10話 折の悪いこと
茶会を終え、自室に戻る為に廊を歩いていたマリーエルは、中庭の木陰で丸くなるインターリの姿を見つけ声を掛けた。
「何してるの、インターリ?」
「あぁ……早く部屋に戻った方がいいよ、お姫様」
体を伸ばしながら言ったインターリは、マリーエルの後ろに視線を動かし眉を寄せた。
「ベッロは?」
「お師匠に呼ばれて鍛錬場に行ったよ。それよりも、早く部屋に戻った方がいいって、どういうこと……?」
「……行けば判る。僕は行かない」
それだけ言うと、インターリは廊を歩き出した。
アーチェと顔を見合わせ、マリーエルは自室へと戻った。
部屋に入ってすぐ、インターリの不可解な様子の原因は判明した。
おろおろとしていたカナメが、マリーエルの姿にホッとした表情を浮かべる。その向こうに、うずくまるレティシアの姿があった。侍女のシーニャが横に跪き、その背を撫でて宥めている。
「レティシアお姉様?」
マリーエルの声に、レティシアはハッと顔を上げ、涙に濡れた顔を露わにした。それをぎゅっと歪め、目を吊り上げる。
「何処に……行っていたの?」
非難するような声にたじろいでから、マリーエルは問うように視線をシーニャに向けた。シーニャが答えようとすると、その体をぐいと後ろに押し退け、レティシアはマリーエルを睨み付けた。
「何処に、行っていたの」
「メーテお姉様の所へ。クラオンの様子を見に行っていたの」
その言葉に、レティシアは更に顔を歪め、引き攣った笑顔を浮かべた。
「そう。本当に、折の悪いこと」
「えっと……何があったの? レティシアお姉様とのお茶の約束は明日……だったよね?」
マリーエルが訊ねると、アーチェが「その予定です」と頷き、シーニャがちらとレティシアの様子を窺ってから口を開こうとした。
「貴女は黙って居なさい!」
レティシアが叫び、振るった手がシーニャの体を弾き飛ばした。
「シーニャ!」
マリーエルとアーチェが駆け寄るのを、レティシアは目を見張って見つめ、後ろめたそうに唇を噛んだ。ぎゅっと拳を握り、顔を背ける。
シーニャは強く叩かれた口元から血を流していた。マリーエルが手巾で拭おうとするのに恐縮して後退り、その拍子に床に血が垂れ、慌てふためく。
「も、申し訳ございません……!」
「落ち着いて。まずは、手当を」
そう言って伸ばしたマリーエルの手を静かに制し、視線で頷いたアーチェが、優しい手つきでシーニャの口元の血を拭う。その様子を見守ってから、マリーエルは立ち上がり、レティシアの前に歩み寄った。
「レティシアお姉様。シーニャに謝って下さい」
レティシアの肩がピクリと揺れた。
「ご自分の世話役にこのような仕打ち……どんな事情があっても許されません」
「そんなの──ッ」
声を荒げたレティシアは、マリーエルに掴みかかった。背後の棚に体が当たり、花瓶が床に落下して大きな音を立てて砕け散る。「姫様!」というアーチェの悲鳴が響いた。
「貴女が居れば──!」
「やめてくれ!」
マリーエルとレティシアの間に腕を割り込ませたカナメが、強い口調で言った。もう片方の手で、マリーエルの胸倉を掴むレティシアの手を引き離す為に掴んでいる。
レティシアは驚愕にカナメを見つめ返し、すぐに表情を険しくした。
「……離しなさい」
「貴女は先程からろくに話もしないで、そのように感情をぶつけてばかりだ」
カナメの言葉に、レティシアがグッと息を呑みこんだ。見る間に瞳に浮かぶ涙を取り繕うように視線を逸らすと、マリーエルとカナメの体を押し退けるようにしてレティシアは駆け出し、部屋を出て行った。
「レティシア様……!」
シーニャの細い声が呼び止めたが、レティシアは止まらなかった。物音に駆けつけた見張り兵が、怪訝な顔で飛び出したレティシアを目で追い、戸惑いを露わにマリーエルを見つめる。
マリーエルは襟元を正しながら、笑みを浮かべた。
「大丈夫。少し行き違いがあっただけだから」
ですが、と言い募る兵達に首を振り、アーチェとカナメを視線で示した。
「二人が居るから大丈夫。貴方達は役目に戻って」
「……かしこまりました」
兵達は、気遣うような顔をしたまま部屋を辞退し、廊の先に険のある視線を向けた。その様子に、マリーエルは内心で「失敗した」と悔やんだ。
ひとつ息を吐いてから、血の気の引いた顔をしたアーチェにシーニャの手当ての続きをするよう伝え、険しい顔をしたカナメの頬を突く。
「大丈夫だから」
「だが──」
「まずは、シーニャから話を聞きたい。一体、何があったの?」
手当てを終えたシーニャは、言い難そうにしながら話し出した。
「レティシア様は……例の観測所へのお役目に、近く出る予定だったのです。ヨンム隊の方々とも少しですが打ち解けられて……。彼等に差し入れる物をご自身で選ばれたいと、街へ……。この所、レティシア様への批判的な意見も薄れていましたので……。私が、迂闊でした。レティシア様の侍女として……姫様の置かれた状況は理解していた筈ですのに」
シーニャは床に額を擦るようにして頭を垂れた。
「それで、何があったの?」
「その……」
シーニャは言い淀み、苦しそうに顔を歪めた。
「良い品を見つけ、レティシア様は職人に手配しようと声を掛けたのです。勿論、姫様はあれ以来そうしているように、お顔を隠されておいででした。ですので、最初はにこやかに話は進みましたが、姫様の素性に気付かれた職人が『手配もしたくないし、売ることも嫌だ』と。──その、諸悪の根源である、と。父王殺しは……お前だ、と」
その言葉を口にしたシーニャは、恐怖に体を震わせ、まるで自身の発言であったかのように「申し訳ございません」と再び頭を垂れた。
じっと黙り込んだマリーエルは、震えるその肩に優しく触れた。
「それで、お姉様を城へ連れ帰ってくれたのね」
「……はい。レティシア様は城に戻り、そのままマリーエル様の許へ──それで」
マリーエルは黙り込み、小さく息を吐いた。
「ごめんなさい。折が悪いとは、そういうことだったのね」
マリーエルが言うと、シーニャは慌てて瞳を伏せた。
「あ、あの、ですが……その、マリーエル様のご予定を知らずに突然の訪問をしてしまい、その上、お怪我までされていたら──」
「それは大丈夫。そんなに痛みはないから」
そう答え、安心させるように笑みを浮かべる。でも、と言い募るシーニャを手で制し、マリーエルは続けた。
「今、私が追いかけてももっと酷いことになると思う。予定通り明日はお茶に伺うから。今日はシーニャ、貴女に任せていい? きっと、街でのことは、この後カルヴァスから聞くことになると思うから、その対応は私達に任せておいて」
「はい。かしこまりました」
シーニャは細い肩を震わせて頭を垂れてから、部屋を出て行った。それを見送ったアーチェが、素早くマリーエルへと歩み寄った。
「姫様、お背中を」
「あ、うん……」
アーチェが険しい顔をしたままマリーエルの背中に視線を向け、隣室へとその手を引いた。傷の具合を確かめ、小さく息を吐く。
「幸いにも、酷い傷にはなっていないようです。ですが、念の為に冷やしておきましょう。本当に、酷い痛みや違和感などはありませんね?」
「うん、大丈夫」
アーチェは探るような目でマリーエルの顔を見つめ、それから薬草箱を取り上げて手当を始めた。
手当を終え、隣室に戻ると、窓辺に佇むカナメの横顔が見えた。その険しい表情に、マリーエルは胸の中に冷たいものが流れる感覚を覚えた。
物静かなカナメが感情を露わにすることは多くない。先程、すぐ目の前でレティシアに向けられた怒りは、見たことのないものだった。
「……カナメ」
ハッと顔を上げたカナメは、マリーエルの許に駆け寄ると、問うような視線をアーチェに向けた。
「酷い怪我ではありませんが、念の為冷やしています」
「……そうか。無理をしないでくれ。守ることが出来なくてすまない」
そう言って、眉を寄せる。その眉間をマリーエルが突くと、カナメは戸惑いに目を瞬いた。
少し迷ってからマリーエルは言った。
「カナメも、アーチェも、怖い顔してるんだもん」
「それは──」
「当たり前です。姫様がお怪我をされたのに、笑ってなんていられません」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
マリーエルは小さく笑みを作ってから、二人の手を取った。
「怪我は酷くなかった訳だし、今は笑って……っていうのは無理でも、出来るだけいつも通りに過ごしたいかな。お願い」
絞り出すようなマリーエルの声に、二人はハッと息を呑んだ。
マリーエルの中で、様々な感情が渦巻いていた。
エランで起きた事件のこと。自身の役目。そして、レティシアとのこと。考えることは尽きない。気を抜けば、不安に押し潰されてしまいそうだった。
繋いだ手に力を入れ、カナメが真剣な顔で言った。
「茶を淹れよう。君の好きな花の」
「……うん。有難う」
カナメがふっと力を抜き、笑顔を浮かべた。それに釣られるようにマリーエルも笑みを浮かべる。アーチェの様子を窺うと、視線を彷徨わせたアーチェが、おずおずと手を広げた。
「こういう時は……アレです。ぎゅーってするん、ですよね?」
僅かに頬を染めながら言うアーチェに、マリーエルは瞳を輝かせて抱きついた。小柄な体を包み込むと、アーチェは背中の怪我を避けて腰の当たりに手を落ち着けた。




