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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第三部 水底の王国

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5話 海の異変

「マリー危ない!」


 巨大生物が最期の力で尾を振ってエランの民を薙ぎ払い、それは祓えの力を導くマリーエルの許へと迫っていた。


 しかし、尾の一撃が届くよりも先に、インターリの体が軽く跳ぶと、巨大生物の尾を斬り裂いていた。細切れになった肉片の上に立ち、訝しげにその断片を覗いている。


 マリーエルの許まで駆け寄ったカナメは、丁度祓えを終えたマリーエルの肩にしがみつくようにしてその顔を覗き込んだ。荒い息を吐きながら訊く。


「無事か……⁉」


「うん。カナメこそ大丈夫?」


 息の塊を吐きながら、まだ濡れたままの体を見回し、カナメは頷いた。


「あぁ……平気だ。ベッロはどうだ?」


 カナメが訊くと、巨大生物を見上げていたカルヴァスが、後ろを目線で示した。


「無事。ただ、影の水を飲んだみたいだから、マリー、視てやってくれ」


「うん」


 マリーエルはベッロの許まで駆け寄ると、その体を撫でた。穢れの気配は少ないが、疲労の色が濃いようだった。


「念の為、祓うね」


「ありがと……」


 ぐったりとしたベッロは、肩に触れたマリーエルの手に頬をすり寄せ息を吐いた。アーチェが手巾を手に戻ってくると、ベッロの体を拭い始める。


 ありがと、と言うベッロに微笑みを浮かべたアーチェが念入りに体を拭いた後も、ベッロの表情は沈んだままだった。


「ベッロ? まだ何処か悪い所はある? 穢れは祓ったけど、怪我とか……」


 萎れたままのベッロは、じっと考え込むようにしてから緩く首を振るようにした。その頭を、インターリの手が押さえた。


「怖かったんでしょ」


 垂れていた耳がピクリと立ち、すぐに萎れる。


「……うん」


 マリーエルが問うようにベッロとインターリの顔を見比べると、はぁと息を吐いたインターリは屈みこんでベッロを見つめた。


「なんかベッロが月族と一緒に生きてた時、水に飲まれたことがあったんだって。それ以来、水自体は怖くないけど、さっきみたいに流されたりすると上手く動けないって。まぁ、さっきのは影もあったしね」


「……うん。でも、怖い、良くない。けど、怖い……」


 耳だけでなく、すっかりしょげて背を丸めたベッロの体を、マリーエルはぎゅっと抱きしめた。


「いいんだよ。誰にだって怖いものはあるもの」


「でも、それで──」


 言い淀むベッロの頭を、インターリは軽く撫でた。


「お姫様なら、こういう風に言うでしょ。いーじゃん、それでさ」


「でも……」


 そう寂しそうに呟くベッロに、マリーエルは体を離して顔を覗き込んだ。


「いいんだよ。むしろ、ベッロには怖いものなんてないのかと思っちゃってた。ごめんね。そんな訳ないもんね」


 俯くベッロの肩を、今後はアーチェが気遣うように触れた。


「ごめんなさい。実の所、私もベッロには怖いものなんてないと思ってしまっていました。ベッロは、いつも強く見えるから……。恐れることが駄目なんてない。私は、そう思う」


 マリーエルとアーチェを見比べたベッロは、暫く思い悩むようにしてから小さく頷いた。心なしか垂れていた耳も立ち、尾がゆらりと揺れる。


「ん……ありがと。ベッロ、流れる怖い。でも、大丈夫なりたい。頑張る。──守る為に」


 最後の方は自身に言い聞かせるように呟き、ベッロは勢いよく立ち上がった。


「ベッロ、頑張る!」


「ねぇ、いきなり立ち上がんないでくれる⁉」


 僅かに後ろによろめいたインターリが鼻に皺を寄せた。


「ごめん、インターリ。元気、出たから」


「……あっそ」


 プイと顔を背けたインターリは、道の向こうで話合うカルヴァスとカナメを見やってから、改めて巨大生物に目を向けた。


「それにしても、これって何なんだろうね。断面見たけど、まるで魚のままだったよ。腕が生えてるのが気持ち悪いけど」


「やっぱり、海の生き物なのかなぁ……でも、前にカッテが違うって言ってたんだけど……」


「カッテ? あぁ」


 インターリは興味なさそうに鼻を鳴らした。


 カッテは大陸とを行き来する船の副船長だ。本来であれば、今夜会おうと手紙のやり取りをしていたのだが、この状況であればこの浜の何処かに居るかもしれない。エランの民は皆勇猛なのだ。


「マリーエル、此度も君の手を借りた。すまない、感謝する」


 その時、セルジオがカルヴァスやカナメと共に歩いてきた。


「いいえ。出来ることをしたまでです。それより、この巨大生物は一体……」


 その問いにセルジオは、顎に手を当て深く考え込んだ。


「これらのことは、出現以降探らせてはいたんだけどね。元より今此処にあるこれは、亡骸が流れ着いたモノだ。ということは、海で何かあったということ。我等が船に乗せている武器の傷ではないし、これが死ぬ何かが……まぁ、陸で考えていてもそれは判らないね。我等は、船で調査に出ることに決めた。そこで、君達には悪いけれど、一度グラウスに戻って欲しい」


「判りました」


 マリーエルが頷くと、セルジオは「手紙を書こう」と城を示して歩き出した。


 道すがら、はぁと溜め息を吐く。


「折角、今夜も宴のつもりだったんだがなぁ。今夜はエランの酒豪を呼び寄せて飲み比べでもと思っていたんだが」


 未練がましく言うセルジオに、カルヴァスは呆れたように笑った。


「お互い、まだ酒が残っているでしょうに」


「ハハ、いいのさ。この祭の時はね」


 そう笑ってから、しかしがっくりと肩を落とす。


「まぁ、この状況ではそうも言っていられないが。マリーエル、君達にもエランの様々な場所を案内したかったんだがな」


「それは、またの機会にお願いします」


 マリーエルが言うと、セルジオは笑みを浮かべ城への道を急いだ。


 セルジオの手紙を待つ間、マリーエル達はグラウスへと戻る支度を進めた。手早く霊鹿の手配などを終えたカルヴァスは「わりぃ、少し寝る」と部屋に引っ込み寝てしまった。


「流石のアイツも酒をしこたま飲んで、巨大生物と戦ってってしたらああもなるよね。しかも来たばっかりなのにグラウスに戻るんでしょ。働き過ぎじゃない、僕達」


 窓辺の長椅子に座り込んだインターリが、同じように横になったベッロの体を撫でながら言った。ベッロは城へ戻ってからというもの〈走る姿〉のまま、少しばかり気落ちしたようにしている。最初こそ支度を手伝おうとしていたのだが、ぼんやりと手を止める姿に、アーチェから「向こうに居るように」と追いやられてしまった。


 幸い、数日間の滞在の予定であったし、そこまでの荷はなかったからすぐに支度は済んだ。


 カナメが淹れた茶を飲みながら、セルジオからの手紙を待つ。マリーエルは、カッテに会えなくなったことを伝える手紙を書き上げた。手土産としてグラウスから持って来ていた鉱石のような光を湛える精霊石を添え、エラン城の世話役に届けて貰えるよう手渡した。


「今度は、海に出ることになったりして」


 インターリが、茶器を口に運びながら言った。


「うーん、どうだろう。影が関係してるなら精霊隊が出て行かないといけないけど。どうだった、カナメ?」


 マリーエルの隣に腰掛けて茶を啜っていたカナメは、器を卓の上に戻し、じっと考えむ素振りをした。


「そうだな……あの影は陸に上がってからのものだと聞いたし、巨大生物自体に影の影響はないように思うが……。エランの民もあのような生物は今までに見たことも聞いたこともないという。何処か、深い所で影が影響しているのかもしれないが。アレは恐らく海上で死んで流れ着いた……その原因も探らなければならないだろうな」


「ま、そっちはひとまずセルジオ殿に任せるしかねぇな」


 続きの間から出てきたカルヴァスが、頭の後ろを掻きながら言った。


「寝てなくていいの? まだ手紙は届いてないよ」


 んー、と言いながら、欠伸を噛み殺しつつカナメに茶を頼んだカルヴァスは、それを何口か飲んでから息を吐いた。


「はぁ、だいぶスッキリした」


 ぐっと体を伸ばし、襟元を正す。窓辺に座ったままのインターリが不気味そうに目を細めた。


「あれだけでそこまで回復することある? 本当、アンタの体力意味判んない」


「子供の頃からこういう生活してたら慣れるっての」


 そう言いながら卓の上の籠から果物を取りパクパクと食べ始めたカルヴァスに、インターリは不服そうに口を曲げた。


 食べる手をふと止めたカルヴァスは、眉を寄せ難しい顔をした。


「で、まぁ、あの巨大生物のことだけど、こればっかりはまだ判んねぇ。ひとまずはグラウスに戻って王に指示を仰ぐのと、アントニオが回復していると良いんだけどな。……同時期に事が起きるってのは……何もなければいいけど、そういう訳にもいかないだろうしな」


「アントニオが倒れたことと、何か関係があるってこと?」


 難しい顔をしたままのカルヴァスは、うーんと首を傾げた。


「だと思う。アイツがあんな状況になったのは初めて……いや、呼び掛けを受けた時に〝知の洪水〟が身の内を駆けたって話だろ。それに近いものがアントニオの身に起きてる……それだけのことが起きてるってことだと、オレは思う」


 皆が考え込み、部屋は静まり返った。


 その時、呼び鈴がシャラシャラと涼やかな音を立てた。


 アーチェが出迎えると、セルジオが書簡を手に部屋に入って来た。


「待たせたね。書簡が用意出来た。王へのものと、こちらはクッザールに。そしてヨンムにも。船を出すにも時間が掛かる。だが、事は急を要する。もし返事がなくとも船の支度が出来次第、先遣隊は送るつもりだ」


「判りました」


 カルヴァスは書簡を受け取ってから立ち上がると、皆の顔を見回した。


「これよりすぐに発つ。行けるな」


 その言葉に、皆、固く頷いた。


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