2、守ってあげたい庇護欲の兵法
振り返りざま、もう一度目を合わせる。
(流し目も、完璧!)
「凛」
環左衛門が静かに私の肩に手を置いた。
「今日、稽古、休んだのか?」
心配そうな顔で。
「……パフェ、持ってくる」
環左衛門が厨房へ消えていく。
違う。違うの。
私は、稽古を休んで不安がってる後輩じゃない。
――踏み込む側だ。一線を、越えに行く。
数分後、運ばれてきたパフェの頂点には真っ赤なさくらんぼ。
私は周囲を警戒しつつ、それをつまみ上げた。
(昨夜の特訓の成果――!)
「見ててください、環左衛門さん」
私は笑みを浮かべさくらんぼを柄ごと口に放り込んだ。
ここからが本番だ。
舌だけで柄を結ぶ。男は口元に禁断の秘め事を予感し、理性を失っていく。
――グニッ、グニュ……
「凛?」
そんな心配そうな顔しないで。もうすぐだから。
「(モゴ!)」
硬い。オーガニック、強い。全然ちぎれない。
顔が歪む。白目。青筋。ほぼ試合。
「おい凛!? 大丈夫か!?顔色がすごいことになってるぞ!」
環左衛門が慌ててカウンターを飛び出してきた。
(違う、これは誘惑のサインで――!)
「喉に詰まったんだな!? 吐け、今すぐ!」
次の瞬間、私の背中に、環左衛門のたくましい腕が回された。
ガシッ!
と力強く抱きかかえられ――背中に、全力の一撃。
「ゲフッ!」
結ばれないままの柄が、ぺっと飛び出した。
「危なかった。死ぬかと思ったぞ、俺が」
肩を抱いたまま、環左衛門は自分の心拍に気づいていた。
速い。
さっきから、ずっと。
「凛、こういう時はちゃんと頼れ」
――これは救助の緊張だ。そう結論して、彼はカウンターの奥へ引っ込んだ。
近い。体温と、珈琲の匂い。
(抱きしめられた)
私は脳内で、ファンファーレが鳴っていた。
◇
「昨日の抱擁……」
抱きしめられた時の彼の腕の力強さ。
自室で攻略ノートを更新しながら、一人、頷いた。
(あれは紛れもなく、環左衛門さんの心が軋んだ音だった)
あれは助けなきゃという責任感ではない(はず)。
私の女としての魅力が、彼の理性を、まあ、八割方こじ開けた(はず)。
そして次なる計画を練るため、自室の机で古本のページをめくっていた。
『猛き虎を御するのは、鋭き牙にあらず。一滴の涙と、震える肩なり』
「なるほど。これが、古の戦術!」
私は、剣道も学業も強く、正しい事を勝利の条件としてきた。だが、恋愛という合戦場においては違うらしい。
「ちょっと待ってよ、それ、今更過ぎてウケるー」
休み時間の喧騒に包まれた、ゆなの席。
彼女は、流行りのグロスを塗り直しながら、鏡越しに私をチラリと見て吹き出した。
「つまり、ゆなちゃん的にも、涙と弱さは有効ってこと?」
「んー、それだけじゃだめかな。でも凛の場合はさ、すでに強いっていう武器があるじゃん」
「?」
「わかんない? ギャップ萌えの法則。完璧な美少女が、重い荷物を前にして『だめ、持てない』って呟く瞬間」
「その時、男子の脳内には『守らなきゃ』っていう情が湧く。特に、相手が年上でしょ?」
「それだ!」
私は拳を握りしめ、鏡に映る自分を見据えた。
全校生徒が恐れおののく「孤高の美少女」が、彼の前でだけ見せる、一瞬の「弱さ」。
日頃、竹刀一本で大男をなぎ倒している私が、小さなコンテナを前にして「重いです」と、か細い声を漏らす。
(完璧。完璧すぎる、このシナリオ!)
環左衛門さんの「守ってあげたい」という本能を直撃する、「一瞬の隙」。
このギャップこそが、彼の心を粉砕する、とどめの一撃になる!
『作戦名:捨て身の誘い』
「環左衛門さん。明日、私は……隙を、作ってみせる」
剣道でいえば、わざと打たせる間合いに入ること。
怖い。でも、そこにしか活路はない。
その夜の私は、鏡の前で「重いものを持とうとして、一瞬だけよろける練習」を、百回繰り返した。
(環左衛門さん、今日はいないのかな?)
カフェ『えもん』の仕入れ日。
せっかくきたのに、そこにいるのはオーナーのみ。
「あらあら、凛ちゃん。こんにちは」
オーナーは環左衛門の叔母だった。
「今日は荷物運んでもらうつもりだったのに、環のやつ、遅れるっていうのよ」
「あの、私手伝います」
「それは嬉しいけど、このコンテナ、めちゃめちゃ重いのよ?」
「大丈夫です」
本来の目的とは違ったが、もとよりそのつもりだ。
ターゲットがいないから、重たいふりをする必要もない。
手際よく作業が進み、間もなく終わろうというその時だ。
「すごい、これ全部凛が運んだのかよ」
最後のコンテナを抱え、ブレザー姿の環左衛門が入ってきた。
「い、いや、違っ」
(しまった、もう少しだけゆっくり運べばよかった!)
慌てて否定しようとするがもう遅い。
「土がついたままの野菜って、結構重いんだよな。ミネラルウォーターも?頼りになるなぁ」
「そんなことありません!」
「いや、大したもんだ。うちの学校の女子ときたら、教科書が数冊入ったバッグを持つのも『重い』って、俺に押しつけてくる。そんな奴ばっかりだぞ」
なんですと!?女子高生が「捨て身の誘い」を日常的に使っていると!?
「あいつらに、お前を見習ってほしいわ」
(見習いたいのは私だわ!)
「そうなのよ。本当に助かっちゃった。お礼に奢るわよ」
「凛は最近、甘いもの好きなんだよな?新作のパフェ食うか?」
「え、パフェ?」
(本当は苦手なの! というか、稽古の後には「冷奴」とか「銀杏」とかの方が好きなのに!)
「あ、ありがとうございます。嬉しい、です」
だがその瞬間、私の思考が止まった。環左衛門が入口に置きっぱなしだった私の荷物に向かって行ったからだ。
「ほら、カバンと防具袋が床に置いたままだぞ」
「待って、それはっ!」




