102話 夏の終わりと、ベルトの発見
八月になった。
夏の終わりが近づいていた。
朝の空気が、七月とは少し違った。
まだ暑かった。でも、夕方になると少し変わった。
秋が近づいている予感が、空気の端に混じっていた。
エリナは毎朝、台所の窓を開けた。
今日の空気を確認した。
今日は、夏と秋の間にいる空気だった。
八月の初めに、ベルトが農地から戻ってきた。
いつもより、少し早い時間だった。
「今日は早いですね」エリナが言った。
「見てほしいものがある」ベルトが言った。
「農地で、何かありましたか」
「新しいものを見つけた」ベルトが短く言った。
ベルトが、布の袋を取り出した。
中に、薬草が入っていた。
「北の沢の、さらに上の方で採れた」ベルトが言った。「今まで見たことがない種類だ」
ルナを呼んだ。
ルナが袋を受け取った。
中の薬草を取り出して、じっくりと見た。
匂いを嗅いだ。
葉の形を確認した。
茎の断面を少し見た。
「見たことがない」ルナが静かに言った。
「そうか」ベルトが言った。「ルナが知らないなら、珍しいものだ」
「どこで採れた」
「北の沢の上の方、さらに進んだ岩場の近くだ」ベルトが言った。「日当たりが全くない場所だ。水が常に流れている場所の近くにあった」
「日当たりがなく、水が常に流れている場所」ルナが繰り返した。「特殊な環境だ」
「そういう場所にしか育たないのかもしれない」ベルトが言った。
「安全かどうか、まだわからない」ルナが言った。「でも、気になる」
「急がなくていい」エリナが言った。「いつものように、確かめてから使う」
「そうする」ルナが頷いた。「でも、一つだけ」
「何ですか」
「学院の師匠に、サンプルを送りたい」ルナが言った。「師匠が退く前に、見てもらいたい」
レインへの手紙に、この件を加えた。
『レインへ
ベルトが、農地の近くで、今まで見たことのない薬草を発見しました。ルナも見たことがない種類です。
師匠が退く前に、サンプルを見てもらえますか。ルナが送ります。
急がなくていいですが、師匠が設計した最後の仕事が終わる前に、この薬草についての意見が聞けたら、と思っています。
エリナ』*
三日後、レインから返事が来た。
エリナへ
師匠に話した。「送ってくれ」と言った。すぐに確認すると言っていた。
師匠は、こういう話に反応が早い。新しいものを見ることが、まだ好きなようだ。
サンプルを待っている。
それと、秋の話を一つ。来月、行く。具体的な日は、また連絡する。
レイン
ルナにレインの返事を伝えた。
「師匠がすぐに確認すると言っています。サンプルを送ってください」
「明日、準備する」ルナが言った。
「どういう形で送りますか」
「乾燥させたものと、生のものを別々に送る」ルナが言った。「乾燥させたものは、日持ちする。生のものは、今の状態を見てもらうために送る」
「それで頼みます」
ルナが少しだけ、エリナを見た。
「ベルトが見つけてくれたから、送れる」ルナが言った。
「そうですね」
「ベルトが山を知っているから、こういうものが見つかる」ルナが言った。「私には、見つけられない場所だ」
「二人が一緒にいるから、見つかったものですね」
「そうだ」ルナが頷いた。「一人では、できないことがある」
ベルトに、状況を伝えた。
「師匠がサンプルを見てくれます。ルナが明日、送る準備をします」
「そうか」ベルトが短く言った。
「良い発見でしたね」エリナが言った。
「わからない」ベルトが言った。「良いかどうかは、確かめてからだ」
「そうですね」エリナが笑った。
「でも、見つけること自体は、良かった」ベルトが少しだけ言葉を加えた。
「なぜですか」
「知らないものを知る機会が、できたから」ベルトが静かに言った。「知らないことが減ることが、良いことだ」
「それは、ルナも同じことを言いますね」エリナが言った。
「ルナから学んだ」ベルトが短く言った。
フィオナに、発見の話をした。
「また新しいものが見つかったのか」フィオナが言った。
「そうです。ベルトが北の沢の奥で」
「ベルトさんが来てくれてから、そういう発見が増えた気がする」フィオナが言った。
「そうですね」エリナが言った。「ベルトさんが来てから、農地が動き始めて、今回の発見もありました」
「人が加わると、見えるものが変わる」フィオナが静かに言った。
「どういう意味ですか」
「ルシェムにいる人間が増えると、それぞれが違う方向を見ている。一人が見えないものを、別の人間が見える。それが、加わることの意味だ」フィオナが言った。
「フィオナが加わった時も、そうでしたね」エリナが言った。「フィオナが見えているものを、私は見えなかった」
「そうだな」フィオナが笑った。「逆もあった。私が見えないものを、あなたが見ていた」
「だから、一緒に動けた」
「そうだ」フィオナが頷いた。「それが、一緒に動くことの意味だ」
八月の半ばに、師匠から返事が来た。
今度は、レインを通じてではなく、直接手紙が来た。
エリナ殿へ
サンプルを受け取った。確認した。
結論から言う。この薬草は、学院の記録にもない種類だ。珍しい。
初見だが、いくつかの特徴がある。葉の構造が、解熱効果を持つ種類に似ている。でも、それだけではない。組成が、今まで見てきた薬草とは少し違う。
確かめるには、時間が必要だ。俺が退く前には、結論は出ないかもしれない。
でも、これは次の人間に引き継ぐ価値がある発見だ。
ベルト殿に伝えてほしい。良い目を持っている、と。
ヴォルフ・グラーセン
エリナは師匠の手紙を読んで、「次の人間に引き継ぐ価値がある発見だ」という一行を少しだけ見た。
師匠が退く前には、結論が出ないかもしれない。
でも、引き継ぐ価値がある。
だから、引き継ぐ。
それが、続けることだった。
ベルトに伝えた。
「師匠が、「良い目を持っている」と言っていました」
「そうか」ベルトが短く言った。
「嬉しいですか」
ベルトが少しだけ考えた。
「嬉しい」ベルトが言った。「山の人間が、学院の師匠に認められた。それは、嬉しいことだ」
「師匠に伝えます」
「いや、いい」ベルトが言った。「伝えなくていい。ただ、続ける」
「続けることが、返事ですか」
「そうだ」ベルトが静かに言った。「言葉よりも、続けることが、一番の返事だ」
ルナに伝えた。
「師匠が、学院の記録にもない種類だ、と言っていました。珍しい発見です。次の人間に引き継ぐ価値がある、とも」
「そうか」ルナが静かに言った。
「師匠が退く前には、結論が出ないかもしれない、とも言っていました」
「ならば、私が続ける」ルナが言った。
「師匠の後を、引き継ぐということですか」
「師匠が始めたことを、師匠がいなくなった後も続ける」ルナが言った。「それが、私にできることだ」
「ルナが、そういうことを言うんですね」
「当然のことだ」ルナが平坦な声で言った。「薬草のことは、私が一番知っている。だから、私が続ける」
八月の終わりに、秋の気配が強くなってきた。
朝の空気が、確実に変わってきた。
霜はまだだった。でも、冷たさの質が変わってきた。
エリナは毎朝、窓を開けて確認した。
今日も、秋が近づいている。
そして、秋にはレインが来る。
その実感が、朝の空気の中に混じっていた。
ある夕方、マリオが事務室に来た。
「なあ、エリナ」
「何ですか」
「最近、ルシェムが変わってきたと思わないか」
「どういう意味ですか」
「人が増えた。来る人間が増えた。農地ができて、その関係者が来る。地方の学校への展開で、新しい顔が来る」マリオが言った。「それと、俺が知らない顔が、市場で増えてきた」
「良いことですか」
「良いことだと思う」マリオが言った。「でも、一つだけ気になることがある」
「何ですか」
「変わっていくルシェムの中で、変わらないものを守る人間が必要だ」マリオが静かに言った。
「変わらないものを守る人間、というのは」
「マルタさんや、グレンさんみたいな人間だ」マリオが言った。「最初からいる人間が、変わらないものを守っている。新しいものが来ても、変わらないものがあるから、ルシェムがルシェムであり続ける」
「マリオが、そういうことを言うんですね」
「たまに、考える」マリオが言った。「お前と七年いたから、考えるようになった」
「マリオも、変わりましたね」
「そうかな」マリオが少し笑った。「でも、変わらないところもある」
「どこですか」
「美味しいものが好きなところ」マリオが即答した。「最初に豆のペーストを食べた時から、変わっていない」
「それは確かですね」エリナが笑った。
「変わらないことが、大事だからな」マリオが笑った。
その夜、エリナはレインへの手紙を書いた。
『レインへ
師匠から直接手紙が来ました。ベルトが見つけた薬草が、学院の記録にもない珍しい種類だとのことでした。「次の人間に引き継ぐ価値がある発見だ」と言っていました。
ルナが「師匠がいなくなった後も、私が続ける」と言いました。ベルトが「言葉よりも、続けることが一番の返事だ」と言いました。
二人とも、自分の言葉で、同じことを言っていました。
マリオが「変わっていくルシェムの中で、変わらないものを守る人間が必要だ」と言いました。考えるようになった、と言っていました。七年間で、マリオも変わりました。でも、変わらないところもある。美味しいものが好きなところは変わっていない、と笑っていました。
秋が近づいています。来月、来てくれますね。
待っています。
エリナ』*
書いて、封をした。
「来月、来てくれますね」という一行を書いてから少しだけ見た。
確認するような言い方だった。
でも、確信していた。
レインは来る。
毎回、来ると言ったら来た。
それが、続けてきたことの一つだった。
ランプを吹き消した。
夏の終わりの夜が、窓の外にあった。
虫の声が、少し変わっていた。
夏の虫から、秋の虫に変わり始めていた。
季節が、また動いていた。
ベルトが新しいものを見つけた。
師匠がそれを引き継ぐ価値があると言った。
ルナが続けると言った。
ベルトが続けることが返事だと言った。
全部が、今日のことだった。
エリナ・アッシュフォード、十六歳。
今日、知らなかったものが見つかった。
知らないことがまだある。
それが、続ける理由の一つだった。
それが今夜、一番大事なことだった。
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