37話 対話
明朝、港に集まった者達の前にウィパッが姿を現すと、どよめきが起こった。
「それで、海底人とは? いつからその自覚が? 海底国とはどういった場所なのです?」
ノノミが勢い込んで訊いた。
潜水船の造船に携わっていたノノミは、マリーエル達が港に着いた時には潜水船に乗り込んでの作業の最中だった為、戻ってから、宿で体を休めていたマリーエルの許を訪れ、挨拶を済ませていた。流石のノノミも、疲労にぐったりとしているマリーエル達に、質問を浴びせかけるようなことはしなかった。そのせいで、こうしてウィパッを目の前にしてそのタガが外れてしまったようだ。
マリーエルの前に置かれた鏡から、アントニオの声が言った。
『落ち着きなさい。それを知る為の会です。質問は、ひとつずつ。そう急かすものではありません』
ノノミは鏡に映るアントニオを睨み付けた。
アントニオは涼しい声で続ける。
『それでは、新たに生まれた海底国との関係をより善いものとする為の会を始めましょう』
その言葉に、ウィパッの横に控えていたナヴァが、頷き、前へと進み出た。
様子を窺っていた港の者達は、再びどよめき、僅かに後退る。それを釈然としない風に見やったナヴァは、マリーエルへと視線を移し、その近くに腰かける者達を見回して、笑みを浮かべた。
精霊国の者達と、ムシカを含めた主だった華発の者達は、好奇を滲ませているとはいえ、〈海底人〉を恐れてはいなかった。
華発の者達にとっては、それは恐れるべきものではなかったのだ。
卓の上に上等な布を敷いて置かれた品々に、時折鋭い視線が向けられている。
それは海底に在る海藻や、珊瑚だった。
そういったものは、時折網にかかったり、浜へ流れ着いたりとするが、貴重なものには違いない。それらを、自領で採れるものと換え、海底国との関係を築く、そのことが主だった華発の国の者達の目的だった。
ムシカは、その取り引きさえ自身の管理下に置く為に、油断なく意識を向けている。
華発王ジョイエルスの目的は、全てをその手に入れること、だからだ。
海底国とのことは、精霊国と協力し、華発の他の領地の許に渡すつもりはないらしい。殊更に精霊国と華発王との繋がりを主張している。
「アントニオ殿、それでこの海底人の目的は何なのです?」
「海上の国との友好な関係を築くこと。私達の国をひとつの国と認められること」
ムシカの問いに、アントニオではなくウィパッ自身が答えた。弾くような奇妙な音で響く声は、正しく意味を伝えた。
僅かにぎょっとしたムシカは、ちらと鏡を見やってから前に進み出た。
ナヴァが警戒するようにウィパッの前へと進み出た所で、ムシカは立ち止まった。
「我等、華発の国としても貴女達〈海底国〉の方々と、善い関係を築いていければと思っています。ですが、その……〈劣ったモノ〉〈劣魚〉そうしたものは……失礼ですが、我等には〈海底人〉との区別がつきません」
ムシカの言葉に、ウィパッは苛立たしげに腕を振り上げた。カルヴァスが立ち上がり、手を上げてそれを宥める。
「落ち着いてくれ。それを聞く為に皆此処に居るんだ。敵意じゃない」
小さく唸ったウィパッは、鋭い目つきで皆の顔を見回した。華発の者達の企みが、今のウィパッには判っていた。しかし、だからこそ、友好的な関係を築かなくてはならないのだと、事前にカルヴァスが説得していた。
一度カルヴァスに留めた視線を、再び皆に移してからウィパッは言った。
「あのモノ達は、海底で生きるに相応しい姿を捨てている。お前達に見分けがつかぬとも。力を得た今、あのモノ達は、いずれ海より出て海上の世界をも荒らすつもりだろう」
そんな滑稽な、という声が上がる。それを、ウィパッは鋭い視線で止めた。
「見分けられぬのであれば、それでいい。海底で生きる私達には関与のしようがない。共に〈劣魚〉どもを駆逐する為に協力を、というのなら私としても出来ることはあるが」
ウィパッの言葉は冷たく響いた。カルヴァスは僅かに目を細め、華発の者達は、互いの目を見合わせ、海藻と珊瑚に目をやる。
その頭の中では、目まぐるしくこれらを手に入れる方法を考え抜いているのだろう。海底国へと向かう手立てである潜水船は、精霊国とムシカの許に運航される。しかし、技術であればその内自然と外部へと漏れるものである。
それを待つか。言い寄るか。はたまた他の方法を考えるか。やり方はいくらでもある。
その時、マリーエルの肩の上で話を聞いていたアールが、ふんぞり返ってウィパッを呼んだ。
「そうとは言うても、精霊である儂にもお主等の違いはよう判らん。お主は、この陸に生きる命在るモノ共の姿が、全て見分けがつくというのか。突然生じた知を持ち、海上へと現れ、随分と傲慢なことじゃな」
ウィパッは顔を顰めて黙り込んだ。
アールとウィパッでは随分と体格差があるのだが、ウィパッは、アールの毛むくじゃらで小さな姿と、次々語られる言葉に何かを感じているらしく、アールの言葉にはあまり反抗しなかった。
「して、陸の儂等はお主のようには海中に簡単に行くとはならぬ。そして、お主が信用に値するかも判らぬ。助けを求めるならば、自身のことを語り、事情を説明し、そして助けを乞う。陸ではそうやって成っておる。儂等精霊とこの命世界のモノ共もそのように成り立っておる。お主にはまだ判らぬようだが、学ばねばならん」
そう言い終わったアールの横顔を、カルヴァスが奇妙な顔で見やった。
「なんじゃ、言いたいことがあるなら言うてみい」
「いや、何でもねぇよ。──とにかく、そういうことだ、ウィパッ。焦っていることは判るけど、オレ達陸の者は、まだお前達海底の者のことを知らない。それを此処に居る者達に話して聞かせてくれ。それでやっと対等な関係になれる」
「あぁ、判った。……すまない」
その時、遠くの海で水飛沫が上がり、海上から声が上がった。
ウィパッが振り向き手をかざすよりも前に、ナヴァが泳ぎ塞がり、泳ぎ来たモノの鋭い腕で締め上げられた。
ナヴァの体は港へと打ち上げられ、組み敷かれる。
覆い被さるその巨躯は、一見すると巨大な魚のようだが、その背から幾本もの腕を生やし、周辺の船乗りや兵を易々と薙ぎ払っていった。鋭い牙がナヴァの頸を食い破ろうとカチカチと鳴る。
「敵襲!」
華発の兵の声が上がった。兵達が囲もうとした時、ナヴァに覆い被さる巨躯を、港に上がったウィパッが引き剥した。顔を歪め、そのままの勢いで海へとそれを引きずり込む。
「見るがいい! これが〈劣魚〉だ!」
ウィパッがそう叫ぶと、〈劣魚〉がウィパッへと腕を絡ませ海中へと姿を消す。
「ウィパッ!」
全身に傷を作ったナヴァが、港を這いずり海中へとウィパッの姿を追った。
「くそっ、船で追うしかねぇか⁉」
カルヴァスはカッテへと視線をやったが、カッテは苦々しそうに首を振った。
「アタシの船はまた修繕中だよ。それに、あの様子じゃこっちの攻撃も届かない」
唇を噛み、ムシカの許へ向かおうとしたカルヴァスの前に、ノノミが遮るように手を差し出した。
「カルヴァス精霊隊長。此処はこの私──いえ、ヨンム隊にお任せ下さい」
『まさか⁉』
ムシカが華発の兵達に指示を出し、救護に戦闘にと兵を動かす声が響く中、アントニオだけがノノミの言葉に反応した。
『試運転を終えたとは聞いていますが、まさか今、姫様をお乗せするつもりではないでしょうね⁉』
アントニオの声に、ノノミは鼻で笑う。
「当たり前です。あのような状況なら姫様のお力を借りるのが最善でしょう。勿論、潜水船にも一応の武器は備えてありますが、あの〈海底人〉の動きを見る限り、それに関して改善の余地がありそうです。そうご心配なさらずとも、我らが精霊姫様をお乗せするのに、不備がある筈ありません。ご自身の知識と、ヨンム様の技術力をもう少し信じられたら如何ですか。──ご安心下さい、姫様。私も共に乗船いたしますから」
マリーエルが問うようにカルヴァスを見やると、カルヴァスはガリガリと頭を掻いてから言った。
「やるしかねぇか……」
薙ぎ払われた船乗りや兵はそこかしらで倒れ呻き、小屋や船は壊されていた。その中でも幾艘かは既に海上へと出ていた。しかし、海中で暴れる劣魚に攻撃を加えることは難しかった。
「影憑きだ!」
遠くで声が上がった。
「ウィパッ達の戦いで劣魚の影憑きも増えてるのか……」
一人考え込むように呟いたカルヴァスは、焦れた想いで見つめていたマリーエルの手を取った。
「行こう」
「うん」
マリーエルはノノミへと向き直り、強い目で見上げた。
「お願いしますね」
その言葉に、ノノミは得意そうに胸を張った。




