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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第三部 水底の王国

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36話 酔っぱらい

 宿に着き、早々に寝台へ横になっていたマリーエルは、ふと目を覚まし寝台を抜け出した。


 あまりに豪華な宴だったせいか、まだその余韻が残っているらしい。


 温かい茶でも淹れようと、こっそりと部屋を抜け出した。何故起こしてくれなかったのか、とアーチェに叱られそうだが、アーチェにとっても長い船旅や豪華な宴は楽しくとも堪える所はあったようで、深く寝入っているのが判った。茶を淹れるくらいで起こすつもりはなかった。


 続きの間に移ったマリーエルは、卓に腰かける人影に目を瞬いた。


「カルヴァス、どうしたの?」


 窓の外を眺めていたカルヴァスは、ゆっくりと振り返り、笑みを浮かべた。


「お前こそ、どうした。眠れないのか?」


「ううん、ちょっと目が覚めちゃっただけ」


「そうか。茶、飲むか?」


 カルヴァスは卓の上の茶器を示した。マリーエルが頷くと、カルヴァスは棚から器をひとつ取って、それに茶を注いだ。


「少し冷めてるかもしれないけど……あと、アーチェやカナメみたいには上手く淹れられねぇけど」


 そう言って差し出された器は、ほんのりとした温かさを手に伝えた。ひと口飲めば、その温もりが喉を通って全身に広がっていく。


「うん、丁度いいあったかさ。美味しいよ」


「そっか」


 カルヴァスは柔らかく笑ってから、窓の外に目を移した。


 並んで腰かけ、同じように窓の外に目を移すと、月が静かに光を降らせていた。月の光は地上の者達を優しく照らし出す。


 茶をもうひと口飲んだマリーエルは、ふと視線に気が付き顔を横向けた。カルヴァスの視線と思っていたより近くでぶつかり、驚きに目を瞬く。


「な、なぁに? お月様、見ないの?」


 そう指で示したが、カルヴァスは卓に寄り掛かるようにして突いた肘に頭を預けたまま、マリーエルを見つめ続けた。


「お前のこと、見てたい気分なんだよ」


「えー、恥ずかしいよ」


「何で?」


 何で、と問われても……と戸惑っている間も、カルヴァスは少し力の抜けたくつろいだ様子で、マリーエルを見つめて嬉しそうに笑っている。


「もう、まだ酔ってるんでしょう。ムシカ殿と沢山飲んでたもんね。大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。明日に響かないようにこうして茶を飲んでる訳だし。酔いもまぁ醒めてきた」


 そう言って器を傾けたが、茶を飲み終えると、再びカルヴァスはマリーエルを見つめた。今度は何処か物憂げさも感じさせる瞳で、マリーエルを落ち着かない気持ちにさせた。


「ね、ねぇ……だから恥ずかしいって」


「だから、何でって」


 しつこく繰り返すカルヴァスに、マリーエルは頬を膨らませると言った。


「何でって……私がじっと見てたら、カルヴァスだって恥ずかしい筈だよ」


 そう言って見つめ返すと、カルヴァスは口元をニンマリと緩めた。


「オレは嬉しいけど」


「えー、何で?」


 今度はマリーエルが問うと、カルヴァスは機嫌良さそうに鼻を鳴らす。


「えー、何でも」


 その様子に、マリーエルは再び頬を膨らませた。


「もう、酔っぱらいだ」


「そう、酔っぱらい。酔っぱらいは、マリーのことを見てたいんだよ」


「もう……何それ」


 顔を背けたマリーエルの頭を、カルヴァスは優しい手つきで撫でた。


「ま、ムシカの露骨なやり方には辟易したけど、確かに明日からはゆっくりするってことも難しいだろうからな。良い時を過ごせたよな。料理も旨かったし。これは流石華発の国だって言わざるを得ないぜ」


 カルヴァスはそう言って、器を口元に運び、視線を外に向けた。それを横目で確認したマリーエルは、向き直ると、ひとつ頷いた。


「確かに、驚くくらいのご馳走だったね。カルヴァスもムシカ殿に色々と説明受けてたよね」


「あー、あれだけはしんどかったな。興味がない訳じゃねぇんだけど。酒はもっと楽しく呑みたいし。むしろ、今呑みたい」


「止めなよ。明日に響くよ」


 棚に目を向けたカルヴァスの袖を掴み、マリーエルはそれを引き留めた。


 先程よりもずっと近くで互いの視線が交わる。


「じゃあ、やっぱりお前のこと見てようかな」


 カルヴァスはマリーエルの髪を耳に掛けると、その頬を撫でた。不満を滲ませ頬を膨らませるマリーエルの様子に、可笑しそうに笑う。


「お前は、本当すぐにそうやって丸くなる」


「カルヴァスがそうさせるんでしょ! もう見ちゃ駄目」


「悪かったって。疲れが溜まってるから癒──まぁ、いいか」


 ふっと笑ったカルヴァスに、マリーエルは眉を寄せ、首を傾げる。


「疲れてるんだったら、寝た方が良いよ」


「気持ちが疲れてる時は、好きなことをする方がいいんだよ。──あ、そうだ、ぎゅーってしてくれよ」


 カルヴァスが冗談めかして手を広げるのに、マリーエルは目を瞬いてから、「仕方ないなぁ」と笑ってカルヴァスの体を抱き締めた。〝ぎゅー〟は、昔から大切に想っている気持ちを伝える手段だ。疲れていると言うなら、尚更〝ぎゅー〟が必要だ。


「はい、ぎゅー。──あのね、いつもカルヴァスが色々と頑張ってくれてるのに感謝してるよ。ずっと昔から……子供の時から、色んなことで助けてくれてるよね。有難う」


「お、おぅ……」


 カルヴァスは答えながらマリーエルの背に手を回し、長く息を吐いた。


「──って、何か今更というか、こんな時にって感じだけどね」


 マリーエルが言うと、カルヴァスは小さく笑い、マリーエルの首元に鼻を埋めるようにした。


「んー……まぁ、感謝されて嬉しくない訳ないし、オレも頑張り甲斐あるって言うか……約束だしな」


「約束?」


 カルヴァスはそれには答えず、暫く「んー」と呻いていたかと思うと、突然体を離した。


「あれ、もういいの?」


 マリーエルの言葉に、ガリガリと頭を掻く。


「んー、なんか今この感じは結構マズいというか」


「マズい?」


 立ち上がったカルヴァスは、窓辺に立ち外を見上げた。


「お前はそろそろ寝ろよ。朝になっちまうぞ」


「カルヴァスは?」


「オレはあと少しだけ此処に居るよ」


 そう言って、追うようにして横に立ったマリーエルの頭を撫でてから、その背を寝室へと押す。


「……本当に大丈夫?」


「ん、大丈夫。むしろ、お前が居ると大丈夫じゃない」


「もう、何それ。見てたいって言ったり、居ると大丈夫じゃないって言ったり。変なカルヴァス」


 口を尖らせるマリーエルに、カルヴァスは一瞬だけ瞳の奥に真剣な光を灯し、それを笑顔で取り繕った。


「悪かったって。早く寝ろよ」


「もう、おやすみ」


「あぁ」


 マリーエルは落ち着かない気分のまま寝室へと戻り、しかし何処か安心した心地で寝台へと潜り込んですぐに眠りに落ちた。


 続きの間に残り、暫く月を見上げていたカルヴァスは、熱く昂っていた気持ちを落ち着かせると、寝室へと戻って行った。


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