42話 ムシカの要求
「皆様、お疲れの所申し訳ございません」
来客は、ムシカだった。
「何かありましたか?」
応えたカルヴァスは、ムシカの手に目を留めた。そこには、しっかりと毛皮が握られていた。
「こちらが、ご入用かと思いまして」
そう言ってから、ちらとインターリを見やる。何処か拍子抜けしたように目を瞬いてから、小首を傾げた。
「私の思い違いでしたらこれは持ち帰ります。決して安い買い物ではありませんでしたが、我が王はこのような野蛮な行いを良しとはされない方。適切な処置をして、城へと大切に飾るとしましょう」
「待て」
頭を下げて部屋を出て行こうとしたムシカを、インターリが呼び止めた。カルヴァスが僅かに顔を顰める。
「どうして、それを『ご入用』だと思った?」
ふふ、とムシカは笑う。
「いえ、どうにもこの毛皮が気になっておいでのようでしたから。獣族の毛皮など、精霊姫様が求められる筈はない。では、どういう訳か……。華発の国には、あらゆるものが集まる。それこそ、しがない噂話までも」
ムシカを射貫くように睨み付けたインターリは、跳ぼうと力を込めた脚から力を抜き、歯を食いしばりながら、鋭い視線をカルヴァスに移した。
「カルヴァス、そいつを──」
言い終える前に、カルヴァスはインターリの肩に手を置き、耳元で「落ち着け」と囁いた。
「ムシカ殿は、オレ達の為にその毛皮を手に入れて下さったんだ。うちのベッロが何故あんな反応を示したのか、調べなくてはいけないし、それに毛皮というものは色々なことに使えるからな」
カルヴァスはインターリを椅子に座らせ、騒動を詫びてから、ムシカを見据えた。
「それで、ムシカ殿は何かお困りのことでもありますか。その毛皮のお礼に、何か出来ることがあるならば、お力になれればと思いますが」
ムシカは感心したように、カルヴァスを見ると、毛皮を卓の上に置いた。
「何も、そのようなことをお願いする為に参った訳ではありません。精霊隊の方がお困りならば、我等としてもお力になりたいと考えたからこそ。我等は、目的を共にし、互いの国の為協力することを誓った、いわば兄弟のような関係ですからね。──ただ、この毛皮を譲り受けるのに、いくらか無理をしたのも事実……それを労って頂けるのなら、そうですね……」
ムシカは深く考えるように、腕を組んだ。
「ちなみに、アジス殿にはどのように?」
カルヴァスの問いに、ムシカはにっこりと笑った。
「そもそもこの毛皮の入手経路が不明でしたので、その辺りを深く聞き込みました。アジス殿も、よもや違法品の疑いのあるものを誇らしげに身に着ける訳にもいきません。我がジョイエルス様の許へは、野蛮な行いによって生み出され、正しき価値を認められて適切な処置をするべきものも集まりますから、此度も同じように。ただ、多くの資材と交換でしたが」
そこでムシカは、疲れたように溜め息を吐いた。カルヴァスはひとつ頷き、ムシカの答えを待った。
「……そうですね、少しばかりお願いが。明色の町へと文を届けて頂くのは如何でしょう」
そう言って、ムシカは懐から文を取り出し、卓の上へと置いた。そうしてから、マリーエルを見つめ、申し訳なさそうにする。
「精霊姫様にこのようなことをお願いするのは、気が引けますが、明色の町と言えばマリーエル様のお姉様が嫁がれた町。折角華発の国へと訪れて下さったのですから、お姉様とお会いになるのも良いかと……如何でしょう。海底国との話し合いは、引き続きノノミ殿がこの地で、ヨンム様とアントニオ殿が鏡を通して、我等華発と共に進めますので。実を言いますと、先程の慈雨の町領主アジスは実に気の抜けない相手でしてね。此度の様々なことにも、油断を許さないのです。その辺りをご理解頂けると、嬉しいのですが」
ムシカはマリーエルに問うように首を傾げ、カルヴァスに目を向けた。
カルヴァスは卓の上の文に目を落とした。ここに文があるということは、最初から何らかの理由をつけて文を届けさせるか、明色の町へ向かわせるかどちらかをさせるつもりだったということだ。そして、それを隠すつもりもない。
カルヴァスは文を手に取り、マリーエルを見てから頷いた。
「それでしたら、この精霊隊にお任せを。精霊姫の姉君の暮らす町を訪れる機会を得て、私共としても感謝申し上げます」
ムシカは嬉しそうに笑うと、様子を窺うベッロと、未だ険のある視線を向けるインターリに訳知り顔をした。
「精霊隊隊長のカルヴァス殿は、随分大陸でのやり方を学ばれたようですね。あのインターリ殿も手懐けられたようだ。華発の者として、そして彼の仕事振りを知る者として、実に頼もしい限り。時に、インターリ殿。華発には『手にしたものを、よく見、よく聴け』という言葉がございます。華発は全ての物が集まる国。あらゆるものには、曰くや噂、そういったものが付随するもの。それは、名にもついて回るもの。あぁ、大陸出身の貴方は、よく理解していることだと思いますが」
ムシカはそう言うと、改めて頭を下げ「道中の足の用意はお任せ下さい」と去っていった。
「ったく、釘刺されてんなよな」
カルヴァスがガシガシと頭を掻きながら、インターリを見下ろした。インターリは不貞腐れたまま、ふいと顔を背ける。そうしてから毛皮を取り上げ、そっとベッロの前に差し出した。ベッロは少しだけ顔を歪めた後、すりりと毛皮に頬を寄せ、小さく鳴いた。
その様子を見守ってから、マリーエルが問うような目を向けると、カルヴァスは困ったように眉を下げ、はぁと息を吐いた。
「ムシカはベッロが獣族だってことは既に知ってるんだ。でも、あの言い振りじゃ他にそれが広められた様子はない。つまり、迂闊なことをすれば、何処かからベッロが獣族だということがバレて広まるか判らないぞ。言動をよく考えろって言われたんだ。ついでに、獣族はもう華発の町に居るから、わざわざ盗ったりしない、いちいち突っかかるな。精霊隊のことを考えろ……後半のことは、オレからも言わせて貰う。まぁ、飛び掛からなかっただけお前も成長したな。ただ、ベッロのことになると急に頭が回らなくなる。それを、よく意識して行動しろ」
カルヴァスの言葉に、インターリは舌打ちをした。その頭をカルヴァスは軽く小突いた。
「ベッロに関することは、ひとまずムシカはどうにもしてこないだろう。それに、この毛皮から考えるに、何かあれば守ることもする。それは、全て精霊姫の存在のお陰だ。華発からしたら、マリーは何物に代えてでも手に入れたい存在──それは叶わないが、こうして協力関係で居ることは出来る。あとは、〈インターリ〉に付きまとう噂、か……。顔が広く知られている訳じゃないんだ。これからは容易にインターリという名前を出すのは控えた方が良いかもしれないな。ま、それを知ることが出来ただけいいか」
カルヴァスは椅子に腰かけると、すっかり冷めていた茶で喉を潤わせた。
「ひとまず、お前達は体を休めろ。明日ウィパッ達と話し合って、ムシカのいう時機に明色の町へと出立する。先んじてその旨を報せておいた方がいいか……」
既にあれこれと考え始めたカルヴァスは、宿の主に地図を借りてくると、それを卓に置き、マリーエルから鏡話を受け取った。
「お前は、特に体を休めること。今日も大分力を使ったんだ。大陸でも影憑きは在るんだしな」
そこでカルヴァスは言葉を止めると、地図をゆっくりと辿り、ある地点で指を止めた。
「明色の町といえば霜夜の国にも近い……時さえ許せば、あの場所に、行くか?」
マリーエルは、胸の中にふっと湧き、鼻の奥をくすぐるように蘇った甘い香りを思い出して、息を呑んだ。
気遣うようなカルヴァスの視線に、小さく頷く。
「うん……時さえ許せば。会いに、行きたいな」
「ん。じゃあ、それも含めて道程を考えるよ。まぁ、今日はもう寝ちまえ。またお前の力に頼る時が来るだろうからな」
「うん、じゃあ休むね。カルヴァスも無理はしないで」
その言葉に、カルヴァスはひらひらと手を振ると、鏡を覗き込んだ。ぐずぐずしているインターリを「お前も寝ろ」とベッロと共に寝室へと追いやり、カナメと一言二言交わすと、カナメも隣室へと姿を消した。
「さぁ、姫様も」
アーチェが腕を引く。
「うん」
マリーエルは寝台に横になると、何処かそわそわと落ち着かない気分だった筈が、驚く程すぐに眠りへと落ち、久し振りにすみれ色の夢を見た。




