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3、雨の日のシチュ再現

 環左衛門はひょいと持ち上げるつもりだった右肩をグイッと持っていかれ、あわてて左手を添えて抱え込む。


「ちょっと待て、なんだこれ!?」


 彼は荷物を二度見した。


「こっちの防具袋はまだ分かる。でもこの学生カバン……」


 しまったっ!

 まさか世の女子が、教科書数冊程度の重さで「戦って」いたとは知らなかったんだ。


「どうやったらここまで重くなるんだよ!?」


「鉄アレイでも入ってんのか?」と呟く環左衛門。


「ひどいです!いくらなんでも大袈裟ですよ!!」


 私は荷物をひったくるようにカフェを飛び出した。

 カバンには教科書に加え、分厚い辞書数冊とプロテイン。


(くっ)


 走りながら、それを見下ろす。


(私には綿菓子同然……なのに。この質量差が、ヒロイン適正の差かっ……!?)


  ◇


 カフェの引き戸を閉め、環左衛門は少しだけ息をついた。


「……なんなんだ、あいつ」


 告白されて全部断ってるって、前に母親から聞いた。

 それはまあ、あの顔なら仕方ない。

 問題は。


(なんで、さっきから気になってるんだ、俺は)


 荷物を全部運んで、顔を真っ赤にして飛び出していった背中。

 あれは、怒ってたのか。

 それとも――。


 環左衛門は頭を振り、カウンターに戻った。


  ◇


 数日後。

 私はゆなの勧めに従い、市立図書館のカウンターに立っていた。


「ってかさ、そもそも凛の恋愛知識、古くない? 一体誰に教わったのよ」


 休み時間のゆなの言葉が、脳内に響く。


「誰、というか、本に」


「あーね。あんたらしいわ。でも、多分その本、中身が化石よ。もっと今のあんたに相応しい『本』、教えてあげる」


 ――言えない。駅裏の古本屋でジャケ買いした、いかがわしい恋愛指南本を参考にしているなんて。


 ゆなが教えてくれたのは、図書館の一般棚には並ばない、いわゆる「閉架図書」というやつだった。一部の熱狂的なマニアからは「禁書」とも呼ばれているらしい。


「あ、あの。こちらの本をお願いしたいのですが」


 私は平静を装い、司書さんにゆなから指定された番号を告げる。

 司書さんは私の顔と番号を交互に見ると、ふふっと意味深に笑った。


「ああ、アレね。ちょっと待っててね」


 手渡されたのは、ピンクの背表紙に煌びやかなイラストが描かれた一冊の文庫本――いわゆる「ライトノベル」だった。


 帰宅後、私は息をつく暇もなく、自室の机でその「禁書」を一気に読み進めた。


「なっ……何これ、面白い!」


 これまで読んできた『愛の必勝兵法』が竹槍に見えるほどの、圧倒的な現代戦術。


(ヒロインたちは、皆、雨に濡れ、透けた制服と共に男の部屋へと転がり込む……)


 不可抗力を極めた完璧なシチュエーション。

 新たな恋愛指南書(借り物)を手に入れた私。

 環左衛門さんの鉄壁の理性を粉砕する準備は、整った。


「次の雨の日は、決戦ね!」


 私はスマホの気象情報をチェックし、低気圧の到来を待った。

 午後三時、降水確率八〇パーセント。空が低く垂れ込め、大粒の雨がオーガニックカフェ『えもん』の屋根を叩き始めた。


(勝機!)


 私は、傘をあえて道場に置き去りにし、制服のまま、全力で雨の中へと飛び出した。

 カフェの搬入口前。私は十分間、雨に打たれ続けた。

 剣道の冬合宿に比べれば、この程度の冷たさは生ぬるい。でも、今の私は「か弱い女子」。私は唇を噛み、意識的に体を震わせた。


「え、凛!? お前、何してるんだそんなところで!」


 ゴミを捨てに出てきた環左衛門さんが、声を張り上げ私に駆け寄ってきた。

 計算通り。私は練習してきた「子犬のような瞳」を向ける。


「環左衛門さん。傘、忘れちゃって。さ、寒いです」


「当たり前だろ! びしょ濡れじゃないか。ほら、早く入れ!」


 環左衛門さんの温かい手が、私の肩にかけられ、心臓が跳ね上がった。


(待って、待て、待て!近い!触れてる!)


 もう今日の計画はコンプリートじゃない?

 逃げ出しそうになる心をなんとか抑えようと、私の体は本当に震え出した。

 そのまま彼は、私をカフェの裏にある休憩室へと押し込んだ。


  ◇


 濡れた髪が、凛の頬に貼りついていた。


(……見るな)


 環左衛門は視線を逸らし、タオルを無造作に押し付けた。

 制服が、肩のラインを滲ませている。

 それだけ確認して、厨房へ歩く。

 保温シート。フットヒーター。蜂蜜と生姜。

 やることはある。やることに、集中しろ。


  ◇


「凛、動くなよ。体温を奪われるのが一番マズい。」


 こんなに心配してくれるなんて。少しだけ心が痛む。

 でも、これは戦いなのだ。彼の気持ちを完全に掴み取るための。


(こ、このまま『熱でうなされるフリ』をして、彼の膝枕を――)


 心臓がバクバクする。濡れているのに顔だけ熱い。

 簡易ソファに腰掛ける。

 ところが。

 環左衛門の行動は、ラノベの主人公とは決定的に違っていた。

 

 彼が持ってきたのは、毛布ではない。

 厨房にある「アルミ製の保温シート」と、「フットヒーター」だった。


「え、あの、もっとこう、バスタオルで髪を拭いてくれるとか……」


「そんなんじゃ間に合わない。」


 気がつけば私は、銀色のアルミシートでミノムシのようにぐるぐる巻きにされていた。

 さらに足元からは熱風が吹き付ける。


「遭難者の救助ですか!?」


「いいからこれを飲め。内側から燃やすんだ!」


 そう言って環左衛門は、火傷しそうなほど熱いマグを握らせた。立ち込める蜂蜜と生姜の香り。


「か、環左衛門さん、これ、熱すぎてっ!」


「耐えろ、凛! これが『神代流・風邪予防法』だ!汗をかいて、菌を出す!」


「風邪というわけでは」


「いや、明らかに熱がある」


 そう言って環左衛門は私と自分のおでこに手を当てた。

 その不意打ちに、私は用意していた『弱々しい台本』をすべて忘却した。


「……凛は強いつもりだろうが、体調管理は剣士の基本だぞ!」


 至近距離で私を見つめる、本気の瞳。

 そこには勇ましい剣士などではない。ずぶ濡れで、顔を真っ赤にした、ただの格好悪い女子が映っている。


(致命傷だ!! この距離……、抗えん……ッ!)


 私の庇護欲ゲージはゼロだが、敵の攻撃力は推定一千万!

 まさか「濡れた女子」の破壊力よりも、「心配して怒る男」の破壊力の方が、数万倍も高いなんて!


「……環左衛門さん、あの。私は……」


 その時、椅子の下から、モゾモゾと何かが這い出てきた。


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