112話 新しい年の、最初の朝
一月一日、元旦の朝が来た。
エリナは五時半に目が覚めた。昨夜、年が変わったのは深夜だったから、眠りは短かった。でも、目が覚めた時に体が重い感じはなかった。新しい年の最初の朝だということが、起きた瞬間からわかった。窓の外がまだ暗かったが、台所に向かいながら、今日という日の重みを静かに感じていた。
台所の窓を開けた。
冷たい空気が入ってきた。霜が、今年最初の霜だった。いや、今年ではない、昨年の大晦日に降り始めた霜が、今年の元旦にも続いていた。霜に、年の区切りはなかった。季節は、人間の暦に関係なく動いていた。それが、少し好きだった。自然は正直だと、ルナがよく言っていた。霜も正直で、人間が決めた年の境界を気にせず降り続けていた。
湯を沸かして薬草茶を作った。今日も、ルナが用意してくれた年の変わり目の薬草を使った。一年の終わりに穏やかにして、新しい年に向けて体を整えるもの、とルナが言っていた。今朝も、その薬草茶が一杯目だった。
セレーナが来た。
「あけましておめでとうございます」セレーナが言った。
「おめでとうございます」エリナが答えた。
セレーナが台所の椅子に座って、エリナが作った薬草茶を受け取った。一口飲んで、少しだけ目を閉じた。それから開けて言った。
「毎年、この薬草茶を飲むと、新しい年が始まった気がする」
「毎年、ルナが用意してくれているんですね」エリナが言った。「昨夜、初めて知りました」
「私は知っていた」セレーナが言った。「ルナが来て最初の年から、用意してくれていた。でも、あなたには言わなかった。ルナが言わないから、私も言わなかった」
「なぜ言わなかったんですか、ルナは」
「続けることに、理由の説明はいらないと思っているのかもしれない」セレーナが穏やかに言った。「ルナは、大事だと思うことを、静かに続ける。それだけの人だから」
エリナは、その言葉を受け取った。ルナが毎年用意していた。誰にも言わずに、ずっと続けていた。それを、エリナは昨夜まで知らなかった。知らなかったが、毎年その薬草茶を飲んでいた。続けてきたことが、知らないうちに届いていた。それもまた、続けることの形だった。
蜂蜜のパンが、台所に置かれていた。
毎年、同じものだった。元旦の朝に、セレーナが用意してくれる蜂蜜のパン。それが九年目になっていた。エリナが九歳の時から、一度も途切れなかった。
「九年目ですね」エリナが言った。
「そうね」セレーナが言った。「続けてきたわ。あなたが覚えていてくれているから、続けられる」
「来年も、同じですか」
「来年も同じにする」セレーナが言った。「それが、始まりと終わりを同じにする、ということだから」
エリナは蜂蜜のパンを食べた。甘かった。九年間、変わらない甘さだった。変わらない甘さが、続いてきた九年間の味だった。今年もこの味から始まる。来年も、この味から始まる。それが、続けることの一番小さな、でも一番確かな形だった。
午前中、レインが来た。
元旦の朝でも、レインは普通の時間に来た。特別に早くもなく、特別に遅くもない。それが、レインらしかった。
「あけましておめでとうございます」エリナが言った。
「おめでとう」レインが答えた。「今朝も、窓を開けた」
「そうですか」
「昨日開けたから、今日も開けようと思った」レインが静かに言った。「昨日と、今日と、少し違う空気だった。それがわかった」
「どう違いましたか」
「昨日より、少し静かな空気だった」レインが言った。「元旦だから、ルシェムの人間が少し早起きをしないのかもしれない。いつもより人の動きが少ない分、空気が静かだった」
「それが、わかったんですね」
「二日目だから、一日目との違いがわかった」レインが言った。「続けることで、違いがわかるようになると言っていたな」
「そうです」エリナが言った。「毎日続けると、昨日との違いがわかるようになります。それが積み重なると、去年との違いもわかるようになります」
「そうか」レインが静かに言った。「では、続けていこう」
マリオが来た。
「あけましておめでとう」マリオが言った。「今年も、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」エリナが言った。
「今日は、市場が休みだ」マリオが言った。「元旦は、一年で市場が休む数少ない日の一つだ。だから、何もしなくていい一日だ」
「何もしなくていい日は、珍しいですね」
「珍しい」マリオが言った。「でも、そういう日があることが、大事だと思っている。続けるためには、休む日も必要だ」
「休むことも、続けることの一部ですか」
「そうだよ」マリオが言った。「休まずに続けようとすると、どこかで壊れる。休んで、また続ける。その繰り返しが、長く続けるためのやり方だ」
レインが静かに言った。
「農地も、そうだとベルトが言っていた。育てる季節と、休ませる季節が、両方必要だと」
「そうだよ」マリオが頷いた。「人間も、農地も、同じだな。続けることと、休むことが、両方必要だ」
昼前に、フィオナが来た。
自分の家から、散歩のような足取りで来た。厚手のコートを着て、庭の薬草を確認してから長屋に来た、という顔をしていた。
「新年おめでとう」フィオナが言った。
「おめでとうございます」エリナが言った。
「庭の薬草が、今朝も同じところにあった」フィオナが言った。
「当たり前のことですね」エリナが言った。
「当たり前のことが、嬉しい」フィオナが言った。「出かけて、帰ってきて、庭が同じところにある。植えた薬草が、育っている。それが、帰ってきたという感覚を作っている。その当たり前が、今年も続いた」
「来年の元旦も、同じですか」
「同じだ」フィオナが言った。「庭の薬草が、また同じところにある。それが、来年の元旦の形だ」
午後、ゴードンが来た。
元旦に来るのは、珍しかった。でも、今年は来た。
「おめでとうございます」ゴードンが言った。「一つだけ、伝えに来ました」
「何ですか」
「今年の最初の記録を、すでに始めました」ゴードンが静かに言った。「今日の日付で、「一月一日、新しい年が始まった」と書きました。それが、今年の最初の記録です」
「今日から、始めたんですか」
「昨日の記録を締めて、今日の記録を始める。それが、私の仕事のやり方です」ゴードンが言った。「元旦だからといって、記録を休みません。記録は、続けることが大事だから」
「記録することを、休まないんですね」
「休むことが、記録の空白になります」ゴードンが言った。「空白があると、何があったかがわからなくなる。だから、毎日続ける」
「ゴードンさんが毎日続けてくれているから、七年間の記録が残っています」エリナが言った。
「そうです」ゴードンが静かに言った。「七年間、一日も空白を作りませんでした。それが、私の今年一番の誇りです」
「誇りだと言ってくれましたね」エリナが少し驚いて言った。
「今日は言えました」ゴードンが言った。「新しい年の最初だから」
夕方、ルナとベルトが来た。
二人とも、いつも通りの顔をしていた。元旦だからといって、特別な様子は何もなかった。それが、二人らしかった。
「今日、農地を見てきた」ベルトが言った。
「元旦に、ですか」エリナが少し驚いた。
「見る日を、決めているわけではない」ベルトが短く言った。「でも、今日も見たかった。昨日見たから、今日と昨日の違いがわかる。それが大事だ」
「冬の農地は、毎日変わるんですか」
「変わる」ベルトが言った。「わかりにくい変化だが、確かに変わる。土が毎日少しずつ変わっている。霜が溶けた後の土と、溶ける前の土が違う。それを見続けることが、春の準備になる」
「見続けることが、準備になる」エリナが繰り返した。
「そうだ」ベルトが言った。「準備は、春になってからするのではない。冬の間、見続けることが、春の準備だ」
ルナが棚から薬草を一種類取り出しながら言った。
「植物も、同じだ。冬の間、土の中で静かに続けている。見えないが、続いている。それが、春に芽を出す準備だ」
「見えないが、続いている」レインが静かに繰り返した。
「そうだ」ルナが言った。「続いていることが、全部見えるわけではない。でも、続いていることは確かだ。それが、信じることの根拠になる」
夕食は、全員で食べた。
元旦の夕食は、昨夜の大晦日ほど手の込んだものではなかった。でも、セレーナが丁寧に作ったものだった。豆のスープが、今日もあった。変わらないものが、今日もテーブルにあった。
食事の途中、レインが言った。
「一つだけ、今日気づいたことを言っていいか」
「どうぞ」マリオが言った。
「今日、ルシェムにいて、全員と話した。それぞれが、違うことをしていた。でも、全員が同じ方向を向いていた」レインが言った。「マリオが休むことも続けることの一部だと言った。ゴードンさんが一日も空白を作らなかったと言った。ルナが見えないが続いていると言った。ベルトが冬に見続けることが春の準備だと言った。フィオナが庭の薬草が同じところにあることが嬉しいと言った。セレーナさんが蜂蜜のパンを九年目用意してくれた」
「全部が、違うことですね」マリオが言った。
「そうだ」レインが言った。「でも、全部が続けることについて話していた。それが、この場所の特徴だと思った」
「続けることについて、話している人たちが集まっている場所」エリナが静かに言った。
「そうだ」レインが言った。「だから、ここが良い場所なんだと思っている」
食事が終わった後、フィオナが帰り際にエリナに言った。
「来年の元旦も、また来る」フィオナが言った。
「来てください」エリナが言った。
「毎年来ることが、ここが帰ってくる場所だということだから」フィオナが静かに言った。「来年も、その次も、来る。それが、続けることだ」
「フィオナが来てくれるから、この場所が続いています」
「あなたがいるから、来られる」フィオナが言った。「いつものことだが、今日は言いたかった。新しい年の最初だから」
全員が帰った後、エリナはレインと事務室で少し話した。
「今日は、どうでしたか」エリナが言った。
「良い一日だった」レインが静かに言った。「特別なことは、何もなかった。でも、全部が大事だった」
「そうですね」
「セレーナ殿の蜂蜜のパン、九年間続いているんだな」レインが言った。
「そうです。毎年、同じものです」
「来年は、十年目になる」
「そうなりますね」エリナが言った。
「来年の元旦も、ここにいたい」レインが静かに言った。「来年は、宿からではなく、自分の家から来る元旦にしたい」
「荷物を置いてから、最初の元旦ですね」
「そうだ」レインが言った。「フィオナが言っていた。荷物を置いた時に、実感が来ると。来年の元旦には、その実感が来た後の朝になっている」
「楽しみにしています」エリナが言った。「来年の元旦に、庭の薬草を確認しているレインを」
「庭の薬草は、春まで育たない」レインが言った。
「でも、植えてある場所は見られます」
「そうだな」レインが少しだけ笑った。「植えてある場所を見て、春を待つ。それが、来年の元旦の形だ」
「待つことと、続けることは、似ているかもしれない」エリナが言った。
「荷物の中に入れてきたメモの言葉だ」レインが静かに言った。「来年の春に、花が咲く時に、その言葉が本当だとわかると思っている」
レインが帰った後、エリナは机に向かった。
今年最初のメモを書いた。
一月一日、元旦。蜂蜜のパンが九年目だった。ルナが毎年薬草茶を用意してくれていたことを、初めて知った。知らないうちに届いていたものが、あった。ゴードンさんが一日も空白を作らなかったと言った。それが誇りだと言った。レインが窓を開けたら昨日との違いがわかったと言った。来年の元旦は、自分の家から来ると言った。それを楽しみにしている。続けることについて話している人たちが集まっている場所。それが、ルシェムだとレインが言った。正確だと思った。
書いて、引き出しに入れた。
レインへの手紙も書いた。
『レインへ。今日は元旦でした。蜂蜜のパンが九年目でした。ルナが毎年薬草茶を用意してくれていたことを、今年初めて知りました。知らないうちに届いていたものが、あった。続けることは、全部が見えるわけではないけれど、届いている。今日、それを確かめました。来年の元旦に、自分の家から来ると言ってくれましたね。その朝を楽しみにしています。植えてある場所を見て、春を待つ。その朝が、来年の始まりになります。待っています。エリナ。』
書いて、封をした。
ランプを吹き消した。
新しい年の最初の夜が、窓の外にあった。霜が降りていた。静かだった。見えないが、続いていた。それが、今夜の形だった。
エリナ・アッシュフォード、十六歳。今日、新しい年が始まった。続けることについて話している人たちが、今日もここにいた。それが今夜、一番大事なことだった。明日も、窓を開ける。それだけで、十分だった。
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