45話 噂
「あと、どのくらいで着くんだっけ?」
寝そべるベッロに寄り掛かりながら、インターリが不機嫌そうに言った。
途中、立ち寄った宿で〈インターリ〉の噂を耳にしてから、ずっとこの調子だった。
カルヴァスはムシカに言われて以来、様々な噂を聞き吟味するようになっていた。中でも、〈流浪の暗殺者インターリ〉の噂には特に注意を向けていた。
ムシカはインターリ自身よりも、共に居るベッロに関して考えるようにと暗に伝えていた。
しかし、どの地でもそれ程ベッロに関して噂されている様子はなく、〈インターリ〉が狼と行動を共にしているという噂もなかった。
あるのは、「生きているかに思われたが偽物だった」「既に死んでいる」「組織の者に追われ殺された」その辺りだった。
「死んでないから。殺される訳ないから」
とインターリは機嫌を損ねたまま、眉間に深い皺を寄せて何事かを考え込んでいる。
「いつまで、そう苛々してんだよ。いい加減機嫌を直せよ。まぁ、機嫌が直った所で、あんま変わんねぇけどな」
馬上のカルヴァスが言うと、インターリは地図をぼんやりと眺めたまま鼻を鳴らす。
「でも、良かったんじゃないですか? ベッロのことが知られていないならそこまで隠す必要もないということですし。ベッロもあまり外を駆けられなくて元気がないですから」
アーチェの言葉に、ベッロは尾を一振りしてクゥと小さく鳴き、インターリは舌打ちした。
「本当に何もないなら、アイツにからかわれたってことでしょ。気分悪い」
言いながら、それでもインターリは何処か考え込んだままで難しい顔を浮かべている。
マリーエルはインターリに呼び掛けると、正直に訊いた。
「ずっと考え込んでるみたいだけど、何か思い当たることがあるの? もしそうなら、教えて欲しいな」
ちらとマリーエルを一瞥したインターリは、大げさに溜め息を吐いた。
「別に話す気ない訳じゃないから。ただ、まだ考えてる途中ってだけ。アイツは……ムシカは無駄な嘘を吐く奴じゃない。ベッロ自身のこと……こいつ等に関しての何かがある筈。しかも、きっとこれはお姫様には直接関係ない。僕が何かを仕損じて死んだりしたら好都合だと思ってるんだよ」
「それは……」
言い掛けたマリーエルは、それ以上言葉を継げずに黙り込んだ。
確かに、ムシカはインターリをぞんざいに扱う節がある。マリーエルの前では決して酷い扱いをしては見せないが、インターリは危険な存在なのだ、ということをすり込もうとしているようだった。
そういったことに関して、マリーエルは以前よりも敏感に感じ取れるようになっていた。以前の自分は、判っているようで殆ど理解していなかったのだと痛感する。
じと、とマリーエルを見つめていたインターリは、おもむろに体を起こしたベッロに片眉を上げ、外の様子に意識を向けた。
「ほら、出番だよ、お姫様」
霜夜の国を主な住処としていた〈鬼〉は、影に誘われるように華発の国へも出現するようになっていた。
華発の国には世界樹の枝葉が表出していないせいで、マリーエルの祓えは行われていない。それを上回る人材や技術力で影や鬼に対抗しているが、路に突然現れるモノはどうしようもなかった。
人々が集まる分、澱みや穢れも多く集まることとなる。
明色の町へ続く路を行く間、数度マリーエル達は鬼と戦うこととなった。
ムシカはその為の兵を数人付けていたが、マリーエル達が対処した方が幾分も事態の収拾が早かった。
華発の兵達は、それを羨望の瞳で見つめ、囁き合った。
こうして、今度はマリーエルや精霊隊の噂が大陸へと広がっていくのだろう。
鬼を殲滅し、再び馬車に乗り込んで暫くすると、路の先を見ていたカルヴァスが小さな声を上げた。
「どうしたの、カルヴァス?」
マリーエルが訊くと、カルヴァスは目の上に庇を作り、じっと探るようにした。
「いや、何か騒がしい……祭か?」
華発の兵が「確認してきます」と言って馬を走らせた。
じきに戻って来た華発の兵は、瞳を輝かせてマリーエルを見てから、カルヴァスに向き直った。声を弾ませて言う。
「明色の町、領主の許にお子様がお生まれになったと……その祝いのようです」
「お子……っ⁉」
思わず繰り返したマリーエルは、途端に胸に湧いた温かな想いに、自然と笑みを浮かべていた。
明色の町へ着くまでに、二つの集落を通り、そのどちらでも子の誕生を祝う祭が行われていた。明色の町では、それよりずっと大規模な祭が行われ、路行く人々は酒を飲み、食べ、踊り騒いでいる。
華発の兵が先んじて明色の館にマリーエル達の到着を告げに行くと、すぐに館の世話役が迎えに現れた。
「マリーエル様、お待ちしておりました。ご存じの通り、奥様はお子をお生みになられ、今はお休みになっておられます。お出迎えが叶わなかったこと、お詫び申し上げます。私が代わりまして、皆様を当館へご案内させて頂きます」
そうして案内された明色の館では、エレジアが満面の笑みでマリーエル達を出迎えた。
「あぁ、あぁ……精霊姫様、マリーエル様! お待ちしておりました! あぁ……孫が、孫が……」
エレジアは手を掲げ、嬉しそうにその場で回ると、興奮そのままマリーエルの前に跪き、手を取った。
「あぁ……どうかご無礼をお許し下さい。まずは、さぁ、姫様も姉君に、そして甥御に会いたいでしょう」
「あ、えっと……はい……わぁっ」
エレジアは、マリーエルの手を引きクルクルと踊りながら階段を上がり、奥の間へと誘った。
「……ねぇ、あれでいいの」
「まぁ、めでたいことなんだ。いいだろう」
インターリの言葉にカルヴァスは頷き、マリーエルの後を追って廊を歩き出した。
「まぁ、マリーエル! よく来てくれました」
マリーエルがエレジアの手の引くままに部屋に入ると、寝台に横になったジャンナが笑みを浮かべ迎えた。
「折角文をくれたのにごめんなさいね。いつ生まれるかという時に大渡の町まで行くのは大変で……。文を書き、出迎えようと思えば、こうしてこの子が出てきてしまったの」
そう言って、ジャンナは抱いていた小さな、小さな子を見せた。
「わぁ……」
マリーエルは挨拶を返すのも忘れて、その小さな姿に見入っていた。
生まれたばかりのその姿は、非常に弱々しく見えるのに、ふぁと時折漏らす声は力強さを秘めているように聞こえた。
「さぁさ、妹君と積もる話もあるだろう、ジャンナ殿。私に任せて、少し休みなさい」
エレジアは、とっておきの宝物に触れるように優しい手つきで孫を抱えると、歌いながら部屋を出て行った。
「……申し訳ない、マリーエル殿。父は、酷く喜んでいて。あの子が生まれてからずっとあの調子なんです」
寝台の横に立って見守っていたラクルムが言った。
マリーエルは慌てて背筋を伸ばすと、頭を垂れた。
「挨拶を欠いていました。お久し振りです、ラクルム殿。ジャンナお姉様」
ジャンナは小さく笑うと、世話役に寝台の横に卓を動かして茶を淹れるように命じた。
「文は交わしていたけれど、少し見ない間に姫としてまた成長したみたいね」
ジャンナは、卓が整えられると精霊隊の皆に腰かけるように言い、横になったままなのを詫びてから、皆を見回した。
「あぁ、精霊国へ帰って来たみたいだわ。皆さんもお久し振りね。マリーエルの文で皆さんのことを聞いているわよ」
皆がそれぞれ反応を返すのを笑顔で見やってから、隣に座るラクルムの手に手を重ね、何かを考えるようにひとつ頷いて見せる。
「この人は勿論、お義父様やお義母様、館の人々や町の皆がよくしてくれているの。私はこの地に嫁いできて本当に良かったと思っているの。こうして息子を得ることが出来たのもね」
そこで言葉を止め、小さく笑ったジャンナは、ラクルムと目を合わせてから一瞬だけ暗い顔を浮かべた。
「ムシカ殿からの報せは届いているわ。貴女はただ遊びに来ただけではないのでしょう?」
問われたマリーエルは、少しだけ迷ってから、カルヴァスに預けていたムシカからの文を受け取り、ラクルムに差し出した。
「これを、ムシカ殿より預かりました」
文を受け取ったラクルムは、その内容に目を通すと、じっと考え込むようにした。それを横目で見やっていたジャンナも、文を受け取って目を通し、息を吐く。
「カルヴァス殿、これを」
カルヴァスに向けて文を差し出し、内容を確認するようにと言う。
「良いのですか?」
「ええ。これはマリーエルにも無関係の話ではないわ。いえ、マリーエルだけじゃないわね、精霊国に住まう者、皆に関わること。精霊隊隊長である貴方の意見を聞かせて頂戴。私は、様々なことが起きる前に精霊国を出てしまったから、文で聞く程度にしか今の精霊国内の状況を知らないもの。どうしたらいいかしら」
再び文を手にしたカルヴァスは、問うような視線をマリーエルに向け、ラクルムに移した。
じっと考え込んでいたラクルムは、顎を引き、言った。
「出産の時が近づくにつれ、父はもう殆どそのことにしか気が向かなくなったようで、夫である私よりもジャンナの様子を気にしていて……。今、この町の権限は私にあるといっても過言ではありません。私も、カルヴァス殿の意見を聞かせて頂きたい。そして、マリーエル様のご意向も」
カルヴァスは文を開き、中に書かれたことに目を通し始めた。読み終えると難しい顔をして、何事かを考えながらマリーエルへと文を渡す。
読んでみれば、最初からこの文はマリーエル達の目に触れることを前提に書かれたもののようだった。抜かりなく「判断はお任せします」という言葉も添えてある。
慈雨の町による行き過ぎた農作物などの価値操作や、秘密裏に行われている取引の存在もほのめかされている文は、慈雨の町と隣合う明色の町に起こりうる危機の可能性と、それを取り締まるのに協力して欲しいという旨や、その見返りとして明色の町の買い付けをより多く、高くするということなどが書き連ねられていた。
「裏大陸の関与……」
マリーエルが呟いた言葉によって、部屋に沈黙が落ちた。
裏大陸とは、長い間交流が殆ど耐えている。それは古くからあった路が閉ざされたせいであったが、どうやらムシカの調べによると、慈雨の町に潜伏する者達の手引きがあるのではないか、ということがほのめかされていた。
華発の国で起きていることは、精霊国のフリドレードで起きた件に似ていた。
国外の者の手による干渉。
華発の国が各地に潜ませている間者とはまた別の存在。内から政を操ろうとする存在。それは、どんな国でも転覆させるには十分だ。
カルヴァスは様々なことを考え、この先どうするべきか判じかねている。
「あぁ、くそっ……そういうことかよ!」
突然、インターリが声を上げ、卓を叩いた。




