41話 月色の過去
宿へと戻ったマリーエルは、横たえられたベッロの許に屈みこんだ。
「ベッロ、大丈夫? あの……」
それきり、マリーエルは言葉を続けられなかった。
深刻な顔でベッロを見つめていたインターリが、マリーエル達の姿を見回し、小さく息を吐いた。優しい手つきでベッロの横顔を撫でてから口を開く。
「アイツが言ってたでしょ。獣族の毛皮だって。多分、ベッロの群れの誰かだよ」
予感していた通りの言葉に、マリーエルは言葉を失った。
遠い何処かの地で生きていると思っていた、かつての仲間の変わり果てた姿を目の前にした時、どれだけの衝撃がベッロを襲っただろう。
「今までも獣族の毛皮なんてものはいくらでも見てきた。コイツは悲しみこそすれ、ここまで酷い状態になることはなかったよ。だから、多分……コイツの群れの誰かなんだろうね。僕には判らないけど」
「……じゃあ、本当に、アジス殿とは何もなかったんだな?」
カルヴァスの問いに、インターリは静かに頷いた。
「本当に急にアイツを見たベッロが叫んで、倒れた。僕も最初は訳が判らなかった。でも、毛皮を見て、もしかしてと思ったから黙ってた。殺しちゃっても良かったけど」
「良くねぇよ。ま、よく堪えたな。そこまでの騒ぎにはなってないから、ムシカ殿──は、オレに任せておけ。上手くやっておく」
その時、ベッロの瞼がピクリと動き、ゆっくりと開かれた。
「ベッロ、お前──」
カッと瞳を見開いたベッロは、横顔に触れていたインターリの手に、唸り声を上げながら牙を立てた。
「おい──っ!」
引き剥そうと駆け寄ったカルヴァスを、インターリが手で制した。そして、静かにベッロを見下ろす。
「お前さ、よりにもよって生身の方に噛みつくなよ。痛いんだけど」
唸り声を上げていたベッロは、定まらない瞳でゆるゆるとインターリを見上げると、怯えたように口を開いた。
よろよろと後退り、混乱したように皆の顔を見回してから、インターリの腕の傷に目を留める。
何かを言おうと口を動かし、唸り声を上げてから、頭を振って瞳を閉じる。
緩やかに人型に変身したベッロは、俯いたまま小さく震えていた。
「ごめ……ごめん、なさい……インターリ……ごめ……なさい、ベッロ……傷つけた……インターリ……」
ボタボタと光る雫が床を濡らしていく。
溜め息を吐いたインターリは、ベッロの許に膝で擦り寄ると、その俯く頭を抱いた。
「あれ……あの毛皮が誰だったか、お前には判るんでしょ?」
インターリの問いに、ベッロは息を呑み、震えたまま頷いた。
「あれ、ベッロの群れ、だった。小さい頃、遊んで貰ったこと、ある……兄のような人」
そう言ってから、獣族の言葉で名を呟いた。
言葉を探すマリーエル達をちらと見やり、再びベッロに目を移したインターリは、長く息を吐いた。床に敷いた布を取り上げ、ベッロの肩に掛けながら言う。
「こんな時にって感じだけど、まぁこういう機会もないだろうし、少しだけ話を聞いてくれる? お姫様達も疲れてるだろうけどさ。──というか、手当の支度が出来てるなら、さっさとしてくれない? 痛いし、血もどんどん流れてるんだけど。僕が死んだらどうするの?」
その言葉にビクリと震えたベッロの肩を、インターリは優しい手つきで擦る。
インターリが噛まれてすぐに手当の為の道具を取りに行き、抱え戻っていたアーチェは、少しだけ申し訳なさそうにしてから、口を曲げた。
「本当に口が減りませんね。インターリ殿が話されていたから、気を利かせて待っていたんです。ほら、まだ話されるのならこちらに座って下さい。皆様も」
そう言ってアーチェは皆を卓へと向かわせると、屈みこむベッロを心配そうに見下ろした。
「ベッロ」
インターリの呼び声に、ベッロはゆるゆると立ち上がると、椅子には座らずにインターリの背に額を預けるようにして床に座った。
少し考える素振りをしたインターリは、無言で手をアーチェへと差し出すと、目で訴えた。アーチェは特に何も言わず、傷の手当てを始めた。
「僕が話すけど、いいよね?」
暫くの沈黙の後、ベッロの弱々しい声が「うん」と短く答えた。
インターリは再び長い息を吐くと、遠くを見つめるような瞳で語り出した。
「僕達の関係については、お姫様達と初めて会った時に話したよね。話したというか、コイツが勝手にべらべらと話したんだけど」
祓えの旅の際、炉の国の外れにある山中で、刺客としてインターリとベッロがマリーエル達を襲った時のことだ。
肩越しにベッロを見下ろしていたインターリは、アーチェの手元に目を移し、続けた。
「ベッロみたいな獣族は、大陸では装飾品と殆ど同義なんだ。好き勝手に愛玩されるか、労働力や見世物にされて、他に使い道がなければ皮を剥がれる。ジョイエルスはそれに異を唱え、保護すると宣言して獣族の狩猟を禁じたんだよ。まぁ、そんなこと言って生きたまま自分の手元に置いてる訳だから、扱いとしては変わらないと、僕は思うけどね。殺されてないだけマシ、って奴等もいるだろうから、何とも言えないけど。だからと言って、獣族がすっかり保護されて安心に暮らせる訳じゃない。僕が居た組織みたいなのは、いくらでも居る」
そこで言葉を止めたインターリは、薬布を当てられた手を見下ろし「ありがと」と呟いた。アーチェは落ち着かない様子でそれに応えると、茶を淹れる為に茶釜の方へと向かった。
「お前の居た組織ってのは、そういうこともしてたのか」
インターリの後ろに屈みこむベッロの様子を気に掛けながら、カルヴァスが訊いた。インターリはじっと黙り込み、何も灯さない冷たい瞳で卓の上を見つめながら答えた。
「なんだって、やるよ。本当に、なんでもね」
その言葉が、ずっしりと重く響く。それを振り払うように、インターリは歪な笑みを浮かべ、顔を上げた。
「ま、僕なんかはただの手足だから、詳しいことは何にも知らないけどね。ただ命じられるままに動いてただけだから。コイツの──ベッロの群れを壊滅させて売り捌こうとしたのも、僕の組織。僕はその作戦の指揮を執ってた」
ベッロの耳が、ピクリと立ち上がり、その後で力なく垂れる。
「なんだって、そこまでして、今一緒に居ることになってるんだよ。確か、ベッロのことはお前が『助けた』って言ってたろ」
カルヴァスの言葉に、インターリは一瞬だけ痛みに耐えるような表情を浮かべた。それから暫く考えるようにし、再び口を開く。
「戦になるように、その戦に獣族が関わるように仕向けたのも僕が率いていた隊……って程でもないね。主から降りてきた命令を遂行する為に、僕は必要な分だけの戦力を整えて配しただけ。そうやって、ベッロの群れを壊滅させて……群れを治めていたベッロを、愛好家に売りに行った。元々そういう話だったんだ。でも、あの時、コイツは……群れを守る為に最後まで戦ってた。だから、大分逃がしちゃったんだよ。ほら、アンタの所に訪れてたっていう群れ。その首飾りをくれたっていう群れは、僕の仕事の仕損じ」
インターリは、カナメに顔を向けると胸元を指差した。
じっと話に耳を傾けていたカナメは、突然話を向けられ返す言葉を探しながら、首飾りを辿るように弄った。
「それで、その時に君はベッロを助けたのか?」
カナメの言葉に、インターリは僅かに眉を寄せると、「まぁね」と吐き捨てるように言った。
「気色悪い親父がコイツを好き勝手に扱おうとしてるのを目の当たりにしたらさ、何か全部が嫌になって、殺しちゃったんだよね」
「……おい、話が飛んでねぇか。急に殺すなよ」
カルヴァスが言うと、インターリはケラケラと笑い始めた。
「〝急に〟って、本当に急だったんだもん。気色悪いと思ったら殺してた。なんか……突然さ、コイツ見てたら──」
ふと笑うのを止めたインターリは、卓に肘を突き、手当てをしたばかりだと気が付いて痛みに目を細めた。
「ま、とにかく、ベッロを連れてその場から逃げた僕は、当然組織に追われることになって、腕を切り落とされて、その場はコイツに助けられて、なんだかんだ今に至る」
「重要そうな所を、雑に締めんな」
そう茶化しながらも、カルヴァスは何処か考え込むような表情を浮かべていた。
「で、どうする……あの毛皮、どうにか譲って貰えるか交渉するか。ただその場合──」
「ベッロが獣族だと露呈するのはまずい」
インターリは鋭く言ってから、後ろに蹲るベッロを見下ろし、溜め息を吐いた。
「というか、いつまでそこに居るつもり? もういい加減いいでしょ。僕の傷の手当ては終わったし、僕の腕がこうなったのはお前のせいじゃない。そんなことを言ったら、お前が今こうして一人で居るのは、僕のせいだ」
冷たく突き放すようなインターリの言葉に、ベッロは勢いよく立ち上がると、後ろから抱き付いた。
「ベッロ一人じゃない。皆居る……インターリ居る!」
「そういうことじゃなくて、本来ならお前の群れは今も何処かで変わらず暮らしてた筈ってことだよ。お前はそこで、元の群れと一緒に暮らしてた筈だし、アイツだって毛皮にならなくて済んだかもしれないでしょ」
ベッロは小さく唸り、インターリを抱く力を強めた。苦しげに声を上げたインターリは、手当てを受けた方の手で押し退けようとし、痛みに舌打ちする。義手の方でベッロを遠ざけようとしたが、ベッロは益々縋りつくように力を強めた。
「あのね……」
マリーエルは、唸りながらもぞもぞとしているインターリとベッロに呼び掛けた。
動きを止めた二人が、ゆっくりとマリーエルを見つめる。
「ベッロのこと……獣族がどういう扱いを受けているのかを何となく知っているつもりだった。もっと知りたいと思っても、でも、自分の興味のままに訊いていいものなのか、悩んでたの。だから、今こうして話してくれて有難う。精霊国内では、絶対にベッロが悲しむようなことは起こさせない。出来たら、他の人達も……って、そんな簡単に言えることでも、出来ることでもないんだよね。だから、こうやって悲しんだり苦しんだりする人達が居る。でも、少しでも、私に出来ることがあるなら、したいって思うよ」
マリーエルは二人の許まで歩み寄ると、その前で屈みこんだ。
「まずは、ベッロの〝兄のような人〟を取り戻そう。そうして、ちゃんと世界樹へと巡り還れるように送るの。もう、魂の気配は感じなかった。だから、きっとあの人は還れていると思う。だけど、ベッロの想いを乗せて、それが届くよう……私に祈らせて欲しいな」
そう言うと、ベッロは目元をべしょべしょに濡らしながら、笑みを作った。
「マリー、有難う。大事、してくれて。ベッロは温かい。嬉しい」
言い終えると、再びインターリを抱き締め、まるで離すまいとしているように頬を擦り付けた。
「だから、痛いって──」
「ベッロは、インターリと出会う、だった。嬉しい。群れが壊れたの、悲しい。でも、インターリに会えた、嬉しい。インターリがやったことでも……でも、その後インターリは助けてくれた。あの時、ベッロは全てが終わる、思った。終わらなかった。あの時から……名前をくれたあの時から、ベッロは始まった。だから……一緒に居て。皆とも」
ベッロの言葉に、インターリは顔を歪め、鼻を鳴らした。
「まるで、僕が居なくなるみたいじゃん。別に、僕はそんなこと言ってないでしょ。獣族の置かれた状況と、僕達の過去を少しだけ話しただけ。お前の群れを壊したのも、あの時に腕が無くなったのも、二人で生きてきたのも事実。それを今の〝仲間〟に聞いて貰ったってだけ。全く、お前が倒れさえしなければ、わざわざ話したりなんかしなかったのに」
「もう、さっき折角『有難う』って言ったのに。少しずつでも仲良くなれてるのかなって思ったのになぁ」
マリーエルが言うと、インターリはせせら笑った。
「仲良いからって何でも話すものでもないでしょ?」
「でも、仲間だとはちゃんと思ってくれてるんだね」
その言葉にインターリは不機嫌そうに目を細めると、おもむろにマリーエルの鼻を摘まんだ。むぅと声を上げたマリーエルの許に、茶を注いでいたアーチェが駆け寄り、インターリの手を弾いて、マリーエルの鼻が腫れたりしていないかを心配そうな顔で見回した。
「口だけでなく、ついには手まで出して……! ただじゃ置きませんからね⁉」
「へぇ、どうするって?」
不敵に笑うインターリに掴みかかりそうなアーチェをマリーエルが宥めていると、カルヴァスがふとインターリを呼んだ。
「お前、言ったな?」
「何が?」
「居なくならないって」
「……言ったけど? 別に今迄もそんなこと言ってないでしょ」
「あぁ、そうだな。だけど、今のことは覚えておく」
口を曲げたインターリは、そこでやっとベッロの体を引き剥し、隣に座らせることに成功した。
「で、あの毛皮を取り戻すって言ったって、どうするの? 今、生きてるベッロを危険に晒す訳にはいかないからね。僕にとって、あの毛皮は価値がないんだから」
その言い様に、カルヴァスが大げさに溜め息を吐く。
「その言い方をどうにかしろ。自分にとっては今を生きてるベッロが特に大切だから、危険に晒したくはない。やり方を考えよう。くらい言え。──まぁ、お前がそんな風に言える訳ないとも判ってるけどな」
「ねぇ! 僕の言葉も気持ちも勝手に代弁しないでくれる⁉」
声を荒げたインターリを放っておきながら、カルヴァスは深く考え込み始めた。
「通貨で買う……っていうのが、大陸のやり方だよね。でも、私達そこまで持って来てる訳じゃないし」
マリーエルが言うと、カルヴァスは「うーん」と唸った。
「その辺りは、どうにでもなると思う。勿論、やり方には気を付けなきゃなんねぇけど。どうして、あの毛皮が欲しいのか……精霊国の姫がまさか愛好家な訳もないからな。その辺りをどう理由付けるか……。勿論、何度も譲ってくれと頼みこむのも危険だ。勘ぐられる。ムシカの反応を見る限り、どうにもアジスは相当やり手だろうからな」
精霊国の姫というよりは、インターリがこの場に居ると知ってわざわざ毛皮を見せつけるように着てきた可能性も考えられる。その場合、ベッロが悲鳴を上げた時点である程度の確証を与えてしまったこととなる。
その場合を考慮した上で、考えねばならない。
その時、ベッロが耳を立てて後ろを振り返った。インターリが素早く立ち上がり、ベッロを後ろに隠すようにする。
ベッロが〈走る姿〉へと変身し終えたと殆ど同時に、宿の者が来客を告げた。




