35話 宴のひと時
「カルヴァス、大丈夫かな」
マリーエルは食事を進めながら、時折カルヴァスの様子を窺っていた。
表面上は和やかにムシカと話しているが、その笑みは本来のものとは程遠く、作戦会議や、他国とのことを話している時、緊張や警戒をしなければならない時に浮かべるものだった。勿論、今がその時だということは理解している。しかし、海底国から戻り、カルヴァスも相当疲労が溜まっていた筈なのに、ムシカに合わせて酒をよく飲んでいるようなのも、気懸りだった。
精霊隊として、他所とのやり取りは隊長であるカルヴァスに一任している。様々なやり取りを経て、カルヴァスは隊長としての手腕を上げていた。以前はそのことに少しばかりの寂しさを感じていたが、今ではどうにか手伝えることはないだろうか、と考えることが増えていた。任せきりではいられない。
それと同時に、余計なことをすれば仕事を増やすことにも成りかねないということも理解していた。精霊姫の言葉は、自分が思っているよりも、ずっと重い。
〈精霊姫〉という立場を考えれば、それを守る為に隊長として様々なことに気を回し、尽くしているカルヴァスの妨げになる訳にはいかなかった。
様々な書物を読み、以前よりも身の回りのことに興味を持つようになったとはいえ、マリーエルは、未だ国や人同士の様々なやり取りを理解するのは苦手だった。
「別に、あれもアイツの役目でしょ」
そう言いながらも、時折カルヴァスの方に注意深く目をやっていたインターリが、吐き捨てるように言った。
「そうかもしれないけど──」
その時、船員達の囲む卓でワッと声が上がった。見れば既に出来上がっていた船員達が、歌い踊り始めていた。鬱陶しそうにそれに眉を寄せたインターリの視線に気が付いた世話役が、ビクリと肩を震わせ、気まずそうに笑みを浮かべてから、船員達の歌に拍手を送る。
それは、インターリの食事の世話をする為に配された者だった。宴が始まってすぐに追い払われ、今は船員達の世話を焼くことに専念したようだった。素より、華発の国では〈流浪の暗殺者インターリ〉の名は広く知られていた。
まさか、精霊国の精霊姫が引き連れているのがその暗殺者だと知らされていなかったのか、それを知り動揺を隠せなくなった世話役の様子に、インターリは機嫌を損ねたのだった。
カナメの世話を焼く者がインターリの分も請け負い、その者は、平然と世話を焼いている。
「というかさ、心配するならこっちじゃない?」
カナメの顔を覗き込んでから、インターリがからかうように言った。カナメは「酔ってない」と若干回っていない口調で答えてから、アーチェが差し出した水を飲み、ひと息吐く。
カルヴァスの方を定まらない瞳で見やり、眉を寄せる。
「随分と呑んでいるようだな。心配だ」
そう言いながら、目をしぱしぱとさせる。カナメは勧められるままに酒を呑み、明らかに呑まれていた。
「それは、アンタでしょ。もう呑むなよ」
インターリはカナメの前からパッと酒器を遠ざけた。カナメが僅かに惜しそうな顔をする。
「美味しかった?」
マリーエルが訊くと、カナメは目を瞬いてから、頷いた。
「あぁ。不満があった訳じゃないが、船での食事は質素なものが多かったからな。これだけ贅沢な食事を目の前にすると、つい手が進む。酒も、旨い」
顔を緩ませていたカナメは、急に背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
「だが、自分の役目も忘れていない。ちゃんと辺りに意識を向けてはいる。そうだ、見回りをしてこよう」
立ち上がろうとしたカナメの肩を、インターリが押さえ座らせた。
「それが酔ってるっていうんでしょ。じっと座ってなよね。ていうか、この酒が旨いのは確かだけど、強い酒じゃん。あんま勢いよく呑むもんでもないでしょ」
インターリは改めて、あと少し酒の残ったカナメの杯を遠ざけた。
「インターリって、お酒にも詳しいんだね」
マリーエルが言うと、インターリは得意そうに口端を上げた。
「まあね。これくらい覚えておかないと、仕事をするにも気を引くにも手間がかかるからね」
「あれ、好きって訳じゃないの? エランでは結構呑んでたみたいだけど」
自身の杯を持ち上げたインターリは、ふとその中に目を落としながら答えた。
「まぁ、好きか嫌いかって言われれば、好き寄りではあるかもしれないけど、別に酒宴が好きって訳でも、酒を呑むこと自体が好きって訳でもないね」
「……ややこしいですね」
アーチェの言葉に、インターリは不機嫌そうに顔を顰める。
「別にどうだっていいだろ」
そう言って、インターリは持ち上げていた杯を口には運ばず、卓に置いた。代わりに器に盛られた杏を取る。
「杏は本当に好きだよね」
ひと口齧っていたインターリは、眉間に皺を寄せながらマリーエルを振り返った。
「何か随分僕のことを構ってくるね。お姫様も酔ってるんじゃない? 絡み酒なんてやめてよね。アンタ、ちゃんと世話しなよ。世話役でしょ」
話を振られたアーチェは、心外だ、とばかりに顔を顰めた。
「マリー様は前後不覚になる程お酒をお召にはなってません。インターリ殿こそこうしてマリー様にご心配を掛けていることを自覚したら如何ですか」
「はぁ? 何が? 別にお姫様は心配だから話してる訳じゃないだろ。僕と話したくて──」
「あら、とんだ思い上がり。姫様の優しさは民全てに向けられているのです。貴方だけ特別に扱う訳ではありません」
「はぁ? そんなこと言ってないだろ」
言い合う二人にマリーエルがおろおろとしていると、二人の間にベッロが顔を割り込ませた。顔を見比べ、それぞれの頬をペロリと舐め上げる。
口を閉じたインターリが、はぁと息を吐いて、立ち上がりかけていた腰を下ろした。
「はー、くだらない。……僕も酔ってるのかも。お姫様、水頂戴」
インターリはマリーエルの前の水差しを指差した。マリーエルがそれを持ち上げようとするのを、アーチェは遮り、代わりに持ち上げた。
「あのですね、姫様にそのようなこと頼まないで下さい」
「じゃ、アンタで良いから水頂戴」
アーチェは口端をピクリと震わせると、水差しをそのまま差し出した。
「どうぞ、ご自分で」
インターリはニヤと笑うと、水差しから自分で水を注いで旨そうに飲み干した。
「別に、僕は自分で水くらい注げるからね」
「これからも是非そうなさって下さい」
「あ、あの……二人とも、仲良くして──あれ?」
二人を宥めようとしたマリーエルは、間に挟まるカナメが俯いているのに気が付き、その顔を覗き込んだ。
「寝てる」
「はぁ? さっきまで『役目は忘れていない』とか言ってたのに?」
インターリが眉根を寄せて顔を覗くと、カナメはハッと顔を上げた。
「何だ、何かあったか?」
慌てた風に言うカナメに、マリーエルは思わず笑い声を漏らした。
「ううん、何も」
「そうか……。あぁ、インターリ、そこの水差しを取ってくれ」
そう言ったカナメの前に、アーチェが水の入った器を差し出す。
「こちらどうぞ、カナメ殿」
「すまない」
水を飲み干すカナメの様子を、インターリはつまらないものでも見るように眺め、顔を背けた。アーチェは勝ち誇ったようにそれを見やっている。
マリーエルは慌てて目の前の皿を指差した。
「あ、インターリ。こっちの料理も食べてみる?」
「要らなーい」
インターリは顔を背けたまま、ぼんやりと宴を見つめ、杏に噛り付いている。
「お前達、さっきから何やってるんだ」
その時、ムシカから解放されたカルヴァスが席を移ってくると、皆の顔を見回して言った。
ムシカは今、カッテの許で何やらと話し込んでいる。カッテには、今エランを代表する船の船長という役目がある。それについては、大渡の町へ向かう間に話し合いを済ませていた。セルジオからも、エランとしての姿勢をカッテは教え込まれている。
「ちゃんと食えたか?」
「うん、カルヴァスは?」
マリーエルが訊くと、カルヴァスは腹を擦った。
「そりゃもう、はち切れそうだ」
カルヴァスはムシカと長く話し合っていたが、その間にムシカはあれこれと料理を運ばせ、長く講釈を垂れていた。宴の為にと用意された数々の美食は、かなり念入りに、そして多岐に渡って用意されていた。
「満足したなら、そろそろ宿に帰ろう。もう半分寝てる奴もいるしな」
カナメを見やって、カルヴァスが言った。うとうととしていたカナメが「起きている」と顔を上げる様子に呆れたように笑う。
「うん、そうだね」
マリーエル達が立ち上がると、すかさずムシカが歩み寄って来て、頭を垂れた。
「お楽しみ頂けたでしょうか」
「ええ。実に楽しい宴でした。これからに十分備えることが出来ました。感謝申し上げます」
マリーエルの言葉に、ムシカは頬を緩ませ、再び深く頭を垂れた。
「では、また明朝お迎えに伺いますので」
「はい」
マリーエルは、遠くから様子を見守っていたカッテに手を振り、宿へと向かった。
カッテにはカッテの、華発の国との話がある。エルベル亡き今、彼との間に結ばれた華発とのやり取りは、全てカッテの指揮の許に動いていくこととなる。
──色々と考えることも、やることも沢山あるなぁ。頑張らないと。今日は楽しかったけど、少し疲れちゃったかも。
宴の音を遠くに聞きながら、マリーエルは小さく欠伸をした。




