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1、さくらんぼと、キス技量の相関

 駅前の古本屋『九龍書房』は、どう考えても女子中学生が一人で入る場所ではなかった。

 店内には古い紙とカビと、人生を踏み外した本たちの匂いが充満していた。

 だが。


(ここに、答えがある……!)


 私は竹刀袋を握りしめ、店の奥へ進む。

 恋愛とは勝負だ。

 そして勝負に必要なのは、情報。

 経験値のない初心者ほど、知識で補わなければならない。


 幸い私は勉強も得意。

 つまり理論上、恋愛も攻略可能である。


「……なるほど」


 棚を見つめ、私は息を呑んだ。


『愛される吐息の作り方』

『男を落とす流し目』

『昭和色恋・忍びの極意』


 最後のやつ、絶対違うだろ。

 一度は手に取ったものの棚に戻しかけた、そのとき。目に入った活字が。


『夜這いの基本は、気配を消し、足袋を脱ぐこと』


(!!)


 隠密行動。つまりステルス。剣道の足さばきが恋愛に応用できるの?


「ほう、熱心なことだ」

 奥のレジでは店主がこちらを見て呟いている。


(やっぱり。これこそが恋愛の兵法書ってわけか)


 『武士道』というOSを削除し、『昭和色恋』というウイルスを強制起動する。もう後戻りはない。

 戦術研究の為の必要経費を支払い、私は逃げるように古本屋を後にした。


 カレンダーには一ヶ月後の中間考査。

 ――でも、私の本番は今だ。

 考査の山を張る前に、難攻不落の「環左衛門」を落として見せる。

 これが中三の春、私が自分に課した絶対任務となった。

 帰宅後、自室のドアに鍵をかけた。さて。正座して、その恋愛指南書を開いてみる。


「……は?」


 そこは私が一五年間歩んできた「武士道」に存在しなかった異次元の組手(?)の連続があった。

 ページをめくるたび、脳が焼き切れていく。


(こ、これって、どういう体勢っ!?いや、どっちなの??)


 熱気をカラダから逃がそうと、私は畳の上をごろごろと転げ回った。勢い余って壁に頭をぶつける。


「っいったぁ!」


 例えば、この『耳元での吐息』という技。肺活量と横隔膜のコントロールが要求される攻撃だよ。これを世の女性たちは日常的に繰り出していると?


(え?え? 普通に無理じゃない!?)


 でも、でもだ。もしこれが「世間の常識」だとしたら。

 環左衛門さんも、当然これくらいの「攻防」を期待しているのだとしたら。


「確認が必要ね」


 幸いうちのクラスにはトレンドリーダーがいるのだ。


 ◇


 翌朝。私は登校するなり、ゆなの席へ向かった。

 彼女は鏡を見ながら前髪を直していたが、私の放つただならぬ「殺気」を感じたのか、手を止めて振り返った。


「おはよ、凛。どうしたの?試合前みたいな顔して」


 私はまっすぐにゆなに詰め寄り、声を潜めた。


「ちょっと待って凛、解釈の癖が強すぎ!」


 あれ?ゆなが困惑してる?

 でも私は真剣だ。なにしろ兵法書(古本)に書いてあったんだから。


「足袋って何よ? お泊まりなら靴下は脱ぐけどさぁ」


 ゆなが、楽しそうに目を細めて私を見る。


「……ふーん。あの孤高の佐倉凛が、ついに恋に落ちたか」


 学校の廊下を歩けば、左右に道が開き、剣道部では下級生を震え上がらせる。

 『鉄の女』。

 それが、私――佐倉凛に対する周囲の評価だ。

 それでも告白してくる物好きな男子は後を絶たないが、すべて竹刀で打ち込むかの如く斬ってきた。


「……私はただ、隣家の門を突破する兵法を試しているだけだよ」


「はいはい、兵法ねぇ」


 ゆなは、そんな私が古本片手に悶絶しているとは思っていないだろう。

 だが私は、「恋愛を試みる」こと自体初めてなのだ。無策ではきっと届かない気がする。


「まあ相手も大変だね。学校中の男子が敵わない相手に、ガチで狙われてるんだから」


「何言ってるの。私はまだ、外では一本も取れていない未熟者だよ」


 私が悔しさを吐き捨てると、ゆなは「あーあ、これだから無自覚美人は……」と深い溜息をついた。

 立ち去ろうとした私の背中にゆなからの一言。


「さくらんぼの柄、口で結べる人ってさ、キス上手いらしいよ」


 ――ピタリ。


(口腔内結紮と、接吻技量の相関!)


 盲点だった。

 もし彼の前で鮮やかに結べば――私の熟練度に、彼の中の雄が目覚めるかも!

 急いで席に戻りノートを開く。


『サクランボの柄――舌技の練磨こそ勝利の鍵』


 放課後の稽古中、忘れないよう面を打つたびに私は唱えていた。

 ――チェリー。チェリー。チェリー。

 そして帰りにスーパーでさくらんぼを確保。


(待ってて、環左衛門さん。私の舌先で、あなたの理性を結び変えて見せる)


 帰宅後、自室の机の上に積み上げられたのは、昭和の恋愛指南本。

 付箋だらけのノート。

 そして赤ペンで強調された「作戦①」の見出し。


「準備は整った」


 『隠密』と『舌技』。この二手で、環左衛門という門を落とす。

 私は鏡の前でニンマリ笑った。


 部活帰り。

 今からここは道場。いや、戦場だ。


「いざ!」


 私はカフェ『えもん』の木製のドアを、静かに押し開けた。

 カランカラン、という繊細なベルの音が、開戦の合図のように響く。


「いらっしゃいませ。あ、凛か。どうしたんだ、そんなに肩を怒らせて」


 カウンターの奥から、環左衛門の落ち着いた声。

 エプロン姿は、相変わらず清潔感の塊だ。しかし!

 今の私には見える。彼に潜む「男」という名の野性が。私は、恋愛序章を脳内で再生した。

 まずは『忍び』の極意……気配を消し、相手の虚を突く!

 私は無言で、音もなく、すり足でカウンターへ近づいた。


「凛? なんでそんな、忍び寄るような歩き方なんだ?」


「環左衛門さん」


 私はカウンターに両手を突き、最短距離で彼の顔に自分の顔を近づけた。

 そのまま、じっと目を合わせる。一、二、三……。


(異性と目を合わせる効果は絶大……ってこら、引くんじゃない!本番はこれからなんだから!)



 対する環左衛門は、心底おののいていた。


(近い。近すぎる。なんなんだ、この殺気は)


 カウンター越し、至近距離に迫る凛の端正な顔。隣の凛は幼い頃から礼儀正しく、その佇まいはいつも年下と思えぬほどの落ち着きがあった。だが、今――。


(この目、試合前のやつだろ)


 逃げたい。だが退けない。神代家の矜持がそれを許さない。

 これは対戦相手を仕留める直前の目だ。


(俺は何をした。何かしたか。神代家の家訓に照らして、隣家の妹分に対し、落ち度が……)


「……凛。顧問の先生と、何かあったか」


 声が僅かに震えた。


 ◇


「今日は、これを注文に来ました」


 私は、カウンターに置かれたメニューを指す。


『季節のオーガニック・チェリーパフェ』。


「珍しいな、甘いもの。稽古で疲れてるのか?」


「ただの注文じゃありません……本気です」


「はは……本気の注文か」


 環左衛門は、私の決意の裏にある「不純な動機」など露知らず、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。

 その無防備な笑顔に、私の心臓がまたしても「面!」と打たれる。


(……くっ、甘い。この男の包容力は致死レベルの甘さだぞ……!)




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