。

 マリオが事務室の入り口に立っていた。

 

「俺にできることはあるか?」

「今夜は、待機していてほしい。何か動きがあった時に、すぐ動ける状態で」

「わかった」


 マリオが壁にもたれた。


「なあ、エリナ」

「何?」

「こういう時、怖くないか」

 

 エリナは少し考えた。

 

「怖い」

「そうか」

「でも、怖いかどうかより、できることをやるかどうかの方が大事だから」

「それを怖いまま言えるのが、お前だな」


 マリオが静かに言った。


 深夜近く、三通の返事が届いた。

 順番に開けた。

 一通目は、フィオナから。


 ダリウスに連絡した。

 彼は、少し黙った後で「知っていた」と言った。

 明日の会議の件、父から事前に聞いていたらしい。どうするかは、言わなかった。でも、電話を切る前に一言だけ言った。「私が動けることと、動けないことがある」と。

 どういう意味かは、明日わかると思う。

 アルバ殿下は今夜、魔法師団長に直接会いに行った。詳細は明日。

 今夜は、できることをやった。あとは朝を待つ。

 

                                         ――フィオナ――


 二通目は、レインから。


 師匠に連絡した。

 師匠は「その会議の件は把握している」と言った。把握していた。つまり、師匠はすでに何かを考えていた。

「審議を急がないよう」という要請は、今夜中に魔法師団長に入れる、と言った。師匠は、こういう時に動きが速い。

 一つだけ付け加える。明日の会議に、俺も出席できる可能性がある。学院の代表として、石鹸と消毒液の使用結果を報告する機会があれば、発言できる立場にある。師匠に確認している。

 結果は明日の朝に連絡する。

 

                                         ――レイン――


 三通目は、ダリウスからだった。

 封蝋はクロヴェルの家紋だったが、少しだけ崩れていた。急いで押したのか、あるいは力が入らなかったのか。


 エリナ・アッシュフォード殿へ

 

 フィオナ・クロスベル嬢から連絡を受けた。

 明日の会議について、私が「知っていた」ことは、フィオナ嬢に伝えた通りだ。

 私が動けることと、動けないことがある。

 動けないこと。父の規制案を、正面から止める力が、今の私にはない。それをやれば、家の中で私の立場がなくなる。家の立場を失えば、今後に使える手がなくなる。それは合理的ではない。

 動けること。会議の審議において、「時期尚早」という意見を一票入れることができる。一票だけだ。それで流れが変わるかは、わからない。でも、入れないよりは入れる。

 それだけのことだ。礼は不要だ。

 ただ、一つだけ言う。あなたの父上が提唱していた改革案の記録を、私は一度だけ読んだことがある。読んで、正しいと思った。正しいと思いながら、今まで何もしてこなかった。それが、私の弱さだ。

 一票だけだが、入れる。

 

                                   ――ダリウス・クロヴェル――


 エリナは、ダリウスの手紙を三度読んだ。

 

 一票だけだが、入れる。

 

 それだけのことだ、と彼は書いた。

 でも、それだけのことではない、とエリナは思った。

 家の中の立場を考えながら、それでも一票を入れると決めた。

 その一票が、会議の流れを変えるかどうかは、まだわからない。

 

 でも、動いた。

 

 エリナは紙を取って、ダリウスへの返事を書いた。

 

 ダリウス様

 

 手紙を読んだ。

 一票だけだが、入れる。その言葉で十分だ。

 あなたが「動けること」と「動けないこと」を、正直に書いてくれた。それが、今の私には一番必要な情報だった。

 父の改革案を「正しいと思った」と書いてくれた。それを、父に代わって受け取る。

 

                               ――エリナ・アッシュフォード』――

 

 書いて、封をした。

 明日の朝、届ける。


 夜が明けた。

 エリナはほとんど眠れなかった。

 でも、眠れなかったことへの後悔はなかった。

 朝の光が差し込んだ頃、フィオナから最初の報告が来た。


 会議は始まった。

 アルバ殿下が昨夜、魔法師団長に会っていた効果が出た。団長が冒頭で「本議題は、十分な審議期間を設けるべきだ」と発言した。これで、即日採決は難しくなった。

 クロヴェル侯爵は、それでも強行しようとした。でも、ダリウスが「時期尚早」と発言した。父親の顔が、少し変わったと後で聞いた。

 規制案は、「継続審議」扱いになった。今日は採決されない。

 完全に止めたわけではない。でも、時間を作った。時間があれば、数字を積み上げられる。

 エリナ、よくやった。いや、みんながよくやった。

 

                                         ――フィオナ――


 エリナは手紙を読んで、少しだけ目を閉じた。

 継続審議。

 採決は、先送りになった。

 完全な勝利ではない。クロヴェルは次の手を考える。ダリウスが今日動いたことで、クロヴェル家の内部関係がどう変わるかも、まだわからない。

 でも、今日は止まった。

 それで今日は、十分だ。


 昼頃、レインから短い手紙が届いた。


 会議の件、フィオナから聞いた。

 師匠が「今後の経緯を注視する」と言っていた。今日の結果は、学院の内部でも話題になっている。

 それとは別に、一つ報告する。

 今日の朝、図書室に行った。アッシュフォード侯爵の記録のページを、もう一度開いた。

 娘の誕生日の欄に、名前が書いてあった。エリナ。

 当たり前のことだが、改めて見て、少しだけ思うことがあった。うまく言葉にできないが、あることは確かだ。

 

                                         ――レイン――


 エリナはその手紙を読んで、少しだけ止まった。

 今日の朝、図書室に行った。

 会議のあった朝に、図書室に行って、そのページを開いた。

 なぜ今日だったのか、レインは書いていない。

 エリナも、理由を聞かなかった。

 聞かなくても、何かがある。それは確かだ。

 マリオが事務室に入ってきた。

 

「フィオナさんから聞いた。今日は止まったんだな」

「今日は、ね」

「十分じゃないか」

「十分。でも、次が来る」

「そん時はそん時だ」


 マリオが肩をすくめた。


「今日の分は、今日喜べばいい」

「喜んでいる」

「全然そう見えないけどな。まあ、そういうやつだからお前は」

「マリオ」

「何?」

「今日、よく動いてくれた」

「俺、ほとんど待機してただけだぞ」

「いつでも動ける状態でいてくれることが、大事なんです」

 

 マリオが少しだけ、照れた顔をした。

 

「……そういうこと言うなよ、急に」

「本当のことだから」

「わかった、わかった」


 マリオが頭を掻きながら出ていった。


 夕方、エリナはレインへの返事を書いた。

 

 レインへ

 

 今日、よく動いてくれた。師匠への連絡が、一番の要だった。ありがとう。

 図書室の話。今日の朝、そのページを開いたことを、なぜ教えてくれたのか、少し考えた。

 答えは出なかった。でも、教えてくれたことは嬉しかった。

 一年後の約束まで、残り五ヶ月になった。

 

                                          ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 残り五ヶ月。

 まだやることは山積みだ。継続審議になった規制案への対応、薬屋の第三者データの収集、各町への普及の拡大。

 でも今夜だけは、動いた人たちのことを思った。

 

 フィオナが王都で動いた。アルバ殿下が夜に団長を訪ねた。レインの師匠が今夜中に連絡を入れた。レインが学院で発言できる立場を準備した。ダリウスが、一票を入れた。

 

 一人では、今日は止められなかった。

 エリナはランプの火を見た。

 揺れている。

 でも、消えていない。

 それで十分だ。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、規制案は止まった。

 一票を入れてくれた人がいた。

 その一票の重さを、エリナは今夜、静かに受け取った。

読んでいただきありがとうございます。

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