33話 どでかい火柱
「〈劣ったモノ〉──劣魚か……」
ナヴァの言葉に、カルヴァスが上海を見上げた。
海上まではまだいくらかある。上がりきる前に劣魚と交戦することとなるし、海上まで上がれたとしても、その先に船がある訳でもない。船影は見えないでもないが、それが何処の船かは判らない。出来るだけ、華発の船は避けるべきだった。
「此処で迎え討つしかない」
カルヴァスの言葉に、ナヴァが僅かに震えた。
「あぁ……判っている。しかし、知識とは、やはり恐ろしいものだ」
そう言って、マリーエル達を解放した。水の精霊が流れ渡り、三人の体を包んだ。
「海底では、女が戦い、男が子を守る。守る為には戦わねばならないが、僕達男が戦わねばならない時、それは女が既に負けているということ。だから、実際には──」
「そんなこと言ってる暇ないだろ。戦うしかねぇんだ」
カルヴァスが剣を抜き、構えた。
劣魚はみるみる迫ってきている。
「此処でやらなきゃ大事なもんは守れねぇ」
剣に満たされた火の力が水を滾らせ、気泡が沸く。それに影響されたようにカルヴァスの食いしばった歯の隙間から血が流れ出した。
「カルヴァス……!」
声を上げたマリーエルに、ちらと肩越しに視線をやり、目で頷く。
「辛いだろうけど、もしオレが力を使いきったら、お前の力で助けてくれ。──カナメ、お前は行けるか?」
「あぁ……行くしかないだろう」
その言葉に、カルヴァスはニッと笑った。
「行くぜ。水の中でも火の力を揮えるってところを見せてやる」
カルヴァスは気合の一声を上げ、剣を揮った。剣筋をなぞるように沸き立つ気泡が、鋭く劣魚へと向かう。構わず泳ぎ迫る劣魚は、正面からそれを受け、衝撃にもんどりうった。
しかし、致命傷とはならず、一度体を回し、再び迫り来る。
カナメが水の精霊の作り出した流れに乗り、劣魚まで距離を詰めると、細剣を揮った。凄まじい気迫の許、カナメの一閃は劣魚のヒレを斬り上げた。
体を大きく震わせた劣魚の尾ヒレがカナメの体を吹き飛ばす。
新たに水の流れを作り出そうとしたマリーエルの動きを、水の精霊が止めた。
「姫、お前は既に十分すぎる程の力を使った。これ以上はお前達の息が持たなくなる。火の器も……」
そこで水の精霊は口を閉ざし、カルヴァスを見やった。
カルヴァスはえずき、ゴボリと血を吐き出していた。
しかし、すぐにまた剣を構え、水の流れに乗り劣魚へと剣を揮う。
「でも……!」
マリーエルの横で震えていたナヴァがキッと鋭い視線で劣魚を見やった。ぐん、とヒレを動かし、劣魚へと迫る。
ナヴァは戦うカルヴァスとカナメを押し退け、その鋭い牙と爪で劣魚を掴み、その身を切り裂いた。
瞬く間に劣魚は粉々に砕かれ、海底へと落ちていく。
それを呆然と見ていたカルヴァスが、へっと笑う。
「……やれば出来るじゃねぇか」
そう言ってから、頭を押さえ、一瞬脱力する。
剣を取り落としそうになり、慌ててそれを掴むと、苦しそうにもがいた。
「駄目……! カルヴァス!」
火の精霊の力の気配はすっかり消えていた。再び傾ぎそうになるカルヴァスの体を、マリーエルは水の精霊の力を使い包み込んだ。苦しそうに咳き込んだカルヴァスは流れに身を任せながら顔を上げ、遠くを指で示す。
示したその先では、肩口を押さえたカナメが、流されまいと脚で水を蹴っていた。
マリーエルはグラグラとする感覚の中でカナメの許にも精霊の力を導いた。カナメの目が「止めろ」と言っているのが判る。しかし、そうしなければ、カナメの体は今に沈んでしまう。
劣魚との戦いの中で、カナメは多くの血を失っていた。海の中でさえ、その顔が血の気を失い、ぎこちない動きになっているのが判る。
しかし、水の精霊の力は、カナメの許まで届かなかった。
「姫、駄目だ。力が足りない」
「でも、カナメが──」
その時、力強い流れが起きたと思うと、ナヴァがカナメの体を掴み、マリーエルの許まで泳ぎ寄った。
「すまない、マリーエル。僕は、まだ君達のように覚悟を抱けていない。だけど──」
言いながら、マリーエル達の体を包み込み、ナヴァは海上を目指し始めた。
「海底国を守る為……そして、ウィパッを支える為に僕も覚悟を決めよう」
水の精霊が力を解き、マリーエルは締め付けるような感覚から解放され、それと同時に息苦しさを覚えた。
ナヴァの泳ぎに、瞬く間に海上へと出たマリーエルは、思い切り息を吸い、激しく咳き込んだ。
「あぁ、ほら、急にそんな吸うな。ゆっくり──」
「カルヴァスも……鼻から、血……」
カルヴァスがマリーエルの背を擦りながら、空いた手で鼻元を拭い、すぐ近くに浮かぶカナメの顔を覗き込んだ。
「お前は、まだ保つよな」
その問いに、血の気の失った顔でカナメが頷いた。
辺りはすっかり暗くなっていた。ずっと遠くに、大渡の港のものだと思われる明かりが見える。
このまま海水に浸っている訳にはいかない。辺りを見回したカルヴァスは、ハッと息を呑んだ。
次の瞬間、すぐ近くに水飛沫が上がった。激しく波に揺れ、マリーエルはカルヴァスにしがみついた。ナヴァが強く三人を引き寄せ、泳ぎ後退る。
「何が……⁉」
声に被さるようにして再び水飛沫が上がった。
「船だ……!」
カルヴァスが遠くを指差し、声を上げる。ナヴァが戸惑い、マリーエルを見つめた。
「何故? 海上の者達はマリーエルを守るのではないのか」
「その筈だが、まだ此処に居るのがマリーだと判ってないんだ。すげぇ言い辛いけど、ナヴァ、お前と〈劣魚〉の区別がついていないんだ」
「なんだって?」
ナヴァの声に怒りが籠もった。その腕を、カルヴァスは掴んだ。
「いいか。今はそれに怒ってる暇はない。オレが力を使って合図を出す。それに気付いて貰えるように願おう。悪ぃけど、ナヴァには華発にオレ達を運んで貰わないとならない。それと、マリーお前が頼りだ。出来るだけ力を温存してくれ。どの船に行き合うとしても、お前さえ意識を保っていれば何とかなる」
そう言ってから、カルヴァスは再びナヴァを見上げた。その間にも水飛沫はナヴァの輪郭を狙って上がり続ける。
「探すのは精霊国の船だ。船長はカッテ。オレ達の仲間であるインターリとベッロもそこに居る。華発の船で信頼出来るのは、今の所ムシカが指揮を執る船だけだ。それだけ覚えておいてくれ」
カルヴァスは宙に向かって、火の精霊に呼び掛けた。炎が上がり、現れた火の精霊が不愉快そうな顔をする。
「我の器の癖に、水の匂いがする」
「仕方ないでしょ。水の精霊の力がなければ、オレは死んでましたよ」
むぅ、と唸り、火の精霊はマリーエルの周りを揺蕩う水の精霊に目を向けた。
「礼を言う」
水の精霊は、小さな水飛沫を上げそれに応えた。マリーエルの負担を減らす為、今は海水へと姿を変じていた。
迫り来る水飛沫に鬱陶しそうな顔をしながら、火の精霊は遠くの船に目をやった。
「さて、あれに我の力を放つか」
「違います。此処にオレ達が居ることを報せるだけです。どでかい火柱を上げましょう」
その言葉に、火の精霊は確認するように一度カルヴァスの身の内に潜り込み、思案気にしながらも頷いた。
「まだ湿気ている気がするが……まぁ良いだろう。燃え盛る火を魅せてやろう。その力、使い切ってもよいな?」
「ええ、お好きなだけ。貴方の器として、全てを受け取りますよ」
火の精霊は小さく笑い、カルヴァスに火の力を流し込み始めた。
剣を高く掲げ、カルヴァスが流れ来る力を放出する。
熱風が吹き、火柱が上がった。
その後一度だけ上がった水飛沫は、それ以上起こらなかった。
船の輪郭が静かに近づいてくる。そこに、笛の甲高い音が届いた。見れば、反対の海上から船がぐんぐんと近付いて来ていた。
カルヴァスは剣を掲げていた手を下ろし、長い息を吐いた。
「……アイツは本当に信頼のおける船長だ」
そう言い、ぐったりと肩に寄り掛かるように項垂れたカルヴァスの体を、マリーエルは抱き締めた。そうしてから、じっと黙り込むカナメの手を、励ますように握る。
「皆が、迎えに来てくれたよ」
マリーエルの視界も、強い疲労に滲んでいた。それでも伝わってくる弱々しいけれど確かな体温を感じ、近付いてくる見慣れた船の姿を見上げた。
「お姫様!」
インターリが縁から乗り出すようにして水面を見下ろしていた。思わず緩んだマリーエルの顔を見たインターリは、鼻に皺を寄せた。
「何、この状況で笑ってんの⁉ ──ちょっと、早くお姫様達を船に上げてよね⁉」
船員に怒鳴りつけるその声に、マリーエルは小さな笑い声を漏らした。肩口でも同じような声が漏れ、手を繋いだカナメは、泣き出しそうな笑みを浮かべてその光景を見つめていた。




