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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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19話 フィオナからの手紙と、動く影

 フィオナからの最初の手紙が届いたのは、三人の現場責任者を決めてから五日後のことだった。

 朝の市場から戻ったマリオが、馬革の封筒を持って駆け込んできた。

 

「王都から来てる。フィオナさんからだ」

 

 エリナは薬草の仕分け作業をしていた手を止め、封筒を受け取った。

 封蝋には、小さなクロスベルの家紋の代わりに、フィオナが即興で作ったらしい印——葉っぱの形をした押し型——が押してあった。

 開けると、二枚の紙が出てきた。

 

 一枚目は、ルシェムへの報告。簡潔な文体で、王都の空気の変化が箇条書きにまとめられていた。

 二枚目は、全然違う文体だった。


 エリナへ

 

 王都は、思っていたより動きが早い。

 あなたが国王陛下に謁見した話は、翌日には宮廷の半分に広まっていた。反応は大きく二つ。「面白い」か「危険だ」か。中間がほとんどいない。

 クロヴェル派の動きを追っている。具体的な妨害はまだ出ていないが、水面下で根回しをしている気配がある。特に、商人ギルドの幹部数名と、魔法省の中堅どころが接触を繰り返しているのが気になる。

 一方で、実務派の魔法師たちの間では「アッシュフォード商会の成果を無視するのは損だ」という声が少しずつ出始めている。レインの師匠が動いてくれているらしい。

 あと、ダリウスが最近、宮廷でやや孤立しているという噂がある。父親との間で何かあったのかもしれない。確認中。

 それと——あなたが「事務室が少し広く感じる」と書いてくれたの、正直言うと少し嬉しかった。毒舌参謀として言わせてもらうと、あなたはもう少し素直に寂しいと言える人間になった方がいいと思う。次の手紙には、数字だけじゃなくて、もっと変なことを書いてちょうだい。

                                  ――フィオナ・クロスベル――

 

 追伸:レインへの手紙に『今日も雨が降った』と書いたでしょう。彼、それについて何か言ってた?


 

 エリナは手紙を読み終えて、少しだけ止まった。

 追伸の一行を、二度読んだ。

 ……なぜフィオナがそれを知っているのか。

 答えはすぐに出た。フィオナは王都にいて、レインも学院の用件で王都に出入りしている。どこかで顔を合わせたのだろう。そしてフィオナは、そういう情報を逃さない人間だ。

 エリナは手紙をたたんで、机の引き出しにしまった。

 

「何が書いてあったんだ?」

 

 マリオが横から覗こうとした。

 

「報告書」

「全部?」

「全部」

「なんか顔が赤いぞ」

「作業場が暑いから」

「今朝はそんなに暑くないだろ」

「うるさい。ゴードンさんを呼んできて。報告書の内容を共有する」

 

 マリオが何か言いたそうな顔をしながら、外へ出た。

 エリナは引き出しをもう一度開けて、手紙の一枚目だけを取り出した。

 フィオナの報告をゴードンと整理する。それが今、自分のやることだ。


 全員が集まったのは、昼前のことだった。

 事務室に、エリナ、ゴードン、マリオ、ルナの四人。

 エリナはフィオナの報告を読み上げ、要点を板に書き出した。

 

 クロヴェル派の動き——商人ギルド幹部と魔法省中堅の接触。

 

 実務派魔法師の声——『成果を無視するのは損』。

 

 ダリウスの孤立——父親との関係に何か変化の可能性。

 

「クロヴェルが商人ギルドを動かすとしたら、次は何を仕掛けてくる?」

 

 エリナが問うと、ゴードンが静かに答えた。

 

「一番可能性が高いのは、流通への介入です。私たちの商品が各町へ届く流通経路に、何らかの条件をつけてくる」

「具体的には?」

「例えば、街道の通行証の取得を複雑にする。あるいは、輸送を担う馬車業者に圧力をかけて、私たちの荷物の優先度を下げる」

「今の流通は、ハンスさんの繋がりで動いている」マリオが言った。「もし業者に圧力がかかったら、ハンスさんのところにも来るかもしれない」

「ハンスさんには、今のうちに話しておく必要がある」エリナが頷いた。「最悪の場合に備えて、別の輸送ルートの候補も考えておく」

「キーシュのジルカさんが、宿屋の繋がりで馬車業者を知っているかもしれません」ゴードンが言った。「宿場町ですから、輸送の人間は多いはずです」

「すぐに確認する。ジルカに手紙を書く」

 

 エリナは板に追記した。

 次に、ダリウスの話だ。

 

「ダリウスが父親と距離を置き始めているとしたら、それはチャンスでもある。ただし、焦って接触すると逆効果になる。フィオナにはもう少し様子を見てもらう」

「ダリウスって、前に来た時のあの人?」


 マリオが眉をひそめた。


「あいつ、信用できるのか?」

「今は、まだわからない」


 エリナが正直に答えた。


「でも、フィオナが『父親との間で何かあった』と言っているなら、彼の中で何かが動いている可能性はある。見捨てるより、注意して見続ける方が得策」

「様子を見る、ってことは、しばらく待つってことか」

「そう。急がない。ただし、目を離さない」

 

 マリオが難しそうな顔をした。

 ルナが、静かに口を開いた。

 

「……ダリウスって、怖い人?」

 

 珍しい質問だった。ルナが人の評価を口にするのはあまりない。

 

「怖い、というより……」


 エリナは少し考えた。


「複雑な人」

「複雑?」

「自分でも、どう動くべきかわかっていないんだと思う」

 

 ルナがゆっくりと頷いた。

 猫が一匹、ルナの膝から床に降りて、エリナの足元にすり寄った。


 その日の夜、エリナはフィオナへの返信と、ジルカへの手紙を書いた。

 フィオナへの手紙は、報告への返答を書いた後、最後にこう添えた。

 

『ダリウスの件、急がずに続けてほしい。クロヴェル派と商人ギルドの接触については、できれば接触の頻度と、どの案件で集まっているかを掴んでほしい。あと——追伸の質問には答えない。』

 

 書いてから、少し考えて、もう一行足した。

 

『でも、「雨が降った」と書いたのは、特に深い意味はない。ただ、事実だったから書いた。それだけのことだ。』

 

 「それだけのことだ」と書く回数が、最近少し増えている気がした。

 エリナはその一行を少しだけ見つめてから、封をした。


 翌朝、作業場でゴードンと在庫の確認をしていると、マリオが外から駆け込んできた。

 その顔が、いつもと違う。

 

「どうした」

「グレンさんが来てる。急いで話があるって」

 

 グレンは、長屋の前で待っていた。大柄な体が、今日は少し縮んで見えた。表情が硬い。

 

「どうしたんですか」

「昨日の夕方、王都から来た男が、俺に話しかけてきた。商人風の男だ。うちの仕事のことをいろいろ聞いてきた」

「どんなことを?」

「お前の商会と、どういう繋がりがあるか。どんな商品を扱っているか。誰から荷物を受け取っているか」

 

 グレンが顔をしかめた。


 「あの手この手で、うまく聞き出そうとしてきた。俺は適当にはぐらかしたが」

「その男の服装や馬車、覚えていますか?」

「上等な革靴だった。馬車は見なかったが、連れが一人いた。書記官みたいな男だ」

 

 エリナは、頭の中で素早く情報を整理した。

 書記官を連れた調査。商人風の男。上等な革靴。

 クロヴェル側の動きが、ルシェムに直接及び始めた。

 

「グレンさん、これから似たような人間が来たら、教えてください。話す必要はありません。ただ、いつ、どんな人間が来たかだけでいい」

「わかった。お前のところが潰されるのは、俺も困る。石鹸がなくなったら、手の傷がまた膿むからな」

 

 不器用な言い方だった。

 でも、その不器用さが、この男の誠実さだとエリナは知っている。

 

「ありがとうございます」

「礼はいい。ただ——」


 グレンが少し声を落とした。


「気をつけろ。あの手の調査は、だいたい次の手の前触れだ」


 グレンが帰った後、エリナは事務室に戻り、板に一つ追記した。

 

 ルシェムへの直接調査——始まった

 

 文字を書きながら、エリナは静かに考えていた。

 クロヴェルが動いた。

 まだ「調査」の段階だ。本格的な妨害ではない。でも、フィオナが言っていた「水面下の根回し」と、今日のグレンへの接触は、同じ流れの中にある。

 向こうは今、エリナたちの全体像を把握しようとしている。

 それが終われば、次の手が来る。

 いつ、どこから来るかはわからない。

 でも、来ることは確実だ。

 

「マリオ」

「なに」

「ハンスさんに、今日中に話しに行ける?」

「行ける」

「輸送ルートの話と、もし調査の人間が来ても、商会については話さなくていいということ、伝えてほしい」

「わかった」


 マリオが立ち上がった。


「他には?」

「ルナに、薬草の在庫を一週間分多めに確保してほしいと伝えて。万が一、流通が止まった時の備え」

「わかった」

「ゴードンさんには、ジルカへの手紙の写しを見せて、輸送ルートの代替案を一緒に考えてほしい」

「まとめて動くな」


 ゴードンが静かに言った。


「いい判断です」

「動ける間に、動く。止まってからでは遅い」


 夜、エリナは一人で机に向かった。

 頭の中の地図が、少しずつ書き換えられていく。

 

 ルシェム、ベルナ、ヴァロウ、トレネ、キーシュ。王都。学院。王宮。そしてクロヴェル。

 

 一年前には、台所の石鹸一個から始まった。

 今は、その石鹸をめぐって、王国の権力構造が少しずつ動いている。

 怖い。

 その気持ちは、正直に認める。

 

 でも——

 

 怖いということは、こちらの動きが、向こうにとって無視できないものになっているということだ。

 恐れられていない間は、まだ本当に戦っていない。

 エリナは、レインへの手紙を取り出した。

 先日書いたものの続きを書き足す。

 

『ルシェムへの調査が来た。クロヴェルの動きが、現場レベルまで下りてきた。学院側で、何か変化はある? 来月、一度ルシェムに来られるなら、直接話したい。報告書よりも、話した方が早いことがある。』

 

 書いてから、一呼吸置いた。

 「来られるなら来てほしい」と書くのは、これが初めてだ。

 いつもはレインの方から「また来る」と言っていた。

 自分から誘うのは、何か違うのだろうか。

 少し考えて——消さなかった。

 来てほしいのは本当のことで、理由も正当だ。それで十分だ。

 

 封をして、二通の手紙を並べた。

 

 フィオナへ。レインへ。

 

 王都の二人が、今夜も動いている。

 ルシェムでは、グレンが目を光らせている。マリオが動いている。ルナが薬草を数えている。ゴードンが帳簿を組み直している。

 みんなが、それぞれの場所で、それぞれにできることをしている。

 

 エリナ・アッシュフォード、七歳。

 

 クロヴェルの影が、ルシェムにまで伸びてきた。

 でも——

 影が伸びるのは、光があるからだ。

 ランプの火を見て、そう思った。

 消すのはまだ早い。

 やることは、まだいくつもある。

読んでいただきありがとうございます。

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