第47話 ☆平居郁人 青の時間旅行
「……明日の役員会議で承認が降ります。思ったよりスムーズに事が運んでいますが、気を抜かずに作業を進めて行きましょう」
『はい』
俺が選出した精鋭四人のプロジェクトメンバーが、気持ちのいい返事を返してくる。田辺以外は全員年上だ。そのせいか、意外に神経を使って疲れる。
集中していたせいか、すっかり時間の感覚が無くなっていた。
時計をちらりと見たが、まだ夜の九時前だという事に驚く。
いよいよ改装準備も大詰めとなり、ここしばらくの間、メンバー全員が日付をまたいでからの帰宅になっていた。すでに、それぞれの顔にも疲労が隠せなくなっている。
……ここらで、一息入れておくか。
「まあそれでも順調ですから、今日はこれで終わりましょう」
『え、ホントに? うわぁ、助かった。……最近カミさんの機嫌がチョー悪くって……』
新婚の飯田主任のボヤキに、全員が笑う。
緊張が一気にほどけ、砕けた表情だ。
俺は、この瞬間がとても好きだった。
それぞれが書類をまとめながら帰る準備をする。
と言っても、そのまますぐに帰宅できるわけではない。
各自の仕事が残っているから、それぞれの現場に戻るだけだ。
帰宅できるのはその後になる。それでもいつもより数倍早いはずだ。
『平居、ちょっといいか……』
打ち合わせが終わり、いつもの口調で声を掛けてきたのは、営業本部の古賀さんだ。メンバーの中では一番の古参になる。
慎重過ぎる彼は、リーダーには向かないと言われて出世と縁が遠かった人だ。しかし、雑把な俺にとっては、細かいところまで気のつく貴重な存在であり、信頼を寄せている人だった。
今も、ほら
『什器の事で、気になる点があってな……』
俺の気付かない事をこうやって指摘してくれる。
古賀さんの意見に耳を傾けながら、左前で交わされる田辺と岩前のやり取りも何となく聞いていた。
『この前の……残念だったよな。一時帰国じゃなぁ……』
『でも、戻られる前に落として行かれたじゃないですか……』
『そうなんだよ、三百万。いや、正直助かったぁ。でも、よかったのか? 全部ウチの扱いでさ』
『ええ、大丈夫です。……そのかわり、改装後はお願いしますね』
『おう! 任せとけ! 今、ウチで招待状バラ撒いて、ガンガンに押させてるから期待しておいてくれよな』
そんなやりとりが耳に入り、内心ホッとする。
『少し気になる程度なんだが……どうする?』
話し終えた古賀さんが、こちらの様子を伺ってきた。
「そうですね、俺の方でちょっと確認してみます。……いつも、ありがとうございます」
『いやいや、そんな大した事じゃないよ』
俺が頭を下げると、古賀さんが照れて頭を掻く。
気持ちよく仕事をしてもらう事は、とても大事な事だ。
会議室を出ると田辺と二人、3階の事務所に向かう。
「お前、駆け引きが上手くなったんじゃないか……」
『え? まさか、聞いてたんですか? 古賀さんと話してらっしゃったのに……。それ、聖徳太子みたいでキモイですよ』
「はあ? 十人も同時に聞けるか!」
田辺が訝しげな顔をする。
『よく言いますよ……』
……いや、ホントに十人は無理だ。 二人でギリギリ……
『知ってたんですよね? 岩前さんの今月の数字が苦しかった事……』
……ん? ああ、そっちか。
「知ってたわけじゃない。 だた、プロジェクトのメンバーになってから、二足のワラジでキツイだろうな……と思っただけだ」
『へえ、なるほど。……で、そう言う平居さんは、何足ワラジを履く気なんですか?』
「あん?」
『4階の兼務を引き受けた上に、3階の改装チームリーダーをこなして、さらに使えもしない半端な新人まで引きとるなんて、狂気の沙汰ですよ。いったい足が何本あるんです? ムカデですか? なるほど、これでもワラジが全然足りてないんですね』
……オイオイ、ちょっと言い過ぎだろう。
『まあ、4階については……俺は「部・外・者!」ですから、関係ないですけど、ね!』
……お、オマエ。 まだ、根にもってるのか。
あれからずっと、田辺はご機嫌がななめだ。
ごめんと謝ったのに、許してくれる気配が全くないのだ。
……お前は女子かよ。
すたすたと前を歩く田辺の背中を見ながら、ため息をつく。
今、お前にソッポ向かれると困るんだけど……。
そう思いながら後ろを歩いていると、田辺が事務所のドアを開けてサッサと中に入ってしまった。いつもは扉を開けたまま、上司を先に通してくれるんだが……それもないらしい。
……これは、マジでダメだ。 早く仕事を終わらせて、メシでも誘って機嫌をとろう。
自分で蒔いた種だが、刈り取りの難しさに挫けそうになる。
それにしても……忘れていた問題が、不意に浮上してきた。
……メシの誘いか。
ジャケットの胸ポケットに仕舞った紙を取り出す。福田チーフから預かった、藤井の伝言だ。
……食事に誘って下さいって……言われてもなぁ……。
藤井は、地道に頑張ると言ってなかっただろうか? それにしては、いきなりの強い誘い文句に、俺は戸惑っている。
いや、誤魔化しても仕方がない。可愛らしい文字で「楽しみに待ってます」と書かれた文章と、添えられた赤いハートのシールに、正直かなり動揺していた。
……これの、どこが地道なんだ?
手紙を見つめて、盛大なため息をついてしまう。
しかし、俺の体調を気遣う藤井の言葉に、胸がキュンとなったのも事実だ。
……参ったな。
仕事に忙殺されて今まで保留にしていたが、このまま無視するのもどうかと思う。かと言って、誘ってしまえば藤井の気持ちに応えるようで、それもまた問題だった。
面倒なこの状況に、頭を抱えこむ。
……んあ! 何でこんな事で頭を悩まさなきゃならないんだ!!
とにかく俺は、恋愛などにかまけている時間はない。仕事上の付き合いなら、いくらでも誘ってやるが、それ以上を求められても困る。
自分のスタンスを確認し、この問題は対応しないということで決定…………したいところなんだが……うーん……やっぱり……まあ、とりあえず保留にしておこう。
何もかも、割り切ればいいってもんじゃないよな。……たぶん。
なぜか、煮え切らない自分に言い訳をして事務所のドアを開ける。 とにかく早く仕事を終わらせようと、デスクに座って書類に向き合うと、ふと見覚えのない物が視覚に入った。
……ん、なんだ、これ?
青いハンカチが、デスクの隅に置いてあったのだ。
手に取って確認する。ジッパー付きのビニール袋に入っているので、まるで刑事ドラマに出てくる遺留品みたいだ。
……落し物か? けど……なぜ、俺のデスクに?
裏返して、その理由が分かった。 F・Hの刺繍が施されているからだ。郁人(F)・平居(H)の頭文字だ。
「……って、これ! 俺のじゃん!!」
余りの衝撃に、思わず口に出して驚いてしまった。
田辺が訝しげな顔でこちらを見てくる。
咳払いをして、適当にごまかした。
落ち着いて、もう一度ハンカチの刺繍を確認するが、間違いなく俺のハンカチだった。
……ええ? なんで、いまさら?
落としたハンカチが手元に戻って来ただけの話なら、こんなに驚きはしない。このハンカチが、入社して間もない頃に失くした物だからこそ、驚愕しているのだ。すでに、八年以上もの時が過ぎている。
当時の細かい事は覚えていないのに、失って狼狽えた記憶だけが頭に残っていた。
大切な人からもらったハンカチだからだろう。
そんな大事な物でも、時が経てば存在すら忘れる過去の失せ物に変わってしまうのだ。今さらこんな風に出て来られても、戸惑いしかない。
……一体、誰が?
手掛かりがないか、ハンカチをよく観察した。
色褪せや目立った汚れは無く、失う前と何も変わりがなかった。そのせいか、失くしたのがつい最近だったんじゃないかと、変な錯覚さえ起こしてしまいそうになる。
魔訶不思議な現状が、俺の頭を混乱させていた。
『平居さん、俺、これであがりますけど……』
ハンカチを持ったまま、それこそ思考がタイムスリップしていたようだ。声を掛けられて我に返り、慌ててハンカチをポケットに仕舞う。
帰り支度を始めた田辺が、心配した様子でこちらを見ていた。
「ああ、……これから予定でもあるのか?」
とりあえず、目の前の問題解決に乗り出す。
『いえ、特には……。せっかくなんで、早く帰ろうと思っただけです。何か急ぎの仕事でも?』
「いや、仕事じゃなくて、一緒にメシでもどうかと思って…… 気晴らしにさ……」
優しげな空気は一瞬で消え失せ、片眉をあげた田辺が、ジロリと俺を睨んでくる。
……ああ、はい。わかったよ。
「……そうです、ご機嫌とりです。 もうこれで、手打ちにしてください」
早々に手の内を白状して頭を下げた。これでは、どっちが上役なんだかわからない……。
クスリと笑った田辺が勝ち誇ったように聞いてくる。
『もちろん、平居さんのおごりですよね』
ため息とともに頷くと、田辺が携帯を取り出してどこかに電話をかけた。
『△△亭さんですか? 今から二人で行きたいんですが……』
「マジか!!」
通話の相手は、非常に高い事で有名な高級焼肉店だ。
驚く俺に遠慮する気配もなく、田辺が予約を入れている。
……お、オマエ、容赦がないな。
しかし、田辺にそんな仕打ちを受けたからか、突然ヒラメキが降りてきた。
「あ、真司! 三人で予約してくれ!」
一瞬驚いた田辺だが、何事もなかったように人数の訂正をいれる。
通話を終えて、勝手な変更を咎めてくるかと思ったが、意外にも……
『予算、大丈夫ですか?』
余計な心配をしてくる。コビトが一人増えたぐらいで、大した違いはない。
『……藤井さん、びっくりするほど食べますよ』
……って、コラぁ! 何も言ってないのに、どうして藤井と決めつけるんだ!
思わず憤慨しそうになったが、事実、藤井を誘おうと思っていたので何も言えなかった。
二人きりならマズイが、三人なら問題がないと思ったのだ。
にしても、田辺の何でもお見通しな感じは、やっぱりちょっとイラッとする。
「言っても、あんなに小さいんだから、たかが知れてるだろ?」
反論できるところで戦ってみた。
『あんなに小さいから驚きなんですよ! 彼女、歓迎会で自分の体積以上に食べてたんです。尋常じゃない量ですよ。 ……あれは間違いなく、四次元胃袋の持ち主ですね』
……四次元イブクロ? まるで、ドラ●もんのポケットみたいじゃないか。
藤井が青い猫耳と赤い首輪をつけて、ニャーと鳴く姿を想像してしまった。
……可愛い。 って、オイ! ドラ●もんは耳が無いぞ! しかもオスだ!
慌てて、頭の妄想を打ち消す。
『あ、そうか。 平居さんは、たくさん食べる子の方が……好きでしたね』
……って、そっちもオイ! そういう決めつけはやめてくれ! 俺は今、そういう事にとっても敏感なんだ!
ニヤリと笑う田辺を睨みつけてやった。
まあ、何にしても、抱えていた難問が二つとも解決しそうなので、気持ちがずいぶん楽になった。
ウキウキしているのは、たぶんそのせいだろう。
読んでくださってありがとうございます。




