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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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106/120

106話 十一月の手紙たち

 十一月になった。


 冬が、もうすぐそこまで来ていた。


 朝の霜が、また降り始めた。


 薄い霜だった。


 でも、毎日少しずつ厚くなっていた。


 エリナは毎朝、窓を開けて霜を確認した。


 今日の霜の厚さを、昨日と比べた。


 それが、冬の来方を教えてくれた。


 冬が来るということは、レインが来るということだった。


 十一月になってから、手紙が増えた。


 レインから。フィオナから。ダリウスから。マグダから。シェナから。ジルカから。師匠から。アルバ殿下から。


 それぞれが、それぞれの場所から届いた。


 まず、師匠から手紙が来た。


エリナ殿へ


地方の先生への講習が、先月終わった。三カ所で、合計十二人の先生に講習を行った。


反応は、良かった。先生たちは、学びたいという気持ちを持っていた。教える側が学びたいと思っている場所では、知識が広まりやすい。


俺の最後の設計仕事が、良い形で終わった。


十二月の末に退く。レインも、同じ時期に学院を離れる。


一つだけ、個人的なことを書く。


俺は、弟子を取ってきた。レインは、その中で一番、才能があった。でも、才能があることと、どこで使うかは、別のことだ。レインは、正しい場所を選んだと思っている。


それだけ言いたかった。


ヴォルフ・グラーセン


 エリナは師匠の手紙を読んで、「正しい場所を選んだ」という言葉を少しだけ見た。


 師匠が、そう言った。


 レインの師匠として、十年近く見てきた人間が、正しい場所だと言った。


『ヴォルフ・グラーセン先生へ


講習が良い形で終わったこと、嬉しいです。先生の最後の設計仕事が、良い反応を得たこと、受け取りました。


「正しい場所を選んだ」という言葉を、受け取りました。先生がそう言ってくださることが、大事なことだと思っています。


十二月の末に、お互いに新しい場所に向かう。それが、続けることの新しい形だと思っています。


エリナ・アッシュフォード』*


 レインから手紙が来た。


エリナへ


師匠の講習が終わった。俺も立ち会った。先生たちが、熱心に聞いていた。師匠が退く最後の仕事が、良い形で終わった。


十二月の二十八日に、学院を出る。


荷物は、多くない。でも、大事なものがある。


一つだけ、届けたいことがある。


お前から受け取ったメモが、二枚ある。一枚は、セレーナ殿の言葉。「気づいたらそうなっていた場所が、本当の始まりの場所だ」。もう一枚は、「待つことと、続けることは、似ているかもしれない」。


この二枚は、荷物の中に入れて持っていく。


それが、大事なものの一部だ。


レイン


 エリナはレインの手紙を読んで、「荷物の中に入れて持っていく」という一行を少しだけ見た。


 渡したメモが、荷物の一部になっていた。


 届けたものが、大事なものの一部になっていた。


『レインへ


「荷物の中に入れて持っていく」という言葉を受け取りました。届けたものが、大事なものの一部になっていることが、嬉しいです。


十二月の二十八日に来てください。待っています。


ゴードンさんが、家の候補を三つ出してくれました。庭があること、フィオナの家から近いこと、長屋から歩ける距離、という条件で選んでくれました。来た時に、一緒に見てください。


エリナ』*


 ダリウスから手紙が来た。


エリナ・アッシュフォード殿へ


定期報告をする。


宮廷内の動きは、落ち着いている。父の改革案が宮廷資料になったことで、アッシュフォード商会への見方が、さらに良い方向になっている。一つの商会ではなく、改革の流れを実現している組織として見られるようになってきた。


三つ目の提案の試験運用が、二カ月経った。農地からの薬草が、学校に届いている。まだ規模は小さいが、仕組みとして動いている。


一つだけ、個人的なことを書く。


先日、フィオナ殿が地方の三カ所を訪問した。その報告を聞いた。フィオナ殿は、現場を見ることで、何が必要かがわかる人間だと思った。王都にいるだけでは見えないものを、見てくる。


俺にはできないことを、フィオナ殿はやっている。それが、一緒に動くことの形だと思っている。


ダリウス・クロヴェル


 エリナはダリウスの手紙を読んで、フィオナに見せた。


「ダリウスが、あなたのことを書いていましたよ」


 フィオナが手紙を読んだ。


「俺にはできないことを、フィオナ殿はやっている、か」フィオナが静かに言った。


「どう思いますか」


「正確だと思う」フィオナが言った。「ダリウスは、王都で動く。私は、現場を回る。どちらも必要で、どちらも一人ではできない」


「一緒に動くことの形、とダリウスが書いていましたね」


「そうだな」フィオナが頷いた。「ダリウスが、そういうことを言えるようになった。それが、変わったことだと思う」


 マグダから手紙が来た。


エリナちゃん、元気かい。


子どもたちへの活動が、今月で一年半になった。続いているよ。


一つ、新しいことを報告する。


先月から、お母さんたちの間で、石鹸の使い方を教え合う集まりが、自然に始まった。誰が始めたかわからない。でも、月に一回、集まって話しているらしい。


子どもだけじゃなく、大人も動き始めた。


それが、一番嬉しいことだった。


マグダ


 エリナはマグダの手紙を読んで、少しだけ目を細めた。


 お母さんたちの集まりが、自然に始まった。


 誰が始めたかわからない。


 でも、始まった。


『マグダさんへ


お母さんたちの集まりが自然に始まった、という話を読んで、少しだけ止まりました。


誰が始めたかわからない。でも、始まった。それが、本当に広まった証拠だと思います。


来年も、続けていてください。続けることが、繋がることだから。


エリナ』*


 シェナから手紙が来た。


エリナ殿へ


新しい薬草の供給が始まって、一年が経ちました。


長引く咳への効果が確認された事例が、累計で九十八件になりました。副作用の報告は、引き続きありません。


ルナさんと話して、来年から供給量をさらに増やすことにしました。


それと、ベルトさんが見つけた薬草のサンプルを、先月現地で採取してきました。ルナさんに送ります。


シェナ


 エリナはシェナの手紙を読んで、ルナを呼んだ。


「新しい薬草の事例が、九十八件になりました」


「そうか」ルナが棚を見ながら言った。


「あと二件で、百件ですね」エリナが言った。


「数にこだわらなくていい」ルナが静かに言った。「大事なのは、効いているかどうかだ」


「そうですね」


「でも、九十八件は、良い数字だ」ルナが言った。「それだけの人に、届いた」


「それだけの人が、助かったかもしれない」


「そうだ」ルナが頷いた。「それが、数字の意味だ」


 ジルカから手紙が来た。


エリナ殿へ


キーシュの近況を報告します。


消毒液が、今では漁師たちの必需品になっています。以前は「使い方がわからない」と言っていた人たちが、今では新しい漁師に使い方を教えています。


伝える側と受け取る側が、入れ替わっていました。


それと、一つだけ。


港の近くの学校が、フィオナさんが先月訪問した場所の一つでした。先生が、講習を受けたいと言っていると聞きました。良い繋がりが、できてきました。


ジルカ


 エリナはジルカの手紙を読んで、フィオナに知らせた。


「ジルカさんから、港の近くの学校の先生が、講習を受けたいと言っているとのことです」


「そうか」フィオナが言った。「あの先生は、積極的だった。訪問した時から、そう思っていた」


「繋がりが、続いていますね」エリナが言った。


「現場に行ったから、繋がった」フィオナが静かに言った。「会っていなければ、続かなかった」


「フィオナが動いてくれたから、繋がった」


「あなたが動いてきたから、私が動ける場所があった」フィオナが言った。「いつものことだが、今日はそう言いたかった」


 アルバ殿下から手紙が来た。


エリナ殿へ


父上から、聞いた話がある。


先月の宮廷の会議で、アッシュフォード侯爵の改革案が議題として取り上げられた。当時の案と、現在の商会の活動を比較した資料が、委員の間で読まれた。


ある委員が言った。「当時、これを否定した人間は、今頃どう思っているのか」と。


父上は何も言わなかった。でも、父上の表情を見た人間が、「陛下が満足そうだった」と言っていた。


エリナ殿、陛下は、あなたの仕事を見ています。


アルバ・ヴァルデリア


 エリナはアルバ殿下の手紙を読んで、セレーナに伝えた。


「お母さん、陛下が、父の改革案と私の仕事を、満足そうに見ていたそうです」


 セレーナが少しだけ動かなかった。


「そうか」セレーナが静かに言った。


「お父さんも、どこかで聞いていると思います」


「聞いているわ」セレーナが言った。「今頃、「遅い」とも「ちゃんと来た」とも言わずに、ただ黙って見ているかもしれない」


「なぜですか」


「言葉がなくなる時がある」セレーナが穏やかに言った。「嬉しすぎて、言葉が出ない。そういう時は、ただ見ている」


「お父さんが、ただ見ている」エリナが繰り返した。


「そうよ」セレーナが笑った。「あの人は、そういう人だった」


 その夜、エリナは机に向かった。


 今月届いた手紙を、頭の中で並べた。


 師匠から。レインから。ダリウスから。マグダから。シェナから。ジルカから。アルバ殿下から。


 七通が届いた。


 それぞれが、違う場所から来た。


 でも、全部が同じ方向を向いていた。


 続いている、という方向だった。


 レインへの手紙を書いた。


『レインへ


今月、七通の手紙が届きました。


師匠が「正しい場所を選んだ」と言いました。マグダさんがお母さんたちの集まりが自然に始まったと言いました。シェナさんが九十八件の事例が確認されたと言いました。ジルカさんが港の学校の先生が講習を受けたいと言っていると言いました。ダリウスが一緒に動くことの形がわかってきたと言いました。アルバ殿下が陛下が満足そうだったと言いました。


全員が、違う言葉で、続いている、という方向のことを言っていました。


セレーナが言いました。「お父さんは今頃、言葉がなくなるほど嬉しくて、ただ見ているかもしれない」と。


その言葉が、今月一番大事な言葉でした。


十二月の二十八日を、楽しみにしています。


エリナ』*


 書いて、封をした。


 「言葉がなくなるほど嬉しくて、ただ見ている」という一行を、書いてから少しだけ見た。


 父が、どこかでそうしているかもしれない。


 それが、少し嬉しかった。


 ランプを吹き消した。


 十一月の夜が、窓の外にあった。


 冷たかった。


 霜が、また降りているかもしれなかった。


 明日の朝、窓を開けて確認する。


 それが、変わらない習慣だった。


 今月、七通の手紙が届いた。


 全員が、続いている、という方向を向いていた。


 父が、どこかでただ見ているかもしれない。


 エリナ・アッシュフォード、十六歳。


 今月、七通の手紙が届いた。


 全部が、続いている、ということだった。


 それが今夜、一番大事なことだった。

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