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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第三部 水底の王国

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27話 海底へ

「きっとまだお互いを知る時が足りなかったんだね」

 

 そう言ったマリーエルは、ふと足下の吸い込まれそうな暗闇を見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。


 ウィパッはその様子を見て、怪訝そうにマリーエルを覗き込む。


「あの……ウィパッには周りが見えているの? 私には、暗くてよく見えなくて……少し怖い、んだけど……」


 きょとんとしたウィパッは、おもむろに自身の鱗を剥し取り、マリーエルへと手渡した。


「ヒカリ」


 鱗はぼんやりと光ると、水の中に浮かんだ。マリーエルは慌てて鱗をつかみ取ると、首に下げていた鏡の紐に括り付けた。途端に、鏡の中から声が伝わる。


『姫様⁉ 一体何事です⁉』


 アントニオがマリーエルの背後に視線を走らせ言う。


「えっと……色々あって海の中」


『何ですって⁉』


 アントニオは眉間を押さえ、マリーエルの許に寄ったカルヴァスとカナメを見て難しい顔をした後、溜め息を吐いた。


『ウィパッですね?』


「ああ」


 カルヴァスの声に、アントニオは顔を(しか)め、弾くような音を出す。ビクリと体を震わせたウィパッが項垂れ、音を返した。


『姫様方の様子は私から大渡の町のムシカ殿にお伝えしましょう。謳歌号は……カッテに任せることにして……これからのことですが、姫様方のその様子……水の精霊の力ですね』


「うん、水の精霊の力のお陰で水の中でも息が出来てるし、泳ぐことも出来るよ」


 マリーエルは辺りを見回し、思わずカルヴァスとカナメの手を掴んだ。


「やっぱり……ちょっと、怖いかもしれないけど……」


 アントニオの目が心配そうに細められた後、ちらとカルヴァスを見やった。


『精霊が共に居るのなら大事にはならないでしょう。しかし……これから海底に向かうとは……何の為の協力なのか。そうも言っていられない状況であることは理解していますが。とにかく、時がないと言うのなら、早い所海底へと向かった方が良いでしょう』


 その言葉に、カルヴァスが頷いた。


 海底に向かうにつれて光が殆ど届かない海中の景色は、気を抜けばどちらが上か下か判らなくなってしまいそうだった。それに加え、遠くの方を何かが泳ぎ去るのが時折見える。


「……海中では何が起きるか判らない。〈劣ったモノ〉も居るだろうからな」


 カナメの言葉に益々マリーエルが身を縮こめると、ハッとしたカナメが安心させるようにその背を撫でた。


「今こうしてオレ達が海中に居られるのは、マリーを通して水の精霊の力を使っているから……つまり、マリーに全てが掛かってる。マリーの意識が途切れたら、オレ等もそこで終わりだ。──そうですね?」


 カルヴァスが水の精霊を見上げると、水の精霊は微笑みながらゆっくりと頷いた。


「あぁ、そうだろう。そうならない為に、例え姫が意識を失っても陸に運ぶことはするつもりだが……やはり命世界で力を扱うには姫の力が必要だからな」


「うん、急がないとだよね」


 マリーエルは自身の内に流れる気の流れに意識を向けた。変わった所も、苦しい所もない。水の精霊は源精霊だが、その力を導いても、今のマリーエルには負担になることはなかった。しかし、それも一睡もせずに扱い続けるということになれば、到底無理な話だった。木の精霊のように身の内に納めてしまう方法もあるが、それには幾つもの懸念点がある。


『目的は裂け目を塞ぐこと。恐らくそれ自体はすぐに成せるでしょうが、何が起きるか判りません。ウィパッ、頼めますね? 海底のことは貴女が頼りです』


 アントニオの声に、ウィパッはマリーエルを抱え直した。水の精霊がウィパッの体に纏わりつく。ウィパッは、先程よりは気を遣った泳ぎで再び海底へと進み始めた。


 海底に近付くにつれ、ウィパッの鱗が微光を放ち始めた。時を同じくして、辺りの岩や海藻が水流に反応してぼんやりと光り始める。


「わ、あぁ……!」


 思わずマリーエルが声を上げると、ウィパッが小さく笑った。


「ソコハ、ミズカラ、ヒカリヲモツ、モノガオオクイル」


 マリーエルはハッとして括り付けた鱗を持ち上げた。


「じゃあこの鱗は無意味に取らせちゃったってこと? ごめんなさい」


 ウィパッは驚いたようにマリーエルを見下ろし、苦しそうな顔をした。


「コレハ、シャザイノアカシ。スマナイ」


 しおれて言うその姿に、マリーエルはウィパッの腕をそっと撫でた。


「うん、有難う」


 海底へと目を向けたマリーエルは、流れる水にチリッとした痛みを感じ、顔を顰めた。


「何か……嫌な感じが強まった気がする」


「あぁ。これは恐らく、影だ」


 カナメが同じように顔を顰めながら言った。


 海底から上る気配には、澱みが混じり始めていた。


 ウィパッが泳ぎを緩め、岩陰にマリーエル達を下した。そうして少し先を指で示す。


「アソコダ」


 そこには裂け目が生じ、水の流れが出来ていた。煌めきを持った流れと、澱みを持った流れがゆらゆらと揺らめいている。


「アレニ、フレルト、ミエ、キコエル」


 ウィパッが言うと、水の精霊は微笑みを浮かべたまま僅かに難しい顔をした。


「あの裂け目からは水だけでなく、他のモノも流れ行く。魚や海に在るモノだ。近くに寄ればあの流れに呑み込まれる」


「どうにか止められないんですか」


 カルヴァスが訊くと、水の精霊は眉を寄せた。


「出来ぬ。あの流れは我が生み出したものではない。混沌へと流れ落ちるは必定。それは我等精霊でも止められぬ」


「じゃあ、どうにかしてあそこから離れたまま──」


 言い掛けたカルヴァスは、ハッとして後ろを振り返った。その動きに、小さな影達が岩場や海藻の陰に逃げていく。


 ウィパッが愛おしそうに弾ける声を発した。


 ゆるゆると様子を窺いながら物陰から出て来たのは、小さな魚や〈海底人〉だった。しきりに小さな音を発し、不安そうにマリーエル達を見やっている。


『海底に住まうモノ達……ですね。〈海底人〉の他に、一見すると魚のようにも見えるモノ達も居るようですが』


 興味深そうに言ったアントニオが、ウィパッに訊くと、ウィパッは小さなモノ達を指さし答えた。


『成る程。彼等はまだ海底の言葉も上手く繰ることの出来ない、いわば稚魚、ということでしょうね。大変に興味深い』


「感心してる場合か。今はあの裂け目のことだろ」


 カルヴァスが辺りを見回しながら言った。


「そうだね、どうしようか」


 マリーエルはカルヴァスからカナメに視線を移し、首を捻った。


 裂け目を塞ぐことは精霊の力を導けば成せるだろうが、それを成すには少しばかり距離があるように思われた。


 じっと裂け目を見ていたマリーエルは、驚きに声を上げた。


「あれ見て!」


 対処法を考えるマリーエル達の前で、裂け目からじわりと澱みが溢れ出していた。


「そうなるよな……! 目的はマリーか、カナメか──」


 カルヴァスは剣を抜き、舌打ちした。水の中では陸の上のように炎剣は使えない。加えて、動きも鈍くなる。


 しかし澱みは、変わらぬ鋭さをもって水を裂き跳び上がった。


「やるしかねぇ! 行くぞ、カナメ」


「ああ!」


 カナメも剣を抜き、襲い掛かる澱みを斬り上げる。澱みは伸び上がり、周囲の澱みと合体すると徐々に影へと変貌していった。


「水の力で裂け目へ押し流すのは⁉」


 マリーエルが言うと、水の精霊が難しい顔をした。


「出来ないことはない、が……それでは、姫の力を消耗することとなる。姫の力はあれを塞ぐのに残さねばならない」


「そんな……」


 マリーエルは唇を噛んだ。


 器として成長出来ていても、今はこれが限界なのだということが理解出来た。陸の上であれば多少の無茶も出来るが、自身の力によってカルヴァスとカナメを守れているのなら、無謀な行動には出られない。


『無茶なことをしようとしていましたね?』


 アントニオが言った。マリーエルは押し黙り、悔しさを吐き出すように「うん」と答えた。


「二人が戦っているのに、何も出来ないなんて嫌だよ」


『何もしていない訳ではないでしょう。今此処で二人がああして動けているのは姫様の力のお陰。そもそも姫様が自ら戦いに参加する必要はないのです。祓えに、裂け目を塞ぐのに、姫様はご自身の役目を果たされるでしょう。私がこうして知の者として在るように』


 マリーエルは、アントニオの言葉に小さく頷いた。


 その間にもカルヴァスとカナメは澱みや影を斬り伏せていく。


 小さきモノ達を岩場に押し込めたウィパッが、身をくねらせて二人の許に泳ぎ寄った。


 ウィパッは影を掴み上げ、それを裂け目へと投げていく。澱みは裂け目の渦へと流れて吸い込まれ、落ちていく。


 澱みとの戦いを見守っていたマリーエルは、クイと服の裾を引かれ視線を下に向けた。見れば、稚魚の一人が裾を引っ張り、それにマリーエルが反応したことに気が付くと、怯えたように岩場へと戻る。しかし、それでも何か言いたげに岩場の影から覗いていた。


 マリーエルは船上で学んだ海底語で「なあに?」と話し掛けてみたが、稚魚達はじっと見つめ返すだけだった。


「アントニオ、助けて」


 鏡を掲げると、アントニオが溜め息を吐く。


『姫様が判らぬでも仕方ないでしょう。彼等はまだ言葉を上手く繰ることが出来ないのですから。先程ウィパッが言っていましたよ』


「そうだった……。えーと、じゃあ何を伝えようとしてるんだろう」


『いくつか訊いてみましょう。何か意味を拾えるかもしれません』


 アントニオが幾つか音を発すると、稚魚の一匹がゆっくりと指を差し、小さな音を返した。


 見れば、岩陰の向こうに海藻が絡んだ箇所があった。


『居る……と言っているように思いますが』


「もしかして、お友達が海藻に絡まっちゃったとか?」


 マリーエルは海底を蹴って海藻の許に泳ぎ寄った。


 近寄るにつれ、澱みの気配が強くなる。


「これ、は……」


 海藻を覗き込んだマリーエルは、息を呑んだ。


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