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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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104/120

104話 翌朝と、それぞれへの言葉

 翌朝、エリナは五時半に目が覚めた。


 秋の夜明け前だった。


 窓の外が、まだ薄暗かった。


 でも、空の端が少しずつ白くなっていた。


 台所に行って、湯を沸かした。


 薬草茶を作った。


 窓の外を見ながら、一口飲んだ。


 秋の朝だった。


 今日も、レインがここにいる。


 昨日決まったことが、今朝も本当のことだった。


 六時頃に、セレーナが台所に来た。


「早いわね」


「目が覚めました」エリナが言った。


「昨日のことを、考えていたか」


「少し」


「どんなことを」


「昨日決まったことが、今朝も本当のことかどうかを、確かめていました」エリナが言った。


「本当のことだったか」


「本当のことでした」


「そうね」セレーナが穏やかに言った。「本当のことは、朝になっても変わらない。それが、本物の証拠だ」


「お母さんも、昨夜そう思いましたか」


「そうよ」セレーナが言った。「昨夜、あなたの顔を見て、これは本物だと思った。だから、安心して眠れた」


「お母さんが安心できるなら、良かった」


「私が心配することは、何もない」セレーナが言った。「あなたが、ちゃんと見ていてくれる。それがわかっているから」


 七時頃に、レインが来た。


「おはようございます」エリナが言った。


「おはよう」レインが言った。


「よく眠れましたか」


「眠れた」レインが言った。「昨日話せたから、落ち着いた」


「私も、同じです」


「そうか」


 レインが席に座った。


 セレーナが薬草茶を出してくれた。


「ありがとうございます」レインが言った。


「どういたしまして」セレーナが言った。「ゆっくりしていってくださいね」


「もう一日だけ、いていいか」レインがエリナに聞いた。


「いてください」エリナが言った。「急ぐ理由がないなら」


「急がない」レインが言った。


「では、もう一日」


 朝食の後、マリオが来た。


「今日も、いるのか、レイン」


「もう一日いる」レインが言った。


「それは良かった」マリオが言った。「昨日、話せなかったことがある」


「何だ」


「昨日の食事の時、何か大事なことが決まった、というのはわかった」マリオが言った。「でも、詳細を聞かなかった。今日、聞いていいか」


 レインがエリナを見た。


 エリナが頷いた。


「話してください」エリナが言った。


「今年の冬に、学院を離れる」レインが言った。


「そうか」マリオが少しだけ止まった。


「ルシェムに、拠点を作ることを考えている」


「フィオナさんみたいに」


「そうだ」


 マリオがしばらく黙った。


 それから言った。


「良かった」マリオが言った。「本当に」


「マリオも、そういう言葉を言うんですね」レインが言った。


「フィオナさんも言ったか」


「言っていた」


「あいつと俺は、違うことを考えて、同じことを言う」マリオが言った。「でも、どちらも本当のことだから、同じになる」


「違う人間が、同じ言葉になる」レインが静かに言った。


「そうだよ」マリオが頷いた。「それが、ここが良い場所だということだと思う」


 ルナが作業場から出てきた。


 エリナとレインが外にいるのを見て、近づいてきた。


「今日も、いるのか」ルナがレインに言った。


「もう一日いる」


「そうか」ルナが頷いた。「農地の記録を見てほしいものがある。時間があれば」


「後で、見せてくれ」


「わかった」ルナが言った。それから少しだけ間を置いた。「それと、ベルトが見つけた薬草の件だが」


「師匠から報告が来たと聞いている」


「そうだ」ルナが言った。「師匠が退いた後も、私が続ける。でも、学院側の確認も続けてほしい」


「それを、俺に頼むのか」


「学院を離れた後でも、繋がりは続くだろう」ルナが静かに言った。「学院にいるかどうかと、学院との繋がりは、別のことだ」


 レインが少しだけ、ルナを見た。


「そういうことを言うのか、ルナは」


「当然のことを言っているだけだ」ルナが平坦な声で言った。「場所が変わっても、続けることは続く」


 午前中、レインとルナが農地の記録を確認した。


 エリナはその場に同席した。


 ゴードンも来た。


 四人で、今年の農地の記録を見た。


「二年目の成果が、明確に出ています」ゴードンが言った。


「どこが改善しましたか」レインが聞いた。


「腐葉土を混ぜた種類の成長速度が、一年目より三割早くなっています」ゴードンが言った。「収量も、見込みより多い」


「来年の栽培計画は、どうなりますか」


「規模を少し広げる予定です」ゴードンが言った。「ベルトさんが、来年の計画を既に考え始めているとのことです」


「ベルトが考え始めているのか」レインが少し驚いた顔をした。


「そうです」エリナが言った。「ベルトさんは、やると決めたら、準備が早い」


「山の仕事と、同じだな」レインが言った。「山では、準備不足が命取りになる。だから、準備する習慣がある」


「そうだと思います」エリナが言った。


 昼食の後、フィオナが来た。


「今日も、いるのか、レイン」


「もう一日いる」


「良かった」フィオナが言った。「昨日、話せなかったことがある」


「何だ」


「ルシェムに拠点を作ることを決めた、と聞いた」フィオナが言った。「一つだけ、アドバイスをしていいか」


「聞く」


「家を選ぶ時は、慌てないで選んだ方がいい」フィオナが静かに言った。「私は、三つの候補から選んだ。それぞれに、良いところと悪いところがあった。慌てて選ぶと、後で後悔する」


「そうだな」レインが頷いた。


「それと、庭があるところを選んだ方がいい」フィオナが言った。


「なぜですか」レインが聞いた。


「ルナが、庭に薬草を植えてくれる」フィオナが言った。「それが、帰ってきた、という感覚を作ってくれる。私が経験したことだ」


「フィオナが、そういうアドバイスをするのか」レインが少し笑った。


「私も、七年間いろいろ学んだ」フィオナが言った。「ルシェムで、何が大事かを学んだ」


「庭と、薬草が大事だということか」


「庭と薬草と、帰ってくる場所がある、という感覚が大事だということだ」フィオナが静かに言った。


 午後、ゴードンがレインに言った。


「一つだけ、お聞きしていいですか」


「どうぞ」


「学院を離れた後、どういう仕事をされるつもりですか」


「まだ全部は決まっていない」レインが言った。「でも、一つだけ確かなことがある」


「何ですか」


「この商会に関わり続けたい」レインが言った。「衛生教育の展開、農地の薬草の研究、ベルトが見つけた新しい薬草の確認。そういうことに、学院の外から関わる形を考えている」


「学院の外から関わる、というのは、具体的にはどういう形ですか」


「まだ設計中だ」レインが言った。「でも、ゴードン殿と一緒に考えたいと思っている。数字の人間と、研究の人間が一緒に設計すれば、良い形ができる気がする」


「それは、嬉しいことです」ゴードンが静かに言った。


「ゴードン殿が嬉しい、と言うのは、珍しいですね」レインが言った。


「今日は言えました」ゴードンが言った。「それだけのことが、積み上がってきたから」


 夕方、ベルトが農地から戻ってきた。


 レインを見て、短く言った。


「まだいたのか」


「もう一日いた」レインが言った。


「そうか」ベルトが言った。「農地の記録を見たか」


「見た。二年目の成果が、明確に出ていた」


「来年は、もっと出る」ベルトが短く言った。


「なぜそう思うのか」


「土が変わってきているからだ」ベルトが言った。「一年目より、土が薬草に合っている。二年目で変わった。三年目は、さらに変わる」


「土が変わる、というのは」


「育てることで、土が変わる」ベルトが静かに言った。「植物が育った場所は、植物が育ちやすい土になる。それが積み重なることだ」


「育てることで、育てやすくなる」レインが繰り返した。


「そうだ」ベルトが短く言った。


 レインがエリナに言った。


「ベルトが、また大事なことを言った」


「そうですね」エリナが言った。


「育てることで、育てやすくなる。それは、人間にも当てはまるかもしれない」


「どういう意味ですか」


「続けることで、続けやすくなる」レインが静かに言った。「最初は難しかった手紙も、続けることで、届けたいことが自然に言葉になるようになった。それが、土が変わることと同じかもしれない」


「あなたらしい見方ですね」エリナが言った。


「ベルトから学んだ」レインが言った。


 夕食を、全員で食べた。


 セレーナ、マリオ、ルナ、ゴードン、フィオナ、レイン、ベルト、エリナ。


 いつもの顔触れだった。


 食事の途中、マリオが言った。


「今日、一日どうだった、レイン」


「いろんな人と話した」レインが言った。


「誰と何を話したか、一言ずつ言えるか」マリオが言った。


「マリオと、良かったと言い合った。ルナと、農地の記録を見た。フィオナと、家の選び方を聞いた。ゴードンさんと、これからの仕事を話した。ベルトと、土の話を聞いた」レインが言った。


「全部が、大事な話だな」マリオが言った。


「そうだ」レインが頷いた。


「ここに来るたびに、そういう話ができる」マリオが言った。「それが、ここが良い場所だということだ」


「来るたびに確かめられる」レインが静かに言った。「手紙で知っていたことが、来てみると、また違う形でわかる」


「それが、また来たくなる理由だな」マリオが言った。


「そうだ」


 食事が終わった後、フィオナが帰る時に、エリナに言った。


「今日、全員がレインと話したな」


「そうですね」


「全員が、それぞれの言葉で、同じ方向のことを言っていた」フィオナが静かに言った。「良かった、と。ここが良い場所だ、と。続けられる、と」


「全員が、違う言葉で、同じことを言う」エリナが言った。


「それが、ここが本物の場所だということだと思う」フィオナが言った。「一人が言うのではなく、全員が自然にそう思っている。だから、本物だ」


 翌朝、レインが帰った。


 見送りに、全員が出た。


「また来ます」レインが言った。


「冬に来てくれますね」エリナが言った。


「霜の石畳の約束がある」レインが言った。


「それと、もう一つ」エリナが言った。


「何だ」


「拠点を作る話が、冬に進みますね」


「そうなる予定だ」レインが言った。


「楽しみにしています」エリナが言った。


「待っていてくれるか」


「毎回、同じ答えを返します」エリナが言った。「待っています」


 マリオが言った。


「レイン、また来い」


「来る」


「マルタさんとの約束も、まだ生きているからな」


「生きている」レインが言った。「秋に来られなかったから、冬に来た時に、マルタさんに会いに行く」


「それは、マルタさんが喜ぶ」マリオが笑った。


 ルナが静かに言った。


「来る時に、薬草のサンプルを持ってきてほしい。師匠に渡したものとは別のサンプルを、次の確認者に渡したい」


「次の確認者というのは、師匠の後を引き継ぐ人間か」


「そうだ」ルナが言った。「レインが、その人間を知っているか確認してほしい」


「確認する」レインが言った。


「頼む」ルナが頷いた。


 ベルトが短く言った。


「来年の農地、また報告する」


「待っている」レインが言った。


「土が、さらに変わる」ベルトが短く言った。


「楽しみにしている」


 馬が動き出した。


 レインが少しだけ振り返った。


 手を上げた。


 全員が手を振り返した。


 見えなくなった。


 マリオが言った。


「冬に来るな」


「来ます」エリナが答えた。


「今度は、もっと長くいるかもしれないな」


「そうなるかもしれません」


「そうなったら、また準備する」マリオが笑った。「俺の仕事だから」


「ありがとうございます」


「礼はいらない」マリオが言った。「でも、言ってくれると嬉しい」


「わかっています」


 その夜、エリナは机に向かった。


 レインへの手紙を書いた。


『レインへ


今日、帰りましたね。見送りました。


昨日と今日で、全員があなたと話しました。マリオが「良かった」と言いました。ルナが「場所が変わっても続けることは続く」と言いました。フィオナが家の選び方を教えてくれました。ゴードンさんが一緒に設計したいと言いました。ベルトが「育てることで育てやすくなる」と言いました。セレーナが「本物のことは朝になっても変わらない」と言いました。


全員が、違う言葉で、あなたを迎えました。


冬を楽しみにしています。霜の石畳と、拠点の話と、全部を。


待っています。毎回本当のことです。


エリナ』*


 書いて、封をした。


 「全員が、違う言葉で、あなたを迎えた」という一行を書いてから少しだけ見た。


 違う言葉で、同じ方向を向いていた。


 それが、ルシェムという場所の形だった。


 ランプを吹き消した。


 秋の夜が、窓の外にあった。


 レインが帰った夜だった。


 でも、冬に来る。


 その前に、手紙が届く。


 それが、変わらない形だった。


 エリナ・アッシュフォード、十六歳。


 今日、全員がレインを迎えた。


 そして、見送った。


 また来る、と知っている別れは、寂しくない。


 それが今夜、一番確かなことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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