22話 ウィパッ
謳歌号で待っていたカッテにオンラを呼ぶよう頼むと、すぐにオンラが駆けつけ、〈海底人〉の姿を見て顔に緊張を浮かべた。
「この者が……?」
「ええ。オレ等も自由に意思の疎通が図れる訳じゃない。頼みの綱は知の者のアントニオです」
拠点船の外れに天蓋を張り、マリーエル達は〈海底人〉と向き合った。〈海底人〉はきょろきょろと瞳を動かして拠点船を眺め回し、鼻を鳴らしていたベッロを興味深そうに見つめ、その手を伸ばした。緊張に脚を突っ張ったベッロの前にインターリが立ち塞がると、〈海底人〉は面倒臭そうに手を引っ込め、床を叩いた。
雨はしとしとと降り続けている。
マリーエルはカルヴァスと目配せしてから、アントニオを介して対話を始めた。
「私はマリーエル・グラウス・ディウス。貴女のお名前は?」
暫しアントニオとやり取りした〈海底人〉は、潰れた音の後に弾くような音を出した。
『恐らく、我々の言葉で一番近い発音は〝ウィパッ〟ですね』
「ウィパッ?」
マリーエルが言うと、ウィパッは苛立たしそうに水面を叩いた。「パッ」という音を繰り返す。
『どうやら発音方法に問題があるようです。より弾くように発音しろと。──姫様、これを熟せないと話が進まなそうです』
「う、うん……」
マリーエルが何度か〝ウィパッ〟と繰り返すと、ウィパッは満足したように瞬きをした。
「それで、私を探していたというのは?」
ウィパッは捲し立てるように、それでいて流れる水のような音を発し、それは必死に何かを訴えているのだと判った。
鏡の向こうで考え込んでいたアントニオが言う。
『この者の話を纏めますと、少し前──これは、私の身に知の洪水が現れた時と時期が一致しますが、突然に世界を知ることとなったと。それまでは底を泳いで命を継いでいたのに、世界というものを理解したと。それを伝えたのは、歌であり声。その声が、力を持ちし者を探せ、底より命が零れ落ちる……と』
鏡の向こうでアントニオは黙り込み、暫くしてから言葉を継いだ。
『恐らく、その歌であり声を伝えたのは、世界樹……なのでしょう。そうなると、必然、〝底より命が零れ落ちる〟は、まさに命世界の底に裂け目が生じ、危機を迎えている……ということではないでしょうか』
「でも、何でマリーがそれを……」
カルヴァスが言うと、鏡の向こうでアントニオが唸った。
『この命世界に、こうしたことを成せる者がどれだけ居ます? 命世界のことに精霊は明るくない。精霊姫であるマリー様がその間に立たれ、精霊の力を以ってして裂け目を塞ぐ……それを望んでいる、のではないでしょうか』
アントニオの言葉に、カルヴァスがマリーエルをちらと見やった。
マリーエルはその視線を受けながら、じっと考え込んだ。精霊姫とは、精霊の力を命世界に導き満たす者。世界樹の想いに応えることが出来るのだろうか。ウィパッは〝力を持ちし者〟を探せ、と伝えられたのだ。それは、精霊姫のことを指すのだろうか。
マリーエルは隣に座るカナメに顔を向けた。
「カナメは、世界樹の声を聴いたりした?」
目を瞬いたカナメは、難しい顔をして首を振った。
「すまない。俺は特にどんな声も聴いていない。以前に視ることが成ったのは、枝葉を訪れたからだろうし、俺には元々長のような力はないのだと思う」
「そっか……」
二人のやり取りを聞いていたカルヴァスは、ウィパッに視線を戻した。
「マリーを〝力を持ちし者〟と判断した理由は?」
暫くのやり取りの後、アントニオが代弁する。
『声が視せた光と同じモノを持つのが、姫様であったと。これは、私でも判じかねます。姫様が力をお持ちなのは事実。ウィパッが求める力と同質のものかは判りませんが。元より姫様は海底に向かわれる筈でした。ですから、海底に向かうこと自体は問題ないでしょう。ですが……』
「オレ達は影憑きを祓う為に此処まで赴いている。さっき倒した巨大生物……あれはウィパッの仲間、なのか。それとも〈劣ったモノ〉と呼ばれるモノなのか?」
アントニオが訊く内、ウィパッは怒りに任せて船床を叩いた。海上の戦闘船から様子を見守っていた者達の中でどよめきが起きる。オンラが手を掲げ、それを宥めると、アントニオが鏡の中から答えた。
『あの者達は、世界を知って後出奔した者達だと。素より海底でも厄介ごとしか起こさぬ者であり、海底人の中でも討伐に踏み出しているとか。しかし禍々しきモノ──これは影のことですね。影に囚われ影憑きとなり、手に負えていないのだということです』
じっと話を聞いていたマリーエルは、カルヴァスを見やり、ひとつ頷いた。
「アントニオの言う通り、元々海底には行くつもりだったんだもの。私がその〝力を持ちし者〟なのかは判らないけど、それを知る為にも一緒に行こう。……危険は、なさそうだよね?」
その問いに、カルヴァスは僅かに眉を寄せた。
「それはどうか判らないけど、どう考えても海中では〈海底人〉の方が有利だ。敵対するより、こうしてマリーのことを必要としているなら、味方として関わった方が良い、だろうな」
『そうですね。姫様を精霊国に戻したとして、代わりに行ける者もおりませんし、多少の齟齬があったとしても、話が通じない訳でもありません。まずは共に影憑きを討伐することを条件に、海底へと向かうと伝えましょう』
アントニオの言葉に、カルヴァスが「頼む」と答えた。
暫くの弾む言葉でのやり取りの後、アントニオが鏡の向こうで息を吐いた。
『ひとまず話はつけました。影憑きを始末しながら姫様方の船について行くと。──姫様の色……恐らくこれは気配とか、匂いの意味ですが、それは覚えたから決して逃がさないとも付け加えていました。一応やんわりとそのような扱いは許さない、とこちらからも伝えましたが……カルヴァス、頼みますよ』
「あぁ、判ってる」
ウィパッに目を向けると、じっと話に耳を傾けている様子だった彼女は、海中へと姿を消した。
カルヴァスはすぐにオンラを振り返り、難しい顔を見合わせた。
「オレ達は予定通り海底へと向かいます。精霊国にはアントニオから伝えて貰うとして、船にはオンラ殿から伝えて頂きたい。〈海底人〉の勢力……のようなものが判った今、また対応も変わると思いますから」
「そうですね。一応の味方は得た……しかし、我々では言葉が通じないのも事実。姫様、恐れながらその鏡をお借りして、アントニオ殿から〈海底人〉の言葉を学ぶ時を頂いても良いでしょうか。この後海は荒れる様子。出発は雨が止んでからになされてもいいでしょう。その間だけ、我らにお時間を頂けませんか」
オンラが言った。マリーエルが鏡を覗くと、アントニオが真剣な顔でひとつ頷いて見せた。
「はい、ではこの鏡はオンラ殿にお預けします」
マリーエルが鏡を差し出した時、遠く海上で雷が空を裂いた。身の内に響くような音をゴロゴロ鳴らし、雷は一層荒ぶり、雨は勢いを増す。
「まずは、部屋に入ろうぜ」
カルヴァスがマリーエルに手を差し出した。
海上を睨むようにしていたインターリが、不満そうな顔をマリーエルへと向けた。
「あのさ、さっきの雷の精霊に今雷落とすのはやめろって言わないの? 体を休めるにも、煩いんだけど」
口を尖らせるインターリに小さく笑ってから、マリーエルは首を横に振った。
「ううん、必要があって雷の精霊はああして自分の司る力をこの世界に満たしているの。力が抑えられなくて暴走してる訳じゃないから、あれがあるべき姿なんだよ。だから、私は何もしないの。より良くこの世界に力が満ちるよう導くことはあっても、精霊の力を抑えてしまうことはしないの」
「やはり、儂等精霊のことを何も理解しておらんようじゃのぅ」
マリーエルの肩に乗っていたアールがふんぞり返った。それに鋭い視線を向けてから、インターリは雨の強まる中、早足で歩いて行く。
「あ、待ってインターリ! 笠……それか衣を被っていこうよ」
「別にいい。拭けばいいし」
世話役が用意した衣を撥ね除けるようにして足を速めたインターリに、ベッロが続く。
「ったく、アイツは本当仕方ねぇな」
アーチェが差し出した衣を受け取り被ったマリーエルの頭を、カルヴァスが優しく撫でた。
「とりあえず、少し前進……だな。オレ達に出来ることをやっていこう」
「うん、そうだね」




