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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第三部 水底の王国

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10話 折の悪いこと

 茶会を終え、自室に戻る為に廊を歩いていたマリーエルは、中庭の木陰で丸くなるインターリの姿を見つけ声を掛けた。


「何してるの、インターリ?」


「あぁ……早く部屋に戻った方がいいよ、お姫様」


 体を伸ばしながら言ったインターリは、マリーエルの後ろに視線を動かし眉を寄せた。


「ベッロは?」


「お師匠に呼ばれて鍛錬場に行ったよ。それよりも、早く部屋に戻った方がいいって、どういうこと……?」


「……行けば判る。僕は行かない」


 それだけ言うと、インターリは廊を歩き出した。


 アーチェと顔を見合わせ、マリーエルは自室へと戻った。


 部屋に入ってすぐ、インターリの不可解な様子の原因は判明した。


 おろおろとしていたカナメが、マリーエルの姿にホッとした表情を浮かべる。その向こうに、うずくまるレティシアの姿があった。侍女のシーニャが横に跪き、その背を撫でて宥めている。


「レティシアお姉様?」


 マリーエルの声に、レティシアはハッと顔を上げ、涙に濡れた顔を露わにした。それをぎゅっと歪め、目を吊り上げる。


「何処に……行っていたの?」


 非難するような声にたじろいでから、マリーエルは問うように視線をシーニャに向けた。シーニャが答えようとすると、その体をぐいと後ろに押し退け、レティシアはマリーエルを睨み付けた。


「何処に、行っていたの」


「メーテお姉様の所へ。クラオンの様子を見に行っていたの」


 その言葉に、レティシアは更に顔を歪め、引き攣った笑顔を浮かべた。


「そう。本当に、折の悪いこと」


「えっと……何があったの? レティシアお姉様とのお茶の約束は明日……だったよね?」


 マリーエルが訊ねると、アーチェが「その予定です」と頷き、シーニャがちらとレティシアの様子を窺ってから口を開こうとした。


「貴女は黙って居なさい!」


 レティシアが叫び、振るった手がシーニャの体を弾き飛ばした。


「シーニャ!」


 マリーエルとアーチェが駆け寄るのを、レティシアは目を見張って見つめ、後ろめたそうに唇を噛んだ。ぎゅっと拳を握り、顔を背ける。


 シーニャは強く叩かれた口元から血を流していた。マリーエルが手巾で拭おうとするのに恐縮して後退り、その拍子に床に血が垂れ、慌てふためく。


「も、申し訳ございません……!」


「落ち着いて。まずは、手当を」


 そう言って伸ばしたマリーエルの手を静かに制し、視線で頷いたアーチェが、優しい手つきでシーニャの口元の血を拭う。その様子を見守ってから、マリーエルは立ち上がり、レティシアの前に歩み寄った。


「レティシアお姉様。シーニャに謝って下さい」


 レティシアの肩がピクリと揺れた。


「ご自分の世話役にこのような仕打ち……どんな事情があっても許されません」


「そんなの──ッ」


 声を荒げたレティシアは、マリーエルに掴みかかった。背後の棚に体が当たり、花瓶が床に落下して大きな音を立てて砕け散る。「姫様!」というアーチェの悲鳴が響いた。


「貴女が居れば──!」


「やめてくれ!」


 マリーエルとレティシアの間に腕を割り込ませたカナメが、強い口調で言った。もう片方の手で、マリーエルの胸倉を掴むレティシアの手を引き離す為に掴んでいる。


 レティシアは驚愕にカナメを見つめ返し、すぐに表情を険しくした。


「……離しなさい」


「貴女は先程からろくに話もしないで、そのように感情をぶつけてばかりだ」


 カナメの言葉に、レティシアがグッと息を呑みこんだ。見る間に瞳に浮かぶ涙を取り繕うように視線を逸らすと、マリーエルとカナメの体を押し退けるようにしてレティシアは駆け出し、部屋を出て行った。


「レティシア様……!」


 シーニャの細い声が呼び止めたが、レティシアは止まらなかった。物音に駆けつけた見張り兵が、怪訝な顔で飛び出したレティシアを目で追い、戸惑いを露わにマリーエルを見つめる。


 マリーエルは襟元を正しながら、笑みを浮かべた。


「大丈夫。少し行き違いがあっただけだから」


 ですが、と言い募る兵達に首を振り、アーチェとカナメを視線で示した。


「二人が居るから大丈夫。貴方達は役目に戻って」


「……かしこまりました」


 兵達は、気遣うような顔をしたまま部屋を辞退し、廊の先に険のある視線を向けた。その様子に、マリーエルは内心で「失敗した」と悔やんだ。


 ひとつ息を吐いてから、血の気の引いた顔をしたアーチェにシーニャの手当ての続きをするよう伝え、険しい顔をしたカナメの頬を突く。


「大丈夫だから」


「だが──」


「まずは、シーニャから話を聞きたい。一体、何があったの?」


 手当てを終えたシーニャは、言い難そうにしながら話し出した。


「レティシア様は……例の観測所へのお役目に、近く出る予定だったのです。ヨンム隊の方々とも少しですが打ち解けられて……。彼等に差し入れる物をご自身で選ばれたいと、街へ……。この所、レティシア様への批判的な意見も薄れていましたので……。私が、迂闊でした。レティシア様の侍女として……姫様の置かれた状況は理解していた筈ですのに」


 シーニャは床に額を擦るようにして頭を垂れた。


「それで、何があったの?」


「その……」


 シーニャは言い淀み、苦しそうに顔を歪めた。


「良い品を見つけ、レティシア様は職人に手配しようと声を掛けたのです。勿論、姫様はあれ以来そうしているように、お顔を隠されておいででした。ですので、最初はにこやかに話は進みましたが、姫様の素性に気付かれた職人が『手配もしたくないし、売ることも嫌だ』と。──その、諸悪の根源である、と。父王殺しは……お前だ、と」


 その言葉を口にしたシーニャは、恐怖に体を震わせ、まるで自身の発言であったかのように「申し訳ございません」と再び頭を垂れた。


 じっと黙り込んだマリーエルは、震えるその肩に優しく触れた。


「それで、お姉様を城へ連れ帰ってくれたのね」


「……はい。レティシア様は城に戻り、そのままマリーエル様の許へ──それで」


 マリーエルは黙り込み、小さく息を吐いた。


「ごめんなさい。折が悪いとは、そういうことだったのね」


 マリーエルが言うと、シーニャは慌てて瞳を伏せた。


「あ、あの、ですが……その、マリーエル様のご予定を知らずに突然の訪問をしてしまい、その上、お怪我までされていたら──」


「それは大丈夫。そんなに痛みはないから」


 そう答え、安心させるように笑みを浮かべる。でも、と言い募るシーニャを手で制し、マリーエルは続けた。


「今、私が追いかけてももっと酷いことになると思う。予定通り明日はお茶に伺うから。今日はシーニャ、貴女に任せていい? きっと、街でのことは、この後カルヴァスから聞くことになると思うから、その対応は私達に任せておいて」


「はい。かしこまりました」


 シーニャは細い肩を震わせて頭を垂れてから、部屋を出て行った。それを見送ったアーチェが、素早くマリーエルへと歩み寄った。


「姫様、お背中を」


「あ、うん……」


 アーチェが険しい顔をしたままマリーエルの背中に視線を向け、隣室へとその手を引いた。傷の具合を確かめ、小さく息を吐く。


「幸いにも、酷い傷にはなっていないようです。ですが、念の為に冷やしておきましょう。本当に、酷い痛みや違和感などはありませんね?」


「うん、大丈夫」


 アーチェは探るような目でマリーエルの顔を見つめ、それから薬草箱を取り上げて手当を始めた。


 手当を終え、隣室に戻ると、窓辺に佇むカナメの横顔が見えた。その険しい表情に、マリーエルは胸の中に冷たいものが流れる感覚を覚えた。


 物静かなカナメが感情を露わにすることは多くない。先程、すぐ目の前でレティシアに向けられた怒りは、見たことのないものだった。


「……カナメ」


 ハッと顔を上げたカナメは、マリーエルの許に駆け寄ると、問うような視線をアーチェに向けた。


「酷い怪我ではありませんが、念の為冷やしています」


「……そうか。無理をしないでくれ。守ることが出来なくてすまない」


 そう言って、眉を寄せる。その眉間をマリーエルが突くと、カナメは戸惑いに目を瞬いた。


 少し迷ってからマリーエルは言った。


「カナメも、アーチェも、怖い顔してるんだもん」


「それは──」


「当たり前です。姫様がお怪我をされたのに、笑ってなんていられません」


「そ、それはそうかもしれないけど……」


 マリーエルは小さく笑みを作ってから、二人の手を取った。


「怪我は酷くなかった訳だし、今は笑って……っていうのは無理でも、出来るだけいつも通りに過ごしたいかな。お願い」


 絞り出すようなマリーエルの声に、二人はハッと息を呑んだ。


 マリーエルの中で、様々な感情が渦巻いていた。


 エランで起きた事件のこと。自身の役目。そして、レティシアとのこと。考えることは尽きない。気を抜けば、不安に押し潰されてしまいそうだった。


 繋いだ手に力を入れ、カナメが真剣な顔で言った。


「茶を淹れよう。君の好きな花の」


「……うん。有難う」


 カナメがふっと力を抜き、笑顔を浮かべた。それに釣られるようにマリーエルも笑みを浮かべる。アーチェの様子を窺うと、視線を彷徨わせたアーチェが、おずおずと手を広げた。


「こういう時は……アレです。ぎゅーってするん、ですよね?」


 僅かに頬を染めながら言うアーチェに、マリーエルは瞳を輝かせて抱きついた。小柄な体を包み込むと、アーチェは背中の怪我を避けて腰の当たりに手を落ち着けた。


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