6話 蠢く影の気配
グラウスへの帰路は順調とはいえなかった。
影憑きの数が増え、マリーエル達の行く手を阻む。
「なんだ……? クッザール隊が警備に当たってるのに──」
「何か、変だ」
影憑きを斬り払ったカナメは、自身の中で湧き起こる感情に意識を向け、目を細めた。
「影が……騒いでいる」
「影が?」
訝しむカルヴァスに、カナメは問うような視線をマリーエルへと向けた。
「うん……私も何か、変な感じがする。何処か、地の底で影が──」
ハッと顔を上げたマリーエルは「喪失の谷!」と声を上げた。しかし、カナメは目を細め、考え込んだ。
「いや、あの地の底でなく──」
「待て。此処で考えていても仕方ない。今はこの書簡を持ち帰ることが先だ。もし喪失の谷に問題があるなら、城に戻って準備を整えてから向かう」
カルヴァスは霊鹿の手綱を引き、「急ぐぞ」と声を掛けた。
グラウスに戻ると、城内は穏やかな雰囲気に包まれていて、マリーエル達は拍子抜けした。クッザール隊は確かに急増した影憑きの対処に追われているが、兵達はそこまで慌てている様子でもなかった。マリーエル達を笑顔で出迎える者達が居た程だった。
「エランのセルジオ殿より書簡を受け取っている。王と、クッザール隊長、ヨンム隊長は今どちらに?」
カルヴァスの緊迫した様子に、すぐに表情を引き締めた世話役が、王は王の間に、他二名はすぐに呼びに向かいますと走っていった。
「オレ達も王の間へ行こう。インターリ、お前はベッロを休ませろ。アーチェも付いていてくれ」
ちらとベッロを見やってから言ったカルヴァスは、マリーエルとカナメと目を見合わせ、王の間へと廊を急いだ。
「おぉ、クラオン。この父が判るか?」
「ふふ、きっと父上の威厳を見習おうとしているのね」
そんな和やかな声が聞こえる王の間に、マリーエル達が半ば駆けこむと、グランディウス王は怪訝そうな顔をした。
「何があった」
表情を引き締め、腕の中のクラオンをメーテの許に戻し、三人の様子を見回した王は、カルヴァスが差し出した書簡を受け取り、眉を寄せた。手紙に目を走らせ、その眉間の皺は深くなる。
「メーテよ、部屋に戻っていなさい」
王の言葉に、メーテは僅かに不安を滲ませながらも頷いた。それを敏感に感じ取ったのか、腕の中のクラオンが声を上げて泣き始める。「大丈夫よ」というメーテの優しい声が遠ざかっていく。王はその後ろ姿を見やってから、卓に着いた。
「申し訳ございません」
カルヴァスが言うのに、グランディウス王は首を振った。
「良い。それよりも、今は此方だ。クッザールは町の警備に出ているからすぐに呼び寄せよう」
「クッザール隊長と、此度はヨンム隊長へも既にお声掛けしています」
その声に応えるように、王の間へヨンムが現れた。
「何が起きてるって?」
カルヴァスから書簡を受け取ったヨンムは、不機嫌そうに内容を検めると「これは……」と小さく呟いた。
「アントニオの様子はどうだ。今日も彼の許に居たんだろう」
王の問いに、ヨンムは考え込みながら答えた。
「僕の作業は何処でも出来るからね。やるべきことはやっている。──アントニオは、またさっきうわ事を言って、今は寝ているよ。一体、何が起きているのか」
奥歯を噛んだヨンムは、問うような視線をカルヴァスとマリーエルに向けた。
「それで、実際お前達は見たんだろ。この巨大生物ってやつを。お前達は二度目……だったね」
カルヴァスが巨大生物の様子を。マリーエルとカナメが影の観点から語ると、部屋に重い沈黙が落ちた。
「喪失の谷に変わりはないですか」
マリーエルの問いに、ヨンムは胸元から鏡を取り出し、その中を覗き込んだ。
「ノノミ、居る?」
暫くの沈黙の後、低い声が応えた。
『ノノミではなく、私でよければおりますが』
エイスターの声だった。
「あぁ、お前でもいいよ。いや、むしろお前の方がいい。──エイスター、そちらに変わりはないね」
『ええ、私が観測所でこうして体を休めることが出来る程には』
エイスターはヨンムの言葉に僅かに誇らしげな様子を滲ませ「どうされました?」と訊いた。
「いや、エランでちょっとした騒動があってね。喪失の谷で何か起きているのかと思ったけど、今の所そうでもないらしい。今一度、よく見回ってくれるか」
『では、直ちに』
鏡の向こうから、エイスターが兵に声を掛ける様子が聞こえてくる。鏡から顔を上げたヨンムは、王に言った。
「こちらはひとまず手を打った。あとは僕の方にセルジオから頼まれたのは、華発への協力の要請。それは──」
言葉を切り、王とマリーエルの顔を見やったヨンムは、席を立った。
「側にグランディウス王と精霊姫が居ると判ったら話させろと煩いからね。僕の部屋で話してくる。聞くこと、言うべきことは?」
ヨンムの問いに、王は少しだけ考えてから答えた。
「協力の要請に関してはいつものお前のやり方に任せる。ただ、これが華発の手によるものの可能性もある。あまり手の内を明かさずにおけ。あちらもそうだろうが」
「判ったよ。それは、任せて」
ヨンムが出て行くと、王は僅かに表情を緩めた。
「まさか、アイツとこのように話せる時が来るとはな。エイスターとも上手くやっているようだし、この国は益々盤石となる」
ふと顔を上げ、兵を呼び寄せた王は、レティシアに何か感じないか、もし参加出来るようなら王の間へ、と伝言を託した。
レティシアは喪失の谷に観測場が出来た今でも、グラウス城へと籠っていた。以前と違うのは、ヨンム隊の者達がその力の計測に訪れているということだった。
最初こそ嫌がっていたレティシアだが、何を言ってもそれすら記録として採られるせいで、言葉や態度に表すことを止めたようだった。レティシアの卑屈な物言いも、ヨンム隊からすれば貴重な試料でしかなく、ある意味情に欠ける関りが、何処か不安を掻き立てずに居られるようだった。
しかし、暫くして戻って来た兵の後ろにレティシアの姿はなく「喪失の谷では何も感じない。ただ、底の方で影は感じる」という言葉だけが返ってきた。
「マリーエルも居るから出て来るかと思ったんだがな。まぁ、良いか」
「後で、お部屋に行ってみます」
「頼む」
それにしても、と王は考え込み、答えを探すようにカルヴァスへちらと目をやった。
「やはり、これは海上……底というからには海底で何か起きているのでしょうか。海底深くに居た生き物が、影……によって追いやられ、それを目撃するようになった、とは考えられませんか」
カルヴァスの言葉に、王は深く考え、眉間に皺を寄せた。
「その可能性は非常に高いな。ただ、そうなると我々では対処出来ない。海底など……訪れた者など居ないからな」
広大な海の底には、命世界の底がある。そうは理解していても、実際に目にすることはない。
「お待たせしました。エランから書状が届いたと。道すがら簡単なことは聞きましたが──」
その時、クッザールが急ぎ足で王の間へと入って来ると、迷わずカルヴァスの許へと歩いて行った。書簡を受け取り、眉根を寄せる。額の汗を拭い、世話役の差し出した器を受け取り、ひと息に飲み干した。
「いつもすまないな。苦労掛ける」
王の言葉に、クッザールは僅かに笑みを作った。
「いえ、私の役目ですから。──さて」
書状に目を通したクッザールは、呼び寄せた兵に幾つか指示を出すと、卓に着いた皆に向き直った。頃合いを窺っていたカルヴァスが、話し合いで出た話題を簡潔に纏めて伝えた。
「成る程。セルジオから頼まれた人員は我がクッザール隊より分隊を向かわせました。物資の方も此方にお任せを。喪失の谷での問題が今の所見られないのであれば国王対影隊に任せましょう。あちらでは、ヨンム隊の発明品も新たに稼働させているようですから」
今後の対応策を簡略に語ったクッザールは、マリーエルとカナメに顔を向けた。
「影についてだが……底というのは?」
「私が感じたのは、底に蠢く影の気配……だったけれど」
マリーエルがちらと視線を向けると、カナメはひとつ頷いた。
「俺が感じたのは、底に溜まるというよりは、何処かに流され、落ちていく影……。それに飲まれんとして騒ぐ影……そのようなものを感じたが……」
ふむ、と考え込んだクッザールは、難しい顔をしたまま王を見つめた。
「この所影憑きの動きが活発なのは確か。ただし、それは消し去ることの出来ないものという訳でもない。海底で、何かが起きているのでしょう。詳しいことはセルジオからの報せを待つとして、影のことならば精霊隊が適任かと。あとは、アントニオの件も気になりますね」
ひとつ頷いた王は、皆を見回し言った。
「まずはエランからの報せを待つ。すぐに動けるようにクッザール隊はエランとの境を中心に待機。マリーエル、お前はアントニオの様子を診てやってくれ。精霊姫として何か出来ることがあるなら、頼む」
「判りました」
そうして、その場はそこで散会となった。




