第48話 ☆平居郁人 ブルーになる
4階へ行くため、階段を一段ずつ上がりながら、非常にブルーな気持ちになっていた。
「……なんで俺が……くそっ!」
名案が浮かんだはずだったのに、思惑通りに事が運ばず、思わず舌打ちしてしまう。
「……マジで誤解されたら……どうすんだよ」
そう心配するものの、ここまで来たら腹をくくるしかない。
とにかく、三人で食事に行く事を強調しよう。
そう思いながら、4階フロアーに足を踏み入れた。
☆-☆―☆
『平居さん、もしかして……女の子を誘えないんですか?』
……バカ言ってんじゃない。 何を根拠に、オマエはそんな暴言を吐くんだ?
店の予約が済んだ田辺に、藤井を電話で誘ってくれと頼んだら、暴言を吐かれた上に鼻で笑われた。
「はあ? ふざけんなよ! 俺は誰だって誘える!」
ただし、藤井はマズイ。
俺が藤井を直接誘うと、アイツが勘違いしてしまう可能性がある。
それを避けたいからこそ、お前に頼むと言うウルトラCを使っているんだろう!
「……俺は、藤井の携番を知らないから、お前に頼んでいるだけだ!」
もっともな理由を述べる。
『……俺だって知りませんよ』
……なにぃ! マジか?
「え、だって、仲良しなんだろ? 歓迎会に誘われたんだろ?」
『はい? ……平居さんは、俺の機嫌を取りたいんですか? 損ねたいんですか? どっちなんですか!』
ちょっと本気で怒っている田辺にビビる。
「……い、いや、だって。 知ってると……思う……だろ」
『言わせてもらいますけど、平居さんこそ、どうして知らないんですか?』
「な! 知るわけないだろ! なんで俺が知らなきゃいけないんだ!!」
田辺の疑いの眼差しに、慌てて身の潔白を訴えた。
『……はあ? 平居さん、大丈夫ですか? アナタ、仮にも藤井さんの上司ですよ。 緊急の連絡とか、どうするつもりなんです?』
……え?
思わぬ指摘に動揺する。
……まさにそうだ。 どうするつもりなんだ、俺?
知っていてもおかしくない立場だと、言われて初めて気が付いた。
……つまり、俺が藤井の携番を尋ねても、何も問題が無いって事だ。 いや、むしろ、聞かなきゃマズイだろう。 うわー!! 何やってんだ、俺。
わけのわからない恋愛モードに意識が削がれ、上司の役目を果たせていない事に驚愕する。
こんな失態は、管理職に就いて初めてだった。
田辺の前だと言う事も忘れ、思わず頭を抱える。
『反省は後にして、早く藤井さんを誘ってきてください』
悩み苦しむ俺を全く無視して、氷の男がアゴで指示を出してくる。
思わずカッとなって言い返した。
「……なんで俺が!」
『……あのう。最初のセリフに戻りますけど……平居さん、女の子を誘えないんですか?』
「だから、ふざけんな! 誰でも誘えるっつーの!」
俺も最初のセリフを繰り返す。……これがいけなかった。
『じゃあ、どうぞ……』
無慈悲にも、田辺が出口に手のひらを向け、俺を促す。
「え! いや、あの、その……今回は、田辺が」
『明日から、ヘッポコさんとお呼びしていいなら、俺が行きますけど……』
……な! いいわけないだろう! なんだ、ヘッポコって! ふざけんな!
『いいわけないですよね? ……じゃあ、頑張ってきてください』
俺の表情を読み取って、田辺が先回りする。
……くそぉ! 何なんだオマエ! これで断ったらヘッポコじゃないか!
地団駄踏みたくなったが、男らしくないので慎む。
敗北を認め、諦めて出口に向かった。
その、俺の背中に……
『携番も、ちゃんと聞いてくるんですよぉー!』
と、田辺がいらぬ声を掛けてくる。
……アイツ。 マジで、殺ス。
以上の流れで、俺は4階のフロアーに足を運ぶことになった。
腹の立つ事この上なしだ。
悔しいことに、こういう事でアイツに勝てた試しがない。
……いつか絶対、ぎゃふんと言わせてやる。
苛立ちながらもサッサと終わらせようと、目的の人物を探して4階の事務スペースをのぞいた。
……あれ? だれもいない。 え、もう上がったのかな?
実際、帰っていてもおかしくない時間なので、少々ホッとする。
居ない相手を誘う事は、俺にだって出来ないからだ。
……うん。もう帰ったに違いない。次の機会にしよう。
来た道を戻りつつ、ちょっとだけ……ホンのちょっとだけ残念に思う。
『だから! そんな大事なモン、売場に持ち込むなよ!!』
『だって!! だって!!』
安心したのも束の間、今、最も聞きたくない声が聞こえてきた。
思わず天を仰ぐ。
そのまま階段を降りようかと迷ったが、揉め事を無視するわけにも行かない。
声のする方に足を向けると、果たして、太田と藤井が向かい合って喧嘩をしていた。
「どうしたんだ? 何を揉めてる?」
仲裁に入ると、二人同時にこちらを向いた。
『あ、平居さん! 聞いてくださいよ! コイツ、落し物が見つからないって、さっきからうるさいんッスよ!!』
藤井を見ると、目が少し潤んでいた。
よほど大事な物を失くしてしまったらしい。
俺もついさっき、大事な物を失くした時の焦燥感を思い出したばかりだ。
できればそんな不安は取り除いてやりたいと思う。
「何を失くしたんだ?」
藤井に尋ねるが、答える事なく俯いてしまう。
代わりに太田が答えた。
『なんかぁ……ハンカチをなくしたらしいッス』
……ハンカチ?
偶然なのか、藤井の紛失物もハンカチだった。
一瞬、藤井との間に何かを感じてしまいそうになるが、慌てて否定する。
ハンカチなんて、誰でも一度は落とすアイテムだ。
すぐに冷静な思考に戻って、落ち込んでいる藤井を心配する。
さっきから、俯いたままだからだ。
声を掛けようと口を開くが、一瞬の間で太田に先を越される。
『……あのさぁ、ハンカチぐらい、新しく買えばいいじゃん』
全く思いやりのない言葉を投げる太田に、顔を上げた藤井がきつい目で睨みつけた。
その目にひるんで、太田が俺の背中に隠れる。……オイ。
『もういいです。 一人で探しますから……』
当てにならないと思ったのか、藤井が踵を返してこの場を立ち去ろうとする。
その腕を俺が掴んだ。
「……ちょっと、待て! 一緒に探してやるから!」
こちらを向かせると、藤井の目から涙が一筋こぼれた。
我慢するために、ずっと俯いていたのだろう。
……な、泣くなよ。 俺が見つけてやるから。
袖で涙を拭こうとする藤井の手首を、素早く掴んで防ぎ留める。
……擦るな! 土偶と焼肉なんて、勘弁だぞ。
藤井が困惑した目でこちらを見てくる。……いや、頼むから目だけは触るな!
「……それで、どんなハンカチを失くしたんだ? 」
手首を掴んだまま、藤井に直接尋ねた。
切迫した事態に、焦って声が尖ってしまう。藤井の背中がビクリと跳ねた。
申し訳なく思ったが、これ以上泣かれると、それこそ食事に誘えなくなる。
ここまで来て、ヘッポコさんに成り下がるわけにいかなかった。
怖がって口ごもる藤井に代わり、太田がまたも情報を提供してくる。
『なんかぁ……ハンカチをジップ●ックに入れてるらしいッスよ』
……ジップ●ック? って ……え、まさか。
『だいたいジップ●ックは、ハンカチじゃなくて、食品を入れるもんだっつーの!』
『ううぅぅぅ!!』
囃し立てる太田に、藤井が目を吊り上げて唸りつける。
それにビビって、太田が俺の背中に再び隠れた。
「藤井、止めなさい! 太田もいい加減にしろ!」
提示された失せ物の手掛かりに動揺したが、とにかく子供の喧嘩を止めさせる。
太田が首を竦め、藤井の眉が八の字になった。
「……ひとつ、聞くが……ハンカチはどんな色だ?」
……青じゃないと思うが、確認の為、聞いてみる。
『無地の青ッス。……なんか、刺繍がはいってるらしいッスよ』
太田の返答に、心臓がバクバク言い出した。
「そ、そうなのか?」
思わず、本人にも確認をとる。
すると、小さな頭がコクリと頷いた。
……ええ! いやいや、これ、俺のハンカチだし。……ち、違うだろ。
そう思うが、念のため、ビニール袋に入ったハンカチをポケットから取り出す。
「まさかと思うが……これ……」
じゃないよな? と口にする前に、驚異的な速さで藤井に取り上げられていた。
そのまま、血走った眼でハンカチを凝視している。
『こ、これです! このハンカチです!! 平居さんが拾ってくれたんですか?!』
……え? いや、あの、拾ったのは俺じゃないけど……それより、俺のハンカチ……
何から説明していいかわからず、口ごもってしまう。
『あ、ありがとうございます! 本当にありがとうございます! ……うう、よかった。 うう、ありがとう……うう、ございます。 ホントに……うう、すみません』
誤解したままの藤井が、何度も何度も頭を下げてくる。
ハンカチを顔の前で握りしめて、とうとう泣き出してしまった。
……いやいや、だからそれ、俺のだし。
などと、言い出せる空気ではなくなっていた。
すでに大事そうに胸に抱え直し、もう二度と返してもらえそうにない。
……困った。
取りあえず、返せと直接言えないので、それとなく別の角度からアプローチしてみた。
「藤井、その紳士物のハンカチ……お前の物じゃないよな?」
明らかにドキリとした顔で、藤井が涙目を見開いた。
『こ、ここここ、これは……その、あの……わ、私にとって、大切な人のハンカチなんです!』
「大切な人?!」
その答えに、今度は俺の方が衝撃を受ける。
……そそそそ、それは、おおお、俺が、大切な人だと言いたいのか?! ……ち、違うよな?
驚愕している俺に、追い打ちをかけたいのか、慌てて藤井が説明を付け足す。
『今は、お守りとしてその方から預かっているんです。……だから、とっても大事な物なんです!!』
そう力説した後、藤井が俺のハンカチを愛おしそうに胸の前でギュッと握りしめた。
そのしぐさに、俺の頭がグルグル回る。
……そ、そんな。 俺のハンカチを勝手にお守りにするなんて、だ、ダメだろ!
乙女ワールド全開な藤井に、どう対処していいかわからなかった。
……いや、まさか!
思わぬ考えが頭をよぎる。
これは、なかなか食事に誘ってこない俺に対して、痺れを切らした藤井が、新たに打って出た作戦ではないか……?!
その瞬間、嵌められたと思った。
俺のハンカチをデスクにわざと置き、それを失くしたと騒ぐ。
俺の気を引いておいての……大切な人発言! 大事なお守りですよアピール!
……な、なんて手の込んだ告白なんだ!! マジか!! オマエ、凄いぞ!
敵ながら「アッパレ!」と言ってやりたくなった。
しかし、俺だってこのまま流されるわけにいかない。
このシチュエーションにほだされそうになったが、慌てて体制を整える。
息をついて、冷静になって考えた。
……だいたい、藤井はどうやってこのハンカチを手に入れたんだ?
俺がハンカチを失くしたのは、藤井が入社するずっと前の話だ。
藤井が拾うという事は考えられない。
……じゃあ、誰かが藤井に? ……って、いったい誰だ?
益々、青いハンカチの謎が深まっていく。
考え込んでいたら、藤井が小さな体を寄せてきた。
『あのう……平居さん。 お礼に何かしたいんですが……』
ハンカチを胸に抱いたまま、藤井が甘い誘いをかけてくる。
思わず……「一晩付き合え」と、言いそうになった。
しかし、このタイミングでそれを口にすると、ただの食事の誘いじゃなくなってしまう。間違いなく、違う意味が加算されてしまうだろう。 それは、完全なセクハラだ。
俺の危機管理脳が、ギリギリのところで働く。
「いらん! 全く必要ない!」
それに従い、慌てて首を横に振った。
『で、でも……あの、何か……私の出来る事で……言ってください』
なのに、藤井の上目づかいを間近で見た俺は……俺は……脳が爆死した。
「ひ、一晩……」
『あのさ! 俺、早く帰りたいんだけど! お前のせいで、一時間も作業が遅れてんだぞ!』
俺のセリフを遮って、腕時計を指でトントンと叩きながら、太田が割って入ってくる。
後ろにいたので、すっかり存在を忘れていた。
『ああ! そうでした! すみません、急いで準備します! あの、平居さん、本当にありがとうございました!!』
もう一度俺に頭を下げて、藤井が売場に走って行く。
……あ、あぶなかった。 太田が割り込んでこなかったら……とんでもなく恐ろしい事になってたぞ。
想像して、思わず身震いした。
『……じゃ、俺も失礼しまッス』
その太田が軽く頭を下げて立ち去ろうとする。
……あれ? しまった!
頭の中で、田辺が「へっぽこさん」と、俺を嘲笑する映像が浮かぶ。
ハンカチと告白に気を取られて、すっかり忘れていた。
ダルそうに売場に足を向ける太田の肩を慌てて掴む。
『え、なんッスか?』
「この後、何の作業があるんだ? 売場の片づけか?」
『ええ? いや、レジ訓練ッス』
「レジ訓練?」
『小森さんと福ちゃんが、藤井のために組んだ練習プログラムッス』
そういえば、そんな事を小森が言っていたような気がする。
忙しくて、すっかり忘れていた。
『……これが、ホント大変なんッス。巻き込まれる俺の身にもなって欲しいッスよぉ……俺だって得意じゃないのに……』
……だったら、お前も練習しろよ。 と思うが、口には出さずに質問を続ける。
「それって、どれぐらい時間がかかるんだ?」
『え? ええっと、三十分ぐらいッスかね? まあ、そんなもんッス』
その程度なら、終わった後に誘ってもまだ余裕がある時間だ。
告白された後に食事に誘うのは大変危険な行為であるが、時間も空けて、三人だと強調すれば大丈夫だろう。
それより、ヘッポコさんになるわけに行かない。
「じゃあ、終わったら……」
『その後、伝票整理もあるッスよぉ……いやぁ、もう、今日は帰れないかも知れないッス』
「伝票整理? そんなに時間がかかるのか?」
『そうなんス。……藤井のヤツ、担当分のデータをとるのも遅いし、商品を覚えないから、担当以外の伝票もやらされてるッス』
……ああ、新人が通る道だ。
『しかもアイツ要領ワルいんで、昼間に全く出来ないッス。全部営業終了後にやるしかないんッスよぉ。もう、すごい量なんッス。……あのう、福ちゃんに藤井の作業を減らすように、平居さんから言ってもらえないッスか?』
太田のボヤキがマックスになった。
本当に面倒に思っているらしい。……だったら。
「……わかった。今日の伝票整理は俺がやろう」
こう見えて俺は、新人の頃から伝票の扱いは早かった。
事務的な事も、案外得意にしていたのだ。
『はい?』
「だから! 俺がやれば五分で終わる」
『ええ!! いやいや、何言ってるッスか? 下っ端の仕事ッスよ? フロアー長が伝票整理するフロアーなんて、聞いたことないッス!』
……んな事はわかってる! 特別だ!
「言わなきゃ、わかんないだろ!」
『言わなくてもバレるッスよ!! 〆ハン押すんですから!!』
……そうだった。何年もやってないので忘れてた。
「じゃあ、オマエのシャチ印貸せ! オマエがやった事にしろ!」
『はあ? そんなズル、駄目ッス! バレたら俺が小森さんに殺されるッス!』
……何を今さら良い子ぶってんだ! 普段から不正しかしてないだろ!
怖気づいた太田の上着に手をいれ、シャチハタ印を探す。
突然の俺の行為にびっくりしたのか、太田がジタバタしだした。
「早く貸せって! 小森にはバレないから! ほら、早く!」
『嫌ッスよぉぉ! 藤井にやらせるからいいッス! ああ、何するッスか! やめてぇぇ!!』
太田が無駄な抵抗を続ける。
「だあ!! お前、肝が小せーんだよ! 早く帰りたいんだろう!!」
『な! なんッスか!! 平居さんこそ、ヒマだったら先に帰ればいいじゃないッスか!』
……そのヒマが、貴重なヒマなんだろ!! この先忙し過ぎて、いつヒマが取れるかわからないから焦ってるんだ!
思いきり太田を睨みつけた。
いつもなら縮みあがるくせに、なぜか負けじと睨み返してくる。
『言いたくないですけど! そうやって、上がダラダラ社に残るから、下の人間が帰り辛くなるんでしょ!!』
……うっ。 太田のくせに、正当な意見を述べてきやがった。
『平居さんも! 自分の仕事がないなら、帰ってください!! それが、下の為にもなるんですから!』
「そ、それは、わかるけど……今日は……」
『とにかく! 部下の仕事まで取り上げないで下さい! そんな事したら、藤井に嫌われますよ!!』
その言葉に、慌てて身を引く。
「……わ、わかったよ」
……って、あれ? いや、別に嫌われてもいいじゃないか。
自分の咄嗟の行動に、首を傾げてしまう。
『……ったく。これだから仕事の虫はヤなんだよ』
そうこうしてる間に、大きな独り言をぶつぶつと言いながら、太田が売場に戻って行った。
……え、うそだろ。 おいおい、なんてことだ! 太田にまで惨敗じゃないか!!
立て続けの連敗に、唖然となる。
誰もいなくなったバックヤードで一人、肩を落としてうなだれた。
☆-☆―☆
……結局、藤井を誘えなかった。
俺はただ単に、藤井に告白されただけになる。
大事なハンカチも、藤井に取られたままだ。
……いや、まあ、大切にしてくれるなら、あげてもいいんだけどさ。
胸にハンカチを当て、握りしめていた藤井の姿を思い出す。
ものすごく惚れられている現状に、胸が苦しくなった。
……だから。 俺はその気持ちに、応えられないんだって。
深いため息をつきながら、4階の階段に足をかける。
階下の3階表示を見て、さらにため息を重ねた。
……ああ、田辺に「ヘッポコさん」って笑われるんだろうな。
そう思うと、非常に気持ちが沈んでいく。
しかも、よく考えたら藤井の携番も聞けず終いだ。
余りの出来の悪さに、自分がフロアー長であると言う事が幻のように思えてくる。
……くぅぅぅ。 俺、ホントにヘッポコかも知れない。
4階の階段は、上るよりも下る方が、よりブルーな気持ちになるらしかった。
読んで下さってありがとうございます。




