21話 海底人
駆けつけた船着き場から、マリーエル達はエランの戦闘船に乗り込んだ。遠く海原では、影憑きが暴れ回っている。
「あれは、〈劣ったモノ〉っていうことだよね」
影憑きに視線を向けながらマリーエルが訊くと、カルヴァスは難しい顔をした。
「いや、まだ判んねぇ。〈劣ったモノ〉なのか、そう呼ぶモノ達なのか。どちらにせよ、影に憑かれていることは確かだ。オレ達は精霊隊としてあれを見極め、対処する。とはいっても、海上では出来ることは少な──見ろ!」
影憑きはその腕を振るい先に出ていた戦闘船に掴みかかる。いくつかの船が割られたが、兵達は影憑きの体の上に乗りかかり、武器を揮っている。影が散り、それらは海を泳いで周囲に襲い掛かる。
「うぇ、面倒そう」
インターリが鼻に皺を寄せた。
「オレ達は今はあそこまでは近寄らない。マリーをそう易々と海に放り出すわけにはいかないからな。この船は雷撃石を積んでる。オレ達は不測の事態に備えて守りを固めるのと、散った影は多分マリーの許へと集まってくる。それを祓え。いいな?」
カルヴァスが言い終わるより先に、海中から影が飛び出し襲い掛かった。炎剣でそれを斬り伏せ、目配せするカルヴァスにマリーエルは頷き、言った。
「私は、前みたいに雷の精霊に呼び掛ける」
「オレも、海上ではキツいかもしれないけど──」
「どうキツいのだ。器よ」
その時カルヴァスの頭上で小さな炎が上がった。それを見やり、再び影を斬り上げたカルヴァスがニヤリと笑う。
「いーえ、何でもありませんよ」
「よかろう」
火の精霊はカルヴァスの身の内に入ると、ふと声を上げた。
「のぅ、栗鼠の。お前はどうする?」
アールはマリーエルの肩の上でピクリと髭を動かした。
「儂はこうして姫を見守っておる」
「その随分と丸っこくなった姿では海上に躍り出ることも出来んようだからなぁ──ちょっと! オレの口で喧嘩するの止めてくださいよ」
途中、カルヴァスは声を取り戻して叫ぶと、剣を揮って影を斬り裂いた。
海上でバリバリという音が響き、影憑きに向けて雷が落ちる。それは影憑きを掠り、しかし致命傷を負わせることは出来なかった。
影憑きがぐるりと頭を巡らせ、身を翻す。
「来るぞ!」
船員が叫んだ。
カナメがマリーエルの体を引き掴み、床に伏せさせた。
「オレが行く」
カルヴァスが炎剣を揮うと、炎が宙を斬り裂き、身を躍らせた影憑きを焼き焦がした。影憑きはその巨体を暴れさせ、水飛沫を上げて水中に潜る。
船が大きく揺れ、頭上から海水が降り注いだ。
「もっと引きつけられぬのか!」
火の精霊が言った。
「無茶言わないで下さいよ。火の力が満たされている場ならまだしも、此処は海上ですよ」
素早く立ち上がったカルヴァスが、海上に目を走らせる。海中深く、影憑きは身を潜めている。それを見やり、舌打ちしたカルヴァスは、マリーエルの背後に驚いたように視線を釘づけた。
「久しいのぅ、姫よ。栗鼠のも此方か。火の、何故此処に居る? 水の上だぞ」
マリーエルの背後に突如現れた雷の精霊が、マリーエルの背からカナメの手を退かせ、立ち上がらせた。
火の精霊が、カルヴァスの口を使い言う。
「雷の。お前は随分と遅いようだ。いつもはちゃかちゃかと煩いくらいだというのに」
「あぁ、姫を壊す訳にはいかないからな。それこそ栗鼠のが煩いのでな。──姫よ、海中に居る影を散らせばよいのか」
雷の精霊は、マリーエルが答えるより先に、全て心得たとばかりにマリーエルの腕に腕を重ね、掲げるように伸ばした。
──ちゃんと対話を……!
「ま──」
しかし、雷の精霊の激しい力が身の内を駆け抜け、マリーエルは息を呑んだ。それに耐えながら、マリーエルが影憑きの気配を探ると、耳元で雷の精霊が笑った。
「よい気だ」
耳をつんざくような音を立てて、雷の力の奔出が海を割り、影憑きを捉えた。泳ぐ手立てを失った影憑きが身をくねらせるその場に、再び雷が迸り、突き刺し、裂く。
粉々に砕かれた影憑きの破片が泡立つ海面に浮かび上がり、漂っていく。
討伐の為に船を出していた兵達は、唖然と海面を見つめ、後にワッと声を上げた。
「精霊姫様!」
という声が次々に上がる。
マリーエルは荒れた息を整え、船縁に歩み寄ると、声に応えるように手を振った。
「歌だ」
マリーエルの腕を、雷の精霊が引いた。
「歌を重ねよう。火の奴とは歌ったのだろう? 栗鼠の奴とは舞ったのだろう? 我とあの山で逢った時には、まだそのような器ではなかった。今の姫であれば、我の歌にも重ねることが出来る」
そう言いながら、雷の精霊はマリーエルの体を誘うようにクルクルと回し、躍らせた。
「ま、待って……まだ──」
マリーエルが足を縺れさせながら雷の精霊を見上げると、肩に跳んで来たアールが小さな指で雷の精霊を指さした。
「雷の! そういう所じゃ! 姫を壊す気かと言っておる!」
「姫は壊れぬ。よい器となっている。このまま器として成熟すれば、世界が成る」
「じゃから! 今の姫の様子を見よ! とても歌ったり舞ったりする所ではない!」
アールは、止めるべきかと精霊達の間で視線を彷徨わせているカナメを、ピッピッと指を振って呼び寄せた。
マリーエルの頬を押してカナメの腕の中に押し込み、すぐ横に立っていたカルヴァスの肩に移動したアールは、腕を組んでふんぞり返った。
「こうしてお主等が姫に無理を強いらないように見張るのが、儂の役目じゃ。ほれ、お主には精霊界でも成すべきがあるし、例の山とやらでも成すべきがあろう。あの辺りは実の生りが悪いと聞く。どうにかせい。木の奴も困っておったぞ。それ、火の奴も行かんか」
カルヴァスの体から抜けた火の精霊が、ふんと鼻を鳴らす。
「御老体が何か言っておる」
「何が、御老体じゃ。お主等も似たようなもんじゃろう」
精霊達のやり取りに、マリーエル達が圧倒されていると、ふいにベッロが声を上げた。皆の視線を集める中、ベッロは船縁に立ち上がり、海面を覗いて唸り声を上げた。
「なに、まだ影憑きが居る訳⁉」
インターリはベッロの横から海面を覗き込み、慌てて身を引いた。
「掴まれ!」
その声に、マリーエルの体をカルヴァスとカナメが押さえつけた。反応が遅れた船員が、手掛かりを求めて足を踏み出した時、船は大きく揺れ水飛沫の中放り出された。「落ちたぞ!」という声が上がる。しかし、船員達含め、皆すぐに口を閉ざすこととなる。
水飛沫を上げて海中から現れたのは、巨大生物だった。
影憑きではない。
海色の鱗を持った巨大生物が、水を滴らせ、船縁から顔を覗かせていた。
まるで人のような輪郭の顔の中で露のように輝く、深い色の瞳が船上を走り、マリーエルに止まる。
それは、細長い腕をマリーエルへと伸ばした。
カルヴァスがマリーエルを背後に隠すのと同時に「姫様の船をお守りしろ!」という声が上がり戦闘船の攻撃が始まった。
鬱陶しそうに振り返ったそれが腕を振ると、大波が起き次々に船がひっくり返された。
「くそ……カナメ、マリーを連れて船室に──」
「待って!」
マリーエルは懐から鏡を取り出すと、覗き込んだ。
「アントニオ、聞こえる⁉」
『はい、姫様』
鏡の中に姿が見えるより先に、アントニオの声が答えた。
「海底の……言葉、判るんだよね?」
そう言ってから鏡を巨大生物に向けて掲げると、少しの間を開けてアントニオの弾くような声が響き渡った。
巨大生物はその輝く瞳を鏡に吸い寄せ、じっと見入った。
同じような旋律を繰り返すうち、巨大生物がおもむろに口を開いた。
ある程度の高さを保つ音が、小さく跳ね、流れる。
それに応えるようにして、再びアントニオが音を発した。
暫くそうして音の交換をしていると、巨大生物はゆっくりと海中へと沈んでいった。目元より上だけを海面に出して、マリーエル達の様子を窺っている。
様子を見守っていた他の戦闘船に、戦闘行為停止の合図を出したカルヴァスが、鏡に向かって訊いた。
「何て言ったんだ」
『我等に攻撃の意思はない、と伝えました』
「それで?」
『あちらにもないと。あの者……海底人とでも呼びましょうか。彼女は〈底に泳ぐモノ〉と自称しましたが、まぁ同じようなものでしょう。彼女は、マリー様を探していたと……そう言っています』
「彼女?」
カルヴァスが振り返ると、〈海底人〉は船縁に手を掛け、唇を弾くようにした。
「何だって?」
『急かしています。マリー様に話をし、そして海底へと来て欲しいと』
眉を寄せて考え込んだカルヴァスに、〈海底人〉は苛立ったように船縁を叩いた。鋭く目を細めたカルヴァスは、鏡を受け取り、〈海底人〉へと歩み寄った。
「マリーを近づけて大丈夫なんだろうな」
『ええ、彼女の話を信じる限りは、危害を加えるつもりはないようです』
考え込みながら、カルヴァスは鏡を掲げ持った。海底には元より向かうつもりだった。それならば、〈海底人〉というモノが共にいれば、幾分か調査も楽になるかもしれない。しかし、まだ目的が判らない。
「話は聞く。でも、それはこちらに危害を加えたり、脅かしたりしないというのが前提条件だ、と伝えてくれ。それを破ったら、こちらにも考えがある、と」
カルヴァスの言葉を聞いたアントニオが音を弾くと、〈海底人〉はじっと鏡を見つめた。暫くして弾くような音を返す。
『判った、と。ただ、急ぎの用だそうです』
船員に拠点船へ戻ることを伝え、他の船には警戒を緩めないままついてくるように言ったカルヴァスは、鏡を手にマリーエルの許へと戻った。
「カルヴァス……〈海底人〉は、彼女は、なんて言ってるの?」
「お前に話があるんだと。──精霊界ではあのような命在るモノの存在は捉えられていないのですか」
じっと黙り込み〈海底人〉を見つめていた精霊達に、カルヴァスが訊いた。雷の精霊は〈海底人〉を見つめたまま答えた。
「知らぬが、面白い」
「奴はなんだ。魚か。我等には判らぬモノ。あのモノ達を司る精霊が……いや、アレは炉の者達と同じか。それならば水の奴か、魚の奴か──どのみち我には関係のないモノだな。我の器よ、存分に働き、姫の役に立て」
火の精霊はそれだけ言うと、戸惑うカルヴァスを残してきらめきと共に消え去った。代わりに視線を集めた雷の精霊は、そのままじっと宙に浮いたまま考え込んでいた。
「あの、私達は拠点船に戻るけど……」
マリーエルの言葉にも反応せず、雷の精霊は海に視線を落としたまま、微動だにしなかった。
「無駄じゃ。そ奴は放って戻るのじゃ。〈海底人〉とやらが姫に話があるのじゃろう。何を話すか、儂も興味がある。雷のは放っておけ。用があれば彼奴から現れよう」
アールの言う通り、雷の精霊は、マリーエル達の船が動き始めても、宙に浮いたまま動かなかった。その内雷の精霊の許に雨雲が集まりだし、細い雨が降り出した。バリバリと音を立て、雨雲に雷の精霊の力が籠もる。
マリーエル達は、雨の中急いで拠点船へと戻った。




